地底。
旧地獄前の、縦穴の先にある橋。
その橋の上に、パルスィがいた。
いつものように、地上への入り口を見守っている。
別に、この見守りというのは、彼女の仕事ではない。
彼女は、これでも、橋姫という神である。
橋の下に棲み、川を渡る者を見守るのは、彼女の仕事でなく、存在意義みたいなものだった。
欄干に腰掛けて、足をぶらぶらさせている。
裸足である。
パルスィの、白いつま先が、水面に映って、ちらちらと光っている。
ぶら、ぶら、ぶら、と、一定の速度で揺れている。
他には何をしているでもない。
パルスィは、何をするでもなく、ぼうっとしていた。
退屈そうである。
緑の目が、どこか遠くを見ている。
他には、何をしているでもない。
傍らに、小さい紙袋が置かれている。
袋の中身は、お菓子である。
芋けんぴだ。
旧都に足を運んで、買ってきた物だった。
地底には、甘い菓子というのは、少ない。
取り扱っている店が、あまりないのだ。
どうも、地底では、あまり好まれないらしい。
理由は、よくわからない。
もしかすると、酒飲みが多いせいかもしれないが。
旧都は、もともと、鬼たちが作った街である。
当然、沢山の鬼が住んでいる。
それはもう、うじゃうじゃと。
鬼といえば、喧嘩と酒が、三度の飯と同じくらい大好きだ。
そして、酒好きや、大酒飲みの連中というのは、どっちかというと、甘いものは好まない者が多い。
甘いものを食べると、胸焼けをおこしそうになるらしいのだ。
なので、多くの者は、もっと味の濃いものを好む。
その点、パルスィはというと、どっちでもいけるたちだった。
そもそも、甘いものは大好きである。
たまに食べたくなると、こうして買ってくる。
そんなにひんぱんに行くわけではない。
彼女は、もともと旧都のほうには、あまり行かない。
出かけないのは、別に珍しいことではない。
パルスィは、こうして一人でいることの方が多い。
彼女は、これでも鬼の一種である。
他の者から見れば、旧都の鬼達とは、仲間に当たる。
しかし、彼女は、旧都の鬼からは嫌われていた。
理由は、さまざまあるようだ。
その内の一つが、下賤だから、というものだ。
もともと、橋姫、というのは、旧い鬼の一種である。
神様をしているのは、成り行きでそうなっただけだった。
実際、彼女は、旧い鬼であることがわかりやすい。
これは、実は見た目で分かる。
旧い鬼、というのには、角が生えていない。
パルスィの頭にも、角は生えていない。
彼女は、旧い鬼である。
彼女は、人間から鬼になった。
鬼というのは、人間から化けるものとされる。
実際、彼女は人間の女から化けた。
人間の女だった頃、浮気した夫への憎しみが高じて、鬼になってしまったのだった。
彼女は、人間の頃から、たいへんに嫉妬深かった。
鬼になった今も、それは変わっていない。
というよりか、人外になったぶん、悪化している。
鬼、というのは、もともと、人の激しすぎる感情が、具現化したようなものである。
当然、パルスィ自身、性格も悪い。
正直、かなりねじ曲がっている。
人間としてもねじ曲がっているが、鬼として見ても、やはりねじ曲がっている。
まあ、それも、彼女が嫌われている理由のひとつだった。
鬼というのは、たいていは、根が真っ直ぐで、ねじ曲がっていない者が多い。
一昔まえならいざ知らず、彼女のような鬼は、今となっては珍しいのだった。
まあ、今となっては、彼女もはぶられることなど、気にかけていない。
ちょっとはぶられるくらいなら、彼女としては、大歓迎だった。
彼女は、人の嫉妬も、自分の嫉妬も、たいへんに好きである。
大好きである。
好きで好きでたまらない。
やみつきになるほどだ。
ほど、というか、なっている。
すでに、だいぶ前からである。
彼女は、人の嫉妬を見るのが、それはそれは好きである。
ちょっと嫉妬にかられているような人間を見れば、背筋に電流が走ったようになる。
その嫉妬がすさまじく狂っていたりすれば、思わず、頬を染めて、興奮してしまう。
彼女は、とにかく、誰かの嫉妬を見たり感じたりするのが、大好きなのである。
自分でも、他人でもいい。
嫉妬の質を選り好みはするが、とにかく嫉妬であれば、なんでもこだわらなかった。
そういうところは、やはり歪んでいるのだろう。
さすがに鬼である。
そのパルスィも、今は退屈そうにしている。
彼女が、今のように、退屈そうにしているということは、周りによほど嫉妬のたねがないということだった。
(……はぁー)
心の中で、ため息をついて、脇の袋に手をのばす。
爪の先で、入っている芋けんぴを、一本つまみとる。
ひょいと、口に運んで、ぽりぽりとかじる。
こうして、リスのようにやっている分には見えないが、大きく開けると、口のはしに、鋭い牙が見える。
尖った耳の先が、口の動きで、ひょこひょこと揺れている。
とにかく、退屈だ。
「ふう」
パルスィは、頬杖をついた。
くわえたままの芋けんぴを、ひょこひょこと動かす。
と。
きし、きしり、と、橋が小さくきしんだ。
パルスィは、顔を上げて、ちらりと見た。
と、見覚えのある娘が、こちらに来るところだ。
地霊殿の主、さとりである。
「あら。古明地さま」
パルスィは、一応様付けで呼んだ。
別に、彼女は、ここの地主でもなんでもない。
ただ、地底の者は、だいたいの者なら、彼女に敬意を払う。
彼女は怖い妖怪である。
人の心を読む。
「あなたは心の中でまでため息をついているのね。器用だけど、それって意味があるのかしら」
「あら、人の心を勝手に覗いて、文句までつけるの? ひどいわね」
パルスィは、不快そうな顔をした。
さとりは、動じずに、言ってくる。
「そんなふうに、怒ったようにしても、あなたは本当には怒っていない。鬼のくせに、ひどい嘘つきなのが、あなたなのね。嘘が嫌いじゃないの?」
「私が思うに、そういうのは、嘘とは言わないんじゃないかしら。鬼だって、自分の心くらい、包み隠しますわ」
「それも嘘。あなたは本当、意味もなく、無駄に嘘をつくのね。私に心を読まれていても、わかってて、嘘をつく。そんなだから、人に嫌われるのよ」
さとりは、静かな口調で言う。
パルスィは、眉根を寄せた。
「もう、なんですか。私を虐めに来たんですか? お怖いわね、本当」
「そんなに退屈ではないわよ。あなたを虐めるのが、楽しくないとはいいませんけど」
「おお、怖い、怖い。古明地さまは、そういう変質的な趣味がおありですのね。とんだ変態ですわ」
「あなただって、私をからかっているのは、虐められたいからじゃありませんか? どうも私と話しているときのあなたは、そういうふうに見えるようなんだけど」
「あら、それじゃあ私たちは相性がいいんですのね。嬉しいですわ」
「私は嬉しくないですよ」
さとりは、そっけなく答えた。
パルスィは、おやおや、としつつ芋けんぴをかじった
ふと、気づく。
芋けんぴの袋を手に取る。
「一本いかがです?」
「いただきます」
さとりは、指を出してきた。
パルスィは、それを見はからって、ばっと手を動かした。
袋の芋けんぴが、一斉に散らばる。
それは、すぐ目の前にいたさとりを目がけて、ばらばらと降りそそいだ。
パルスィは、ぽい、と袋を投げ捨てた。
そっけなく言ってやる。
「ご免なさい。わざとよ」
「知ってますよ」
さとりは、涼しい顔で言ってくる。
やはり心を読んでいたらしい。
どの辺りからは知らないが。
たいしたものだ。
パルスィは思った。
さとりが言う。
「喧嘩を売るんなら、相手を間違えてるんじゃないかしら?」
「別に喧嘩なんて売ってないけど? あなたが嫌いなだけだし」
「それも嘘のようですね」
「あら、わかってしまうのかしら?」
「わたしも何百年と生きているので、あなたほどの心の歪んだ人なら、何人か、見たことはありますし」
「あらら、そうなの? そんなたいそうな人が、何人もいたとは驚きね」
「私ほど心の歪んでいるやつなんているわけがない、嘘だ、とあなたは思っていますね」
「ええ?」
パルスィは頷いて言った。
さとりは、顔もしかめずに、言ってきた。
「そんなだから、あなたは、人に嫌われるんですよ。卑屈なクセに、自尊心が高く、いつも内心では、相手を見下している。心に入りこまれるのを嫌がっているクセに、構って貰いたくて仕方がない。自分が可愛くて仕方がないのね。だから平気で嘘をつく。そして何を言われても、全部歪んだ悦びに変えてしまっている。だから、何を言われても、少しもこたえることがない」
「あらすごい。そのとおりね」
「あーもう」
さとりは、げんなりと言った。
げんなりとである。
第三の目も、心なしか、半眼になっている。
さとり自身は心底嫌そうに、眉尻を落としている。
さらに、心底嫌そうに、続けてくる。
「タチが悪いって言ってるのよ! なんなのよ、もう、たまに様子見に来てみれば! 私は仕事で来てるのよ!? いちいち面倒くさいことしてないでね」
さとりは言う。
パルスィは、笑顔で返した。
嫉妬にまみれているときのような、きらきらした笑顔で、言う。
「だってしょうがないじゃないの、あなたとお話しするのが、私、とっても楽しいんだもの。ほうら、今度は嘘じゃないわよー。どうぞ、私の心を覗いてみてー。ほらほら。洗ってない豚のようでしょ? 臭い臭い」
「ぐ、ちょ、ちょっと寄らないで。気持ち悪い。あ、ちょっと、なに気持ち悪がられて嬉しがってるの!? やめて! ちょっとやめてよ! 寄るな、変態!」
「ああ、いいわねー。やっぱりあなたの罵る声は素敵だわ。格別。こう、なんていうか、背筋にくるのよね。ゾクッて。さあ、もっと言って。もっと覗いてちょうだい。私の汚くて歪んだこ。こ。ろ」
「こ、この変態!! ―~し、失礼するわっ!! いい!? くれぐれも、いざこざは起こさないようにねっ!」
さとりは、逃げるように立ち去った。
「あっ」
パルスィはひとり残されて、残念そうに耳をへにょりとさせた。
引き留めるように、指を挙げている。
それを下ろした。
「あ~ん……っもう……」
心底、残念そうに言う。
ちょっとからかい方を間違えてしまった。
もう少し、粘るつもりだったのだが。
どうしても、我慢できなかった。
これで、当分は来てくれないだろう。
また嫌われた、という、昏い悦びと、また当分はお預けになる、という確実さがあいまって、パルスィは、眉を落とした微妙な表情をした。
しかたなく、欄干に腰掛ける。
「ふう」
パルスィは、ため息をついた。
ふと、どん、と背中を押される。
「え?」
パルスィは、言いつつ、下の川に落下した。
ばしゃん!! と水しぶきが上がる。
彼女を突き落とした黒い帽子の人影は、そのまま、ととと、と走り出した。
ぼそっと言う。
「貴様には川底がお似合いだ」
急な流れに流されていった橋姫には、その声は届かなかった。
「?」
パルスィは、ずぶ濡れで這い上がり、首をかしげたという。
何だったのだろう。
本文に読点が多いものの、それがまた奇妙なリズムを作り出しているようにも感じられる。
作品全体に、茫洋とした独特な雰囲気が漂っている。
話題が風景から鬼へ、そしてパルスィ自身へと移るその流れが非常に自然で見事だと思いました。
さとりのことを気に入っているパルスィと、あくまでも仕事と言い張るさとりの関係もツボでした。
最後の台詞はこいしだと考えましたが、こいしが「貴様」だなんて言うのも新鮮です。
とても面白かったです、と、ありふれた言葉しか思い浮かばなくてすみません。
貴方の過去作を読み返しながら、次回作を楽しみに待っています。
え、違うの?
けど、パルスィはとっても可愛いのは分かった!
しかし、リンクスって少ないのね。
タイトルで釣られてコメントみて把握。
次回も楽しみに……
無言坂さんが喋った!?
……と思ったら、板……?
間違えました
パルスィかわいい
誰か教えてお願い!
今まで無言坂さんは「漢は黙って背中で語る」みたいな凛々しい人だと思ってたのになぜか私の中でドジっ娘にww
「貴様らには水底がお似合いだ」でググると色々出ますよ
それだけでこれ読んだ意味を感じるあたりナニカサレテイル気がする
さとりの読心部分を読んで、なんで自分が
パルスィに惹かれるのか良く分かった。
文章が、なんとなく夢枕獏さんに似ているなっと思いました。
それにしてもそそわってレイヴン(リンクス)人口地味に多い気がする。そう思うだろ?アンタも。…思わないのか?…思ってるんだろう?
パルスィど変態じゃないか
面白かったです。
ド変態が自分の姉に近づいたらそら怒るか。
そして耳がたびたび動くの可愛い。そして読解力が欲しい。あれ、理解するってどういうことだっけ?