ナメクジに塩をかけると小さくなりますよ、総領娘様。
いつもお説教ばっかりでうるさい衣玖から面白いことを教えてもらった。
天界じゃナメクジどころかなめこすら採れないから、地上まで降りることにする。
魔法の森とか呼ばれてるところで大きめの岩をひっくり返したらうじゃうじゃいた。気持ち悪い。
砂掛け紫の如く、塩をナメクジの大群にまんべんなくぶっかける。
なにも起こらない。と思ったけど、なんとなく苦しそうにくねくねしだした。
あっちのナメクジが、こっちのナメクジが、くねくねくねくねくねくねくねくねくねくね。気持ち悪い。
よく見ると、確かにさっきよりも小さくなってる。でも、思ってたのとちょっと違う。
くねくね、くねくねくね、くねくねくねくね。くね、くね、く――。
「あ」
思わず声が出た。くねくねしてたナメクジの動きが徐々に鈍くなって、止まった。
さっきまで一斉にくねくねしてたナメクジの大群が、今度は一斉に止まった。
落ちてた枝でつついてみる。ヌメヌメでねっとりした液体にまみれたナメクジが、少し固くなっていた。
つついたナメクジが岩からはがれて地面に落ちた。岩肌を枝で擦ると、固くなったナメクジの大群がポロポロと落ちた。
落ちたどのナメクジをつついても、動く気配はない。
――死んだ?
衣玖が言ってたのは、小さくなる、それだけだった。
衣玖が間違えた?衣玖も知らなかった?
固まったナメクジの死骸を見ながら、今度衣玖にあったら聞いてみよ、とぼんやり考えた。
数日後、桃の木の下でおやつの桃を食べてる時に衣玖はきた。
「こんにちは、総領娘様」
衣玖はいつもと同じ笑みで、いつもと同じ挨拶をした。たまには天子って呼んでもいいのに。
「衣玖」
私が名前を呼ぶと、「なんですか、総領娘様」って返してくる。
そうりょうむすめさまって、すごく長くて聞いてるこっちが疲れる。
天子のほうが短いのに。天使と同じで可愛いし。
「ナメクジに塩かけた」
で、
「固くなって死んだ」
衣玖は、「そうですか」って言っただけで、あとは何も言ってくれない。
「知ってたの?」
わたしが聞くと、衣玖は、「はい、知っていましたよ、総領娘様」ってなんてことないように答えた。
知ってたんだ。言ってくれればいいのに。でも、きっと、多分、それでも、わたしは塩をかけたと思う。
「固くなって死んだ」
「生き物は亡くなると固くなります」
そして土に帰るのですって、衣玖は続けた。でも、わたしが知りたい答えと違う。
「なんで、ナメクジのこと教えたの?」
多分これ。これで聞きたいことが聞ける、と思う。
「総領娘様は――」
衣玖はわたしが聞いたことにすぐ答えてくれる。そこがちょっと好き。でも、悪いことしてもすぐにお説教。そこが嫌い。
「なぜ、ナメクジに塩をかけたのですか?」
疑問文に疑問文で返された。テスト0点。わたしより馬鹿なんだ、衣玖って。
「衣玖が教えてくれたから」
「では、なぜ教えられたから塩をかけたのですか?」
あ、ちょっと鬱陶しい。イライラ。衣玖らしくない。
「面白そうだったから」
なんだか単純すぎて、自分で言うのが少し恥ずかしい。
「つまり、遊びですね」
要するに、そういうこと。面白そうだ、やってみよう。うん、遊びだ。遊びでやってるんだよー。
「遊びで塩をかけて、そして殺してしまった」
殺した。その通り。一匹なら大量殺害じゃない。けど、いっぱいかけて、いっぱい死んだ。
「だって、衣玖が知ってたのに、教えてくれなかった。まさか――」
「死ぬなんて思っていなかった、ですね」
衣玖が台詞を奪っていった。衣玖は空気が読めるとかで、時々わたしの台詞を横取りしていく。
「それも、塩をかけたぐらいで、と」
衣玖が続けて言って、わたしのほうに一歩近づいた。
ただでさえ大きな衣玖が、また一段と大きくなったみたいだ。
「塩がかかっただけで死ぬなんて」
そんな弱い生き物なんて、聞いたことない。いるはずない。きっと、数日前のわたしだったら信じなかった。
「総領娘様は――」
衣玖はまた、わたしを総領娘様と呼んで、そろそろ本気で鬱陶しいから、ちょっと睨んでみた。
ほんの少し、衣玖は困った顔をしてから、
「天子様は――」
わたしを名前で呼んでくれた。うん、これがいい。様ぐらいは許そう。
「どうやったら死にますか?」
急に怖い話になった。そんな空気だったっけ?わたしに衣玖みたいな能力はないからわからない。
わたしがどうやったら死ぬか。多分だけど、死なない。体がすっごく丈夫で、ナイフも刺さらない。
いつか来た死神だって、簡単に倒せてしまった。死神がみんなあの程度なら、わたしは死なない。死なない天子。ボツ、かな?
「わたしは死なない天子、そうお考えですね」
あ、バレてる。くすりともしてない。やっぱボツ。ていうか、いつの間にか衣玖は笑ってなかった。
「天子様」
衣玖はわたしをじって見つめてくる。わたしが嫌いな、お説教をしてる時の眼だった。
「地上のナメクジはとても弱く、脆いです。それも、塩をかけただけで死ぬような、儚い命です」
うん、知ってる。この眼で見たから。目の前で死んだから。
「それでも、天子様はまた、ナメクジに塩をかけますか?」
どうだろ。実際にやってみた感想は、確かに小さくなった。くねくねが気持ち悪い。思ったより面白くない。
あれは、ああ、なんだ、こんなものかって、そんな程度。もう一度、進んでやるようなものじゃない。
「つまらないから、やらない」
わたしが答えると、衣玖は少し怖い顔をしてわたしを見てた。
何か間違えたかな?わたしが首を傾げると、衣玖はため息をついた。
「今はそれでもいいでしょう。ですが、いずれは」
衣玖は一人でなにか呟いて、わたしから二歩下がった。
「お邪魔しました、天子様。失礼します」
そう言って、わたしを残して衣玖は雲の中へと飛んでいった。
結局、衣玖がなんのために、わたしにナメクジの事を教えたのか、よくわからないままだった。
今はって、どういう意味だろ。衣玖はいつも難しい事だけ言って、わたしにちゃんと答えをくれない。
それを直接衣玖に言ったら、それは総領娘様が考えなければいけませんって、その時も答えてくれなかった。
わたしは食べかけだった桃をかじって、衣玖の言ったことを頭で中で復習する。
それでもわからなくて、わからないならしかたないと、諦めて考えるのを止めた。
桃を食べ終えて、タネだけになった残骸を捨てる。
軽く土をかけて、後は二、三日ほっとくと、勝手に芽がでる。それで、あっという間に成長して、新しい実をつける。
でも、ここの桃は味が薄くて、食べた気がしない。そのせいで、もう一個、あと一個と、食べ過ぎてしまう。
ここの桃と地上の桃では、味に天と地の差がある。これって天変地異?
そういえば、そろそろ地上でも桃が生ってる頃だった。
味気ない桃を食べてしまった口直し。わたしは地上に行くため、天界から飛び降りた。
しばらくは力を使わずに、ただ重力に身を任せて空を落ちる。
ああ、これってアレみたいだ。
塩をかけられ、岩からはがれたナメクジみたいだ。
そう思いながら、わたしは地上へ向かった。
このくらいが幻想郷にはちょうどいいのかも
生きること自体が目的