この話は下の方にある『久しぶりにキャプテンが悪い話』の続きになっています。
でも、見ていなくても大丈夫だと思います。
初めて会った日、これが噂のムラサか、と。
背筋がぞくぞくしたのを覚えている。
数限りない船を沈め、近隣の、いや、それは遠く山を越えた人間たちの耳にすら届き、恐れられるほどの、海の悪霊。
その悪行は、私達の耳にも酷く生々しく、被害者達の声という重みをもって聞かされた。
こんな山奥の寺に、助けてくれと、救ってくれと、なけなしの財産と食料を持って、涙ながらにやっきにならねばならなかった、ならざるをえなかった、海の化物。
海の悪意の、塊。
元、人間らしいその少女は、白磁の肌に僅かの赤みも無い、冷たそうな、冬の海みたいな印象を、初対面で私に与えた。
『さあ、ムラサ』
『……』
聖に背を押されて、静かに歩いてくる彼女の瞳は、淀んで腐って見えた。
汚らわしいと、思った。
怖いと、妖怪である私が、一瞬でも感じてしまった。
そして、どこまでも冷たいと、ぶるりと震えた。
『……』
色の無い、淀んだ藻みたいな、瞳の色。
彼女は、立ち尽くす私を、ただ無表情に軽く一瞥した。
そして、それだけだった。
◇ ◇ ◇
どさり、と。
目の前に、右頬を真っ赤に腫らせ、左頬を引っ掻き傷で血に染めて、泥で汚れたセーラー服といういでたちの、情けなさ全開に泣き顔で助けを求めるキャプテンムラサがいた。
「…………ぅわ」
正直。
過去の思い出に軽く浸っていた私は、誰だあんた、と言いたくなるぐらいの、見事な変貌振りであった。
「い、いちりん、助けて、なんか、よく分からないけど、とにかく助けて」
傍目にもボロボロのムラサは、聖からプレゼントされたと過去に自慢した船長帽だけは死守しつつ、それ以外は泥だらけ血だらけで、自室でぼんやりしていた私を訪ねてきた。
「…………ムラサ、ノックぐらいしてって、いつも言っているでしょう?」
「…………うん。一輪、私がノックしないのは、いつもこういう時だけだって、分かってて言ってるんだよね?」
泣き顔で苦笑しながら、ムラサはしくしくと悲しげに言った。
いつもの事、という訳でもないけれど、それでも最近は、何かしらの騒動が始まると、無我夢中に私の部屋を訪ねる様になったムラサに、私は半分は呆れて、もう半分は照れ隠しを含めて、私はムラサに、とりあえず開けっ放しの戸を閉める様に! と言う。
そうして、ムラサはようやく少し笑顔になって、しっかりと戸を閉めて施錠をして、私の隣に座ってくる。
ちょっと血の匂いがして、でも、薄れない、海の香りを纏いながら。
◇ ◇ ◇
ムラサは一人で、黙々と仕事をこなす。
慣れない仕事は、ムラサには難しい様で、まだ一週間もたたないのに、ムラサの頬には大きな痣ができ、指先は真新しい傷跡だらけだ。
ずっと海に居たからなのか、指先を使うのが、二本の足で歩くのが難しいらしい。桶に水を張って歩くと、すぐにバランスを崩してこけてしまう。
そして今日も、その際に白い肌が切れて、血が出ていた。
『……』
その匂いが、人間みたいな、でも違う、ここにはない、一度見たきりの海の香りにも似ているなと、私は、そっと柱の影から覗きながら思っていた。
暫く地面に寝ていた彼女は、急にくるりと、此方を向く。
『……なに?』
『えっ?!』
『……ずっと、見ていたでしょう?』
地面に、無意味に水をやってしまったムラサは、立ち上がり、桶を持ちながら、私を見る。
痣がある頬が切れ、流れる血が痛々しくて。
でも、その瞳は最初と変わらなくて。
―――むずっ、って、当時の私の心が、苛立たしげに騒いだ。
『……っ、怪我、よ』
『?』
『あ、貴方、こんなに怪我をしているのに、一度も治療をしないなんて、どういうつもり?!』
『……? どうもこうも、私は人間じゃない。怪我なんてすぐに治るし、治療なんてしても薬や包帯の無駄だもの』
むかむか、と。
あまり言いたくは無いけど、当時の私は、まだ幼かった。
ムラサより背も低く、ムラサから見れば、私は人間の幼子と変わらなかっただろう。
その、世間を知らない子供に言うみたいな響きが、気に喰わなかったのだ。
『駄目よ、そんなの!』
だから、そんな彼女を見上げて、私は言ってやったのだ。
痛いのは、本人だけでなくて、他の人にだって痛いのだからって。
聖が言っていた事を、偉そうに上から目線でムラサに言ってやったのだ。
『だから、痛いなら、痛いって言いなさいよ!』
『…………』
『見ている方だって、痛いんだから、だからちゃんと、言いなさいよ! そうしたら、ちゃんと治療してあげられるでしょう!』
『…………』
ぱちくりと、ムラサは目を丸くして、私をじっと見下ろす。
私の顔を穴が開くほどに、じいっと見て、不意に、ぎゅっと瞳を細める。
『…………そ、っか』
不思議そうに、思いもよらなかったみたいに、私より子供みたいな顔をして。
『……え?』
その顔に、他ならぬ私の方が驚いて、オロオロと戸惑う私を無視して、ムラサはぼんやりと水を撒いてしまった地面を見る。
その瞳が、目の色が、微かに変化していた事に、私だけが気づいたまま。
暫し沈黙が、満ちた。
『……』
ムラサは、自分の傷だらけの手の平を見る。
『…………ぅ、ん。いたい』
『……え?』
私は、ムラサを見る。
驚きと共に、彼女を見上げる。
今、彼女が何を言ったのか、聞き取れなかったのではなく、聞こえたからこその驚きで。
『……いたい』
ムラサは、まだ不思議そうにしながらも、胸を押さえて、ふらりとしゃがみこんだ。
『む、ムラサ?』
『……いたい、んだ。……どう、して?』
どうして、どうして? と、何度も何度も。
その急な変貌に、私は最初は驚いたけど、すぐに、ああって、落ち着いてきた。理解したのだ。
聖の傍に居て、そういう、迷い苦しむ妖怪や人間を、たくさん見てきたからかもしれない。
私はようやく理解したのだ。
ムラサは、怖くなんかないんだという、そんな当たり前のことが。
『……ムラサ』
たまらなくて、その泣きそうな子供みたいに震える彼女に抱きついた。
ずっと怖いと、冷たいと思っていた彼女が、こんなに弱くなってしまったのが、なんだかおかしくて、悲しくて。
痛かった。
『………私、は、ずっと、ずっとずっと、あそこから、逃げたかったのに、ぉか、しい、よ……。なん、で……? どう、して……?』
海が、恋しい……っ!
小さく、でも強く、その声は、私の心に絡みついた。
『ッ』
背中に、ムラサの腕が強く絡み付いて、
震えながら、抱きしめられた。
―――わたしは、知らない。
ムラサに何があったのかなんて、聖は教えてくれなかった。
ただ、聖は、ムラサを助けたから、ムラサは怖いけど、聖の友達なんだって、そう、思っていて。
なのに、
私にすがり付いて泣く、この幽霊は、海の悪意ではなくて、ただの、
『…………』
強く、
強く強く、ムラサを抱きしめる。
そうして、消えてしまわない様に、願いを込めて。
私には、彼女を知らない私には。ただ。
彼女は、
海の底に、暗い暗い海底に、奇跡で届いた、あまりにもやわい、海の木漏れ日だと、そう思えた。
◇ ◇ ◇
「……ぁあ、太陽に失礼な感想だったわね」
「え? 何が?」
ぺたぺたと、ムラサの手当てをしながら、海の木漏れ日だなんて、そんなイメージがどれだけ失礼な事かと、私は、ムラサを見て今更深く反省する。
「はい、横を向いて」
「いてっ」
どう見ても、どこぞの女の爪にひっかかれたとしか見えない傷跡に、眉間に皺がよりながらも、私は永遠亭から届いた、おしおき用の沁みる傷薬で塗っていく。
相当痛いだろうに、ムラサは口元をぷるぷるさせながら、涙目で我慢していた。
「……ねえ、ムラサ」
「………ぁ、ああい?」
痛すぎて、声が震えているけれど、あまり可哀想だと思えないので、淡々と薬を塗っていく。
「……この傷跡は、どうしたの?」
「おぉぉうあ? あぁ、ええっとね、山の方の、巫女に引っかかれた」
「……殴られたみたいな後は?」
「うん、山の方の巫女に蹴られた」
「……この全身の打撲は?」
「だから、山の方の巫女にやられた」
「………えと」
山の巫女が大活躍だった。
こいつ、何をやったからそこまで恨まれるんだと、一瞬訊いてみようと口を開いて……
「……」
訊いたら、心の底から腹が立ちそうな予感がして、止める。
手当てをしているのに傷を増やすのもアレだろうと、私は薬を二倍ぐらい多めに傷口にかける事で我慢する。
「っっっ!!??」
あぁ、びくびくしてるびくびくしてる。
そういや、あの頃から、痛がっているくせに、手当ての時は大人しかったなーと、私は思い出す。
そう、あれは――――――
◇ ◇ ◇
じゅわ。
凄い音がした。
『っっっっ??!!』
一瞬で、ピキーン! と背筋を伸ばしてぐぐむぐっ、と唇を噛み締めたムラサに、やっぱり痛かったんだって、私は慌てる。
普段、ムラサより回復力が早い私は、実は消毒液とか、薬とか、使った事がなかたったのだ。
だから、誰かから聞いた話をごちゃまぜに、濃度の高いお酒を沸騰させて傷口にかけたのだけど。
じゅわじゅわ言っていた。
両手が真っ赤になって、ムラサが涙目だった。
『ごっ、ごめんなさい、あの、痛かった、よね?』
『…………』
ムラサは無言で、でも、ふるふると首を振った。
そして、誤魔化せない震える声で、私をじっと見て、言った。
『いだぐ、ない。……ありが、とう』
涙目で、可哀想になるぐらい、痛そうだけど。
でも、ムラサはそう言ってくれた。
そして、両手は使えないからって、あごで、私の頭を頭巾越しに、ぐりぐりって撫でてくれた。
『……む、ムラサぁ』
『…………い、たくない』
今にも零れそうなぐらい涙が溢れているのに、ムラサは言い切って。
私に治療の続きを促した。
だから、私は何とか痛くない様に、痛くない様に、って祈って、でも結果的に、ムラサの傷跡を増やしてしまう結果になって、べそべそと泣いてしまった。
でも、治療が終わると、ムラサは私を抱き上げて、ぎゅってしてくれて。
『……ありがと』
不器用に、お礼を言った。
その時の瞳は、硝子みたいに涙のせいできらきらで、とても綺麗だった。
ごめんねって、たくさん思って。
でも、
『ムラサぁ』
嬉しいよって、
ありがとうって。
本当は優しいムラサに、一杯に抱きついた。
その日から、私は、ムラサの傍を離れなくなって、世話を焼くようになった。
その日から、私は、ムラサの事が――――
◇ ◇ ◇
かあぁぁ。
思いだして、赤面する。
そんな私を、ムラサは不思議そうに見て、きょとんと「一輪?」なんて私を呼ぶ。
「……っ!」
腹立たしくて、ぐるぐるに包帯を巻いていく。
「ちょ、ちょっと? 何で首に巻くの!? そこは怪我してないから!」
「いいのよ! どうせするんだから!」
「断定?!」
不吉な予言に怯えるムラサに、私は、真っ赤なままムラサの治療を続けながら、後悔する。
どうして、思い出したのか。
何より、どうして今なのか。
「ムラサ――」
「ぐぉお……?」
「私が、昔、貴方の傷を、治療しようとして失敗した事、覚えている?」
「……ん、うん!」
喉を絞る包帯を解きながら、ムラサが頷く。
私の赤いだろう顔を見ながら、少し懐かしそうに目を細めて。
「まだ、聖に出会ったばかりの頃の事だよね。……よく覚えているよ」
「――――ッ」
ドクンッ!
と、それは大きくて、衝撃的で、そして、嬉しかった。
「……お、覚えてたのね」
「あはは、そりゃあ、忘れられないって」
痛かったし、なんて言いながら、ムラサは、急に膝立ちになると、まるで再現するみたいに、ぽんっ、と、顎を私の頭に、頭巾越しに乗せる。
「一輪は小さくて可愛かったし、何よりさ」
「……え」
「私を、救ってくれたから」
深い、感謝が交じった声。
驚くと、ムラサの顔がすぐ近くにあって、
ムラサは声に出さずに、至近距離にある唇を動かして、言う。
ありがとう、一輪ちゃん。
って。
昔の、私の呼び方をして。
「…………っ」
ぎゅうううって、
心が、堪らなくなった。
愛しさが、溢れて、ぱしゃりと零れた。
ぱさり、と帽子が落ちる。
どさり、とムラサが尻餅をつく。
ぎゅっ、と私はムラサにのしかかる。
―――――――。
口付けは、
まるで永遠の様に永かった。
や、やっちまった…この後の展開に期待すると同時に恐ろしさがこみ上げてくる!
続きを楽しみに待っています。
続きが気になるwすげぇ気になるw
いるだけでフラグ乱立www
この展開からどうやったら後書きに行き着くんだww
気になって明日から仕事にならん!
あと、早苗さんそこまでしなくても……(合掌)
このシリーズは、船長とぬえがくっつき、ラブラブになって結婚式をあげるのが前提の筈のお話だけど
あまりの船長のフラグ補正に俺たちがキュンキュンしてどうにかなっちゃう物語だと。
…あれでもそうなると…あれ?
重婚の仲人も快諾してくれるさ
いつになったら目的地に寄港できるんだろかw
皆、幸せになって欲しいなあ
もう重婚でよくね?
ハリー!ハリー!!!
気になって夜も眠れん!
てか船長の迷走っぷりはすごいなwwwたしかにこれは船長が全面的に悪いw
続き期待してます!ww
船長いい加減に反省してくださいww
しかしこの展開でどうやってムラぬえENDに行くのでしょうか。
あと山の風祝やり過ぎ。
ムラいちスキーとしては重婚もアリや思うの。
今ここで俺が抱いてる気持ちを、アンタはどうするつもりなんだ。
チクショウ生き延びてやる!絶対に見届けるんだ!
でも一輪さんも幸せにしてやってくれ!頼みます!
このシリーズの主題は『キャプテンが悪い話』そう『キャプテンが悪い』が前提の話なんだ。
つまりキャプテンが誰か一人の良いひとになるわけが(ry
とかコメしながら、一輪蔑ろにされないか内心ビクビクしつつ、続きを気長に待ってます。
メインヒロインぬえ、サブヒロイン一輪でもいいんで。
って、ああぁああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ!!?
や、やめてー!ダメなの、俺こういうのダメなのぉ……
振られて泣きじゃくる一輪を妄想したら意外と美味しかったのでありかな!