蓮子が爆発した。
「――メリーの馬鹿っ!」
叩きつけられたクッションが、ぼふん、とフローリングの床に間抜けな音を立てる。
私はそれを、呆然と見つめているしかなかった。
何か言葉をかけなきゃいけない。蓮子に、今目の前で肩をいからせる蓮子に、何か――。
頭はそう考えるのだけれど、言葉は口の中で空転するばかりで。
「もう――知らない」
吐き捨てるようにそう言い捨てて、蓮子はくるりと背を向ける。
「あ――」
私はその背中に手を伸ばそうとするけれど、蓮子の背中がひどく遠くて手が届かない。
蓮子は歩き出す。私の足は凍りついたまま。蓮子は振り返らず、何も言わず、ゆっくりと歩いて、靴を履いて――部屋のドアが、バタン、と乱暴に閉められて。
あとには、まだ口もつけていない、湯気をたてたままの夕食と、その傍らに立ちすくむ私だけが残された。
「蓮……子……」
どうして。
どうしてこうなってしまったのだろう。
いつも通り、私たちは一緒にこの部屋に帰ってきて、一緒に晩ご飯を食べようとしていた。
普段通りの、何も変わらない夕方のはずだったのに。
ふたりぶんの夕食が、テーブルの上で少しずつ冷めていく。
それはそのまま――私の蓮子の距離のようにも思えた。
作りたての熱さは、時間の経過とともにだんだんと薄まっていく。
そのことに、私は鈍感だったのかもしれない。
だから――こんな。
蓮子が投げ捨てたクッションは、いつだか私が買ったキツネ柄のもの。
随分可愛いのにするのね、と苦笑した蓮子に、私は答えた。
一緒に暮らすんだから、すぐそれと分かるものの方がいいでしょ? と。
その時蓮子は、照れくさそうに帽子を目深に被り直したっけ――。
ああ、思考が空転する。
今、部屋に蓮子はいなくて、料理は冷めていっているのに。
私の思考は現実から逃げ出して、蓮子との甘い時間だけを追い求めてしまう。
ごはんが湯気を立てているおそろいのお茶碗。
本棚に並んだ、間違えてふたりとも買ってしまった同じ2冊の本。
狭い部屋にひとつのベッド、ふたつ並んでいる枕――。
「あ……」
帽子掛けに、いつもの蓮子のトレードマークの山高帽が残っていた。
忘れていったのだ、蓮子が。
――それは、私に動き出す理由を与えてくれる為のものだった。
山高帽を手に取る。いつもの、これを被った蓮子の不敵な笑みを思い出す。
その笑顔は、私にとっての、どうしようもなく――代え難い宝物。
何と言って謝ればいいのだろう?
どんな言葉で蓮子と向き合えばいいのだろう?
――読んだ小説に、恋人と喧嘩したときの仲直りの仕方はあっただろうか。
そんなシーンはいくつもあった気がする。だけどそれは、私と蓮子の話じゃない。
蓮子にはちゃんと――私の言葉で謝らないといけないから。
私は部屋を飛び出す。脇目もふらずエレベーターに乗った。一階へ。ボタンを押して、《閉める》のボタンに手を掛けて、
――誰かが、エレベーターに飛び乗ってきた。
「え……?」
エレベーターのドアが閉まる。動き出す。
私は山高帽を抱きかかえたまま、凍りついてその顔を見上げる。
蓮子だった。
蓮子は目を伏せたまま、壁際に立つ私に歩み寄って――。
蓮子の手が、エレベーターの壁に触れた。
蓮子の顔が、吐息が、近付いた。
――私の心臓が、爆発した。
「……ごめん」
消え入りそうな声で、蓮子が囁く。
それだけで――泣き出しそうなほどに安堵している自分に、私は気付く。
「……ううん、私の方こそ、ごめんなさい」
首を振って、軽く微笑んだ。笑うことが出来たはずだ。
目の前にある蓮子の顔が、優しく笑い返してくれたから。
目を閉じる。蓮子の吐息が近付く。
唇の感触が、私のそれにゆっくりと触れて――。
エレベーターが止まった。
ドアが開いた。
「……あらあらあら、ごめんなさい、お邪魔だったかしら」
風見優花さんが困り顔でこちらを見ていた。
私たちは爆発した。
優花は誤字じゃなくてワザとかな?
なんだこの夫婦・・・私も爆発した
爆発した
素晴らしい。実に素晴らしい。
>2さん
ナカーマ
俺怖くなったよ
それを、かな
ごちそうさまでした。
大変美味しゅうございました。