目の前に映る光景をみて、彼女は今、自分が夢を見ているのだと唐突に理解した。
なんせ自分がもう一人居るのだ。夢でなければ、何だというのだ。
理由はそれだけではない。
それは、その光景が彼女の良く知る過去の出来事だったからだ。
忘れられない。否、忘れてはいけない過去の過ち……。
夢の中の彼女は、今の姿と指して変わり映えもしていなかった。
それは彼女が吸血鬼故だろう。ただ一点、違うところは、耳に掛かる髪を三つ編みにしていることだけ。
それを自分の手でセットして、上機嫌に頷くもう一人の自分。
まるで亡霊にでもなったかのような、妙な浮遊感の中、辟易としながら彼女はじっとその様子を見下ろしていた。
彼女が見守る中、ベッドで眠っていた彼女の妹が、うなされ始めた。
当然心配したもう一人の彼女が、妹の傍らへと動く。
(駄目……! それ以上近寄っては……!)
──あの時は、上手くいくと思っていたのだ。寂しがり屋の妹にしてやれる、姉としての精一杯の事だと信じて疑いもしなかった……!
そうは思っていても、夢を見ているに過ぎない彼女は、歯がゆい気持ちでただ成り行きを見守ることしか出来ない。
もう一人の彼女が、妹の手をそっと握ってやる。
それだけで酷いうなされ様だった彼女の妹は大分落ち着きを取り戻せたようだった。
──だから私は、己の愚かな間違いにも気付かず、大切な妹を傷つけてしまったのだ……。
『大丈夫、私は此処に居るわ。』
朦朧としながらも薄く目を見開いた妹に対し、もう一人の彼女は優しく声を掛けた。
妹はもう一人の彼女を認識すると、目を見開き、顔を狂気に染めて叫んだ。
『 …… じゃない……! なんか じゃないっ! 返してよ…… を返してよぉ!!』
「ふぁぁぁぁっ。」
静寂を壊す様に放たれた大きな欠伸。当事者は周りから向けられる視線など意に介さず、やはり眠たそうに目を擦っている。
「眠たそうね、妹様。」
そんな彼女に気遣わしげな声を掛けたのは、正面に座っていたパチュリー・ノーレッジだった。
「あっ……! ごめんなさい、パチュリー……。」
場所が図書館だけに、欠伸を咎められたのだと勘違いした彼女──フランドール・スカーレットは持っていた分厚い本で半分顔を隠すようにして上目遣いに謝罪した。
そんなフランを微笑ましく思ったか。パチュリーは薄く笑みを浮かべてみせた。
「責めてるわけじゃないのよ。ただ貴女が起きているには辛い時間でしょう? 無理せず寝たほうがいいわ。」
時刻は間も無く正午を迎えようとする頃。本来なら夜に生きる吸血鬼は眠っている時間だろう。
実際、彼女の姉であるレミリア・スカーレットは自室で眠っている。
それでもなお、フランがまだ起きている理由は、彼女の隣に座っているもう一人の人物の為だった。
「そうだぜ。一人じゃ寝られないって言うなら、姉君に添い寝でも頼んでみたらどうだ?」
そう冗談めかして言ったのは霧雨魔理沙。
フランがいざ寝ようかと思っていた矢先に現れたものだから、折角だからと今まで起きていたのだ。
「…………。」
魔理沙にとっては軽い冗談のつもりだったのだが、想像に反して、フランは顔を伏せて悄気てしまった。
「おいおい、どうしちまったんだ?」
思わず心配になって声を掛ける魔理沙。
椅子から降りてフランの視線に合わせようとするその姿に、傍で見ていたパチュリーは案外世話焼きなのね、と苦笑を漏らした。
「…………お姉さまは、いいって言ってくれないよ……たぶん。」
「どうして……そんなこと言えるんだ?」
それっきり、黙り込んでしまうフランに困り果てた魔理沙は見守っていたパチュリーに視線を投げ掛け助けを求めた。
しかし、パチュリーは首を横に振るだけで、何の力にもなってはくれなかった。
(いや……パチュリーも困ってるんだろうな。)
魔理沙はずっと不思議に思っていた。
何故この吸血鬼の姉妹は折り合いが悪いのか……。
(喧嘩でもしているのか?)
弾幕ごっこはよくやるそうだ。
というか、それしか話を聞いた事がない。
しかしその時のことを話すとき、フランは決まって嬉しそうに話す。
決して仲が悪いようではないと、魔理沙は考える。
──ならばなぜ?
(きっとパチュリーもそれが分らなくて困ってるんだろうな。)
この件については自分はどうこう出来る問題でもなさそうだ。
そう結論付けると、魔理沙は頭を切り替えることにした。
「さて……私はそろそろ帰るかな。」
「えっ……? 魔理沙、もう帰っちゃうの……?」
そう言って立ち上がる魔理沙に、フランは顔を上げて詰らなさそうに頬を膨らませた。
「ああ。欲しい情報は粗方手に入ったからな。そんな不貞腐れた顔すんなよ。折角の可愛い顔が台無しだぜ?」
(良かった……思ったほど、傷ついてなさそうだな。)
食いついてきたフランに、内心ではほっとする魔理沙。
「また上手いこと言って誤魔化そうとする……。」
「嘘じゃないぜ? それに私なら何時でも来るからさ。」
「本当に? じゃあ今度は夜に来てくれる?」
「ああ、善処するぜ。」
そういって今度こそ立ち去ろうとする魔理沙。
しかし──
「失礼します。」
「うおっ!? ……相変わらず心臓に悪い現れ方するのな、お前……。」
立ち塞がるように、不意に現れた十六夜咲夜に面食らいその場に立ち止まってしまう魔理沙。
「あら、魔理沙。お帰りかしら? するとパチュリー様、お呼びと言うのは?」
「ええ。魔理沙を見送って頂戴。それが済んだら、妹様に添い寝をして上げて。」
どうやらパチュリーが咲夜を呼んだらしい。瀟洒な彼女は一礼を持って了解を示すと、直ぐに行動に移った。
「ではお客さま。こちらへどうぞ。玄関までお送りいたしますわ。」
咲夜に恭しくお辞儀された魔理沙は、逆にげんなりとした表情を露骨に見せた。
「……止めてくれよ、他人行儀なんて気持ち悪い……今更案内なんていらないぜ?」
遠慮する魔理沙だったが、パチュリーはそれを良しとしなかった。
「諦めなさい、魔理沙。殊勝にも今日の貴女はちゃんと門番の許可を経てここへ来た。我々からすれば立派なお客さまなのよ。だからそれ相応の対応を取らせて貰うわ。
当館の沽券の為にも。──なんてレミィなら言う筈だから。」
「そういうことですわ。」
「成るべくなら、今後もそうして頂きたいものね。」
止めとばかりに念を押すパチュリーに対し、流石の魔理沙も観念したようだ。
しかし、顔は引き攣らせていたが。
「ぜ、善処するぜ。」
そう言って咲夜に連れそられながら、図書館を後にする魔理沙。
それを見送りながら、フランは思った。逆効果じゃないかって。
思いはしたものの、口にはしなかった。魔理沙が来てくれるのなら、彼女にとってはどちらだって大差ない。
「ふぁぁ……それじゃあわたしも部屋に戻るよ……。」
「一人で大丈夫?」
「うん……おやすみぃ……。」
「ええ、おやすみなさい。」
パチュリーに心配されたが、フランは特に気に留めることも無く、地下にある自室へと引き返していった。
フラフラと覚束無い足取りで図書館を去っていくフランを、見えなくなるまで見送るパチュリーだった。
一方の魔理沙は、咲夜に先導されている為、何時もなら飛んで帰る廊下を歩くはめになっていた。
それを疎ましく思いながらも、前方を歩く咲夜の後姿をぼんやりと眺める。
すると魔理沙はふとある事に気がついた。
「なぁ、ちょっと気になったんだが……」
「なにかしら?」
「門番も確か三つ編みにしてたよな?」
歩くと揺れる、両耳に掛かる銀髪の三つ編みが何となく目に留まった、それだけのこと。
魔理沙にとっては、歩きながらでも話せる取り留めない世間話のつもりだった。
しかし咲夜は立ち止まり、魔理沙に振り返った。
「ああ、髪の事。」
綺麗に編みこまれた銀色の三つ編みを咲夜は自身の手で弄んだ。
「そうそう。お揃いだなっと思って……意識してやってんのか?」
「ち、違うわよ……! それより早くなさい。フランお嬢様をお待たせしているのだから。」
ぷいっとそっぽを向いてしまった咲夜に、しかし魔理沙はニヤリと顔を歪ませた。
恥ずかしさを誤魔化すように、先程より若干早足になって歩き出す咲夜だったが、魔理沙は尚も食らいつくように質問を浴びせた。
中々表情を崩さないこのメイド長様をからかう絶好の機会だと、魔理沙は思ったのだ。
「じゃあどうしてだ?」
「それは……レミリアお嬢様の指示だからよ。」
返ってきた答えに、魔理沙は首を傾げた。
一体何の理由があって、従者に三つ編みをさせているのだろうか?
「レミリアに? どうしてまた?」
「…………残念だけど、タイムオーバーよ。ほら、とっとと帰んなさい。」
辿り着いた玄関を開け、魔理沙に対し退場を促す咲夜。そんな彼女に、魔理沙はやれやれと首を振った。
「さっきと扱いが違いすぎだぜ……まぁいいや、今度来た時にでも聞く事にするぜ。」
そもそもが退屈しのぎだったのだからと、魔理沙は気に留めることも無く、玄関から外へ足を踏み出そうとした。
「…………知らないのよ、私。」
「知らないって……理由をか?」
去り際に小さく零した咲夜の言葉に、魔理沙は足を止めて振り返った。咲夜の表情は先程までとは違い、暗い影を伴っていた。
「ええ。聞きそびれちゃったのよ…………お嬢様が、とても悲しそうな顔をされたから。」
「……そっか。」
どうやら踏み込んではいけない領域だったのだと、咲夜の様子から理解した魔理沙は気まずそうに帽子を深く被り直した。
「母さ……美鈴なら、あるいは知っているかもしれないわ。」
思いもよらない咲夜の一言に、咄嗟に顔を上げる魔理沙だったが既に咲夜はこちらに背を向けて廊下を戻り始めているところだった。
「……お前は気にならないのか?」
それでも魔理沙は引き止めるように声を掛けるのだが、咲夜は止まる気配も見せず──
「私は、言われたことをするだけだから。」
──その姿を消してしまった。
「こりゃ聞くしかないな……。」
魔理沙としては今すぐでも飛んで帰りたかったのだが、仕方なく門を通っていく事にした。
暗い表情で館から出てきた魔理沙をみて、門番をしていた美鈴は不思議そうに首を傾げた。
「どうかされたんですか、魔理沙さん? 咲夜さんと、何か話をされていたみたいですけど?」
客人に暗い表情をさせたまま帰すわけにもいかず、美鈴は訳を訊ねることにした。
「ああ……ちょっとな。美鈴、お前にも聞いていいか?」
魔理沙は一瞬躊躇したような様子を見せたが、すぐに気を取りなおし真っ直ぐに美鈴を見つめてきた。
「構いませんよ。私で答えられる事であれば。」
それに応えるように、美鈴はしっかりと頷いてみせた。
「お前と咲夜がしている、その三つ編みの事なんだが……。」
「成る程。それで咲夜さんの気が、少し落ち込んでいるのか。」
美鈴には“三つ編み”と聞いただけで、合点がいったようだ。
「そんな事まで分るのか……案外便利なんだな、お前の能力。」
「ええまぁ。咲夜さんには後で私からフォローを入れておきますよ。」
「すまん……頼む。」
魔理沙にしては本当に殊勝な態度に、どうやら彼女も真剣なんだと美鈴は悟った。
「さて、肝心の質問についてですが……どうしても、知りたいですか?」
それでも美鈴は念を押した。部外者である魔理沙が知ってもどうにかできる問題でもない。そう思ったからだ。
「…………やっぱり深刻な問題なのか?」
「多分それなりには……でも話せない程のことじゃないですよ。お嬢さまに知れたら、怒られちゃうかも知れませんが。」
「じゃあ教えてくれ。咲夜にあんな表情(かお)されちゃ気になって仕方ない。」
やはり真剣な眼差しでこちらを見つめてくる魔理沙に、美鈴は仕方ないですね、と肩を竦めた。
「フランお嬢さまのため、ですよ。」
「フランの?」
「はい。この髪型は、お二方のお母様がしていらっしゃったそうです。」
先程咲夜がしていたように、自信の三つ編みを弄りながら語る美鈴。
「それが一体どうしてフランのためなんだ?」
「さぁ……そこまでは私にも分りません。」
「なんだそりゃあ?」
肝心な事が聞けず、思わぬお預けを食らった魔理沙は一気に脱力してしまった。
「結局分らず終いかよ……第一髪型だけなら従者にさせずに自分ですりゃ良いじゃないか。」
手詰まりを感じてか、ぶつくさ良いながらも美鈴にサンキューな、とだけ言い残し魔理沙は諦めて紅魔館を後にした。
後に残された美鈴は箒に跨り空へと去っていく彼女を見送りながら、ぼそっと呟いた。
「…………それは多分。レミリアお嬢さまが奥方様に似過ぎていたから、でしょうね。」
魔理沙に向けられたと思しきその言葉は、しかし魔理沙に届く事は無く、曇り始めた空に吸い込まれていった。
そうして魔理沙が見えなくなると、次に美鈴は館を見上げるように振り返った。
──中で、フランの気が乱れ始めていた。
美鈴は、そっと溜息をついた。
『ちがう……アンタじゃない……! アンタなんかお母様じゃないっ! 返してよ……お母様を返してよぉ!!』
「どうやら、フランが愚図ってるようね。」
「あら、それだけで態々起きてきたの? 優しいお姉さまだこと。」
静かだった図書館に、不意に舞い降りた声。
自分以外、誰の姿も無い筈なのに、まったく気に留める様子も無いパチュリーは声に対して皮肉で返した。
彼女の親友であり、この館の主は、いつだって神出鬼没なため、今更驚く事でもない。
そんなパチュリーが本から顔を離すのを見計らった様なタイミングで、音も立てず優雅に舞い降りるレミリア。
「レミィ……? 顔色が悪いようだけど、どうかしたの?」
しかし、どうもレミリアが本調子では無いことを悟るや否や、パチュリーは打って変わったように心配そうに問いかけた。
「心配無用よ、パチェ。……ちょっと夢見が悪かっただけ。」
「そう……妹様に会いに行くの?」
レミリアは首を横に振りながら、パチュリーの隣にある椅子に腰掛けた。
その椅子はレミリアの身体に不釣り合いな程に大きかった。
そもそも、その椅子を常時使っているパチュリーでさえ、足が床に届いてはいないのだが。
「妹には……フランには私は必要ないもの。」
「どうしてそんな悲しいことを言うのかしら……妹様は何時だって誰かの支えを必要としているわ。」
「…………それこそ私である必要がないわ。咲夜や美鈴がいるでしょう?」
屁理屈を並べ自嘲気味に笑う友人に呆れたのか、パチュリーは大きく溜息をついた。
「つい先程、咲夜が地下へ降りて行ったわ…………ねぇ、レミィ? 例え貴女の言うとおりだったとしても、貴女自身はどうなのかしら?」
「…………。」
「貴女は、レミリア・スカーレットは、妹であるフランドール・スカーレットを必要としているのでは──」
「パチェ。」
静かに。だが明確に、レミリアはパチュリーの言葉を遮り、強い瞳で彼女を射抜いた。
しかしそれも束の間の事で、彼女は自分の殻に閉じこもる様に椅子の上で器用に丸まってしまった。
「私だって……寂しいのよ。」
それっきり、レミリアは顔を伏せてしまった。
「意地っ張り…………。」
聞こえない振りをするレミリアに、パチュリーは二度目の溜息をするのだった。
「う……ぁ……! いや……いやぁ……!」
夢に怯え、うわ言を呟くフラン。
そんな彼女の元に咲夜が音も無く現れた。
「フランお嬢様……私は此処に居ますわ。」
手を握ってやり、優しく声を掛ける。
すると、フランは意識を朦朧とさせがらも、うっすらと瞳を開けた。
(誰……? お姉さま……?)
フランは焦点の合わない目で、握られた手の方を見やる。するとうっすらとだが白い肌と三つ編みが見えた。
(お母さま……?)
「ご安心ください、フランお嬢様。咲夜がずっと傍に居ますわ。」
温もりとともに落ち着き始めたフランは、三つ編みの正体が咲夜だと漸く理解した。
(そうだ……お母さまはもう居ない…………お姉さまは、きっと来てくれない。だってわたしが傷つけてしまったから。)
それでもフランは不安に思いはしなかった。咲夜や美鈴に三つ編みをさせているのは、他ならぬ優しいお姉さまの気遣いだと知っているから。
だけどフランは何も言わない。弱いままの自分では、また愛しい姉を傷つけてしまうと思うから。自分が強く成長するまで自身の思いは秘めておく事にしたのだ。
何時の日か、“ありがとう”と“ごめんなさい”が言えるその日まで。
そしてもう一つ──
(大好きだよ、お姉さま……。)
咲夜の手を強く握り締めながら、フランはその“何時の日か”を夢見るのであった。
素敵なお話だったと思います。
レミフラ姉妹は絶対仲がいいよ!
続編に期待です
姉が嫌いな妹なんて存在しません!逆もしかり!
次回が楽しみだ。
ちなみに前回のコメントについてですが、色々ネットで調べて書いたものですので私自身の知識は一切ありません。一応念のため。