鳥は巣立ちを迎え、過ぎゆく春を告げていた。
燕の一団が跳躍し、黒い弾幕の如く散らばってゆく。それぞれが木陰を縫い、地表をかすめるようにして飛んだ。
霧の湖と呼ばれる辺りでも、天地縦横に吹っ飛んでいた。
その湖上。
一匹の妖精が、宙に浮いて静止していた。冷気をまとった氷の妖精で、チルノと呼ばれる。
チルノは視線の先に、一羽の燕をとらえて放さなかった。
ぴたりと見つめて、目瞬き一つない。
ある日……。
チルノはひょんな所で燕の巣を見つけた。
(鳥の子ってへんなの)
骨と皮ばかりである。
にんまりと笑い、近くの樹から青虫を探してつまみあげると、
「食べる?」
と言いつつ、それを巣のヒナ鳥達に押しつけた。
氷の精である。チルノの体からは常に冷気が噴出していて、冬でさえ尚冷たい。巣では狂乱したように鳴き騒いだ。
善意はあったかもしれない。
「うるさい。お食べってば」
チルノはヒナ鳥をわしづかみにして、口ばしへ虫をねじ込んだ。
次から次へ、温もりが冷め、鎮まり返った。
死んだ。
と実感した時には、ゆび先に、ぐにゃりと首が垂れていた。焦点を失った目玉が、とろりとしている。巣の中を覗き込むと、最後の一匹が残っていて、ひどく怯えて見えた。けたたましい叫び声とともに親鳥が現れたが、それも、妙に呆気なく死んだ。
「なんで、そんなにも……」
チルノは逃げ出した。何かが追ってくる気がして、振り返ると、他の妖精達が笑っているだけだった。どこを眺めても樹々は精気に満ちていて、春はこれから始まろうとしている。
そもそも妖精などというものは死霊に近い存在であり、生死を気に留めるようには作られていない。
「うん。忘れちゃえばいいや」
口に出すと、ぞくりとして動けなくなった。
チルノにはできなかった。
常に陽気に過ごしてきたチルノであったが、苦悩を抱え、忘れ得ぬまま日が過ぎていった。
遺されたヒナ鳥は、ただ一羽の燕となった。
早暁には湖面で寝ていた霧が、陽射しと春風に舞い散らされて、今は湖の一帯にぐわっと立ち篭めている。空を見上げれば、白雲が螺旋階段のように立ち昇っている。その雲間から小粒な影がまっすぐ落ちて、チルノの頬をかすめていった。
ひゃっ。
と一羽の燕が、矢のように翔けたのである。そいつは二度、三度、辺りを大きく旋回して、
「チルノ……チルノ……チルノ」
と鳴いたように思えた。むず痒いのか、チルノは指で鼻頭をかいた。
たかが一羽の燕が成長したに過ぎない。
それが、たまらなく嬉しかった。
一団の燕達が湖から飛び去り見えなくなった後も、
(ほら。お前も、早くいけってば)
この燕はただ一羽のこされ、尚も湖上を翔け巡っていた。
チルノは両拳を振り上げ、全力を放つが如く、わあっと叫び上げた。冷気をはらんだ喚声が湖畔の森に沁みてゆく。
それでも燕は一羽、飛び続けた。
しばらくして……ふともう一羽、別の燕が現れると若鳥達はつがいとなり、寄り添うように並んで飛び、ようやくいずこかへと去った。
湖上で妖精一匹、
「バイバイ……」
ぽつりと言った。
ごま粒ほどの影も見えなくなり、チルノはようやく目を閉じた。
チルノはふてくされたような表情を浮かべ、大木の枝にだらしもなく寝そべっていた。
ふっ。
と冷気を吐いて、蟻を吹き落としたりしている。
妖精に、するべきことなど何もない。今は、それが焦れったく思えて仕方なかった。じっ……としていると、ふと、からだの芯を突き起こすような衝動に駆られてしまい、息が荒く乱れるのだった。たまらず身を起こしても、どうすれば良いのかさえ分からず、得体の知れぬ悔しさに、氷の羽が震えるだけだった。
そして静かに時が過ぎた。
陽が傾くと、すうっと霧は失せて、遠目にも湖を見渡すことができる。深緑が黒々と映えた水面に、夕陽がとろりと血を垂らしていた。場所を移りもせずにチルノは寝転んでいたが、
(あれ?)
青い前髪がふわりと浮き上がり、ぬるい風が吹くのを感じた。
なじみのある温もりである。
(大ちゃん……?)
すぐ近くで、その妖精は静かに腰を降ろしていた。
この妖精には名前がないので便宜上、大妖精と呼ぶ。
チルノは寝ていた枝から身を起こすと、微風に流れる髪を抑えながら、大妖精の隣に行って、座り直した。
唐突に、呟いたのはチルノだった。
「ごめんねって、言いたかったの」
燕のことである。
どれほど考えたところで、他に言葉は浮かばなかった。
「そうよ。そう言わなきゃ、いけなかったの」
「そうだね」
と大妖精が応えた。
(でも、言えなかった。あたい……何もしてあげられなかったのに)
チルノは、熱っぽく息が乱れるのを感じて、しばし沈黙した。
呼吸を整えると、高く、擦り切れそうな声が出た。
「あいつ、何も分かってないんだよ。あたいのイタズラでどれ……も、死んでいったのにさあ」
「そうかな」
「そうだよ。あたいなんかには、フンでもかけて行けば良かったのに」
「……」
「なのに、それどころか、だよ。あいつは嬉しそうにあたいに、ありがとうって、さよならって、言った気が、して……」
そこで、言葉が詰まった。
(言ってくれたんだ)
チルノには、確かにそう聞こえていた。
気を抜くと、得体も知れない感情が溢れてくる。唇をきつく結んで堪えていた。言葉が途切れ途切れになり、会話にはならなかった。
(ごめんね。ごめんね。ごめんね……)
風邪でも引いたものか、チルノは甲高く咳き込んで、何度もきつく鼻をすすった。
既に宵闇は余すところなく垂れ篭めて、きん色の月明かりが二匹をひんやり包んでいた。
大妖精が話し掛けた。
「ほんとうに、あっという間に巣立っていっちゃったね」
「……」
「そのうち幻想郷を出て、うみを越えて、ずうっと遠くへ飛んで行くんだってね」
「……」
海がどういうものかは、知らない。
ただ、祈るようにうなずいた。
「すごいよね。私たちは、いくつの春を過ぎたって、ずっと子供みたいなのに」
「……うん」
「あのさ、チルノちゃん」
「うん?」
「十分、頑張ったんだからさ」
大妖精は、チルノの顔を覗き込みながら、良かったね、と明るく言った。
(そんなわけない)
チルノは大妖精をにらみつけたが、不意に、ぬうっと目前に手のひらが迫ってきて、硬直した。
「よしよし」
と頭をなでられて、その手がぬくかった。
何を喋ろうとしたものか、チルノは、
「か、はっ……」
と乾いた息を吐くと、崩れるように泣いた。ある日を境に、ひと時も巣から目を離さなくなったチルノを、大妖精はよく知っていた。仲間の妖精に頼んで食糧を運んでもらい、時には人間に頭を下げて知恵を借り、忍び寄る外敵を撃退し、自身はヒナ鳥の視界に入らぬよう、離れていた。
「立派に育ったじゃない」
チルノの声は、言葉にならなかった。
さあっと通り雨が降って、蛙が騒ぎ立てた。
翌朝の空は澄みきっていた。
「決めた。あたい、今日から大人になる」
と言い放ったチルノに、大妖精は首をかしげた。
「ひとつ、イタズラをやめる。ふたつ、乱暴をやめる。みっつ、優しいことをする。よっつ、ウソをつかない。いつつ……」
十から先の足し方を知らず、「とお」の次を「ひとつ」と言って混乱し、そこで打ち切った。
大妖精が不安げに言った。
「ちょっと多すぎない?」
「あたい最強だから平気」
無理しないでね、と云うより仕方なかった。チルノはいたずらっぽく笑うと、光の中へ飛びさった。
意味もなく、全力で飛び回っていた。息を吸い込む度に、新たな活力が燃え上がるのを感じていた。そうすると胸の内に、ふつふつと湧きあがる想いがあった。
(そうだ。あたいも遠くへ……幻想郷の外へ、そのずっと先へ、行ってみたい)
ここ幻想郷は、強大な結界で覆われており、何かしらの意図を持って出入りすることはできないと云う。
その上、妖精という存在は、それぞれに棲む領域が定められている。春という期間に棲む妖精もいれば、葉の一枚にも妖精は宿る。チルノの場合は湖の周辺に境界があり、それを越えて生きることは本来できない。だが、日ごろ強引に突破して平然としているのだった。
自然に定められた境界を越えることなど、並の妖精に可能なはずもなく、
「あたいってば最強ね」
とはチルノの口癖となっていた。
その程度の力があった。
幻想郷を抜けた先にどれほどの世界が広がるのか、想像するとたまらなくなった。
「きめた。お日様の行くところまで、一直線!」
チルノは東へ伸ばした指の先に、夢を描いた。
理屈はない。青い氷の妖精である。陽が昇り、傾くことすら考えてはいないだろう。毎日が焼けるように熱く、何かに退屈して過ごしてきた……それだけだった。
(それじゃ)
振り返って一言だけ口にした。
「バイバイ、みんな」
妖精一匹、いなくなっても幻想郷は何も変わらない。
ただ妙に美しく思えた。
どれほどの時が過ぎたのかは分からない。呆けたように、チルノは動かなかった。
動けなかったのかもしれない。幾重にも張り巡らされた結界は、近付く者の意志にさえ作用すると云うが……。
ふと。
「あら、久しぶりに見た気がするわね」
どこからか声がして、我に返った。
チルノの頭が、くらりと揺れた。
慌てて周辺を探したところ、下の樹の陰に何かいるらしい。適当な枝に降りて覗き込むと、木陰でレティ・ホワイトロックがくたびれていた。冬を好む妖怪で、暖かくなると姿を隠す。ちなみに氷の妖精であるチルノとは相性が良いらしく、ほどほどに親交があった。
チルノは咳払いをして、心を落ち着けて挨拶した。
「こんにちは。レティはきれいに太いね」
返事がなかった。
(あれ? 大人っぽく挨拶したのに……そっか。あたいの魅力にびっくりしたのね。ふふん)
得意満面となる。
改めて大声で叫び直すと、レティは手招きしながら言った。
「あのね……夏に備えて蓄えてるのよ。本当よ? 大体、同じような事を毎年毎年、何度言ったと思ってるの?」
「三回?」
「その五乗は聞いた気がするわ」
「四回か」
ちょっと降りて来なさい、と言ったレティの顔が穏やかに笑っていた。
チルノは素直に降りていった。
近くで見ると、新たな感想を持った。
「レティ、思ったより太ってるねー」
「……頑丈なあなたと違って、栄養つけないと死んじゃうかもしれないのよ」
「それは大変」
心から言った。
少ないエサに必死で食らいつくヒナ鳥の姿を思い出し、目を細めて、レティの姿を重ねて見た。大丈夫。この子は大丈夫だな、と思うと不思議と口元がゆるんでいた。
レティは仏のような笑みを浮かべた。
「チルノ、目を閉じて頂戴」
「こう?」
「そうそう、良い子ね。なでなでしてあげるから、頭を前に出して」
「うん」
ひょいっ。
と突き出した頭をぶん殴られて、チルノは地面に突っ伏した。
間髪入れず、
「フライングレティプレス!」
何かに押し潰され、しばらく気を失った。
霧の湖のほとりには不気味な洋館がある。吸血鬼の棲み家、紅魔館として知られており、日のある内は門番が守りを固めている。
チルノなどは、
「どこに敵がいるんだよ」
と思うと、おかしくてたまらなくなり、遊びがてら襲撃することがあった。
そこへ不機嫌なツラを引っさげて、チルノが戻ってきた。
(レティのバカ! うそついて殴るなんて、子供みたい。バーカバーカバー)
などと考えていた。
幻想郷の外を翔けようなどと想い描いたことは、とうに忘れ去って跡形もない。
「よう、どうした?」
と声をかけたのは、門番の紅美鈴である。
「やけに不機嫌だねえ。ふっふっふ……」
妙に嬉しそうな顔をしている。
美鈴は腰を落とし、勢い、岩をも砕かんばかりに震脚し、地を鳴り響かせた。
「我こそは紅魔の守護者、紅美鈴! さあ来い狼藉者。その身を門前の塵としてくれよう」
この門番、武術の達人ではあるが、
(すごいバカみたい)
妖精などにあまり意味もない。
下手な口上は終えたらしい。美鈴はあらぶる鷹の如く猛々しい構えを取り、奇声をあげている。
チルノは異常に苛立ちが掻き立てられて、舌をぬべっと突き出した。
「メーリンには関係ないから。じゃあね」
「ええっ。待ってよ」
飛び去ろうとしたチルノを、美鈴が慌て気味に呼び止めた。
「襲ってくれないの?」
「ふんっ。そんな子供っぽいまねは、もうしないと決めたもん」
「そ、そうなんだ……」
美鈴は物足りなさそうに視線を漂わせていたが、うつむくと深いため息を吐いた。よろよろと門に背もたれ、愚痴を吐く年寄りのような顔をした。
その様子を見下ろしていると、
(なんか、すっきり)
不思議と、胸が晴れていった。
空は高く冴え渡っていたが、風がきつくなって地表で埃を巻き上げている。
チルノは美鈴に近寄って、やや高めに浮きながら言った。
「ところできみ」
「ああ?」
「何か困ったことは無いかね? あたいは大人だからさー、助けてあげてもいいよ」
「……ほほう」
美鈴は引きつった表情を浮かべた。
「では、チルノさん、にお願いしましょうか。眠気覚ましに少し走ってくるから、その間、門番をやっててくれませんかね」
「よかろう困った人。どのくらい走るのかね?」
「42.195km」
「……三分、いや四分、いや、えーと?」
音がおよそ二分で疾る距離である。
「一分以内に帰ってきてね」
「いやいや。もう少し時間がかかるよう。妖精は自由に入れていいけど、どうか、人間や妖怪は力付くで、追い返してくださいましな」
「まかせたまへ」
ふんぞり返って言い放った。
チルノは魔理沙と共に紅魔館の中へ入った。
ここではエプロンをつけた妖精が大勢働きつめている。雑巾が黒ずむまで掃除をすれば砂糖菓子などと交換されるため、あちこち拭いたり汚したりして遊んでいる。これで物の役に立つはずもないが、紅魔館の主は、
「それが良いのよ」
と云って歯牙にもかけず、どれも妖精メイドと呼んで寵愛していた。
さて、一匹と一人であるが――。
美鈴が走り去って数分も過ぎると、チルノは退屈した。他の妖精達が自由に出入りするのを見上げていると、門の前で標本のように釘付けになっている自分が、惨めに思えて仕方なかった。
「つまんない」
チルノがずるずると座り込む、その頃合いを見計らってでもいたものか……、
「大事な用があるんだ。ちょっと通してくれ」
人間の魔法使い、霧雨魔理沙が現れたのであった。
チルノは目を輝かせた。
「よく来たな! ここを通りたければ、あたいを倒してからにするんだね」
「お前を倒すなんて、私にはとても出来ないぜ」
「じゃあ遊んで」
「おう。とりあえず中に入ろうぜ」
「あたい、門番だから入れない」
「お前は妖精だろ? 妖精は自由に出入りしていいって、言ってたじゃあないか」
「ああ、そうだった」
チルノは、ぽんと手を打った。
(あれ? あたい、門で何してたんだっけ? あっ……と。まあ、いいよね。妖精だもん)
こういう、いきさつである。
妖精メイドにも見つからぬよう、魔理沙は物陰に隠れつつ這うような足取りで進んだ。その後ろを、妖精であるチルノはメイド姿に変装して、隠れもせずに付いて行ったのだが、
「お前ほどエプロンが似合う妖精も珍しいな」
ひどく目立つらしい。
「あたいってば最強だから」
当然の如く言った。
魔理沙は前を向き、嘆息したようだった。それから一目散に駆け抜けて、どこかの暗がりに転がり込んだ。
続いて飛び込んだチルノが、ちらりと振り返ると、後ろでは騒がしくなっていた。
「面倒なことになるぜ」
魔理沙が呟いた。
紅魔館には空間を自在にゆがめる者がいて、外観からは想像もつかない内部構造になっていると云う。
やがて、暗くかび臭い場所に出た。風通しが悪いのだろう。チルノの嫌いな臭いで満ちている。
「空気がくさってる!」
「本の匂いだよ」
チルノは自身の鼻をつまみ、口を抑えた。そして二分もすると、
「バカー! 息ができないじゃん!」
涙を流して咳き込んだ。
魔理沙の手元に明かりが灯ると、闇が追われてゆき、石畳の隅では妖しい生き物がずるりと潜り込み、闇から闇へと逃げていった。何の通路か……足元からは上等な絨毯が一本、前方の暗がりへヌラリと舌を這わせていた。
「さて、チルノ隊長」
魔理沙は言って、ほうきに跨った。両足が宙に浮き、床の塵がくるくると風に舞っている。
「探検ごっこだぜ」
炎がゆらりと傾き、かっ飛んで光の尾を引いた。
チルノはエプロンを脱ぎ捨てた。
「なんと、あたいの正体はチルノだった! ジャーンジャーン」
返事はない。
こほんと咳をして、魔理沙を追いかけた。
ここは紅魔館。血に飢えた魔獣が牙を剥き、傷ついた魔理沙が、
「チルノ。お前と過ごした数分間、悪くはなかったぜ」
と言って目を閉じる、
などという事態はありようもなく、ひたすらに長い通路に飽きて、ほうきの上で欠伸を繰り返していた。
「しっかりしろー。寝たら死ぬぞー」
「死んだら化けて出るから、期待してくれ」
「幽霊きらい。寒いもん」
冗談を交わしている内に、突然、
「あっ……」
と思う間もない。目の前に壁が出現して、したたかにぶつかった。
痛みのあまり、チルノは額を抑えて転がりまわった。
壁は堅い木材でできていた。見ればいかにも重たげな扉であり、取っ手には鍵もない。
チルノが立って見上げると、鼻を抑えてうつむいていた魔理沙と目が合った。
「ううむ、私はこの奥に用事があって来たんだが……この嫌がらせはひどい」
呟いた魔理沙の声が、湿っていた。
「その先は、本棚しかありませんよ」
後ろで声がした。
振り返ったチルノの目前に、メイドらしき装いをした女が表情も浮かべずに立っていた。そのすぐ後ろで、遠くに脱ぎ捨てたはずの妖精用エプロンが、そのままに落ちている。
(かなり移動したはずなのに)
距離がどうにかされたらしい。
魔獣よりタチの悪いヤツが現れた、とチルノは思った。
そしてその人間、十六夜咲夜もまた同じことを考えたかもしれない。
ところで。
妖精メイドがふらりと現れた。
使い込まれた雑巾を誇らしげにつまみ上げ、余った手で咲夜の袖口を引っ張っている。掃除をした、報酬をくれ、と云うのだろう。咲夜が金平糖の入った袋を取り出して、六粒ばかりと交換してやると、妖精の小さな掌は一杯になった。
「十一時になった! エルフの時間、おやつだ!」
妖精の使う言葉に大した意味は無い。何かを叫びながら、その妖精メイドは嬉しそうに踊り去った。
常には硬い咲夜の表情が、少しやわらいでいた。
「咲夜はバカだなー」
チルノが唐突に言った。
「きたならしい雑巾が、そんなに欲しいなんてさ。そーだ、あたいも今度何か持ってきてあげるね。ミノムシとか、砂とか」
咲夜の表情が険しくなった。
どちらが言ったものか……、
「ご用件がおありでしたら、外で話を伺いますわ。うふふ」
「それは私の台詞でしょう?」
ともあれ、二人の会話はそれだけだった。
咲夜が銀のナイフを構えると、魔理沙は不敵な笑みを浮かべ、重たげな扉の取っ手を掴んだ。ところで、チルノが困ったような顔をして言った。
「あたいは門番だから門番の用があるんだけど、中で遊びたいから中にいたい」
意味が分からない、と咲夜はしみじみ呟いた。
「そういやお前は門番だったな。そうだ……元門番、美鈴の遺言を思い出せ!」
「遺産の相続権?」
「そこじゃない。そこじゃない。紅魔館にいる人間は力づくで叩き出せって、言ってたろ」
「えーと……うん。そんな気がする」
「あいつは人間だぜ!」
と言いつつ、咲夜へ向けて指さした。こういう時、魔理沙の顔はいきいきと輝いている。
チルノは流れるように、
「良くここまで来れたな人間! 天国のメーリンに代わっておしおきよ!」
魔理沙と指を重ねて、にたりと笑った。その指の先で、咲夜が失笑を漏らしている。
「私は構いませんよ……やれるものなら」
氷の羽が、縮み上がるほどの笑みであった。
そして穏やかならぬ時が過ぎた。
魔理沙は煙のように消え去り、チルノは散々な目にあって外に叩き出された。
戻って来た美鈴が、チルノをじろりと見下ろした。
「あたい、門番やってたよ」
硬い氷の羽を銀のナイフが見事に貫いて、蝶々のように門で磔にされている。美鈴は何も言わず、ナイフを抜いていった。左右の羽から三本ずつ、股下から一本、首を押し付けるように二本刺さっていたのを、丁寧に回収した。
チルノは、美鈴の目を見ることができずにいた。
「あたい妖精だから門の中にいて、あの、ちゃんと……門番やってたよ」
「……ふうん」
「メーリン、怒ってる?」
「べつに。お疲れさん」
冷えた言いようだった。
日が暮れようとしていた。強風に歯向かうように、チルノは飛んでいた。
「メーリンのバカ、咲夜のバカ! 魔理沙も、レティも! みんな嫌い、大っ嫌い!」
怒りを撒き散らすように吠えた。どれほど強く飛んでも、湿った風が振り払えなかった。あたりの水分が凍りついて、大気中をきらきら舞った。
「どうして怒るの。あたいは、みんなに喜んでもらいたかったのに、なんでよう……」
連中の顔が思い浮かんでくると、つぎに、熱くこみあげてくるものがあり、それを吐き出すように、また吠えた。
散り散りに乱れた雲がどれも赤黒くにごり、空を澱ませていた。
ぽつんと、
「もういい。あたいは、悪党になってやる」
言ったチルノの声が、暗く沈んでいた。
唐突に、後ろから声がする。
「お帰り、チルノちゃん。どこ行ってたの?」
大妖精である。
「どこでもいいでしょ。大ちゃんこそどうしてたのよ」
「この辺で遊んでた」
「つまんないの」
「……」
「あたいなんか、あたいなんかね……」
チルノは一日のことを語り始めた。
妖精の言葉は多くを語らず、その話の中に、嘘は多かった。
だが、話は止まらなかった。
大妖精は楽しそうに、じっと聞き入っていた。
何もかも、吐き出すようにして語ると、
「明日からあたいは大人になる!」
チルノは電池が切れるように、ぱたりと眠りに落ちた。
こうしてまた一日が過ぎた。
風はぬるく、春の終わりを告げていた。
反応しちゃうじゃないですかww
チルノ可愛いよチルノ!!!
メイド服姿のチルノがとっても見たいです!
とにかくチルノ頑張れ
チルノめんこいなあ
ありがとう