さめざめと。
雨が降っている。
そんな詩的な始まりをしてみたところで、特に意味はない。
実際にこの世界に訪れてから早二年ほどの月日が経過しているが、こと天候に関して現実とさほど変わることがないということは、俺にとって数少ない救いのひとつだと言えた。まあ、二年の間に、やたらと春が来なかったり、夜が明けなかったりした日もあるにはあったのだが、それはこの世界においても異変と捉えられているらしく、常識的な天候は俺がいた世界と変わるところではないらしい。正直なところほっとした。安堵した。日常が残っていた。現実が僅かに舞い戻った気がした。
だから、救い。
まあ、それも捉え方のひとつだ。雨が好きな人もいれば嫌いな人もいる。同じ事象でも捉え方ひとつでまったく違う認識と理解を生む。人の数だけ現実がある。
変わらないこと、変化しないことは、守勢の人間にとっては救いだろう。
逆に変化を好む人間にとっては苦痛でしかないかもしれない。
認識の差異。
感じ方の違い。
つまるところ個性という名の幻想。
そんなものが存在するから戦争が起こるんだよなどと、どこぞの扇動政治家めいた主張をするつもりはない。
ないが――、しかし、現にそういう感覚のレベルの違いというのは存在するわけで、そういった感覚の差異が現実において、しばしば問題を引き起こすことは、ある程度大人になれば誰もが認識していることだろう。それもまた、認識の違いでしかないから、誰かから否定されてしまうところなのだろうけれど。
例えば煙草なんてもの。
嫌いな人にとってはとことん嫌いだろうが、愛煙家はそのことを理解していないから、それぐらいいいだろうということになる。ここで俺は別に愛煙家のほうが絶対的に悪いと言っているわけではない。煙が肌に当たったときの嫌悪感、臭いに対する敏感さ、煙を体内に取り込むことへの不快さ、健康への依存、そういったものは感覚レベルだから、人それぞれ違いがあるし、それが当然だということが言いたいわけだ。
思いやりとか、相手がどう思っているか考えるのが必要だとか、そういう理想論めいたことは国語の時間によく習ったものだが、個人間で感覚を共有することはできないのだから、本質的に分かり合えるなんて事態は起こりようがない。人間だから分かり合えるという空想は、肉体的条件が同一であるからこそ起こりえる。だとすれば、妖怪などというものが存在してしまうこの世界ではそもそも無意味な前提だ。だから、嫌煙家が愛煙家を排斥したい場合、情で訴えるよりも数で訴えたほうが効率的である。でもそういうことが起こらず、戦争も起こってないのは、この世界が十分な広さを持っていて、妖怪や人間の数が少なく、政治的な配慮が不要だからだろう。嫌いな人間がいれば、距離をとればよいという話である。それと秩序のあり方が原始的だから、嫌われたら殺されるというシビアさも持ち合わせている。
ともかく、俺はさして厭世的なわけでもない。
ただのリアリストだ。
しかも、弱っちぃ凡人。
なにも持ってない人間。
だから、雨が降っているという状況で、傘も持ってなかろうと、悲劇の主人公ぶって涙を流すことはないし、雨があがるまで待てばいいのだ。
「親父さん。雨があがるまでいいかな」
「かまわんよ」
屋台の親父はこの道、二十年のベテランらしい。
幻想郷という異世界において、屋台というシステムがあること自体、ある種の驚きと懐かしさがあった。
現実世界――ここでは外の世界と呼ばれている場所が、特段好きだったわけではないが、長年親しんできたものに郷愁を覚える。
だが、そういった慣れ親しんだ感覚は、しばしば、ここ幻想郷では汚染される。
汚染という言い方は心外に思うやつもいるだろう。
だが、俺にとってはまさに直接感覚に訴えかけてくるという点で、汚染でしかなかった。
廃物を投げつけられたかのような感覚。
郊外の公園にある汚臭のするトイレ。
車にひかれた猫の死体を見たときのような気分。
死は穢れなんていうつもりはないし、そんなのも宗教家のたわごとでしかないのだが、感覚的な拒否感を抑えることはできるはずもない。
それこそ嫌煙家が煙を嫌悪するレベルと同じで、嫌いなものは嫌いなのだ。
そいつは――
暖簾をかきわけてやってきた。
のぞりのぞり。のぞりのぞりと音がする。
内臓の色をした巨大な舌だった。大人の男が腕を広げたほどの長さのある。厚みは掃除機のホースを何十本も束ねたほどの巨大さだ。
驚いて息もできなかった。
やわらかそうな肉のひだが暖簾をじわりと濡らし、蛇のようなゆっくりとした動きで、暖簾を上にあげる。もわりと湯気がたっている。
やがて、そいつはいわゆる唐傘なのだとわかった。傘の部分は毒の沼地のような色をしているが、広げれば雨露を防げそうだ。普通の傘と異なるところは、ぎょろりとした巨大な目玉と、先にも述べたようにトマトケチャップをぶちまけたような気持ちの悪い舌をだらしなく口からだしていることだった。シュールなことに手元の部分は、少女のようなほっそりとした左足だった。傷ひとつない真っ白ですべらかな肌だ。下には下駄をはいていて、たぶん歩くときにはジャンプしながら小刻みに移動するんだろう。妖怪だから空を飛んだりもするのだろうが。
そいつは言った。
「ぎゃあん、ぬれぢゃあああただぁぁぁん””」
ギシュギシュとした、
金属と金属がこすりあわさるような音だった。
耳の奥を金やすりでこするような不快音。
伸びきったテープを聞いてるような、聞きづらい音。
思わず耳を塞ぎたくなる。
「お、小傘ちゃん。水もしたたるいい女だねぇ」
親父さんが、いつものように自然にその『汚染源』に対して応対していた。現実を侵犯し日常を破壊するそいつらのことを、この世界では『妖怪』と呼ぶらしかった。妖怪はどこにでもいて、人間と妖怪は特にその差異を意識することもなく親交を重ねている。
現に親父さんの人好きのする笑顔にはいっぺんの曇りもなく、嘘、偽りもない。
「ヴあああいごどおおおおでも、だヴぉおおああ」
「はは。何か食べてくかい」
「がああああ5ふぁfご%”%んも」
がんも――という音らしいものが聞こえてくる。
親父さんは「はいよ」と軽く言いながら、小皿にがんもを二つとりあげた。
「いこごごごだぐぇど」
「ひとつはオマケさ。小傘ちゃんはお得意さんだからね」
「ああ””りがえごおあおぉ」
ありがとう――と『彼女』は言った。
そして、小傘とよばれた妖怪はその巨大な舌を巻くようにして、がんもをぺろりと平らげてしまった。
蛇が生きながらにして獲物を食べているのを見るような、不快の感情を抑えることができない。
耐え切れなくなって、俺は席を立とうとする。
「お、兄さん、雨が止むまで待っておくんではなかったんで?」
「用事を思い出しました」
「おに”ざん、わちきづつかう”?」
――お兄さん、わちきを使う?
番傘の妖怪だ。雨をしのげる程度の能力は持っているだろう。
しかし、その気持ちの悪い容姿と声に嘔吐しそうになる。
たとえ『彼女』が善意の妖怪なのだとしても。
そう――、言ってみれば良い妖怪なのだ。人間の隣人として信頼すべき行動をとっているのだ。
外形的客観的に観察する限り、親父さんに対して感謝の念を伝えることができているし、それになにより今日会ったばかりの俺が雨に濡れないように送っていってくれるなんて俺の元いた世界でもありえないほどの人助けの精神だ。そんなことは理解しようと努力しなくてもわかる。
ただ、そうだとしても異なる存在であることの溝は深い。
不快のかたまり。
端的に言えば、それが俺の感覚的な認識だった。
どうしてと言われても困る。ゴキブリを見て、どうして不快になるのかと問われても理解できないのと同じことだ。その不気味な容姿と、魚の腐ったような臭いと、爛々と輝く紅い瞳と、金属音のする声が、俺の世界を狂わせる。だから、見ていたくなかったし、聞きたくもなかったし、一刻も早く『彼女』から離れたかった。
たぶん親父さんにとってはかわいらしい少女に見えているのだろう。
想像することで、少しでも真実に近づこうとするならば、
小傘は小柄で中学に通う程度の女の子のようなポジションにいるようだ。
少なくともこの世界では。
だから俺がここで彼女のことを化け物だと弾劾したところで、何を当然のことをと言われることは目に見えているし、場合によっては狂人扱いされることになりかねない。妖怪と人間が共存している世界であるし、むしろ妖怪のほうが立場的には上らしい。妖怪のほうが捕食する側であるから当然のことだ。紳士的に振舞わなければならない。この世界の住民として、俺が生きていくためには。
俺は呼吸を整えた。汗が湧き出してくるが、雨のせいでわからないだろう。
「あなたが帰ることになると、親父さんがガッカリしますよ。では失礼」
すくっと立ち上がり、逃げるように暖簾をくぐった。
横殴りの雨だった。
俺は駆け出した。
屋台から離れるにしたがって、心のなかに安堵感が広がった。世界が再び安然とした空気に包まれる。少し懐かしいような人間の世界だ。
木でできた家は好きである。
木は人間を沈静させる物質を発しているらしい。
コンクリートの冷たい家に比べてあたたかみもある。
形も好ましい。幾何学的で計算的なのに、逆に計算しておらず人間らしい無駄な部分もあって、そんな形が好きだった。
俺の家が見えた。
俺の家といっても、俺が所有する家ではない。大工家業の親方のうちに住みこみで働かせてもらっている。
親方は齢五十で、俺のいた世界ではまだまだ現役ともいえるが、この世界ではそろそろ引退を考え始める年頃だ。しかし見た感じ、体力の衰えは見られず、むしろ俺のほうが現代っ子の弱さゆえか、満足に仕事をできていない。
不甲斐ないとは思わない。俺はつい最近までは大学に通っていたのだ。社会の荒波にもまれてもいない出荷前のひよこである。
この世界に流れついたのは、ちょうど大学を卒業して、就職も決まって、春先まで暇になって遊びほうけていた時期だった。現代の大学といっても、幻想郷の現実生活に必要な知恵とはまったく縁遠く、結局身にならない勉学を無為に重ねてきたことが明らかになるのにさほど時間はかからなかった。
なにしろ厠ひとつ満足な使いかたがわからない次第である。
現代人は現代社会のシステムに完全におんぶに抱っこなのだなと思いもするが、逆に言えば、それだけ考えなくても生きていけるという点で、現代社会は偉大なのだろう。馬鹿でも生きていけるのが平和で発達した時代の良いところというわけだ。
まあ、そんなわけで、俺は無能だった。
生活無能力者の俺がなんとか生きてこれたのは、親方に一から仕事を学んだおかげだ。
親方はお嬢さんと二人ぐらしをしていた。そこに俺が入りこめたのは親方の同情によるところが大きい。跡継ぎが必要という理由もあるにはあるらしいが、男女共同参画社会に生きてきた俺にとってはやや違和感があるところだったりする。けれど、郷にいっては郷に従えという言葉もある。そもそも俺の生活能力は皆無に等しく、幼児にさえ劣るのだ。是非もない。
「無事に帰ってきたようだな」
親方はキセルの灰をポンと落としながら、囲炉裏の奥に座っていた。
居を正して、対角に座る。
「人里では妖怪は人を襲えないと聞いています」
「法に従う者ばかりとも限らんだろう」
妖怪という存在を完全に異物だとしか感じられない俺にとっては、その言葉は身に染みた。
身体的な苦痛が起こるほどの不快の形を持つ存在に、共感や興味を抱けるはずもなく、妖怪と呼ばれる存在が人間と同じように考え、人間と同じように呼吸し、そして人間と同じ言語を話しているという事実が信じられない。
悪夢と言ってもいい。
しかも、その悪夢はどうやら俺だけに限定された悪夢のようなのだ。
この世界に住む人間にとっては――、妖怪はさほど奇妙で不快な形をしているわけではないらしい。もっと言えば、親方やお嬢さんを引き合いに出すまでもなく里の人間の反応を見るかぎり、彼らの妖怪に対する態度は、幼い少女に対するそれであると言えた。
少女に見えるらしかった。
俺が狂っているのか、それとも幻想郷の住民が全員狂っているのかはわからない。思っているよりもずっと現実というものが脆いことは、この世界に来た時点で十分すぎるほどわかっていたが、しかし、それにしても『少女』という形に恣意めいたものを感じなくもない。そういえば昔、SF小説で読んだことがある。宇宙人が地球に使者を送る際にできるだけ混乱を抑えることを企図して、使者は『少女』の形をしたアンドロイドか何かを送るといった類の話だ。そいつは秀麗な容姿をしていて、小鳥が鳴くような可憐な声で話し、天才的な頭脳を有し、それでいて、十代前半の幼さを残した、つまるところ――、美少女なのだ。
どうして使者として少女だったのか。
思うに、少女というのは人間の階級においてはある種の攻撃性がなく、敵意がないといったように最も捉えられやすい形をしているといえる。
そこに理由があるのではないだろうか。
いま妖怪が少女として認識されていることには必ず理由がある。
どこぞに黒幕がいて、俺が幻想郷に来る際に脳の視覚やら聴覚やらを感じる部分をいじくりまわして、そしてそういうふうに感じられるようにしたとか、あるいは幻想郷中の人間がそういった洗脳をうけているが、俺だけがイレギュラーに洗脳を免れているという可能性もある。
あるいは、妖怪たちは一種の擬態として少女のようにこちらに認識させる能力があるのだが、俺にはその能力が効を奏さなかったというのはどうだろう。
いずれにしろ、真実を明らかにする術はひとつしかない。
情報が欲しかった。
親方にもお嬢さんにも、親方の下で働いているお弟子さんたちにも、人里でできた幾人かの友人にも、俺の認識が狂っていることは告げていない。
言ったところでどうにかなるものでもないし、良くて頭がかわいそうな子扱い、悪くて追放、最悪どこかに監禁されるかもしれない。言えるはずもない。他人に自分が狂っているかもしれないと告げる勇気がある者がこの世界には何人いるだろう。
少なくとも俺にはできない。今の俺はひとりで生きていけるほどの能力はないし、人里を一歩出れば、そこはあの虫唾の走る妖怪たちが跳梁跋扈する世界なのだ。
ぞっとする。
ゴキブリにまみれて死ぬのを幻視し、眩暈に気が遠くなる。
俺に僅かばかり残された正気の世界は、ここ、人里のなかにしかない。
「それで外の世界のやつには会えたのか?」
「会えましたが……」
親方には、外の世界に帰る方法を探しているという理由で一日の暇をもらった。
どうせあまり人口がなく、仕事も無いときにはとことん無いので承諾は簡単に得られた。
人里のなかといっても、人は点在して住んでいる。賑やかなところに住んでいる外の人間には数十人ほどに会っていたが、そのいずれもこの世界で住むことを認容している人だった。彼らはこの世界を気に入っているらしく、ほとんど外の世界に帰りたくない理由を抱えた人たちだった。理由を教えてくれたのはわずかだったが、特に理由らしい理由があるわけではない。凄惨な過去というわけではなく、むしろ日常の退屈さや、自分が生きている感覚の希薄さが外の世界にはあって、特に大事な人もいないという人が多いようだった。
俺もそうだったかもしれない。母親の記憶はほとんどなく俺が五歳の頃に死んだらしい。父親については俺が幼稚園児に通ってるときもずっとパチンコばかりしているような人だった。大学には、自分でバイトして金をためて通った。そういった次第で、外の世界に未練らしいものを感じていない。帰れれば帰る程度の認識だ。むしろこの世界で生きることを望んでいる俺がいる。
ただひとつの懸念というか心配が、『妖怪』という存在だ。
いや、妖怪を少女として認識できないということ、それ自体が怖かった。自分が他者と異なることに、いいようのない恐怖を覚えた。
それで外の世界の人間を探すことにしたのだ。
そしてまだあってない人はわずか一人。
残っているのは、人里と妖怪の住む山との境界ぎりぎりのところに住んでいる人間だけだった。行きと帰りだけで半日はかかる。
本当のところは、この世界に骨をうずめるというのもそれはそれでかまわないと思っている。けれど、俺以外の人間が同じように妖怪を少女として認識しているのか知りたかった。
結果から言えば、俺の期待どおりではなかった。
その人は、人里の山に近い方角で、技術者の仕事をしていたのだが、緑色をした化け物と住んでいたのだ。頭には骨のような質感の皿があり、つるつるとした肌をして、とがったくちばしのような口をした――俺でも知っている、河童だった。
男は俺に対してはにかむようにして「妻です」と紹介した。
そういうわけで、べつに外の世界から来た者だから、妖怪が化け物に見えるわけではないようだった。
話もそこそこに切り上げて、屋台で酒を呑んだのは現実を忘れたかったからだ。
ひどい孤独感だった。
「外の世界への帰り方はわからなかったのか?」
「いや、その……、博麗の巫女様に聞けば何かわかるかもしれないとのことでした」
「ふむ……、それにしてもおまえさん。外の世界に帰るつもりか」
「二年もこの世界で暮らしてきました。悩んでいるといったところです」
「異なことを言う。ではおまえさんはどうして外の世界に帰ろうとしているんだ」
「ふるさとですから、義理をはたそうとしただけです」
「義理か……」親方は煙草の煙を長く吐き出した。「それで義理は果たしたというわけなんだな?」
「ええ、そうですね……」
外の世界に帰ろうという気持ちがあるなら、当の昔にそうしているだろう。
妖怪という恐怖の権化に遭遇する確率は人里で暮らしている限り、そうそうない。大工仕事をしている最中も同じことだ。僅かな恐怖を我慢すれば、現実の寂しい世界に帰らなくてもいい。だから外の世界に帰ろうとしていたのは建前で、大部分は妖怪への認識が俺だけのものか確かめたかったからだ。
俺がこの世界に永住するのなら、結局、俺はこの世界で、この異常を抱えていかなければならないことになる。
にわかに恐怖で身がすくむ。
「ところでおまえさんに言っておくことがあるのだが」
「なんでしょう親方」
「わしの娘といっしょになる気はないか」
絶句した。
この世界で永住する以上、いずれはそんなこともあるかもしれないとは思っていたが、俺の異常な世界に他者を巻きこんでいいものなのだろうか。
「お嬢さんがいやがるでしょう?」
「いや、あいつはおまえさんのことを気にいってるよ」
「そうでしょうか」
「鈍いやつだな」
「元の世界でもそういわれていました」
「で、どうなんだ?」
「少し時間をください」
「女々しいな。男ならしゃんと答えろ!」
カツとキセルをたたきつける音がする。俺だってできることならそうしたい。お嬢さんは綺麗な女性だった。年の頃は、俺と同じか少し年上ぐらいだろう。肌膚は真珠のように白くてなめらか、物腰は穏やかで俺よりもずっと大人であるように感じる。たぶん文化が未熟なほど人は成熟を強いられるのだろう。俺もこの世界で暮らしてきて、ずいぶん大人になったように思う。もちろん、まだそうなりきれていない部分もあるのだが。
お嬢さんと結婚するというのは現実感はないが、想像してみるとそれは幸福なことのように思われた。家族らしい家族がなかった俺である。家族に対する憧れのような感情は存在する。けれど、そんな憧れのような感情で結婚というこれ以上ないリアルさを招来させてしまってよいものなのだろうか。
結婚するというのは、ふたりで生きていくということだ。
そんな当たり前のことが、身体のどこかで認識できていない。
「博麗神社に行かせてください」
「未練は捨てたのではなかったか」
「まだ少しばかり残っていたようです」
「ふん。好きにしろ。だが、博麗神社は幻想郷の東の果てにある。容易ではないぞ」
「わかっております」
「慧音先生に送っていってもらうか?」
彼女は、昼の間は人の格好をしている長身の美女だ。俺もさほど嫌悪感を抱かずにすんでいる。だが月が満月のころ、彼女のからだはハクタクへと変貌をとげるらしい。ハクタクについてはよく知らないが、牛のような怪物らしい。狼男ならぬ牛女ということになるのだろうか。いまだそういった事態に遭遇していないのは幸運だった。里の尊敬を集める彼女の前で腰をぬかしてしまったら目も当てられないだろう。
「先生に送っていただけると安心ですが、先生はお忙しい方ですから一人で行きます。それにこれは俺の問題ですから」
「そうか、わかった。だがひとつ命じておく」
「なんですか」
「死ぬなよ。娘が哀しむ」
「死なないように気をつけるつもりです」
昼も夜も休まずに歩いて、丸一日はかかるらしい。
人里は東よりの地域であるからまだこれでもマシだと言えるが、人里以外の場所では人は襲われても文句をいえない決まりだった。妖怪に見つかれば容赦なく殺されるだろう。
それでも、なぜ博麗神社に行こうとしているのだろうか。
外の世界に帰りたいからか。
違った。異なるものを自分の中から追い出したかったからだ。理由を知りたいからかもしれない。
月が天頂近くにかかっていた。
森のなかをわずかばかり明るく照らした。このまま歩き続けるべきか、それとも焚き火でもして一夜を過ごすべきか思案する。
動物にとっては焚き火は有効かもしれないが、妖怪にとっては火などどうということもない。むしろ動物よりも恐ろしいのは妖怪である。妖怪に見つかれば逃げるのさえ簡単ではない。
歩き続けることを選んだ。
道がない。
運がいいのか妖怪には出会わない。
森の切れ間から、月光が降り注ぐ。ゾクリとする肌寒い風が通り抜けた。
嫌な予感――。
嫌な気配――。
ガサリと草が揺れる音がして、俺は慌てて走った。
無我夢中だった。
ほとんど絶叫していたと思う。
今になって思えば、そのとき俺が無事でいられたのは『彼女』のおかげだったのかもしれない。
気まぐれで、恐ろしく、そして美しい『彼女』が混沌とした空間から覗きこんでいたからこそ、俺は誰にも襲われず目的地にたどりつけたのかもしれない。
博麗神社に到着したとき、俺は情けなくも境内の前の石畳でごろりと横になった。
息が完全にあがり、身体中から汗が噴出している。
フクロウの鳴き声が遠くから聞こえてくる。
この神社の鳥居を超えると、もはや妖怪は人を襲えないらしい。そういう決まりだった。
それにもしも襲われても、博麗の巫女がいる。その人が助けてくれるだろう。
神社は確かにそこにあった。
しかし、夜だからか音はなく、あたりに人の気配はない。こんな夜中に押しかけてきて不審に思われないか心配になる。
だが、相手は妖怪に立ち向かえるほど強靭な人だ。
いまだ出会ったことはないが、おそらく俺なんかよりもずっと強いだろう。不審がられるかもしれないが、まさか追い出されることはあるまい。
楽観的にそう考えて、神殿のほうへと近づく。
「すいません。誰かいませんか!?」
電気の光が無い世界である。夜になれば月あかりぐらいしか存在しない。部屋の中がまったき暗闇に浸されていても、それは異常なことではない。
だが――
俺は少しおかしいと感じていた。
どこにも人の気配がしないのだ。吐息から生じる空気の流れ、人の小さな呼吸音。それらは無音に近い世界では逆に大きく聞こえるはず。
けれど、闇の静寂だけがそこにはあった。
やむなく、俺は神社の中を散策した。すべての扉を開け放った。もしかすると神殿の奥にいるのかもしれないと思い、悪いとは思いながらも『神様』がおわします場所も、わずかな隙間から覗きこんでみた。
そこには――通常の意味で『神様』と呼ばれている物理的な存在は何も無かった。
鏡や紙、そういった類のものが必ずあってしかるべきであるのに、床張りの四角い空間が広がっているだけだった。
「ここは神社じゃないのか」
「無礼ですのね」
「!」
慌てて振り返る。
背後には、美しい『少女』が浮かんでいた。月明かりをふわりとした傘でさえぎり、妖艶の眼差しで俺を貫いている。
空を飛んでいるから、彼女が人間でないのはまちがいない。
けれど、こんなに美しい妖怪を俺は見たことが無かった。
いったい――!?
瞬間、嫌な予想をする。ここは博麗神社ではなくいつのまにか俺は狩場に誘いこまれていた。そしてこのサキュバスかなにかは知らんが、恐ろしい妖魔に殺されてしまうのではないか。そんな予想。
俺は意を決しておそるおそる口を開く。
「俺を食べる気か?」
「そうしたいと思ったらそうしましょう。けれど会話しているでしょう。その意味をよく考えなさいまし」
「ここは博麗神社なのか?」
「ええそうですわよ。ここは外なる世界と内なる世界を隔てる境界。博麗神社ですわ」
「あなたは誰ですか?」
「私を神様か何かだと思ったのですね。けれど違います。私は八雲紫、れっきとした妖怪ですわ」
「俺は……」
「不要です。名前は三人称としては有用ですが、一人や二人の世界では必要ありません。あなたの名前など聞かなくても会話は成り立ちます」
彼女が名乗ったのは、たぶん俺の中に彼女を印象づけるためなのだろう。
頷いておく。
紫は妖しく微笑む。目がくらむほどの恐怖が胸の奥底から湧いてきた。得体の知れなさ、不快さは、日頃の妖怪たちからも感じていることだが、彼女の場合のそれは比較にならないものだった。美しさに汚染されているような感覚だ。
「それにしても、認識というのは厄介な代物」紫が口を扇子で覆いながら言った。「いったい視線は誰のものかしら」
「俺のことを知っているんですか」
「観察はしていました。ここ幻想郷にとってあなたのような存在は危険でしたから」
「少し見えるものが違うだけですよ。俺のせいじゃない」
「そうですわね。ただ、認識とは暴力です。少女に対してブスと言うのはひどいことだと、あなたもおわかりでしょう? あなたにはその能力がある。幸い、あなたは紳士ですからそのようなことは思っていても口に出さないようですけれど、勘の良い少女なら気づいてしまいますわ」
「俺は見え方はおかしいかもしれないが、精神が病んでいるわけではありません」
「そうですね。それはそのとおりだと思います。あなたはきっちり自分を殺せている人です。つまり正常という狂気に侵されているどこにでも溢れている正常人のお仲間ということですわね。これは別に皮肉や揶揄ではありません。ただ、外の世界においてもここ幻想郷においても最も数が多いカテゴリーに属するということです」
「そもそも俺の認識が狂っているのか、この世界の住人全員が狂っているのかは証明しようがない」
「そうですわね。どちらが正しいかまちがっているか。視線の正常性はこの場合あまり問題ではありません。なぜなら、多くの人が認識しているということそのものが現実を形成するからです。認識体系の条件的同一性を無自覚に信じることで、人間は人間として自分の相対位置を確認できるのですわ」
けれど――と、彼女はつけくわえる。
「実を言えば、あなたのほうが外の世界を基準にすれば正しいと言えます」
「この世界の住民の視線は全員まちがってると?」
「ええそうです。幻想郷の人間はあなたを除いて、すべて例外なく、視線が狂っています。そうなるように幻想郷のフィルターは作動しているのですよ。妖怪に対して過度な恐れを抱いてもらっても困りますし、人間と妖怪は共存していかなければならないからです」
「あなたがコントロールしているわけじゃないのか?」
「視線が狂っている人のみが幻想郷にたどり着くようにできているというだけのことですわ。あなたは例外的にフィルターに引っかからなかったというだけのこと」
「嘘ですね」
俺は少し間を置いて答えた。
「嘘?」
「だって――、あなたは綺麗すぎますから」
「まぁ。嬉しいことを言ってくださるのね。けれど、それはあなたの認識がたまたまそうあるだけかもしれませんわよ。私が認識を押しつけている、視覚を狂わせていると証明できますか?」
「確かにそう言われてしまえば、俺には証明することはできません。けど、もうひとつ。博麗の巫女は本当は『存在しない』んじゃないですか?」
紫の微笑はあいもかわらず不動のままだ。夜闇に腰掛けているみたいに動きがない。
「それもまた証明できることではありませんわね……。けれどそう――あなたに合わせます。博麗の巫女なる人物は実在しません。ゆえに博麗の巫女は不敗です。どんな異変であっても必ずクリアーします。そういうふうに認識体系ができあがっているのです」
「どうしてそんなことを?」
「すべては幻想郷のためですわ。妖怪と一口に言っても、いろいろな種族がいるでしょう? 神様もいらっしゃれば仏様もいらっしゃいます。肉体が同一である人間ですらその認識の振れ幅は大きいのに、肉体が違う妖怪たちではそもそも言葉を通じ合わせることができるわけもありません。必然、殺しあうしかなくなります。そうなると幻想郷というシステム自体がそもそも成り立たないのですわ」
「人間たちの認識を狂わせることも必要なのですか?」
「フィルターの話は嘘ではありませんわ。そもそも妖怪を『少女』と認識できる者がここにたどり着くという話は本当です。私が認識を与えているのはあくまでも博麗の巫女に関してのみです。時々はあなたのようなイレギュラーに対処することもありますけれど。――そう、例えばあなたの認識を少しだけ変えてみませんか?」
「妖怪を『少女』と感じるように、ですか?」
「そう。あなたが望むなら、あなたが最も快楽を感じるように認識体系を変えることも可能です。例えば外の世界には二次元コンプレックスなる人たちがいますよね。二次元にしか欲情できないという方々のことを言うのですが、そういった方々に対して、私は二次元の視覚を与えることが可能です。また、例えばロリータコンプレックスなる人たちに対しては、すべての女性が幼い少女に見えるようにすることも可能でしょう。視線は悦楽です。そして視線は暴力です。私はあなたに、そういった自らの望む世界を与えてあげることができるのですわ。良い提案でしょう?」
視線は暴力。
視線は悦楽。
この場合の視線は、嗅覚や味覚や触覚も含む広い概念なのだろう。おれが雨の日にあった傘の妖怪の舌に内臓をぶちまけたような臭いを感じたように――、つまり認識一般のことを視線と言っているのだ。
そして、視線は観察者のものだから、確かに観察されるほうは視線という暴力にさらされる。そして、観察者は欲情したりするわけだ。そういう構造になっている。
見たいものを見るというのは確かに悪いことではないようにも感じる。人間は自分が感じるようにしか感じることしかできないのだから。例えば何故少女の白いふとももに欲情するのかと言われても、自分でも説明できない。説明できないということは無自覚に、気持ちよいと思うものを選んでいるということだ。その気持ちよいものだと感じる幅を増やすというのはそれほど悪いことのようにも思えない。
けれど何か違和感があった。
「何を迷ってらっしゃるのですか。例えば人間はメガネをかけます。これは自分の見たい世界を見るために認識を変更している行為といえませんか? 私が変更させるのは比喩的に言えば、このメガネをかけさせてあげる行為以上の意味はありません。あなたの紳士なところを何ら侵すことはないのです」
紳士的な部分。
つまり精神。
俺が妖怪を不快に思ったところで、その不快さを表に表すかどうかは俺の自由だ。
例えて言うなら、とてつもないブスがいたとして、そいつに面と向かってブスというかどうかは俺の精神の問題であって認識の問題ではない。
確かに俺の隣にいた唐傘お化けが仮にかわいい女の子に見えたとしても、またそのままであったとしても、俺が紳士的振る舞いをしようと思っていること自体が変わるわけではないのだ。もちろん、かわいい少女に見えるなら、あまり無理をせずに紳士的に振舞えそうではあるのだが……。
「それはやはりどこか傲慢な行為のように感じます」
「なぜかしら?」
「うまく言葉にできるかわかりませんけれど、確かに認識はしようがない部分があるものです。無意識の領域に属しますからね。何に欲情するとか何に好ましさを抱くとか、あるいは何に対して嫌悪感を抱くかは、当人の無意識的な選択によります。だから、そのように認識すること自体には罪はありません。けれど、俺はそのように認識したあとに理非に従って行動できます」
「認識後の行為があなたの紳士さに繋がるということですのね。けれど本来無意識的な選択である認識を意識的に変更することがなぜ傲慢なのかの説明にはなっておりませんわ。意識的選択だから悪いということですか? それこそ傲慢というものでしょう。目が見えない人を目が見えるようにすることの何が悪なのか、対象が化け物に見える人を少女という柔らかな存在に見えるように治してあげる。それだけのこと。もしかして、ブスを美少女と認識することがそのブスな少女にとっては傲慢な行為にあたるというのですか。同じことです。人間の視覚は無意識的にですが、そういう選択を常にしているわけですからね。今更意識的にしたところでそのブスな当人にとっては関係がない。むしろ、かわいいと言ってもらえたほうが救われるのではないですか?」
「天国で生きていたくはない。地上で生きていきたいというだけのことですよ」
「あなたの隣にいる妖怪が美少女であることで、あなたがどんなに救われるか、あなたは理解していない」
「理解できますし、想像できますが、しかし自分の都合の良いように認識するというのは、まちがっているように思います」
「今のあなたも快楽という点ではともかくとして、自分の都合の良い解釈として妖怪を化け物と認識しているだけでしょう? あなたはB級映画のヒーローのような気分で、割りを食う状況を選択しているだけのように見えます」
「確かにそうかもしれませんね」
確かにそうかもしれない。
俺がどのように感じようとも、その後どのような態度で接するかは俺の自由として残されている。
今までいやおうなく付き従っていた視線を自分のものとできるのなら、それは――
「世界を手に入れるに等しい?」
そう呟いたのは彼女だった。
彼女は俺の表情や思考パターンから一瞬で俺の考えを読み取り、そういう答えを返してきたに違いない。
今更ながら得体の知れない不気味さを感じる。手を握り締めると、べっとりと汗で濡れていた。
「内と外の観念ですわね。あなたの認識が変わるということは世界を変えるということに等しい」
「まあなんとなくだがわかってきたような気がする」
「なにがです」
「あんたは俺がガキな時分に、なんの気まぐれか親父が買ってきたロールプレイングゲームの親玉のようなことを言っているわけだ。世界の半分をやろう。だから手を組まないかとな」
「何を勘違いしているかわかりませんけれど、あなたは現実と二次元を二分化できるという、よくある妄想に染まっていらっしゃるのですわね? いずれも、現実ということには変わりませんよ。現実は決して到達しえない場所として存在します。あなたの脳というフィルターを通している以上、いわゆる現実も二次元も変わりはないのです。世界の半分をやろう? 人間には世界のひとかけらさえも手に入れることはできないのです。畏れを知りなさい人間」
「それであんたは何を得るんだ。魂か?」
「いいえ。単なるボランティアですよ。気が狂ってしまう前に視線を狂わせてさしあげようというだけのこと。あなたの魂には何の興味もありませんわ」
「悪魔的な誘いだな。ダークサイドへの客引きはいつもそうやってるのか?」
「いいえ。私はあなたに利益だけをもたらそうとしているんですよ」
「ああ、それだ。その考えが気に喰わないんだな」
俺は自分で言ってて納得した。さすがにその思考は彼女にも読めなかったらしく、微笑みは変わらなかったが、やや怪訝そうに扇子で口元を覆っていた。いい気味だと俺は思う。そう、いい気味だ。
「一方的に利益ばっかり与えられるというのが気に入らないんだ」
「利益を追求するのは生命の本性でしょう?」
「まあそれはそうだが、だけど人間はそればっかりじゃ生きていけない。利益ばっかり追求していたらいたたまれなくなってしまう。周りが自分好みの少女だらけだと、そっちのほうが気が狂う」
「じゃあ、適度に調節したらいかが? あなたが気に入らなかったらいつでも要求に応じてもいいですわ。ここに来てもらえれば何度でも調節しましょう。ね、いい提案でしょう?」
「それもお断りだな。俺がいたたまれないと言ったのは、公平に反するからだよ。俺が利益を得て、あんたが何も得ないんじゃ不公平だ」
「あなたを助けることで、少しばかりの自己満足を得られるのかもしれませんわよ? そもそもそういう他人の満足に配慮する余裕などあなたには無いはずです。人外だらけのここでいきていくためには、妖怪を少女として認識できたほうがよいに決まっているはず。私の能力があなたにとっては天から垂らされた蜘蛛の糸のようなものですのよ。わかっておいでですか?」
「たとえ、隣人が化け物に見えても、あなたに頼もうとは思わないな」
「まったく理解できない」
「じゃあ、はっきり言ってやる。俺はあんたが嫌いなんだ」
ゾワリとするほどの笑みを向けられて、
俺は突然、
地がパクリと口を開いたように
感じ
た。
※※※幕間※※※
「市民。幸福になるのは義務です」
「ぴこぴこ音を響かせてると思ったら、なにやってるのよ。蓮子」
「ん。マイパソのバグがなかなか消えなくてねえ。いやバグというのは失礼かな。擬似生命体。キャラクターね」
「ふぅん。で、そのバグ君がどうしたわけ?」
「この擬似生命体は一種の社会性を持っているんだけど、どうやっても馴染めないのよね。で、ステータスを見てみると、案の定バグだらけ。例えてみれば、周りが化け物に見えるっぽい感じの状態なわけよ。そりゃ馴染めないわーって思って治療しようと試みたんだけど」
「失敗したわけ?」
「失敗というか、ヤダヤダと拒まれた感じかな」
「どうしてかしらね? 治療なのに」
「治療って言っても、それは主観世界の破壊だからね。助けてやるとか言われても、殺されるような気がして嫌なんでしょうよ」
「つまり、異常であることが、バグ君の自己同一性ってこと?」
「そうじゃないんだなぁ……。そうじゃないんだよ。わかりにくいかもしれないけどね。これは認識の問題に過ぎないんだよ。どう見えるかって問題に過ぎないの。だから彼が何を思っているのかっていうこととは直結していないんだな、これが」
「だったら、服を着替えるみたいに認識を自分の都合のいいように変えても全然かまわないように思うんだけど」
「そうだね。そういう説得のような論法で攻めてみたんだけど、これもダメだったね」
「どうして?」
「どうしてだろうね。たぶん彼は神様を信じてるってことだと思う」
「神様ってまたよくわからない概念がでてきたわね。わからないことはなんでも神様のせいですか」
「いや、そうじゃなくてね。わかりやすく言えば『外』を信じたんじゃないかな?」
「外?」
「彼の認識は彼のものではなく、外側にはみ出した部分があるってこと。だからそれを全面的に彼のものとするのは、傲慢だと思ったというかそんな感じなんじゃない?」
「ふぅん。そうすると他人の顔を見て安心できるのは、天からの恵みってことになるのかしらね」
「そうそう。そんな感じ」
「って、私のアカウント勝手に使ってるでしょ。蓮子」
「だって、もしものときに感染したら嫌じゃない。私のかわゆーい巫女さんに」
「次したら容赦なく泥酔して絡み酒してやるからね」
「ひぃ、助けてあそばせー♪」
※※※※※※※※※
とかなんとか、そんな感じの夢を見たような気がする。
俺はなんとか生きていた。あのハイパーリアルな感じのスキマ空間に落とされたあと、いつのまにやら俺は家の前で大の字になって寝ていた。
一応は、神社の境内にいたことが妖怪は人を襲えないというルールに該当していたのかもしれない。
まあよくわからない。彼女はまさに妖怪中の妖怪だ。
そんなわけで、俺も一応の気持ちの整理がついていた。彼女――八雲紫にであえたことは、その意味では無駄ではなかったといえる。
二度と会いたいとは思わないが、自分が何を思っているかがはっきりしたという点については、感謝してもいいくらいだ。
あれから二ヶ月の後、親方の娘さんと、俺は結婚した。
なんというか、こんな異常な視線を持った俺でいいのかという迷いはまだ消えているわけではないが、この狂った視覚も含めて俺なのだから仕方ないだろう。
新婚生活のせわしない時間が続き、狭いながらの家も建てて、引っ越したりとドタバタが続いた。
しばらく後に、ようやく落ち着いたということで、俺は再び屋台に呑みにいった。こりゃ、後でかみさんに叱られるかもしれない。
「お、いらっしゃい」
「いら”じゃあぁぁい」
中には先に呑んでいるやつがいた。
いつかの時に出会った、唐傘の妖怪だった。
あいもかわらず、不快な声で、不快な舌で、不快な色をしていたが、俺はそういう認識も、なんとなく許せるような気分になっていた。
話してみると、結構これがかわいい性格をしていて、もしも彼女が少女に見えていたら、彼女のことを好きになっていたかもしれないと思った。
そういう想像をしてみると、なんだかむしょうにおかしかった。
「さて、帰ろうかな」
「あ、旦那。雨降ってますよ」
「わちき。つかう?」
そういえば、傘を持ってきていない。
「じゃあ頼もうかな」
細くて生白い足に手をかけて、俺は家路へと急いだ。
しかし想像力の足りなさには本当に絶望するな。いや、まあしかたないことではあるのだが……。
少し考えればわかることだが、俺がやった行為は外形的に見れば(つまり幻想郷の認識体系を基準にすればって意味でだが)
若い娘をお姫様抱っこして、家の中まで連れこんでいるように見えたらしい。
いや正確に言えば、中学生ぐらいに見える娘の、生足あたりに手をかけて、もう片方の手を背中にまわした状態で体を密着させて、悠々と新婚まっただなかの新居の家に帰ってきたのだ。
あとはご想像にお任せする。
あと紫(蓮子?)に向かっていく姿が、「哀れな子が主の御手に挑むとき、扉は閉じるだろう」ってフレーズを思い出した、何だっけねこれ
といった感じで、興味深く読ませていただきました
ラスト部分以後は、幻想郷的にちょっとアレなひと扱いにされてそうですが w
とりあえず、主人公君はもうちっと肩の力抜いて、ゆったり構えて生きるようにしたら良いと思う。
じっくり考える事も大切だけど、ある程度の思考停止もやっぱり必要なんじゃないかしら。
なんて偉そうなコト言いつつ人の振り見て我が振り直せ、であります。
どうも有り難う御座います。
傘をさすという行為なら、頭上でスカートをひろg(修羅場に突入
「現実」は幻想で出来ていて、「幻想」は現実で出来ている。
まるきゅーさんと、ラカンやドゥルーズを読んでみたいなあ、と思います。
いやぁ、面白かったけど、なんか不思議な読後感ですねぇ。