さらさらと、雨が流れるように屋根から地面へ滴を垂らす。
雨の匂いは苦手だ。カビや地面の匂いを滴が吸い、それを部屋中に撒き散らしているような気分になる。
ついでに言えば、少しばかり癖毛な私の髪が、纏まらないのも理由の一つ。
「私、雨が好きです」
そう言って笑う彼女に付き合って、雨が降っては屋敷に訪れるようになったのも、もう何度目だろうか。
いつも部屋に隠りきりで、仕事に追われる彼女が柔らかな、そして楽しげな笑みを見せるのは、雨の日だけで。
だからこうして今も、雨が見える、じめじめとした部屋で、彼女を待っている。こうして待ちながら目を閉じて雨の音を聞いても、彼女の言う「穏やかさ」は理解することは、やはり、難しい。
「待たせてしまいましたか?」
赤い花をあしらった羽織を余韻で揺らして、年期のはいった黒光りする廊下が鳴った。
足元を見れば、いつもと違って素足をさらしていた。珍しいことだと思ってまじまじ見つめていると、彼女は少し顔を赤らめて、そそくさと座ってしまう。
「足ばっかり見ないでください」
「……あ、いえ。珍しくて」
「む……今さっきまで、足湯に浸かっていましたから」
「足湯、ですか」
「ええ、最近人里に出たのです。家でもできるのですが、それだとちょっと雰囲気がないといいますか……」
そんなの、どこでもいいじゃないかという声を押しつぶして、確かに雰囲気は大事ですねと返した。
昔どこかで聞いた。人間はそんな雰囲気とかムードとか空気とか、そういうのを妖怪よりも過敏に感じて、とても大事にしているのだと。
「最初は抵抗があったのですが、なかなかいいものですよ。血行をよくするとか」
「へえ……ああ、それで」
「?」
小豆色の髪が、少し濡れていた。
きっと、散歩がてらとか理由をつけて、自分の足で、一人で赴いたのだろう。私がここを訪れたとき、多くの使用人がそわそわしたりおろおろしたりしていたのはその所為だったのだ。
「あ、そういえば、帰りに最中を買ってきたのですが。一緒にどうですか?」
手のひらを合わせて、突拍子もなく彼女は言う。
「じゃあ、いただきます」
彼女は愛されている。
屋敷の住人に、使用人に。そして――幻想郷に。
この世界に愛されたからこそ、彼女は稗田家をずっと、阿求になってからもずっと、紡いでいるのだ。
「……雨、弱いですね」
私はお茶を啜り、呟く。
「ええ。でも、私はこのぐらいが好きです。儚くて、脆くて、趣深いでしょう?」
故に、誰か一人の特別なひとを作ることはできない。
世界に愛された少女は、特別なのだ。
「私、やっぱり雨が好きです。静かで、それでいて大きいから。文さんも、そうなのでしょう?」
白い息を吐きながら、彼女は私に笑いかける。どうせなら、いつも、そうであって欲しいのに。
言えない。
「……ええ、大好きです」
苦い顔を見せないように、湯飲みを呷った。
温くなってしまったお茶は、なんとも味気ない。
「文さんが雨を好きでいてよかった。私、何度かいろんな人にお声を掛けられて、その度に雨が好きかって、同じようなことを訊くのですけれど、今まで誰も『はい』と答えてくれるひとはいなかったので、少し寂しかったの」
「こんなにも素敵な雨なのに、好きにならないひとは損をしていますね」
「でしょう? だから、私嬉しいです。文さんに出会えて」
嗚呼。
その言葉を、本当は違うところで、聞きたかった。
「……雨は、文さんのようですね」
「え?」
うつむき加減だった顔を上げると、彼女はやんわりと微笑んでいた。
「私を静かな気持ちにさせてくれる。でも、土砂降りのように言葉一つ一つに、打たれるような、気がして」
「……」
彼女はもしかしたら、私の嘘に気づいているのかもしれない。
気づいていて、それでも私の嘘に付き合っているのかも。
そう、思った。
「でも、文さんは雨だけじゃないんです。晴れの日でもあるのです」
「晴れの日……?」
「雨や雪がやんでしまって、そのあと訪れる晴れ模様。文さんの言葉は時々重くて静かだけれど、明るい声も好きです」
「……」
「私は優柔不断だから、どちらにも傾いてしまうのですね。この頃は晴れの日もいいかなと思い始めました、暖かくて、柔らかで」
文さんのようです。と、彼女は笑った。
私は、そんな綺麗な生き物ではないのに。
貴女に近づきたくて、触れたくて。同じように空を飛びたくて。それでどうにか話をあわせようと――そうして吐いた嘘を、なかったことにするような彼女の声色に、泣きそうになった。
嘘を吐いていいことはない。
何百年も生きてきて、こんな常識を忘れてしまうとは。
「では……では、雨が上がったら、散歩に行きましょう。貴女が飛びたいと言うなら、こっそり担いで飛びましょう。その代わり、天狗の速さを嘗めてはいけませんよ」
涙をこらえて出た声は、蝦蟇のひしゃげたようで。
「是非。貴女と同じ世界を、一度見てみたいと思っていたの」
「それなら木に登りましょう。高いところは苦手ですか?」
「いいえ、大丈夫ですよ」
「それはよかった、山に一本、私たちがよく停まる高い木がありまして――」
どこまでも、どこまでも。
君が君でいる気高さが好きです。
雨の匂いは苦手だ。カビや地面の匂いを滴が吸い、それを部屋中に撒き散らしているような気分になる。
ついでに言えば、少しばかり癖毛な私の髪が、纏まらないのも理由の一つ。
「私、雨が好きです」
そう言って笑う彼女に付き合って、雨が降っては屋敷に訪れるようになったのも、もう何度目だろうか。
いつも部屋に隠りきりで、仕事に追われる彼女が柔らかな、そして楽しげな笑みを見せるのは、雨の日だけで。
だからこうして今も、雨が見える、じめじめとした部屋で、彼女を待っている。こうして待ちながら目を閉じて雨の音を聞いても、彼女の言う「穏やかさ」は理解することは、やはり、難しい。
「待たせてしまいましたか?」
赤い花をあしらった羽織を余韻で揺らして、年期のはいった黒光りする廊下が鳴った。
足元を見れば、いつもと違って素足をさらしていた。珍しいことだと思ってまじまじ見つめていると、彼女は少し顔を赤らめて、そそくさと座ってしまう。
「足ばっかり見ないでください」
「……あ、いえ。珍しくて」
「む……今さっきまで、足湯に浸かっていましたから」
「足湯、ですか」
「ええ、最近人里に出たのです。家でもできるのですが、それだとちょっと雰囲気がないといいますか……」
そんなの、どこでもいいじゃないかという声を押しつぶして、確かに雰囲気は大事ですねと返した。
昔どこかで聞いた。人間はそんな雰囲気とかムードとか空気とか、そういうのを妖怪よりも過敏に感じて、とても大事にしているのだと。
「最初は抵抗があったのですが、なかなかいいものですよ。血行をよくするとか」
「へえ……ああ、それで」
「?」
小豆色の髪が、少し濡れていた。
きっと、散歩がてらとか理由をつけて、自分の足で、一人で赴いたのだろう。私がここを訪れたとき、多くの使用人がそわそわしたりおろおろしたりしていたのはその所為だったのだ。
「あ、そういえば、帰りに最中を買ってきたのですが。一緒にどうですか?」
手のひらを合わせて、突拍子もなく彼女は言う。
「じゃあ、いただきます」
彼女は愛されている。
屋敷の住人に、使用人に。そして――幻想郷に。
この世界に愛されたからこそ、彼女は稗田家をずっと、阿求になってからもずっと、紡いでいるのだ。
「……雨、弱いですね」
私はお茶を啜り、呟く。
「ええ。でも、私はこのぐらいが好きです。儚くて、脆くて、趣深いでしょう?」
故に、誰か一人の特別なひとを作ることはできない。
世界に愛された少女は、特別なのだ。
「私、やっぱり雨が好きです。静かで、それでいて大きいから。文さんも、そうなのでしょう?」
白い息を吐きながら、彼女は私に笑いかける。どうせなら、いつも、そうであって欲しいのに。
言えない。
「……ええ、大好きです」
苦い顔を見せないように、湯飲みを呷った。
温くなってしまったお茶は、なんとも味気ない。
「文さんが雨を好きでいてよかった。私、何度かいろんな人にお声を掛けられて、その度に雨が好きかって、同じようなことを訊くのですけれど、今まで誰も『はい』と答えてくれるひとはいなかったので、少し寂しかったの」
「こんなにも素敵な雨なのに、好きにならないひとは損をしていますね」
「でしょう? だから、私嬉しいです。文さんに出会えて」
嗚呼。
その言葉を、本当は違うところで、聞きたかった。
「……雨は、文さんのようですね」
「え?」
うつむき加減だった顔を上げると、彼女はやんわりと微笑んでいた。
「私を静かな気持ちにさせてくれる。でも、土砂降りのように言葉一つ一つに、打たれるような、気がして」
「……」
彼女はもしかしたら、私の嘘に気づいているのかもしれない。
気づいていて、それでも私の嘘に付き合っているのかも。
そう、思った。
「でも、文さんは雨だけじゃないんです。晴れの日でもあるのです」
「晴れの日……?」
「雨や雪がやんでしまって、そのあと訪れる晴れ模様。文さんの言葉は時々重くて静かだけれど、明るい声も好きです」
「……」
「私は優柔不断だから、どちらにも傾いてしまうのですね。この頃は晴れの日もいいかなと思い始めました、暖かくて、柔らかで」
文さんのようです。と、彼女は笑った。
私は、そんな綺麗な生き物ではないのに。
貴女に近づきたくて、触れたくて。同じように空を飛びたくて。それでどうにか話をあわせようと――そうして吐いた嘘を、なかったことにするような彼女の声色に、泣きそうになった。
嘘を吐いていいことはない。
何百年も生きてきて、こんな常識を忘れてしまうとは。
「では……では、雨が上がったら、散歩に行きましょう。貴女が飛びたいと言うなら、こっそり担いで飛びましょう。その代わり、天狗の速さを嘗めてはいけませんよ」
涙をこらえて出た声は、蝦蟇のひしゃげたようで。
「是非。貴女と同じ世界を、一度見てみたいと思っていたの」
「それなら木に登りましょう。高いところは苦手ですか?」
「いいえ、大丈夫ですよ」
「それはよかった、山に一本、私たちがよく停まる高い木がありまして――」
どこまでも、どこまでも。
君が君でいる気高さが好きです。
ところで、もしかして文チルって文阿よりもマイナーなのだろうか;
あかさんの文阿まできてるとは、今日はツイてるみたいですわ
こいつは嬉しい誤算
好きなカップルが好きな作者さんに書かれるっていいな
文阿派です。
来年も楽しみにしてます