辺りがすっかり寝静まった頃。
夜道に佇む一台の屋台があった。
妖怪夜雀が切り盛りするその店に集まるものは、やはりというか妖怪ばかりで、たまに人間が来ても、そいつは妖怪以上に化け物だったり。
閑話休題。
そんな屋台に揃った今夜の顔ぶれは3人。それぞれ思い思いの物を食べては飲んで、飲んでは食べてを繰り返ししている。
いや──ひとりは既に酔いつぶれているのか、テーブルに突っ伏していた。
「いや~しかし、あの霊夢がね……正直意外だったよ。」
おちょこをぶらぶら揺らしながら、伊吹萃香は独り言のように呟いた。
「そうですね……でも、早苗さんだと聞いて、私はどこか納得した気持ちになりました。」
それに応えたのは射命丸文。萃香との間に突っ伏しているもう一人を挟んで座っている。
「へぇ……どうしてだい?」
「私から見ると、あの2人には似たところを感じます。早苗さんは風に例えるならそよ風。掴み所のない霊夢さんにはお似合いじゃないかと。」
「なるほどなるほど。そう言う自分はどうなのさ? 風に例えると。」
まさかそんな返しが来るとは思っていなかった文だったが、しばしの間考えるような仕草を見せると、苦笑しながら答えた。
「暴風、ですかね?」
苦し紛れの自虐ネタだったのだが、これが思った以上に萃香に受けたらしく、彼女は腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは! 違いない!」
「もう……酷いですよ萃香さん。せめてフォローして下さいよ……。」
「生憎嘘はつけない体質なもんでね。」
そう言ってにんまりと笑う萃香に、文はそれじゃあ仕方ありませんねと肩をすくめた。
取り立てて意味のないやりとりが続くはずも無く、屋台には再び沈黙が訪れた。
「霊夢はっ……!」
「わっ!? ちょいと紫? いきなり大声を出さないでおくれよ?」
不意に顔を上げたのは2人に挟まれるように座っていた女性──八雲紫であった。
既に出来上がった顔をしており、そのうえ瞳は妙に血走っている。
「霊夢はねぇ……私の式神にするつもりだったのよ……それをあの女(早苗)に……ぐすっ」
「おいおい、閻魔様が聞いたら卒倒しそうな事を言うなよ。」
「普通に大説教ものだと思われますが──」
「……ものの例えだよ。」
「──霊夢さんの実力をそれ程までに評価していると?」
これは面白くなってきた、と瞳を輝かせる文。その手にはちゃっかりとペンとネタ帳が握られていた。
しかしそれが気に障ったらしく、紫は文に向かって思いっきり頑垂れた。
これには流石の文も冷や汗を流し、さっと両手の物を隠した。
「……あの子はね。私の好みにジャストフィットなのよ。」
うって変わって、うっとりとした表示を見せる紫。
そうか、やっぱりそういう趣味だったのかと、その場にいた一同がそう思った。
「藍が聞いたら泣くよ……?」
萃香の横槍に、紫はむっとした表情をすると、否定するように片手を振った。
「誤解があるようだから言っておくけど。藍だって可愛いから側に置いているのよ? 実際藍は役に立ってるけど、それは藍自身の意志で動いているに過ぎないわ。」
良くも悪くも、彼女は式神の本分を理解しているのよ。と、澄まし顔で答える紫。
「まぁ、お前さんの変わった趣味は置いとくしても──」
「変わった趣味って何? あの可愛い霊夢を可愛い姿のままで一生側に置いておけるのよ? まさに生唾ものじゃない……!」
握り拳を掲げて力説する紫に、萃香はすっかり冷めた視線を送っていた。
萃香だけではなく、周りにいる文や店主のミスティアさえも、苦笑いを浮かべるばかりだ。
「それを……私の夢を……ううぅ……」
再びテーブルに突っ伏して譫言を呟き始めた紫の頭を優しく萃香が撫でてやった。
「取り乱すのも無理ないかねぇ……この中じゃあ一番霊夢を可愛がってたし。」
「そう……ですね。あっ、でも霊夢さんに一番可愛がられてたのは萃香さんですよね?」
「……うるへぇ。」
唇を尖らせる萃香に、口ではすいませんと謝る文だったが、顔がにやけているため、誠意の欠片も感じ取れなかった。
「おや? これゃ本格的に酔いつぶれちまったかな?」
気付けば紫の嗚咽が、規則正しい寝息に変わっていたのを聞いて、萃香が言った。
すると文は眉を寄せて難しい顔をした。
「弱りましたね……流石に置いて帰るのは忍びない。」
「おや? もう帰るのかい?」
「はい。早く帰らないと、これが、これなもんで。」
お約束ジェスチャーに、萃香はまたも大笑い。
「はっはっは! 私(本物)を前にしてそれをやるかい? それで、そのお嫁さんは本物の鬼よりも怖いのかい?」
「場合によっては。」
照れた様子で文はしきりに頬を掻き出した。
その時──
「文様っ!? 帰りが遅いと思ったら、まだこんな所に居たんですか!?」
その怒声に文はビクッと肩を竦めると、「あややや……噂をすれば、です」と苦笑いを浮かべた。
「椛……? 今日は遅くなると言っておいたでしょう?」
暖簾を潜り、現れたのは犬走椛。彼女は腰に手を当てて少々ご立腹の様子だ。
「それにしたって遅すぎます!」
これはどうにもならないと、文は藁にすがる思いで萃香を見た。
そんな文の思いを汲んだ萃香は任せろと頷いて見せた。
「大体ですね! 文様には──」
「まあまあまあ。椛、まずは落ち着いて下さい。ほら、萃香さんも見ていることですし。」
そう言って椛の視線を萃香へと移す文。「やあ。」と気さくに手をあげる萃香を見て、漸く椛は文以外の存在に気付いたようだった。
「こ、これは失礼致しました! 伊吹様、いつも文がお世話になっております!!」
勢いと共に頭を下げる椛に、いいよいいよと萃香は手を振った。
「お嬢さん、鬼が山を治める時代は終わったんだよ。それに文とはただの飲み仲間だ。余計な気遣いは無用だよ。」
にゃははは! と、豪快に笑い飛ばす萃香だったが、椛はすっかり恐縮してしまっていた。
「あの……それとそこで突っ伏していらっしゃるのは──」
今になって気付いたのだろう。紫を指して言いかけた椛だったが、そんな彼女の肩を押さえて文は首を振った。
萃香も同じく首を振る。
「こいつのことは気にしなくて良いから。」
「そ、そうですか。」
「それじゃあ萃香さん。すいませんが私達はこれで。」
すっかり毒気を抜かれた椛を見て、この機を逃すまいと間髪入れず文が切り出した。
しかし、それに待ったをかけたのは意外にも萃香だった。
「その前に、一つだけ良いかい?」
口調こそ柔らかいものの、その瞳からは嘘は許さないという鬼らしい意志のようなものが感じられた。
「──何でしょうか?」
それに気付いたからこそ、文も普段の軽いノリを引っ込めて、真剣な眼差しで萃香に返した。
「息苦しくは無いのかい? そのお嬢さんと一緒にいて。」
普通なら失礼に値する質問だろう。それも本人が居る前で、だ。
事実、椛は表情を凍り付かせていた。
しかし、そんな常識など目の前の鬼には通用しないと、質問を受けた文には分かっていた。
「とんでもない。それどころか、彼女の愛が骨の髄まで染み込んでいるのでしょう。彼女無しでは、呼吸すらままならないですよ。」
「その言葉に嘘はないね?」
萃香の威圧的な視線も物ともせず、文は不敵に笑って見せた。
「なんなら誓いますよ。私、射命丸文は、此処にいる犬走椛を一生愛し続けます。」
話しについていけず、呆けている椛の肩を引き寄せると文はそう言った。
「はっはっはっ! 軽そうに見えて中身はなかなかどうして……いや、あっぱれだよ。末永くやんなよ。そこのお嬢さん。えっ~と、椛だったかな?」
急に名前を呼ばれ、はっとする椛。
どうやら突然の告白に胸を打たれ、心ここにあらずだったようだ。
「は、はい!」
「もし文に浮気されたら私のところにおいで。私が一発懲らしめてやるからさ。」
両の拳を叩き力強さをアピールする萃香。
「酷いなぁ。か弱い私じゃその一発で死んじゃいますよ。」
「ならそうならないように気をつける事だね。」
「そうします。」
最後に揃って笑いあう萃香と文。
しかし今になって人前で告白を受けた事が恥ずかしくなったのだろう。
椛だけは、顔を真っ赤に染めて大人しく文に抱かれていた。
「それでは今度こそ失礼しますよ。」
「ああ。引き止めて悪かったね。」
「いえ。紫さんの事、よろしくお願いします。」
文は腕に抱いた椛をより強く抱き寄せると、そのまま暗い空へと飛んでいった。
「さてと。夜明けにゃまだ早いが、これもあるし引き上げるかね。」
「これとはなによ~。これとは。」
「なんだ。起きてたのかい?」
未だカウンターでうつ伏せになっている紫から確かにくぐもった声がした。
「……寝てる」
「寝るならマヨヒガで寝な。ほら、おぶってやるから。」
「いい……スキマから帰る。」
「今そんな事したらお前さん、スキマの中で寝ちまうだろう?」
「私は困らない……。」
「お前さんは良くても、お前さんの式が困るだろう? 何時までたっても帰ってこない主を探すようじゃ可哀相じゃないか。ほら、おぶさりなって。」
萃香の必死の説得にも応じず、紫はただ駄々をこねるばかり。
呆れもしたが、萃香は紫を見捨てようとは思わなかった。
紫が誰の前でもこうなるわけではないと分かっているからだ。
彼女だって、最強と呼ばれる妖怪にだって、誰かに甘えたい時はあるのだ。
いや、彼女の場合は──
「その必要はありません。」
「藍……? お前さん、わざわざ迎えに来たのかい?」
夜の闇によく映えるその金色の尻尾は、確かに紫の式神、八雲藍のものだ。
彼女は萃香に対し、申し訳なさそうな顔で一礼をした。
「はい。今日は荒れるだろうなと思いましたゆえ。」
「はは、ホント良くできた式だよ、あんたは。」
光栄です。とだけ萃香に伝えると、藍は紫に歩み寄った。
「紫様、紫様。藍です。お迎えにあがりました。」
「ん~? らん~?」
あれほど動くのに抵抗していた紫が、藍の一言でうつ伏せのまま顔を見せた。
「そうです。貴女の藍です。」
簡単に自分が物であるように振る舞えるのは、彼女が式だからか。
それとも、それ程に紫の式である事に誇りを持っているのか。
萃香にはそのどちらでもある気がしたし、また別の理由でもある気がした。
やわらかく微笑む藍の横顔が、単なる式神が浮かべる表情では無いと思えたからだ。
「らん~……貴女はずっと私の側に居てくれるわよね~?」
「はい、勿論です。」
安心したのだろう。
紫はそれだけ言うと、藍の背中におぶさりながら、またすうすうと寝息を立て始めた。
「それでは萃香様。今宵は主がご迷惑を──」
「お前さんまでそんな堅いこと言うのかい? 私は気にしてないから。早くその酔っ払いを寝かしてやんな。」
萃香がそう言うと、藍は苦笑しながらも結局一言、すいませんとだけ謝った。
「それより藍……もっと紫に甘えておやりよ。紫も寂しいんだよ、きっと。」
──私達くらい永く生きてると、甘えるより甘えられることの方が嬉しいもんさ。
それくらいきっと藍だって分って要ることだろう。
そう思い、萃香は言葉を飲み込んだ。
「…………そう、ですね。出来れば。」
分ってはいても、娘は娘で背伸びをしたいのだろう。
今更童心に返れというのも酷かもしれない。
時が経てば子供だって成長する。2人は時間を永く共有し過ぎたと言えるのかもしれない。
──そんな事はないよね?
信じられる者が、信じ合える者が側にいるということ。
何者にも代え難いその存在の大切さを鬼である萃香は人一倍知っているのだ。
徐々に遠ざかっていく紫と藍の背中を見えなくなるまで見送ると、萃香は再び屋台の暖簾を潜る。
「さてと、飲み直すとするかね。」
「えっ……? もう帰られるんじゃ……?」
カウンターに戻り、1人飲み直そうとした萃香に水を指すように、今まで沈黙を守っていたミスティアが口を開いた。
当然これに対して萃香は訝しむように顔をしかめた。
「何だい……? いちゃまずいのかい?」
「い、いえ。そう言う訳じゃ──」
しどろもどろになるミスティアに、じゃあどうしてそんな事聞くんだい? と萃香が問いただそうしたその時、場違いなほどに間延びした声が響いた。
「あー? お客さんなのかー?」
声はミスティアの後ろから聞こえてきた。萃香が覗き込むように席を立つと、そこにはルーミアの姿が。
彼女もミスティアと同様のエプロンを着ているところをみると、店の手伝いだろうか。
萃香を物珍しそうに見るルーミアに、こいつは誰だと萃香も首を傾げた。
「あ、あのね! ルーミア! まだお客さんが飲んでるから、もう少し待って貰えるかな?」
「私も接客手伝うよー?」
「良いの! ルーミアは後片付けだけ手伝ってくれれば! ねっ!?」
なるほど片付けか。道理で今までこの屋台で出ぐわす事がなかったわけだ。
しかしミスティアは何をそんなに必死になっているのか、不思議に思う萃香。
(こいつはまさか……)
妙に慌てるミスティアを見て、萃香は何かに気付いたようで意地の悪い笑みを浮かべた。
「ははぁ~ん? さては店主。これからそこのお嬢さんとお楽しみかい? そりゃあたしなんかはお邪魔だろうね?」
「あうぅぅぅう……」
「ありゃりゃ? 図星だったかい?」
期待通りの反応を示すミスティアに、萃香はやれやれと首を振った。
「お楽しみってなんなのだー?」
「ル、ルーミアは知らなくても良いの!!」
この様子じゃ先は遠いなと思いつつ、席を立つ。どちらにせよ、此処もお邪魔のようだ。
「店主。お代は?」
「あっ。お代は結構です。紫さんから先に頂いてますから。」
「そうかい。それじゃあ邪魔したね。」
「い、いえ! またのお越しを!」
ミスティアの声に見送られ萃香も屋台を後にする。
「あ~あぁ。1人もんは私だけって感じだなぁ~。」
僅かに寂しさを滲ませた、そんな萃香のぼやきは誰の耳にも届かず静かな夜に溶け込まれていった。
それすらも寂しく感じたのか。まだ夜明けは遠い星の空を眺めながら、萃香は一つ決意した。
「こうなったら私も誰か良い相手でも見つけるかな!」
まだ見ぬ誰かを想い描いて、萃香は1人、不敵な笑みを零した。
夜道に佇む一台の屋台があった。
妖怪夜雀が切り盛りするその店に集まるものは、やはりというか妖怪ばかりで、たまに人間が来ても、そいつは妖怪以上に化け物だったり。
閑話休題。
そんな屋台に揃った今夜の顔ぶれは3人。それぞれ思い思いの物を食べては飲んで、飲んでは食べてを繰り返ししている。
いや──ひとりは既に酔いつぶれているのか、テーブルに突っ伏していた。
「いや~しかし、あの霊夢がね……正直意外だったよ。」
おちょこをぶらぶら揺らしながら、伊吹萃香は独り言のように呟いた。
「そうですね……でも、早苗さんだと聞いて、私はどこか納得した気持ちになりました。」
それに応えたのは射命丸文。萃香との間に突っ伏しているもう一人を挟んで座っている。
「へぇ……どうしてだい?」
「私から見ると、あの2人には似たところを感じます。早苗さんは風に例えるならそよ風。掴み所のない霊夢さんにはお似合いじゃないかと。」
「なるほどなるほど。そう言う自分はどうなのさ? 風に例えると。」
まさかそんな返しが来るとは思っていなかった文だったが、しばしの間考えるような仕草を見せると、苦笑しながら答えた。
「暴風、ですかね?」
苦し紛れの自虐ネタだったのだが、これが思った以上に萃香に受けたらしく、彼女は腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは! 違いない!」
「もう……酷いですよ萃香さん。せめてフォローして下さいよ……。」
「生憎嘘はつけない体質なもんでね。」
そう言ってにんまりと笑う萃香に、文はそれじゃあ仕方ありませんねと肩をすくめた。
取り立てて意味のないやりとりが続くはずも無く、屋台には再び沈黙が訪れた。
「霊夢はっ……!」
「わっ!? ちょいと紫? いきなり大声を出さないでおくれよ?」
不意に顔を上げたのは2人に挟まれるように座っていた女性──八雲紫であった。
既に出来上がった顔をしており、そのうえ瞳は妙に血走っている。
「霊夢はねぇ……私の式神にするつもりだったのよ……それをあの女(早苗)に……ぐすっ」
「おいおい、閻魔様が聞いたら卒倒しそうな事を言うなよ。」
「普通に大説教ものだと思われますが──」
「……ものの例えだよ。」
「──霊夢さんの実力をそれ程までに評価していると?」
これは面白くなってきた、と瞳を輝かせる文。その手にはちゃっかりとペンとネタ帳が握られていた。
しかしそれが気に障ったらしく、紫は文に向かって思いっきり頑垂れた。
これには流石の文も冷や汗を流し、さっと両手の物を隠した。
「……あの子はね。私の好みにジャストフィットなのよ。」
うって変わって、うっとりとした表示を見せる紫。
そうか、やっぱりそういう趣味だったのかと、その場にいた一同がそう思った。
「藍が聞いたら泣くよ……?」
萃香の横槍に、紫はむっとした表情をすると、否定するように片手を振った。
「誤解があるようだから言っておくけど。藍だって可愛いから側に置いているのよ? 実際藍は役に立ってるけど、それは藍自身の意志で動いているに過ぎないわ。」
良くも悪くも、彼女は式神の本分を理解しているのよ。と、澄まし顔で答える紫。
「まぁ、お前さんの変わった趣味は置いとくしても──」
「変わった趣味って何? あの可愛い霊夢を可愛い姿のままで一生側に置いておけるのよ? まさに生唾ものじゃない……!」
握り拳を掲げて力説する紫に、萃香はすっかり冷めた視線を送っていた。
萃香だけではなく、周りにいる文や店主のミスティアさえも、苦笑いを浮かべるばかりだ。
「それを……私の夢を……ううぅ……」
再びテーブルに突っ伏して譫言を呟き始めた紫の頭を優しく萃香が撫でてやった。
「取り乱すのも無理ないかねぇ……この中じゃあ一番霊夢を可愛がってたし。」
「そう……ですね。あっ、でも霊夢さんに一番可愛がられてたのは萃香さんですよね?」
「……うるへぇ。」
唇を尖らせる萃香に、口ではすいませんと謝る文だったが、顔がにやけているため、誠意の欠片も感じ取れなかった。
「おや? これゃ本格的に酔いつぶれちまったかな?」
気付けば紫の嗚咽が、規則正しい寝息に変わっていたのを聞いて、萃香が言った。
すると文は眉を寄せて難しい顔をした。
「弱りましたね……流石に置いて帰るのは忍びない。」
「おや? もう帰るのかい?」
「はい。早く帰らないと、これが、これなもんで。」
お約束ジェスチャーに、萃香はまたも大笑い。
「はっはっは! 私(本物)を前にしてそれをやるかい? それで、そのお嫁さんは本物の鬼よりも怖いのかい?」
「場合によっては。」
照れた様子で文はしきりに頬を掻き出した。
その時──
「文様っ!? 帰りが遅いと思ったら、まだこんな所に居たんですか!?」
その怒声に文はビクッと肩を竦めると、「あややや……噂をすれば、です」と苦笑いを浮かべた。
「椛……? 今日は遅くなると言っておいたでしょう?」
暖簾を潜り、現れたのは犬走椛。彼女は腰に手を当てて少々ご立腹の様子だ。
「それにしたって遅すぎます!」
これはどうにもならないと、文は藁にすがる思いで萃香を見た。
そんな文の思いを汲んだ萃香は任せろと頷いて見せた。
「大体ですね! 文様には──」
「まあまあまあ。椛、まずは落ち着いて下さい。ほら、萃香さんも見ていることですし。」
そう言って椛の視線を萃香へと移す文。「やあ。」と気さくに手をあげる萃香を見て、漸く椛は文以外の存在に気付いたようだった。
「こ、これは失礼致しました! 伊吹様、いつも文がお世話になっております!!」
勢いと共に頭を下げる椛に、いいよいいよと萃香は手を振った。
「お嬢さん、鬼が山を治める時代は終わったんだよ。それに文とはただの飲み仲間だ。余計な気遣いは無用だよ。」
にゃははは! と、豪快に笑い飛ばす萃香だったが、椛はすっかり恐縮してしまっていた。
「あの……それとそこで突っ伏していらっしゃるのは──」
今になって気付いたのだろう。紫を指して言いかけた椛だったが、そんな彼女の肩を押さえて文は首を振った。
萃香も同じく首を振る。
「こいつのことは気にしなくて良いから。」
「そ、そうですか。」
「それじゃあ萃香さん。すいませんが私達はこれで。」
すっかり毒気を抜かれた椛を見て、この機を逃すまいと間髪入れず文が切り出した。
しかし、それに待ったをかけたのは意外にも萃香だった。
「その前に、一つだけ良いかい?」
口調こそ柔らかいものの、その瞳からは嘘は許さないという鬼らしい意志のようなものが感じられた。
「──何でしょうか?」
それに気付いたからこそ、文も普段の軽いノリを引っ込めて、真剣な眼差しで萃香に返した。
「息苦しくは無いのかい? そのお嬢さんと一緒にいて。」
普通なら失礼に値する質問だろう。それも本人が居る前で、だ。
事実、椛は表情を凍り付かせていた。
しかし、そんな常識など目の前の鬼には通用しないと、質問を受けた文には分かっていた。
「とんでもない。それどころか、彼女の愛が骨の髄まで染み込んでいるのでしょう。彼女無しでは、呼吸すらままならないですよ。」
「その言葉に嘘はないね?」
萃香の威圧的な視線も物ともせず、文は不敵に笑って見せた。
「なんなら誓いますよ。私、射命丸文は、此処にいる犬走椛を一生愛し続けます。」
話しについていけず、呆けている椛の肩を引き寄せると文はそう言った。
「はっはっはっ! 軽そうに見えて中身はなかなかどうして……いや、あっぱれだよ。末永くやんなよ。そこのお嬢さん。えっ~と、椛だったかな?」
急に名前を呼ばれ、はっとする椛。
どうやら突然の告白に胸を打たれ、心ここにあらずだったようだ。
「は、はい!」
「もし文に浮気されたら私のところにおいで。私が一発懲らしめてやるからさ。」
両の拳を叩き力強さをアピールする萃香。
「酷いなぁ。か弱い私じゃその一発で死んじゃいますよ。」
「ならそうならないように気をつける事だね。」
「そうします。」
最後に揃って笑いあう萃香と文。
しかし今になって人前で告白を受けた事が恥ずかしくなったのだろう。
椛だけは、顔を真っ赤に染めて大人しく文に抱かれていた。
「それでは今度こそ失礼しますよ。」
「ああ。引き止めて悪かったね。」
「いえ。紫さんの事、よろしくお願いします。」
文は腕に抱いた椛をより強く抱き寄せると、そのまま暗い空へと飛んでいった。
「さてと。夜明けにゃまだ早いが、これもあるし引き上げるかね。」
「これとはなによ~。これとは。」
「なんだ。起きてたのかい?」
未だカウンターでうつ伏せになっている紫から確かにくぐもった声がした。
「……寝てる」
「寝るならマヨヒガで寝な。ほら、おぶってやるから。」
「いい……スキマから帰る。」
「今そんな事したらお前さん、スキマの中で寝ちまうだろう?」
「私は困らない……。」
「お前さんは良くても、お前さんの式が困るだろう? 何時までたっても帰ってこない主を探すようじゃ可哀相じゃないか。ほら、おぶさりなって。」
萃香の必死の説得にも応じず、紫はただ駄々をこねるばかり。
呆れもしたが、萃香は紫を見捨てようとは思わなかった。
紫が誰の前でもこうなるわけではないと分かっているからだ。
彼女だって、最強と呼ばれる妖怪にだって、誰かに甘えたい時はあるのだ。
いや、彼女の場合は──
「その必要はありません。」
「藍……? お前さん、わざわざ迎えに来たのかい?」
夜の闇によく映えるその金色の尻尾は、確かに紫の式神、八雲藍のものだ。
彼女は萃香に対し、申し訳なさそうな顔で一礼をした。
「はい。今日は荒れるだろうなと思いましたゆえ。」
「はは、ホント良くできた式だよ、あんたは。」
光栄です。とだけ萃香に伝えると、藍は紫に歩み寄った。
「紫様、紫様。藍です。お迎えにあがりました。」
「ん~? らん~?」
あれほど動くのに抵抗していた紫が、藍の一言でうつ伏せのまま顔を見せた。
「そうです。貴女の藍です。」
簡単に自分が物であるように振る舞えるのは、彼女が式だからか。
それとも、それ程に紫の式である事に誇りを持っているのか。
萃香にはそのどちらでもある気がしたし、また別の理由でもある気がした。
やわらかく微笑む藍の横顔が、単なる式神が浮かべる表情では無いと思えたからだ。
「らん~……貴女はずっと私の側に居てくれるわよね~?」
「はい、勿論です。」
安心したのだろう。
紫はそれだけ言うと、藍の背中におぶさりながら、またすうすうと寝息を立て始めた。
「それでは萃香様。今宵は主がご迷惑を──」
「お前さんまでそんな堅いこと言うのかい? 私は気にしてないから。早くその酔っ払いを寝かしてやんな。」
萃香がそう言うと、藍は苦笑しながらも結局一言、すいませんとだけ謝った。
「それより藍……もっと紫に甘えておやりよ。紫も寂しいんだよ、きっと。」
──私達くらい永く生きてると、甘えるより甘えられることの方が嬉しいもんさ。
それくらいきっと藍だって分って要ることだろう。
そう思い、萃香は言葉を飲み込んだ。
「…………そう、ですね。出来れば。」
分ってはいても、娘は娘で背伸びをしたいのだろう。
今更童心に返れというのも酷かもしれない。
時が経てば子供だって成長する。2人は時間を永く共有し過ぎたと言えるのかもしれない。
──そんな事はないよね?
信じられる者が、信じ合える者が側にいるということ。
何者にも代え難いその存在の大切さを鬼である萃香は人一倍知っているのだ。
徐々に遠ざかっていく紫と藍の背中を見えなくなるまで見送ると、萃香は再び屋台の暖簾を潜る。
「さてと、飲み直すとするかね。」
「えっ……? もう帰られるんじゃ……?」
カウンターに戻り、1人飲み直そうとした萃香に水を指すように、今まで沈黙を守っていたミスティアが口を開いた。
当然これに対して萃香は訝しむように顔をしかめた。
「何だい……? いちゃまずいのかい?」
「い、いえ。そう言う訳じゃ──」
しどろもどろになるミスティアに、じゃあどうしてそんな事聞くんだい? と萃香が問いただそうしたその時、場違いなほどに間延びした声が響いた。
「あー? お客さんなのかー?」
声はミスティアの後ろから聞こえてきた。萃香が覗き込むように席を立つと、そこにはルーミアの姿が。
彼女もミスティアと同様のエプロンを着ているところをみると、店の手伝いだろうか。
萃香を物珍しそうに見るルーミアに、こいつは誰だと萃香も首を傾げた。
「あ、あのね! ルーミア! まだお客さんが飲んでるから、もう少し待って貰えるかな?」
「私も接客手伝うよー?」
「良いの! ルーミアは後片付けだけ手伝ってくれれば! ねっ!?」
なるほど片付けか。道理で今までこの屋台で出ぐわす事がなかったわけだ。
しかしミスティアは何をそんなに必死になっているのか、不思議に思う萃香。
(こいつはまさか……)
妙に慌てるミスティアを見て、萃香は何かに気付いたようで意地の悪い笑みを浮かべた。
「ははぁ~ん? さては店主。これからそこのお嬢さんとお楽しみかい? そりゃあたしなんかはお邪魔だろうね?」
「あうぅぅぅう……」
「ありゃりゃ? 図星だったかい?」
期待通りの反応を示すミスティアに、萃香はやれやれと首を振った。
「お楽しみってなんなのだー?」
「ル、ルーミアは知らなくても良いの!!」
この様子じゃ先は遠いなと思いつつ、席を立つ。どちらにせよ、此処もお邪魔のようだ。
「店主。お代は?」
「あっ。お代は結構です。紫さんから先に頂いてますから。」
「そうかい。それじゃあ邪魔したね。」
「い、いえ! またのお越しを!」
ミスティアの声に見送られ萃香も屋台を後にする。
「あ~あぁ。1人もんは私だけって感じだなぁ~。」
僅かに寂しさを滲ませた、そんな萃香のぼやきは誰の耳にも届かず静かな夜に溶け込まれていった。
それすらも寂しく感じたのか。まだ夜明けは遠い星の空を眺めながら、萃香は一つ決意した。
「こうなったら私も誰か良い相手でも見つけるかな!」
まだ見ぬ誰かを想い描いて、萃香は1人、不敵な笑みを零した。
すわかな、期待してます。
みするみゃが初々し過ぎてこっちが恥ずかしいwww
しかし何だろう……この三十路過ぎのOLみたいな哀愁漂う萃香は……
どうしよう…。
独身貴族黒井な○こを髣髴とさせる萃香……。
これはアリ……。アリです!!
萃香頑張れ、超頑張れ!