今から十何年か前、悪魔の知り合いに子供を押し付けられたことがあった。
話によれば、何の特徴も無い、ただの人間の子供とのことだった。
一番奇妙なのは、まだ名前がないということだった。
別にその経緯を知りたいとも思わなかったし、悪魔とは知らない仲ではなかったからその申し出を受けることにした。
だがこの子供、不気味なくらい手間がかからない。
まだ十歳にも満たないのに、家事全般に精通していて言葉遣いも丁寧。むしろ私が助けられていた。
いつもどおりご飯を作ってやったある日の晩、その子はついに私に意見をするようになった。
「味が濃すぎる」
「え?」
「こんなに味が濃いものばっかりずっと食べていたら、体がおかしくなる」
「濃くないわよ」
「濃い、ずっと思ってた」
淡々と喋るこの子供、でも食事の手を止める事は無く、私の料理をいつも残さず食べる。
だから私もこの子の期待に応えたくなり、料理の趣向を少し変える。
でも変えたら変えたで、この子は文句を言う。
「薄すぎる」
「え?」
「こんなに味が薄かったら、何を食べてるかわからない」
「そんなに薄い?」
「薄い、やりすぎ」
私の身長の半分くらいしかないくせに、いろいろ理解してる。
女の子なのに男物の小さいタキシードを着せられてウチに来たこの子、私は少し不憫に思って可愛い洋服をこしらえてあげたが、この子はそれを受け取るのを拒否した。
理由はよくわからないが、この子は正装が好きらしい。
「そういえば、聞いてなかったわね」
「なに?」
「貴方、年いくつ?」
「知らない」
「……どこで生まれたの?」
「知らない」
「…………両親は?」
「知らない」
「………………あっ、そう」
「それだけ?」
「ん、ああ………貴方は、誰に拾われたの?」
「知らない」
「…ありがとう」
知らないの一点張りだ。
あいつめ、なんでこんな厄介な子供を私に押し付けたんだ。
自分の過去のことなんてまるで興味が無いって感じだ。
いったいあの子をどうするために拾って、私のところに預けたんだ?
今度聞いてみるか…
「特に理由はないよ」
「はい?」
「アリス、このお茶どこで仕入れたの?」
「いや、いつものだけど、そうじゃなくて……」
「だから、たまたま私の仕事が忙しくてあんまりお世話できそうにないから、今は預かってもらおうと思ったの」
「あんたのとこ妖精だか妖怪だか一杯いるじゃない」
「人間の子なんて気味悪いって、みんな嫌がるの」
「……気味悪いって」
「たまたまそういう子が多いだけ」
こいつも、いろいろ事情があるようだ。
「あの子、迷惑かけてない?甘えん坊だからちょっと心配だったの」
「むしろ助かってるよ、洗濯とか、掃除とか、すごい上手でびっくりした」
「……夜は一人で寝てるの?」
「うん、私と一緒はイヤだって」
「………そっか」
表情が複雑そうだ、もしかしてあの子の普段の姿は…
だとしたら、進んで家事を行って、風呂も寝るときも一人で我慢しているあの子の気丈さは底抜けだ。まだ一桁の子供なんだぞ。
「ごめん、私家戻る」
「うん、お願い」
私はすぐに家に戻った。時間は夜、あの子はもう寝床についているはずだ。
留守を任せても大丈夫よねと、あの子にいったらあの子はいつもどおり首を縦に振った。無理をして私を見送ったんだろうか。
あんな不気味なところにある家に、一人で留守番なんて我慢できるだろうか。
「ただいま」
暗い。
帰って来ないかもしれないと伝えておいたから、明かりを全て消してある。
どうせ返ってこないと思われて、消されてしまったんだろう。
あの子の部屋に向かう。足音を自然と立てないようにしている自分に気がついた。小心者だ。
ノックはしない、鍵はかけられないドアだ。
静かに開いて、あの子の寝ている姿をのぞこうとした。
だがあの子は横になっていなかった、ベッドから半身を起こして、窓から見える月を眺めていた。
窓から差し込んでいる青白い月明かりを浴びているその姿は、神秘的だった。
「ただいま」
「………」
ゆっくりとこちらを向いて、少し驚いた顔をした。
「おかえりなさい」
「月、見てたの?」
「……うん、今日はお月様が昇るのが遅かったから」
「ああ、十六夜の月ね」
「…?」
「昨日は満月だったでしょ?その次の日は、月が昇るのが少しだけ遅くなるのよ」
ベッドの脇まで歩いていくと、この子が見ていた月が私にも見えた。
ここははっきりと外が見える、少し高いところにあるので近くの木に視界をふさがれることもない。
どうやら深夜に入るくらいになると、月が真正面に見えるらしい。
「月好きなの?」
「別に、綺麗だったから」
「ふーん」
「あ、そういえば」
「ん?」
「貴方Yシャツ洗濯して、ちゃんとアイロンかけてる?シワかなり目立ってるわ」
「……本当だ」
自分の部屋に干してあるシャツを見て、つぶやいた。
「アイロン使いなさいよ」
「………うん」
「使い方わかる?」
「……………うん」
「嘘でしょ」
「……」
「しょうがない、今度教えてあげる」
「だ、大丈夫……知ってるから」
「なんで嘘つくの?」
いつもの淡々とした喋り方じゃなくなって、少し焦っている。
嘘がバレるのを怖がってるんだ。どうしてなんだろう。
「………」
「知ってた?」
「豚肉って、焦げるくらいまで焼かなくたって安全なのよ」
「え?」
「貴方いくらなんでも焼きすぎなのよ」
「……ご、ごめんなさい」
「別にいいわ」
「ごめんなさい………わ、私、もっと頑張るから…」
「…?」
「………」
頑張らないといけないって思ってる。
私の家に来たことをプレッシャーに感じていたのか。
当たり前か、自分のことを忌み嫌っていた妖怪や妖精達のところから来たんだもの。
「悪いのは私よ、客人に家事をまかせっきりにしてるなんて有り得ないわ」
「でも、私……迷惑をかけないようにしなさいって……」
「誰に言われたの?」
「……悪魔さん」
「あいつか、まぁしょうがないんじゃないかな……でも、迷惑かけたっていいわよ?」
「えぇ?」
「正直ほっとした、私でも貴方に教えてあげられそうなことまだまだ一杯ありそうだしね、まず間違って覚えてる料理からなんとかしないと」
「………」
「それと………私のベッド大きいから、もう一人くらいなら入れるわよ」
あまりにも以外なことを言われて、きょとんとした表情をした。
でも序々に顔を赤らめて、毛布で顔を隠しながらつぶやいた。
「……洗濯物、減る?」
「減る」
「………じゃあ、アリスと一緒に寝る」
「うん、そうしましょ」
私はそれから、この子の深みにどんどん触れていった。
この子も触れられることを望んでいたのか、いままでずっと遠慮していたであろうことが明らかになってきた。
部屋が汚いとか、鍵を閉め忘れてるとか、昼寝しすぎとか。
散々言われた。
でも遠慮なく物を言ってくれることは嬉しくて、家族のように打ち解けた私達は、いつも一緒にいるようになった。
「じゃ、電気消すわよ」
「うん」
「おやすみ」
「あ……アリス」
「ん?」
「アリス、アリスは将来何をしたい?」
「………」
将来と言われれば、今がそうなんじゃないか。
とりあえず今私がしていることを…
「人形遣いよ、普通の魔法使い如きじゃ到底真似できないような技術なんだから」
「そうなんだ」
「………でも、そうねぇ…………私が貴方くらいだった時、私は綺麗なお嫁さんになりたいって思ってた」
「お嫁さん」
「そう、白い綺麗なドレスを着て、好きな人と並ぶの」
「アリスはどんな人が好き?」
「え?さあ………それがわからないのよ」
「………私、アリスの旦那さんになる」
「……」
「………ダメ?」
何を言うかと思えば、旦那さんか…
でも、この整った顔つきと、綺麗な銀髪は、性別を越えたものになる気がする。
子供の夢を壊すつもりもないし、まんざらでもないと思った。
「いいよ、ちゃんと迎えに着てね」
「うん」
微笑む私に、あまり上手じゃない笑顔で返してきた。
可愛い子だな、本当に……
「……急ね」
「ごめんなさい、結局二ヶ月も貴方に世話を任せちゃって」
「別にいいわ」
「やっと私も時間ができてきたから、ひきとらせてもらおうかなって思って……」
「…そう」
「あの子は?」
「……」
悪魔が迎えに来るのを怖がっていた。
私と別れるのをイヤがっていたんだ。
でも仕方ないだろう、もともと私達は別々んところに住んでいたんだ、別れは訪れる。
「こっちきなさい」
「……」
私が声をかけるとようやくあの子は一歩足を踏み出した。
「さ、帰ろう?」
「……」
「もう、怖くないよ、貴方のことを変に言う子がいたら、私と美鈴さんが守ってあげる、私とっても強くなったんだよ」
確かにそれは感じた。こいつは、この子の立場を守るためにありとあらゆる知識を身につけたんだろう。それは確かに愛情だった。
私にこの子を引き止めることはできそうになかった。
「ほら、帰りなさい」
「……アリス」
「ん?」
「今度、いつ会える?」
「さぁ………素敵な名前を貰って、身長が156cmになったらかな?」
「……わかった」
気丈に振舞ったのはあの子だけじゃない。
私だってそうだ。
できれば早くその子を連れて行って欲しい、でもあいつは変に気を使ってその場から離れようとしない。
「さっさと行きなさいよ……」
「………アリス」
「ねぇ、小悪魔」
「なに?」
「大分前に、本気で取り組みたい魔法の開発があるって言ってたでしょ?」
「…うん」
「ちょうどいいから、私しばらくここを離れるわ」
「……」
「10年くらいかかると思うけど、終わったらここに戻ってくるから」
「……わかった」
そのことはあの子には伝えなくていいと言っておいた。
これ以上あの子に余計なことを吹き込みたくなかったし、その顔を直視していられる自信が無かったから。
私はその晩、荒れた。
家にあったアルコールを全て飲み散らかし、ベッドに伏せて大泣きした。
あの子と別れたことの寂しさが私を突き動かしていた。こんな感情的になったのは久しぶりだった。
涙も枯れて、夜も明けた時。私は必要なものだけをバッグに収納して、家を後にした。
必要になればまた創ればいい、だから今は甘えを捨てよう。
あの子と過ごしたたった二ヶ月の思い出にすがらないように。
絶対に美しくなって返ってくるあの子に笑われないように。
あの子だけに頑張らせるわけにはいかない。
私は自分の家をそこから消した。
「どう?いい話でしょ?」
「ええ、感動モノね」
「だってのに、いつまでたっても現れないのよ!」
「その子が?」
「そうよ!二ヶ月も世話しってやったのに、私のことなんて忘れやがったんだわ!」
もう泥酔状態のアリス、正直見苦しい姿だ。
急に昔話をしたかと思ったら、この様だ。
「ちょっと、聞いてんの咲夜!」
「え?ええ」
「そいつ、本当に綺麗でね、目なんて人形みたいに淡く輝いてて、銀色の髪の毛でね………」
またさっき話したことを繰り返しだした。
そんなに言われると、照れる。
「小悪魔のやつもその子がどうなったか教えてくれないし、くっそー、腹たってきた!」
「……」
私は素敵な名前を貰ったし、156cmなんてすぐ越してしまった。
でも気がつかないんじゃしょうがない、小悪魔が笑うのもなんとなくわかる。
「みっともない姿ね、そんなんじゃ貰い手もなくなるわ」
「ふん、心配しなくたって、貰い手ならもう素敵な女の子がいるわよ」
「でもどうなったかわからないんでしょ?」
「……そうだけど、でも、きっと迎えに来てくれるわ」
「本当に?」
「本当よ」
「そう」
信じてもらえていたことが嬉しい。
昔を美化するだけでなく、今でも子供の時の私を信じている。だからこそ自分で気がついて欲しい。
その時、小悪魔が用意してくれたタキシードを私は着ることができる。
。
貴方の咲アリは毎回素晴らしすぎて涙が出そうになるw
寒々さんの咲アリは無限の可能性が広がってますね。
本当に最高に良かった!!
しかし途中、どっちのセリフかわかりにくい場面があったので、地の文をもう少し増やして貰えるとわかりやすかったかもです。
何時も小悪魔は二人を見ながらニヤニヤしてるんだろうなぁ
可愛ええなあ。
新しい桃源郷がそこにはありました。
その後、そんなこと考えたのは自分だけだと気づいて恥ずかしくなった。
可能性のある限り続けます
また台詞ばかりの部分が…やってしまいました、反省しております
>>14
俺もパプワくんを思い出したときそれをついでに思い出しました
偶然の一致ですね、多分。
天才