私は名も無き妖怪。いつ生まれたかもわからない。私の記憶は唐突に始まっているから。
ただ、私にはたくさんの知り合いがいる。
私にとっては初めて会う人でも、向こうから親しげに接してくれる――そんな知り合いが。
人間の友達だっている。人里に住む、可愛い可愛い女の子。
彼女は里から出るという危険を冒してまで私に会いに来てくれる。だからその時は私もなるべく里の近くで待っている。
「私、これでも妖怪に詳しいのですよ。でもあなたのような妖怪は初めてです」
――へぇ、そうなんだ。
「こんな言い方では悪いのですが、あなたに興味があります。もっともっとあなたの事を教えて頂けませんか」
――こんな私に興味を持ってくれるなんて嬉しいわ。私に答えられることなんてほとんど無いけれど、教えられる限りのことは全部話すわ。
彼女は私にとって大切な友達。頼まれれば応えてあげたい。
――でも一つ条件があるの。
「何ですか? どうぞ言ってみて下さい。私も出来るだけのことはしますから」
――じゃあ……私に、名前を付けて欲しいの。
「……」
私がそう言うと、彼女は急に黙り込んで俯いてしまった。
「ごめんなさい。それは無理です」
――どうして?
「“名は体を表す”ということわざを知っていますか? 名前はそのものの本質を表している――という意味なんですけど」
――えぇ。それが?
「あなたにはその本質がありません。“何かもわからない存在”に、私なんかがそう簡単に名前なんて、付けられないんですよ」
――本質が、無いから……
「そうです。だからごめんなさい」
「もうすぐ夜になりますね。それじゃあ、今日はもう帰りますので。また今度」
彼女が里に帰った後も、私は黙々と考え続けていた。
――名前が欲しい。しかしその為には本質とやらが要る。つまり逆に言えば本質さえあれば名前が手に入る!
私はすっかり暗くなってしまった空に飛び立った。
――名立たる天才薬師さん。あなたの頭脳を私に下さい。
「あら、あなたは……。いいわ、どうせ私は死なないから」
――ありがとう。
「その代わり、ちょっと実験に付き合ってね」
――わかったわ。
――穢れなき美麗のお姫様。あなたの髪を私に下さい。
「……何て様かしら。まぁいいわ。髪ぐらい持っていきなさい」
――ありがとう。
――赤い瞳の月兎さん。あなたの耳を私に下さい。
「えぇ!? そんなの無理に決まってるじゃない!」
――お願いします。
「そんなッ」
「まぁまぁ落ち着いてよ鈴仙」
――あなたは詐欺兎。
「幸せ兎だよ。そんな私からあなたに幸せをあげよう」
――耳をくれるの?
「うん、あげるよ。私――の部下の耳をね」
「ちょっと、てゐ!?」
「妖怪なんだからすぐ治るよ。さぁ、受け取りなさい」
――ありがとう。
――澄んだ歌声の夜雀さん。あなたの喉を私に下さい。
「そんなに私の声が羨ましいの?」
――えぇ、とっても。
「ならしょうがないね」
――ありがとう。
――蟲を統べる蛍さん。あなたの触覚を私に下さい。
「えぇー、すっごく痛いじゃない、それ」
――お願いします。
「むぅ……我慢してあげる」
――ありがとう。
――器用な人形遣いさん。あなたの腕を私に下さい。
――幻想郷を飛び回る鴉天狗さん。あなたの翼を私に下さい。
――山を見回る白狼天狗さん。あなたの眼を私に下さい。
――紅い館の門番さん。あなたの脚を私に下さい。
――すきま妖怪の式さん。あなたの尻尾を私に下さい。
――酔っ払いの小柄な鬼さん。あなたの角を私に下さい。
――“ ”さん。あなたの“ ”を私に下さい。
何度それを繰り返したか。こうして今の私はたくさんの妖怪の一部を分けて貰い、たくさんの性質を手に入れた。
――これでやっと名前が貰える。
私はまた里の女の子に会いに行った。
――ねぇ、見て? 私、たくさん性質を貰ったの。これで名前を付けられるでしょう?
「きゃあっ!?」
私の姿を認めた瞬間、耳をつんざくような悲鳴を上げられた。
今の私の聴覚ではあまりに大きく聞こえて頭が痛い。
――そんなに驚かなくてもいいじゃない。
私は彼女に笑いかけた。
「き、気持ち悪いッ」
……今、彼女は何と言っただろうか。気持ち悪い?
――この私が気持ち悪いですって? 友達じゃなかったの? 名前をくれるんじゃなかったの?
彼女は私に嘘をついた。
――許せない、殺してやるっ。
彼女のか細い首を絞めようと手を伸ばす。
――あれ?
ボロボロと腕が落ちた。ガクンと脚が折れた。ピシッと胴が裂けた。ブチリと翼がもげた。ボトッと首が取れた。
私が、崩れていく……