「おーおー、やってるやってる」
均等の大きさに切り分けられたような厚切りの雲が、空を跋扈している。
秋めく空が、紅葉を散らしたようにさぁっと赤く、雲に遮られて、淡く。
空模様すら冬の準備を始めているというのに、相変わらず呑気に構えている幻想郷の住人たちは、そんなこと、気にもとめないらしい。
「あんたは、準備行かないのね」
「私が行っても邪魔になるだけだぜ」
「あら、そういうとこはちゃんと分かってるのね。驚いたわ」
「煩いな。一言も二言も余計なんだよお前は」
私の隣に座って、呑気に構えていた魔理沙が、口を尖らせて言い放った。
「そういうアリスこそ、行ったらどうなんだ」
「行ってもいいけど、私が行ったらあんたが寂しい思いをするんじゃないかとね」
「屁理屈はよせ」
「本気だって言ったら?」
「冗談はよしこさんだぜ」
気づこうにも気づけないであろう、近づかないとわからない彼女の拒否反応に、思わず顔が綻ぶ。
自分で冗談はよせなんていいながら、その冗談を受け入れようか受け入れまいか悩んでいるのだ。
なんだかんだいって、純粋で真っ直ぐなのである。
そんなところを、もっと多くのひとに知られれば、煙たがるひとも少なくなるでしょうに――こんなことを私が考えたところで、魔理沙の第一印象は変わるわけでもない。
最近は傍若無人っぷりに磨きがかかってきた気がするからだ。あくまで、私的な見解だが。
まあ、それにも。
期限はあるというものだけれど。
「私は、準備の雰囲気を味わうのが好きなのよ」
「それは嘘だな」
「速攻で否定しなくてもいいじゃない」
悲しいわ、とわざとらしく溜息をつくと、魔理沙は信用ならないといった表情を浮かべながら、やれやれだぜと肩をすくめる。
「こんな茶番を繰り広げている間にも、宴会の準備は着々と進んでいるのにな。ほらみろ、霊夢がいつになくきびきび働いているぜ」
「指差すのやめなさいよ」
「……ちっ」
もう母親役は間に合ってるぜと言いたげな顔も、降りてきた闇に隠れて、うすらぼんやりとしか見えなくなってきていた。
こんなにも、夜は早く現れただろうか。
先刻まで厚切りの綿菓子のような雲は、闇に覆われて稲妻を含んだような、真っ黒に染め上げられている。
そんな闇の下にいる私たち――特に魔理沙は恰好のせいかまったく目立だってないようで、声を上げなければ誰も気づかないだろう。
人混みから少し離れただけで、灯りがなければ心もとなく、寂しいものだ。
今のようにサボタージュしているときは保護色となって、霊夢から見つからずに済むこともあるので、暗闇さまさまなのだ。と、魔理沙は言う。
「嘘をつくのが下手なんだな、アリスは」魔理沙はからからと笑う。「私でも分かるぜ。この純粋な魔理沙さんでもな」
自分で純粋って言うのはどうなのとは思うが、悔しいことに事実なのだからぐぅの音も出ない。
私は嘘をつくのが下手だ。
昔も今も、上手く貫き通したと自信を持って言える事例は多くない。自分が上手くいったと思っていても、相手は自分の考えなんてお見通しで、遊びに付き合うような感覚で私の嘘にうんうんと頷いていただけかもしれない。
ここまで考えてしまうのも、性格なのか。
いかんせん、心は弱いくせに物事を重く深く考える。
悪い性格だなぁとは思うけれど、治すことなんて到底無理だということも知っている。
長い間まとわりついた匂いが染み付くように、長年に渡って蓄積されていった自分の悪い癖が、性格へと変わっていったのだから。
諦めこそすれ、治そうなんて、しない。
できない。
「さて、と」
ややあって、魔理沙がパンと手を叩いた。
「もうそろそろ始まるみたいだぜ」
今まで何も考えずぼうっと会場の灯りを見つめていた私は、途端、現実に引き戻される。
灯りの下には、座って音頭を待つものや、もう勝手に始めてしまっているひと。
いつになっても、ここの宴会は統制というものがないなぁ。
これからも、主催者である霊夢が仕切ることがないのだから、このグダグダ感は続くのだろう。始まっているのかすら、わからなくなるときもあるのだから。
「アリス」
高揚した声色が、風が吹いたように耳へ届けられた。
楽しみで仕方がないといいたげに、急かす。
「行こうぜ」
その星のように輝く瞳の先には、わいわいと騒がしいひとたちの話し声、食器の触れ合う音が、笑い声と共に一つの音へと繋がっていくようだ。
闇から遠ざかった魔理沙は、灯りの下へと既に移動していた。
灯された魔理沙は、白黒の姿を紅く染め、それが、火の粉のようにも見えて。
視力、下がったかしらなんてひとりごちる。
「後から行くわ」
私は断りの言葉を発した。
気分が乗らないわけではない。それなら、最初からここにはこない。
ただ、なんとなくだ。
なんとなく、すぐにあの騒がしい輪の中には入ろうとは思わなかった。
……それは、気分が乗らないと言うんじゃ。
まぁ、いい。
「私の分、とっておいてよね」
「分かんないぜ。なにしろ、今日は西行寺のお嬢様が来てるからな」
「だから、とっておいてって言ってんじゃないの」
「はいはい」
これ以上念を押したところで、確率は変わらないと悟って、ひらひらと手を振る魔理沙を見送ることにする。益々紅く、舞っているような、魔法少女を。
○
「……」
何をするでもなく、ただまたぼぅっと、空を見る。
星が出ているわけでもない、時おり見える月の光を見つけては、頬を照らす灯りをじぃっと、睨み付けるように、見ていた。
「あら、怖い顔」
くすくすと、胡散臭いような、気味の悪い笑い声が暗闇に響く。この声色は、笑い声は、きっとあの妖怪だろうと考えなくてもわかった。その声色は私が突っ立っている闇の中と、耳の奥までピンと張り巡らされ、嫌でも聞こえる。
「折角の可愛い顔も台無しね」
「いつも思うけど、声から現すのやめて」
「怖がりさんねえ」
「これを怖がらないひとは、少ないと思うわ」
怖がる、とまではいかないものの、誰だっていきなり耳元で囁かれたら驚くものだ。もし、それがうたた寝をしている最中だったとしたら、幽霊を信じる(といっても幻想郷に幽霊なんてごまんといるが)人間たちにとっては、不眠への第一歩になりかねない。
それだけ彼女の声は、ひとに鳥肌を立てさせることには定評があるようだ。
「……もう、向こうへ参加していると思ってたわ。てっきり」
「そうしようと思ったのだけれど、可愛いお人形さんがこんなところで一人、寂しそうにしているのを見たらいてもたってもいられなくなったのよ」
「嘘はよしなさい」
「本当だと言ったら?」
「帰れ」
「あらぁ、酷いわねぇ」
およよ、と泣きまねをしながらスキマを通ってにゅるりと出てきた紫。
その金色の瞳と髪は、暗闇と混ざってもなお、艶やかに光っていた。
ああ、これは月光の所為か、とも思う。
「出会った頃はもっと優しかったのに、いつの間にこんな冷たくなってしまったのかしら。……ああ、多分霊夢の所為よね。あの子、私と出会ったときから冷たかったもの。博麗神社に入り浸るから、いつの間にかこんな冷たい子になってしまったのね。ゆかりん悲しい」
「そこまで入り浸ってないわよ。なに、その私が霊夢目当てに神社に行っているような口ぶりは」
ひとは誰かを好きになると、その相手の真似をするか、相手の望む自分になっていくのだと昔聞いた気がする。そこから考えれば、紫の言葉はそれを示唆しているかのようにも聞こえたのだ。
「あら、違って?」
「ないわー」
即座に否定する。何故私があんな無愛想で面倒くさがりの巫女に惚れなきゃならんのだ。そうやって色恋沙汰に持っていこうとするのは、中高年のひとの考えだ。
かといって、それを口に出すことはない。
「気になる相手を問い詰めるのは、中高年のひとでもなんでもない、ただの嫉妬よ」
こいつ、心を読みやがった。
さとりでもないくせに。
「もっと現実見れば、わかることじゃない。現実と言うよりは、自身を見返しなさいよ」
「あらあら、構ってくれないのね。それは私が悪いということかしら」
「さぁね」
「意地悪ね。ゆかりん泣いちゃうわよ」
勝手に泣いて勝手に帰って欲しい。
なんだかんだ話をしているうちにも、宴会の空気は未だに熱い。いや、逆に燃え上がっている。
ここから私が乱入するのも、ヒートアップした喧嘩を両成敗するように両者に水をぶっかけるのと同じで、空気が変わってしまうのも否めない。なら最初から参加すればそんなことも考えなくてよかったのだが、いかんせん先刻のアリスの頭には、そんなこと小指の爪の皮ほど考えていなかったのである。途中からさりげなく何気なくあたかも最初からそこにいたかのように気配を消してでも参加すりゃいーや。そのぐらい軽くしかみていなかった。
「はい」
「……ん」
またもやスキマから一升瓶を取り出した紫は、どこからか取り出したコップに並々と中身を注ぎ、私に渡す。
「どうせ今の状態じゃ参加できない――なんて、思っているのでしょう?」
「……思ってないわよ」
また心を読む。
だから紫は苦手だ。
普段そこまで会話らしい会話なんてしないくせに、こうしてふらりと私の前に現れては、核心を突く言葉をポンポン投げてくる。そして誰も頼んでいないのに、次の行動を読んでは、気を遣う優しい妖怪として振舞うのだ。ご都合主義な妖怪である。
かくいう私も、ご都合主義なのだが、紫ほどではない。
「嘘をついて自分の首を絞めるのはおやめなさいな」
「……?」
一口、コップに口をつけ、ふうと一息はいた紫は私を見ずにそう言った。
「貴女はそれでなくても嘘が下手なのに」
「……ああ」
私のことか、と。やっと気づく。紫は突拍子もないことを言い出すから、困って仕方がない――私は飲みかけのコップを置いて、何もない縁側へと座る。
境内での騒がしい声も、明かりも、ここまでは届かない。そんな気がして。
「知ってるわよ、そのぐらい。あんたの言うとおり、私は嘘が下手よ。上手く切り抜けられたことなんてないし、私は嘘を突き通したんだって言えるほどの自信も、ないわ」
冷えた手を、暖めるものもここにはない。それでも風はそ知らぬ顔で私と紫の間を通り過ぎていくのだ。いつまでも傍観者で、いつまでも冷たい。暖かくしてくれるのは、頼んでもいない夏の間だけ、ぬるま湯のような湿気を含んでやってくる。
「知ってる? 貴女、嘘をつくとき少しだけ声が高くなるの。ピンと張り詰めた糸のように、細い声」
「……あんた、ストーカーまがいのこと言わないでよね」
「洞察力がいいと言ってほしいわ」
黙れ、といいかけた言葉を、酒と一緒に飲み干すことにした。
これ以上話を広げると、後々面倒くさいことになる。
「それで、嘘をつくのが下手だから、なんなのよ。嘘が上手くなる秘訣でも教えてくれるの? 上手に嘘をつく方法なら、竹林にいる兎に聞いたほうが、よっぽど為になるけど」
「――そうして、にぶちんのアリスさんはゆかりんの熱いハートに気づかぬまま生涯を終えるのでした。めでたしめでたし」
「何言って――」
「貴女がそこまでとは思わなかったわ、私」
私の言いかけた言葉を切って、紫は全体重を私に預けてきた。
預けたというよりは、のしかかってきたといったほうがいいだろうか。
とにかく、縁側の冷たい冷たい板の上に、押し倒されたのである。
冷たい。
「もうちょっと、意識というものがあっていいんじゃないかしら。自意識過剰なのは嫌いだけど」
「そう」
「……押し倒されたっていうのに、やけに冷静ねえ」
「私を押し倒しても、メリットなんかないから」
「嘘」
ニヤリ、唇の端が吊りあがるのを見た。
「それは嘘ね」
確信したと言いたげな、強い声。
「……」
「ねえアリス」
何よ、と答える前に、紫の口が開く。
「私、貴女のこと好きなのよ」
……それは、どっちで。
「勿論、愛よ」
また読むか。
「これが愛情だと言われれば、そうだって自信を持って答えるわ。もし、この感情が、貴女への同情なのだとしても私はそれでいいと思うの。だって、愛していることには変わりないもの」
「どこに惚れる要素があったのよ、どこに」
「そう言われると、反応に困るわね」
クスクスと、今度は薄気味悪いあんな笑みではなく、優しくて柔らかい微笑。
不覚にも、そんな笑顔に免疫がないから、ドキリとする。
「そのつっけんどんな態度も、冷たい言葉も、壁を作るような瞳も。すべて好きよ」
「……マゾか、あんたは」
やれやれ、と溜息をつく。
その憎たらしい顔を見つめるも、背中から射した月光が拒むように紫の顔を隠す。
あんたも、紫の味方なのね。
でも、もしこのまま紫を見透かすことができるなら、その向こうに、綺麗な月が出ているんじゃないかと思った。だから、今の紫が、こんなに妖艶に見えるのだと。そう言い聞かせる。
「というわけで、キスをしましょう」
「なにが、というわけ、なのよ」
「じゃあ、キスするわよ」
「変わってない」
私は黒くてぽっかりと穴が開いてしまったような、表情の読み取れない紫の頬へ、手を伸ばした。その向こうの、月を掴むかのように。
「綺麗な月を見続けてはいけませんわ」
私の伸ばした右手を、自身の左手で受け止めた紫は警告のように、言った。
「狂ってしまうから、でしょう?」
「……ええ。でも、」
ゆっくりと、うすらぼんやりとしていた輪郭が、形になっていく。金色の髪が、冷たい風に揺れて流れる。
整った顔のパーツが露になったとき、私は思わず声に出していた。
「月……」
「え?」
「紫の瞳って月みたいで、綺麗。本物よりも、ずっと、綺麗」
「……ここで、『貴女の方が綺麗よ』と口説けば、少しは揺れてくれる?」
「さぁね」
焦れったそうに顔を歪める紫を見ては、くつくつと笑う。
触れ合う掌は、とても暖かで。なんでも許してしまいそうだった。
「紫の瞳も、見続ければいつかは狂ってしまうのかしら」
「……ええ。もう戻れないほどに」
「そう」
「だから、」
月が大きくなる。
吸い込まれそうに、それは美しく、幻想的で。
思わず、息を飲む。
「貴女の月を、私が飲み込んで差し上げますわ」
――目を瞑る最後にみた満月は、
愛しさを含んだ、三日月へと変わっていた。
今度こそ自分の気持を悟られぬよう、はっていた意地を溶かされながら感じる唇の感触に、
押しつぶされそうな心を引き留めようとして、掴んだ袖は私のものじゃなく、紫のものだった。
意外とこの組み合わせも良いんじゃないだろうかと、
ずっと思っていた所に貴方の作品が来た!!!!!!
もっとゆかアリ増えないかな…。
なんとなく疑似母娘っぽくなるイメージだったのですが
これはこれで……イイ!
来た!ついに来た!これでかつる!
やっぱり睨んだとおりゆかアリは素晴らしい!
良い。
実に良い。
アリスとゆかりんとは、絵が美しすぎる。
ところで某所でこのSSの挿絵を見かけましたよ。