お品書き(注意事項)
・本SSは、タイトルの通り、拙作‘『でこちゅう‘(同作品集)の後時談となっております。
単体で楽しんで頂くには荷が重いので、出来ましたら前作を読み終えてからご賞味ください。
「あ、デコチュウ」
主人のやり場のない怒りを受け、宙を舞う私の耳元で、事の犯人の声がした。
「よっ、と」
軽やかな響きの後に、軽い衝突音。
同時に、身を震わせる衝撃。
受け止められたようだ。
肩を掴まれた私は、犯人――ぬえを見上げた。
「ありがとう」
「うん。ねぇ、ナズ」
「どうかしたかい?」
声を返すと、ぬえは首を捻り、問うてきた。
「見てたんだけど……どうして、私を庇ったの?」
どうやら彼女は近くにいたようだ。
それか、声を聞いていたのかもしれない。
主人も私も、かなりの大声を出していた。
状況判断を一瞬で終えた私は――けれど、すぐには応えを返せなかった。
「だって……そうでしょう?」
ぬえの言う通りだ。
私は彼女を庇った。
……何故だ?
「私は、謝罪の言葉なんて書き込んでいなかったわよ」
主人に撃ち込んだフェイクとは、そして、隠滅した証拠とは、つまり、ぬえの謝罪の書き込み。
「……近くにいたんだから、そうするつもりだったんじゃないかな?」
「うん、まぁ……ちょっと悪かったかなって。でも」
「……それとこれとは関係がない、か」
そんなものはなかった。
私が咄嗟にでっちあげた。
事を有耶無耶にする為だ。
だけれど、しかし、何故、私はぬえを庇った……?
考え込む私をよそに、頷いたぬえが、続ける。
「なのに、貴女は私を庇ったわ。愛する星を怒ら」
「あ、それはない」
「へ?」
間の抜けた声が返ってきた。
目をぱちくりとさせ、不思議そうな様を隠さないぬえ。
正体不明はどうした――苦笑しつつ、今度は私が問うた。
「君は、私をそんな風に思っていたのかい?」
「『まったく、仕方ないご主人様だね。大好き』」
「即答か。しかも、どうにもこうにも乙女じゃないか」
そも、言うなら言うで「愛している」と囁くね。いやいや。
「ない、と言う事もないか。
だけど、君が思っている類の感情じゃない。
主人――星様に抱いている思いは、敬愛だよ」
自身の応えに全く疑問を持っていないぬえに、私は頬を掻きつつ、胸の内を明かした。
よくよく勘違いされるが、そうなのだ。
第一の誤解――主人に不敬な思いを持っている――を解くと、「それじゃあ」とばかりに恋愛感情に結び付けられる。
その手の話に鈍感そうなぬえでさえそう思うのだから、割と誤解し続けているモノもいるんじゃなかろうか。
普段は面倒だから適当に笑って誤魔化すが、彼女は同じ場所に住んでいるのだ、そのままだとややこしい。
……滅多に見せない本心を明かしたのは、そう言う理由からだ。
「そうなの?」
「そうなんだ」
「へー……?」
だってのに、君はまだ疑いの目を向けるのか。
瞳の色は多分に面白半分だ。
こんちくしょう。
……ん?
「だってさ、ナズって面倒見のいいところが――って、もう、聞いてる?」
何かが浮かび上がりそうだったが、すんでのところで止められる。
放っておくわけにもいかず、視線で先を促した。
少し硬めの黒髪が、上下に揺れる。
「ん。だから、ちょっと抜けている星が好きなのかなって」
「ご主人がそうなるのは聖様の事だけさ」
「あ。やっぱりぃ」
何がやっぱりか。
どう考えても言葉に対しての頷きではない、ぬえの態度。
まだ疑われているのか。
まったく、面倒だ。
「ぬえ、私はね」
「認める?」
「違う」
弾幕の痛みが残る額に手を当てつつ、私は、洗いざらいをぶちまけた。
「私は――見知ったモノに、その類の感情を持てないんだよ。
ダウザーと言う職業柄かもしれないね。
だから、ご主人も同じく、さ」
嗜好の問題だろうか。
ヒトによっては、相手の全てを知りたいと思うのだろう。
いや、それは私も変わらない。だから、探る。探って、そして――。
「んーと、それってさ」
「あぁ……なんだい?」
「知るだけ知ったら、さようなら?」
そうとも言う。
「うっわ、悪い女だー」
私もそう思う。
「いやいや。アフターケアは万全だよ」
「泣かせた相手は?」
「星の数」
ノリで言っただけだから、はしゃがないで頂きたい。
「なに、互いに火遊びの範囲だし、稀に初心な子も相手にするが傷つけない程度に退散するさ」
悪いー悪いー、とにやけて連呼するにぬえに、私は取り繕った。
それも、早口で捲し立てて。
……何故だ?
何故、私はこんな言い訳じみた言葉を連ねている……?
ずきんと額が痛む。
いや、額だけじゃない。
どこか、とうに痛みも忘れたはずの場所が疼いた……気がする。
可笑しいな。私は全身を貫かれていたのだろうか。
「あ……痛いの?」
先ほどの揶揄の響きはどこへやら、一転して心配げにぬえが聞いてくる。
声に顔をあげると、黒曜石のような双眸が向けられていた。
何を考えているかようとして掴めない、黒い黒い瞳。
ずきん。
「いや、……痛くはないよ」
「じゃあ、熱があるんだ」
「……え?」
ずきんっ。
「そんな事は……。弾幕で、痕ができているのかな」
ずきんっ!
「かも。だって、ナズ、真赤だよ? ちょっと失礼をば」
――こつん。
「え、ぁ、う、……ぬえ?」
額に額を重ねられ、私は呻くように彼女の名を呼んだ。
何故、呻く? 何故、呼ぶ?
わからないわからない。
あぁ、あぁ、この疼きは、この痛みは――なんなんだ……!
「そだ。言い忘れてた」
此方の動揺など気付かない様子で、ぬえが呟く。
いや、気付いているのか、意に介していないだけか、しているのか?
一瞬の接触が、どうにもこうにも私を狂わせる。
頬に黒髪が擽ったこそばゆい感触を残し、心地よい冷たさがすぅと離れた。
途端、動き出す私の思考。
動き出した、筈だった。
筈だったのに、あぁ!
ぬえが笑う。
純粋な少女のような微笑。
淫靡な娼婦のような艶笑。
あぁ……そうだ、わかるわけがないのだ。
彼女の字名は‘正体不明の妖怪‘。
未確認幻想飛行少女――封獣ぬえ。
ずき――んっ!
「ナズーリン。庇ってくれて、ありがとう」
何故だらけの短い接触で、一つだけ、わかった事がある。
有耶無耶にした理由。私が彼女を庇った理由。
その一つだけに、私は満足した。
それは、そう――
「……あぁ。どう致しまして」
――ぬえに、いいところを見せたかったから、なのだろう。
「せーんちょっ!」
ちゅ。
「~~!? ふ、不意打ちは卑怯ですっ!」
「じゃあ不意じゃなしに、するよ」
「……駄目です」
ちゅ。
「その、順番ですから」
ぺろ。
「んー、潮の香りのテイスティ」
「ヒトの話を、と言うか舐めるなー!」
「聞いてるってば。だから、次は、ね?」
……ぺろ。
「なにか、毛が」
「センチョ、そこ、眉間」
「はぅ!? つ、次はちゃんと!」
「いいよいいよ。どんどん下がってこ」
「んぁ、だから鼻ですか。……って、つ、次は!?」
「さーぁ、盛り上がってまいりました! 私が! どんどんいこう、どんどん!」
ナズーリンに撃った、いや、撃つように促された弾幕の残滓を払い、私は畳へとへたり込んだ。
ちらりと目線を上げ、ナズを吹き飛ばした空を見る。
目視できる範囲に彼女と、彼女の後を追った犯人の姿はなかった。
怒りを込めた一撃とはいえ、加減をしていないわけではない。
適当なところで事の犯人――ぬえが追い抜き、止めるだろう。
微苦笑を零し、僅かに痛む額に手を当てる。
加減をしていたのは私だけじゃない。
勢いよく噛みついたナズだが、額からは血の一筋も垂れていなかった。
尤も、ひょっとするとあの子は本気だったのかもしれない――彼女は、非力なのだから。
常日頃は誰に対しても優位な立ち位置で接しているが、どうと言うことはない、あの子なりの強がりだ。
その可愛らしい様を思い出し、私は小さく笑んだ。
あ、さて。
それはそれとして、だ。
ノートを聖に読まれていないのは不幸中の幸いだが、サンニンを口止めしに行かないと。
……くちどめ。
『口止め、ね。それは、どうやって止めてくれるのかしら?』
『どうって、単に貴女が皆に言わないようにしてくれれば』
『あらん、駄目ね。口約束なんて破られるものよ?』
『自信満々に言わんで下さい。……それなら――』
『ふふ……目を閉じればいいの、星?』
返事の代わりに、私は聖の柔らかな唇に、に、――っきゃー!!
って、だめよだめよ星、ちゃんと貴女がリードを取らないと!
場所はちゃんと星空の下で、時間はお子様が眠る二十一時!
月明かりに照らされた聖の頬は微かな赤みを帯びていて、あぁんもぉ!
――……う、ねぇ、………。
ふふん、舐めないで、この‘毘沙門天の弟子‘に抜かりはないわ!
今のはパターンQ『満天の星空だけが見ていた』!
パターンはAからzまであるんだから!
――……ーう、もう、ねぇ、しょうってば!」
「因みにzの読みはゼータで今なお新たにη(イータ)を考えうわおぅ聖!?」
ぜんっぜん気付かなかった。
声のした方に視線を向けるも、もうもうとした埃に遮られ聖の顔が見えない。
どうやら、弾みにより手で畳をぶち抜いてしまっていたようだ。
あー……ムラサ、ごめんなさい。
持ち主に頭を小さく下げ、戻すとそこには聖の顔が。
「――! ち、近い、近いです聖!?」
一瞬の間に、聖は距離を詰めていた。
ふと、見上げ、疑問に思う。
私は何故、見上げている?
答えを思いつくよりも先に、聖が笑いながら、言う。
「不思議? ふふ、私も此処では背の高い方だけど、貴女の方が上だものね」
その通りだ。
私自身、背の高さは認識している。
あぁ、そうか、聖は膝立ちになっているのか。
……え?
「聖、あの、それは」
「先に聞いていい?」
「あ、はい」
もやっとした何かが頭をよぎった。
同時に、辺りを見回しながら聖が首を傾げる。
何かは形になる前に霧散してしまい、ならばと私は彼女を促した。
「貴女とナズの大きな声、続けて鳴った弾幕音、不思議に思い来てみれば、もうもうと立ち込めるけむりんりん」
「言葉に節をつけるのは構いませんが、‘りんりん‘は正直どうかと思」
「何があったの?」
きっちりと視線を合わせながら、聖は尋ねてきた。
うん。
あのですね。
それはですね。
貴女にでこちゅうしたいと綴ったノートを皆に見られて私が舞い上がっちゃっただけです。
……言えるかぁぁぁ!?
心で絶叫しつつ、私は努めて冷静に言葉を返した。
「ちゅっちゅしたい。したのくむぐぅ!?」
「なんだか珍しく下世話な方に混乱しているようね」
「ふふ、聖、こう言う時は手ではなくて額で塞ぐものですよ」
何言ってるの私。
「違、そうじゃなくて、あの!?」
取り乱し、ろくに意味のある言葉を口にできない。
そんな私の髪を、聖は両手でかき分けた。
そして、静かに続ける。
「それに、おでこ。
赤いわよ、星。
どうして?」
短い区切りは、恐らく私の為だろう。
解答を考える時間は与えられた。
だけど、あぁ、聖。
「……単に、私が騒いでいただけです。申し訳ありません」
全てを応えられない弱い私を、許してください。
「痛いの痛いの、飛んでけー!」
でもそんな方向のお許しは望んでいないな星さんは。
「あぁもぉ! 両手を広げて満面の笑顔で言ってるんじゃありません!」
「え、実は痛くなかったの? それとも効かなかった?」
「そも痛くありませんでしたが痛くなりました!」
額ではなく頭だが。
払われて目にかかった髪を整えながら、少し非難の籠った視線を聖に向ける。
彼女の表情はそのままだった。
なんだその笑み。
「そ」
「です。聖、貴女はこの命蓮寺の……え?」
「じゃあ、初級魔法じゃなくて、中級魔法を使ってみるわ」
目を細め、口元を薄く伸ばし、言う。
白い指がするりと髪を分ける。
囁く声は、ほぼ零距離。
「‘中級‘……?」
「ん、ちゅ……」
「――!?」
唇が、押し当てられた。
柔らかくて。
温かくて。
優しくて。
私は、何も考えられない。
「なんでもかんでも貯めこんじゃう。
ねぇ、星、貴女の癖よ。
知っていて?」
唇が離れ、代わりに額を合わせられる。
種類の異なる髪質が頬を擽った。
さらり、ふわり。
「そんな貴女だから、ナズも慕い、強がるのでしょうけれど――ふむ」
唐突に区切られる言葉。
けれど、無言は一瞬だった。
何かを思いついた聖は、何時ものように続ける。
「――ふふ、そうね、言われてみれば、私の是も癖なのかもしれないわ」
つまり、視線を合せ、彼女はそう言ったのだ。
………………。
…………。
……。
え?
確かに私はそれを癖と指摘した。
しかし、聖には言っていない。
そも口に出した事もない。
と言う事は、だから……え?
考えが纏まる、その直前。
何時の間にか立ち上がり移動していた、聖の声が届く。
障子を閉める間際、彼女は、私が癖と記した行為を続けつつ、問うてきた。
「私とでこちゅうしたい、じゃなくて、私にでこちゅうしたい、だったかしら?」
パチン、とウィンク一つして、聖は去って行った。
えと。
んーと。
要するに。
……読まれてた?
「ひ、ひじ、うわ、あぉ、ぇう……?」
結局後に残されたのは、嬉しいやら恥ずかしいやらよくわからない感情に悶えて絶叫をあげる私だけ、だったとさ。
――うにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっっっ!?
<了>
・本SSは、タイトルの通り、拙作‘『でこちゅう‘(同作品集)の後時談となっております。
単体で楽しんで頂くには荷が重いので、出来ましたら前作を読み終えてからご賞味ください。
「あ、デコチュウ」
主人のやり場のない怒りを受け、宙を舞う私の耳元で、事の犯人の声がした。
「よっ、と」
軽やかな響きの後に、軽い衝突音。
同時に、身を震わせる衝撃。
受け止められたようだ。
肩を掴まれた私は、犯人――ぬえを見上げた。
「ありがとう」
「うん。ねぇ、ナズ」
「どうかしたかい?」
声を返すと、ぬえは首を捻り、問うてきた。
「見てたんだけど……どうして、私を庇ったの?」
どうやら彼女は近くにいたようだ。
それか、声を聞いていたのかもしれない。
主人も私も、かなりの大声を出していた。
状況判断を一瞬で終えた私は――けれど、すぐには応えを返せなかった。
「だって……そうでしょう?」
ぬえの言う通りだ。
私は彼女を庇った。
……何故だ?
「私は、謝罪の言葉なんて書き込んでいなかったわよ」
主人に撃ち込んだフェイクとは、そして、隠滅した証拠とは、つまり、ぬえの謝罪の書き込み。
「……近くにいたんだから、そうするつもりだったんじゃないかな?」
「うん、まぁ……ちょっと悪かったかなって。でも」
「……それとこれとは関係がない、か」
そんなものはなかった。
私が咄嗟にでっちあげた。
事を有耶無耶にする為だ。
だけれど、しかし、何故、私はぬえを庇った……?
考え込む私をよそに、頷いたぬえが、続ける。
「なのに、貴女は私を庇ったわ。愛する星を怒ら」
「あ、それはない」
「へ?」
間の抜けた声が返ってきた。
目をぱちくりとさせ、不思議そうな様を隠さないぬえ。
正体不明はどうした――苦笑しつつ、今度は私が問うた。
「君は、私をそんな風に思っていたのかい?」
「『まったく、仕方ないご主人様だね。大好き』」
「即答か。しかも、どうにもこうにも乙女じゃないか」
そも、言うなら言うで「愛している」と囁くね。いやいや。
「ない、と言う事もないか。
だけど、君が思っている類の感情じゃない。
主人――星様に抱いている思いは、敬愛だよ」
自身の応えに全く疑問を持っていないぬえに、私は頬を掻きつつ、胸の内を明かした。
よくよく勘違いされるが、そうなのだ。
第一の誤解――主人に不敬な思いを持っている――を解くと、「それじゃあ」とばかりに恋愛感情に結び付けられる。
その手の話に鈍感そうなぬえでさえそう思うのだから、割と誤解し続けているモノもいるんじゃなかろうか。
普段は面倒だから適当に笑って誤魔化すが、彼女は同じ場所に住んでいるのだ、そのままだとややこしい。
……滅多に見せない本心を明かしたのは、そう言う理由からだ。
「そうなの?」
「そうなんだ」
「へー……?」
だってのに、君はまだ疑いの目を向けるのか。
瞳の色は多分に面白半分だ。
こんちくしょう。
……ん?
「だってさ、ナズって面倒見のいいところが――って、もう、聞いてる?」
何かが浮かび上がりそうだったが、すんでのところで止められる。
放っておくわけにもいかず、視線で先を促した。
少し硬めの黒髪が、上下に揺れる。
「ん。だから、ちょっと抜けている星が好きなのかなって」
「ご主人がそうなるのは聖様の事だけさ」
「あ。やっぱりぃ」
何がやっぱりか。
どう考えても言葉に対しての頷きではない、ぬえの態度。
まだ疑われているのか。
まったく、面倒だ。
「ぬえ、私はね」
「認める?」
「違う」
弾幕の痛みが残る額に手を当てつつ、私は、洗いざらいをぶちまけた。
「私は――見知ったモノに、その類の感情を持てないんだよ。
ダウザーと言う職業柄かもしれないね。
だから、ご主人も同じく、さ」
嗜好の問題だろうか。
ヒトによっては、相手の全てを知りたいと思うのだろう。
いや、それは私も変わらない。だから、探る。探って、そして――。
「んーと、それってさ」
「あぁ……なんだい?」
「知るだけ知ったら、さようなら?」
そうとも言う。
「うっわ、悪い女だー」
私もそう思う。
「いやいや。アフターケアは万全だよ」
「泣かせた相手は?」
「星の数」
ノリで言っただけだから、はしゃがないで頂きたい。
「なに、互いに火遊びの範囲だし、稀に初心な子も相手にするが傷つけない程度に退散するさ」
悪いー悪いー、とにやけて連呼するにぬえに、私は取り繕った。
それも、早口で捲し立てて。
……何故だ?
何故、私はこんな言い訳じみた言葉を連ねている……?
ずきんと額が痛む。
いや、額だけじゃない。
どこか、とうに痛みも忘れたはずの場所が疼いた……気がする。
可笑しいな。私は全身を貫かれていたのだろうか。
「あ……痛いの?」
先ほどの揶揄の響きはどこへやら、一転して心配げにぬえが聞いてくる。
声に顔をあげると、黒曜石のような双眸が向けられていた。
何を考えているかようとして掴めない、黒い黒い瞳。
ずきん。
「いや、……痛くはないよ」
「じゃあ、熱があるんだ」
「……え?」
ずきんっ。
「そんな事は……。弾幕で、痕ができているのかな」
ずきんっ!
「かも。だって、ナズ、真赤だよ? ちょっと失礼をば」
――こつん。
「え、ぁ、う、……ぬえ?」
額に額を重ねられ、私は呻くように彼女の名を呼んだ。
何故、呻く? 何故、呼ぶ?
わからないわからない。
あぁ、あぁ、この疼きは、この痛みは――なんなんだ……!
「そだ。言い忘れてた」
此方の動揺など気付かない様子で、ぬえが呟く。
いや、気付いているのか、意に介していないだけか、しているのか?
一瞬の接触が、どうにもこうにも私を狂わせる。
頬に黒髪が擽ったこそばゆい感触を残し、心地よい冷たさがすぅと離れた。
途端、動き出す私の思考。
動き出した、筈だった。
筈だったのに、あぁ!
ぬえが笑う。
純粋な少女のような微笑。
淫靡な娼婦のような艶笑。
あぁ……そうだ、わかるわけがないのだ。
彼女の字名は‘正体不明の妖怪‘。
未確認幻想飛行少女――封獣ぬえ。
ずき――んっ!
「ナズーリン。庇ってくれて、ありがとう」
何故だらけの短い接触で、一つだけ、わかった事がある。
有耶無耶にした理由。私が彼女を庇った理由。
その一つだけに、私は満足した。
それは、そう――
「……あぁ。どう致しまして」
――ぬえに、いいところを見せたかったから、なのだろう。
「せーんちょっ!」
ちゅ。
「~~!? ふ、不意打ちは卑怯ですっ!」
「じゃあ不意じゃなしに、するよ」
「……駄目です」
ちゅ。
「その、順番ですから」
ぺろ。
「んー、潮の香りのテイスティ」
「ヒトの話を、と言うか舐めるなー!」
「聞いてるってば。だから、次は、ね?」
……ぺろ。
「なにか、毛が」
「センチョ、そこ、眉間」
「はぅ!? つ、次はちゃんと!」
「いいよいいよ。どんどん下がってこ」
「んぁ、だから鼻ですか。……って、つ、次は!?」
「さーぁ、盛り上がってまいりました! 私が! どんどんいこう、どんどん!」
ナズーリンに撃った、いや、撃つように促された弾幕の残滓を払い、私は畳へとへたり込んだ。
ちらりと目線を上げ、ナズを吹き飛ばした空を見る。
目視できる範囲に彼女と、彼女の後を追った犯人の姿はなかった。
怒りを込めた一撃とはいえ、加減をしていないわけではない。
適当なところで事の犯人――ぬえが追い抜き、止めるだろう。
微苦笑を零し、僅かに痛む額に手を当てる。
加減をしていたのは私だけじゃない。
勢いよく噛みついたナズだが、額からは血の一筋も垂れていなかった。
尤も、ひょっとするとあの子は本気だったのかもしれない――彼女は、非力なのだから。
常日頃は誰に対しても優位な立ち位置で接しているが、どうと言うことはない、あの子なりの強がりだ。
その可愛らしい様を思い出し、私は小さく笑んだ。
あ、さて。
それはそれとして、だ。
ノートを聖に読まれていないのは不幸中の幸いだが、サンニンを口止めしに行かないと。
……くちどめ。
『口止め、ね。それは、どうやって止めてくれるのかしら?』
『どうって、単に貴女が皆に言わないようにしてくれれば』
『あらん、駄目ね。口約束なんて破られるものよ?』
『自信満々に言わんで下さい。……それなら――』
『ふふ……目を閉じればいいの、星?』
返事の代わりに、私は聖の柔らかな唇に、に、――っきゃー!!
って、だめよだめよ星、ちゃんと貴女がリードを取らないと!
場所はちゃんと星空の下で、時間はお子様が眠る二十一時!
月明かりに照らされた聖の頬は微かな赤みを帯びていて、あぁんもぉ!
――……う、ねぇ、………。
ふふん、舐めないで、この‘毘沙門天の弟子‘に抜かりはないわ!
今のはパターンQ『満天の星空だけが見ていた』!
パターンはAからzまであるんだから!
――……ーう、もう、ねぇ、しょうってば!」
「因みにzの読みはゼータで今なお新たにη(イータ)を考えうわおぅ聖!?」
ぜんっぜん気付かなかった。
声のした方に視線を向けるも、もうもうとした埃に遮られ聖の顔が見えない。
どうやら、弾みにより手で畳をぶち抜いてしまっていたようだ。
あー……ムラサ、ごめんなさい。
持ち主に頭を小さく下げ、戻すとそこには聖の顔が。
「――! ち、近い、近いです聖!?」
一瞬の間に、聖は距離を詰めていた。
ふと、見上げ、疑問に思う。
私は何故、見上げている?
答えを思いつくよりも先に、聖が笑いながら、言う。
「不思議? ふふ、私も此処では背の高い方だけど、貴女の方が上だものね」
その通りだ。
私自身、背の高さは認識している。
あぁ、そうか、聖は膝立ちになっているのか。
……え?
「聖、あの、それは」
「先に聞いていい?」
「あ、はい」
もやっとした何かが頭をよぎった。
同時に、辺りを見回しながら聖が首を傾げる。
何かは形になる前に霧散してしまい、ならばと私は彼女を促した。
「貴女とナズの大きな声、続けて鳴った弾幕音、不思議に思い来てみれば、もうもうと立ち込めるけむりんりん」
「言葉に節をつけるのは構いませんが、‘りんりん‘は正直どうかと思」
「何があったの?」
きっちりと視線を合わせながら、聖は尋ねてきた。
うん。
あのですね。
それはですね。
貴女にでこちゅうしたいと綴ったノートを皆に見られて私が舞い上がっちゃっただけです。
……言えるかぁぁぁ!?
心で絶叫しつつ、私は努めて冷静に言葉を返した。
「ちゅっちゅしたい。したのくむぐぅ!?」
「なんだか珍しく下世話な方に混乱しているようね」
「ふふ、聖、こう言う時は手ではなくて額で塞ぐものですよ」
何言ってるの私。
「違、そうじゃなくて、あの!?」
取り乱し、ろくに意味のある言葉を口にできない。
そんな私の髪を、聖は両手でかき分けた。
そして、静かに続ける。
「それに、おでこ。
赤いわよ、星。
どうして?」
短い区切りは、恐らく私の為だろう。
解答を考える時間は与えられた。
だけど、あぁ、聖。
「……単に、私が騒いでいただけです。申し訳ありません」
全てを応えられない弱い私を、許してください。
「痛いの痛いの、飛んでけー!」
でもそんな方向のお許しは望んでいないな星さんは。
「あぁもぉ! 両手を広げて満面の笑顔で言ってるんじゃありません!」
「え、実は痛くなかったの? それとも効かなかった?」
「そも痛くありませんでしたが痛くなりました!」
額ではなく頭だが。
払われて目にかかった髪を整えながら、少し非難の籠った視線を聖に向ける。
彼女の表情はそのままだった。
なんだその笑み。
「そ」
「です。聖、貴女はこの命蓮寺の……え?」
「じゃあ、初級魔法じゃなくて、中級魔法を使ってみるわ」
目を細め、口元を薄く伸ばし、言う。
白い指がするりと髪を分ける。
囁く声は、ほぼ零距離。
「‘中級‘……?」
「ん、ちゅ……」
「――!?」
唇が、押し当てられた。
柔らかくて。
温かくて。
優しくて。
私は、何も考えられない。
「なんでもかんでも貯めこんじゃう。
ねぇ、星、貴女の癖よ。
知っていて?」
唇が離れ、代わりに額を合わせられる。
種類の異なる髪質が頬を擽った。
さらり、ふわり。
「そんな貴女だから、ナズも慕い、強がるのでしょうけれど――ふむ」
唐突に区切られる言葉。
けれど、無言は一瞬だった。
何かを思いついた聖は、何時ものように続ける。
「――ふふ、そうね、言われてみれば、私の是も癖なのかもしれないわ」
つまり、視線を合せ、彼女はそう言ったのだ。
………………。
…………。
……。
え?
確かに私はそれを癖と指摘した。
しかし、聖には言っていない。
そも口に出した事もない。
と言う事は、だから……え?
考えが纏まる、その直前。
何時の間にか立ち上がり移動していた、聖の声が届く。
障子を閉める間際、彼女は、私が癖と記した行為を続けつつ、問うてきた。
「私とでこちゅうしたい、じゃなくて、私にでこちゅうしたい、だったかしら?」
パチン、とウィンク一つして、聖は去って行った。
えと。
んーと。
要するに。
……読まれてた?
「ひ、ひじ、うわ、あぉ、ぇう……?」
結局後に残されたのは、嬉しいやら恥ずかしいやらよくわからない感情に悶えて絶叫をあげる私だけ、だったとさ。
――うにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっっっ!?
<了>
ナズぬえもアリですね
ボケボケなだけじゃないよね。それがいいよ。