朝、目覚め。
起きようと体を動かしたら、入ってくる冷たい空気。
「さむ……」
思わず布団の中にまた引っ込み、霊夢は呟いた。
少し冷えた爪先を布団に擦り付けて、布に残る熱を皮膚に移そうとする。
暖かな布団の中。
ぬくぬくゴロゴロするのは、正直きもちいい。
そこで、ふと。
気付く。
「さむ……」
布団の中に潜るのが、気持ちのいい時期になってしまったんだな、と。
「……さむ」
霊夢は布団に包まって、小さく呟いた。
もうじき、冬が来る。
寒い寒い、冬が。
【 冬と秋の境界 】
随分と冷たくなってきた風が、素肌をなぜる。
健康的な豊かな黒髪が、その髪を結う赤いリボンと一緒に揺れた。
紅白の裾も一緒に揺れて、足元からも指先からも不意打ちに寒気に、熱を奪われる。
空が澄んで、雲が高い場所を飛んでいる。
日差しはまだこんなに暖かいのに、でも、風はもう、冷たい。
「……さむっ」
黄と橙と赤に染まる遠くの山を見つめ、一つ零す。
持った竹箒の先には、茶色く枯れた落ち葉がかさりかさりと乾いた音を立てた。
もうこんな時期。
もう、こんな季節になってしまった。
「うえー」
「……穣子、しっかり」
そう。秋を司る二柱の神が、神社の石畳でかなり低いテンションでうだうだする季節に。
(……ウザい)
霊夢は溜息を吐きたい衝動を抑えながら、硬い石畳の上でローテンションでうだうだする神様の方に視線を向けた。
「だってぇ……ぐずっ……おねえーちゃん、だってぇ……」
「う、うん。気持ちは分かるけど……」
神社の石畳の上で、ゴロゴロだるだるとしている穣子を、姉の静葉が傍にしゃがみ込んで宥める。
しっかり者の姉はしかし、困った顔をしているだけで、駄々を捏ねる妹をどうこうしなかった。
「あんたら掃除の邪魔よ」
そんなダレている神様に、霊夢は冷たい声音で言って竹箒を投げつける。
しかも竹箒は穣子の額にピンポイントでクリティカルヒット。
流石の神様もこれには冷たい石畳の上で悶絶ローリングするしかなかった。
「痛いってレベルじゃねーわよ、この怠惰巫女!! あたしじゃなかったら死んでる一撃を平気で出すんじゃないわよ!!」
「あんただからやったんでしょう。いいからさっさとどっか行きなさいよ」
冷たい視線を放られ、しかしどこか我関せずな態度の巫女。
だが、そんな霊夢の態度と言葉が、鬱になりかけていた穣子のテンションを逆に引き上げた。
「いいのね!? ほんとにいいのね!?」
強い声で、豊穣を司る神が霊夢に叫ぶ。
「どっかいっちゃってもいいのね!? あんたはほんとにそう思ってるのね!!?」
「み、穣子っ、やめなさいって……」
その勢いのまま、穣子は霊夢の胸倉を掴んで引き寄せ、強い声を浴びせた。
そんな穣子を静葉が懸命になって止めようとするが、穣子は止まらなかった。
「アンタいいっていうのね! 秋が終わっちゃってもいいって、そういうのね!?」
強く睨み、強く言葉を吐き出し、剥き出しの感情をぶつけてくる穣子に霊夢は眉根を寄せる。
小さく呟いた言葉は、自分で思っている以上に低い声で、どこか揺らいだ声だった。
「秋が終わったらっ……秋が去れば……」
「……黙りなさい……」
「秋が行けば、冬が来る! なのに……なのにあんたは終われと、そういうの!?」
「穣子もうやめなさいっ!」
止まらない穣子を、静葉が後ろから羽交い締めにして霊夢から引き離す。
だが穣子は「おねえちゃんは黙ってて!」とその腕を振り解き、霊夢にまた掴みかかった。
静葉は痛そうな顔をしていたが、そう言った穣子も、痛そうな顔をしていた。
秋はただ、必死だった。
「このアホ巫女! いくじなし!! 淋しいの一言も言えないくせに、さっさと終われなんていうなっ!!」
「っ……あんたに何がわかんのよ!!」
霊夢の顔が、痛そうに歪む。
寒い寒い、さむいんだと、とても寒そうに。
悴んだカラダがイタいと、そういうように、歪んだ。
「わかんないわよ、意気地なしの怠惰卑怯巫女様のことなんて! わかりたくもない! あたしは秋が去ったら淋しい。お姉ちゃんとずっと一緒にいれなくなったらさみしい!!」
「あたしはっ……!」
何をいおうとしたのか。
霊夢ははっとなって口を閉じる。
また冷たい風が通る。
冬の匂いを纏った、風が。
「……あた、し……は……」
小さく呟いた声は、震えていた。
ほんとは、霊夢だって気付いてる。
こんなところで、この秋の神がぐだぐだしている理由を。
霊力を消費しながらもなお、こんなところでぐだぐだしてくれている理由を。
穣子は項垂れてしまった霊夢から、乱暴に手を放した。
そして背を向け、飛び立った。
随分と高くなった、空に。
「……ねぇ」
まだそこに佇んでいた静葉が、霊夢を見つめる。
秋の空のような、少し淋しげな瞳で。
「秋はもう直ぐ終わってしまうから……だから、私達も寂しいの。穣子だって強がってるだけだから、許してあげて?」
「……そんなの……知ってる……」
風が寒い。
空気が冷たい。
もう秋の馨は、薄い。
「もうじき秋が終わって、冬が来て……そうやって季節は巡る。留めておくことはできない」
静葉は少しだけ苦笑して、霊夢の頭を一度だけくしゃりと撫でた。
「冬がきたら春が来るんだよ。ね? だから淋しいとか辛いとか、寒いとか、言えばいいのよ。だって寒いのが冬だもの。貴女にとっての『冬』がそれなら、おもいっきり言えばいい」
「……なによ、それ……それでどうなるっていうのよ?」
「さぁ? ただ、私はそれも四季の楽しみ方の一つだと思ってるだけ」
静葉は控え目だが楽しげに笑うと、とんっと地面を蹴って空に舞った。
「明けない夜がないように、終わらない冬はないよ」
寂しさと終焉の象徴は、その二つ名に似合わない穏やかな笑みを浮かべて妹と共に飛んで行った。
「……うっさいのよ……そんなの、知ってるわよ……」
――――だから、なんなのよ。
霊夢は唇を噛んだ。
風に乗って、冬の足音が聞こえる。
空気が冷たい。
指先が冷える。
足先が冷える。
「……っ」
冬は嫌い。
寒くて、冷たくて。
「さむ、ぃ……」
冬はキラい。
だいきらい。
だって。
「――――さむいの?」
ふわりと包まれた。
冷えた体を、後ろからそっと抱き締められる。
「……うっさい」
強がり。
意地っ張り。
それが自分。
だから口からそんな言葉出る。
弱い声音で。
「……あたためて差し上げましょうか?」
「っ……うる、さ……ぃ……」
弱い弱い声で、辛うじていう。
耐えるように握った拳が痛い。
季節は巡る。
夏は終わり、秋は去り、冬が来る。
神でさえ、それを留めておく術は持たない。
「……霊夢」
「うっさい……うっさ、ぃ……」
穣子の強い言葉が脳裏に過って、静葉の言葉が蘇る。
寒いのなら、言えと。
でも言ってどうなる。
何が変わる。
冬は冬のまま、寒いままなのに。
何も、どうすることも、できないのに。
もう直ぐ冬が来る。
さむいさむい、冬が。
「っ……ゆか、り……」
抱き締めてくれた腕に、手を重ねる。
冷えてしまった手の平を重ねた。
そうすると、「んー?」なんて暢気な声が返ってきて。
それが憎らしくて悔しくて、重ねた手に力を込めた。
「さむい……」
「えぇ……」
寒い寒い、さむい。
ねぇ、分かってんの?
これから、寒くなるのよ?
「……さむ、い」
「そうね。もう随分と寒くなってきたわね」
違う、ちがう。
そうじゃない。
「っ……」
ねぇ、どうせわかってんでしょ。
不意に指が絡まる。
冷えた指と、冷え始めている指が絡む。
白くて細くて、形の良い指が、霊夢の指に。
「……冷たいわね」
誰のせいだ。
こんな風に冷え症にしておいて。
人をこんなにも寒がりにしておいて。
込み上げてくる感情に、必死に耐える。
その感情の名前をいうのは、あまりにも悔しくて。
だから霊夢はまた、「寒い」と小さく呟く。
“名前”を言ってもらえなかった感情は、行き場に困って涙腺へと流れた。
視界が滲む。
悔しい。
こんなことで、こんなことで泣くのは。
寒い。
寒い。
さむい。
「さみ、し……ぃ……」
一度溢れてしまったソレを、止めることが出来なかった。
『さみしい』を、寒いという言葉で誤魔化して。
ほんとは何度も何度もいっていた。
でも、これからもっと言うんだ。
さむいと。
冬が嫌いだと。
さむいから、いやだと。
「そう……」
静かな声がして、頬に目許に柔らかな感触が降り立つ。
溢れた「さみしい」を、何度もキスで拭われる。
さみしい。
もうすぐしたら、あんたに会えなくなっちゃう。
「さみしい……さみし、ぃ……」
「えぇ……」
二度と会えなくなるわけじゃない。
分かってる。
春になれば逢える。
そんなの解ってる。
でも、違う。そうじゃない。
そうじゃないの。
逢えないってだけで、イヤなの。
「逢いに来るわ」
「嘘なんかいらない」
「嘘じゃないわよ」
「嘘吐きの言うことなんか信じられない」
「霊夢……」
困ったような声音。
耳元で苦笑した気配を感じ取る。
でも、嘘なんかいらない。
それが例え優しさであっても、ウソならばいらない。
欲しいのは、欲しいのは。
「逢いに来るわ。夢の中で」
「……嘘とホントの間をいうな」
むくれると、今度は耳元で少しだけ楽しげな気配。
夢の中じゃ嫌なのに。
その温もりを感じさせてくれなきゃ嫌なのに。
でも、逢えないのはもっと嫌だから。
「……いじわる」
不貞腐れて呟く。
夢での逢瀬。
そんな下らない夢物語を、きっとこの妖怪ならやってしまえるのだろう。
あぁ、でも。
(やっぱり、逢えないのは嫌だなぁ……)
また泣きそうになって、「さみしい」と呟く。
紫は「泣かないで」とは言わない。
意地悪だけど、でもきっと誰よりも優しいから。
ただ名前を呼んでそっとあたたかなキスをくれる。
冷えたカラダがじんと熱くなる。
もぞもぞと体を反転させて、向き合う。
冷たい風になびく金色の髪とか、常人離れした白い肌とか、深い深い紫紺の瞳とか。
穏やかな笑みを浮かべる、綺麗な形の唇。
全部見て、見つめて。指先でそっと触れる。
髪で隠れた耳の形をなぞるように指を滑らすと、その桜色の唇からくすぐったそうに吐息が漏れた。
紫の指が同じように触れてくる。
髪を掻き分けて、耳の後ろをくすぐられて。そうして紫の指は頬へと滑り、顎を掴んだ。
額に瞼に、目尻にこめかみ、頬、耳の下、頤、唇の端。顔中の至る所に、何度も唇が降り立つ。
慈しむようなキスが、嬉しくてこそばゆくて、そして恥ずかしくて。霊夢は思わず紫の鎖骨辺りに額をグリグリと擦りつけて顔を隠した。
くすくすと楽しげに笑う声が気に入らなくて、背中に腕を回してぎゅっと力を込める。
捕まえた。なんて、そう思った。
捕まえた。
だから逃がさない。
今だけは。……今だけは。
「……早く起きてくれなきゃ、浮気するからね」
顔はまだ隠したまま、半分脅したのつもりで呟く。
なのに紫は楽しげに「それは困ったわねぇ」と笑うだけだった。
その全然本気にしてない様子が悔しくて、「ほんとにするわよ!?」と顔を上げ、語尾を強めて言う。
でも、
「えぇ、どうぞ? できるものなら」
と余裕たっぷりの笑顔で突き返された。
「ほ、ほんとにほんとにするわよ!?」
「好きにすればいいじゃない」
「なっ!?」
「ふふ。良い機会じゃない。思い知ってきなさい」
――――私じゃないとダメだって。
最後、吐息で囁かれた言葉を耳の中に流し込まれて、頬が熱を持った。
(そんなこと……とっくに分かってんのよ……)
「っ、バカ……」
「ふふ」
楽しげに笑う紫が憎らしい。
悔しいのにやり返せなくて、それがもっと悔しくて、霊夢はまた紫の鎖骨辺りにおでこをくっつけた。
くしゃり頭を撫でられて、もう一方の手は背中に回って優しく抱きしめてくれる。
冷たいか、温かいか。
そう聞かれると、紫の手はきっと冷たいに入る。
でも、こんなに心地よくて、あたたかい手は他にない。
カラダの芯に、じんと熱を持たせる手。
霊夢は少しだけ俯きながら、紫の背中に回した手にぎゅっと力を込めた。
洋服に皺が寄っているだろうが、そんなこと知らない。
「……ちゃんと、逢いに来なさいよ」
夢の中でもいいから、逢いに来て。
悴むカラダを、あっために来て。
あんたがいないと、寒くて堪らないから。
紫は短く返事をして、霊夢を抱き締める腕にゆったりと力を込めた。
「……冬は、嫌い」
「そんなに?」
「そうよ、バカ」
あんたのいない時間は、全部『冬』って名前がついてるって、知ってるでしょ。
そんなこと言わなくても分かってるコイツは、「仕方ない子ね」とただ苦笑した。
もうじき、冬が来る。
寒い寒い、冬が。
(早く春になれ……)
まだ冬にもなっていない、秋の終わり。
秋と冬の間で、遠い春のことを祈った。
END
素敵な作品に出会えた今日に感謝
冬、雪の中。
突然湧いた温泉でゆかりんのいない淋しさから冷えた身体を温める霊夢の前に、冬眠したと思った彼女の訪れ。
嬉しくはあるけど、それは幻想郷の異常事態に発展する危険へのことゆえで、
自分のためでは無いことに少なからず割り切れなさを感じたまま、地底に向かう霊夢。
とは言っても、サポートされる嬉しさはやっぱりあって、そこでさとりんに心を読まれちゃうわけですね!!
ゆかれいむが俺のロォォードォォォ!!!!!!!
愛してる!!!!!
ゆかれいむ補給して、また頑張れる。
さみしい=寒いでごまかしてる霊夢とゆかりんの包容力がドツボにハマりましたw
ゆかれいむさいこーー!!!