悪い夢を見た。
私は昔からエキセントリックな夢をよく見る方だった。それは私にとってこの退屈な世界に対する無意識下での抵抗であったのかもしれないし、単にそういう夢を見やすい脳の仕組みをしているだけなのかもしれない。
しかし、それにしても今日のは酷かった。最悪だ。
自分の顔を鏡で確かめる。電気をつけなくてもわかるぐらい目の下は黒く腫上がっていたし、頭は二目と見れない程ぼさぼさだった。
全く酷い有様、と自分を笑ってみると、鏡の中の女にまで馬鹿にされたような気がして私は少しイラっときた。鏡の中の少女も仏頂面を作る。
さらに、いつの間にか自分の指が唇に当たっていたのに気付いて、私たちはますます不機嫌な顔になった。
苛立ちを払うようにカーテンを開けても、暗闇が圧し掛かってくるだけだ。時計を見ると、午前二時十三分。
寝不足はお肌の大敵、なんて事を言う気はさらさら無いが、起きるにはあまりに早すぎるのも確かだ。
なら、そう、学校にでも、行ってみようか。
「……それはない、か」
わけがわからない事を考える自分の頭を枕に打ち付けて、さっさと寝直すことにする。
次に見る夢は愉快な夢だといい。少なくとも、途中で飛び起きるような夢はごめんだ。
しかし、薄く澱んだ睡魔は、いつまで経っても私の意識を奪わない。イライラする。頭を掻き毟りたい。
羊でも数えてみようか。いや、そんなものが意味のないことくらい知っている。
羊を数えるぐらいなら蛙でも数えた方がまだマシだ。
そう。退屈だ。学校に行っても誰も私の話を聞いてくれない。
幻想郷の話だって、神奈子様たちは聞かせるだけ聞かせていつ行くのかもわからない。
さっきの夢にしても、灰色の校庭で、学友達が私を囲んで、私に向かって何かを叫んだり、何人かでヒソヒソ話したり、……そのくらい私が気づかないとでも思っているの?
……いけない。考えが安定しない。
睡魔は私の意識までは奪わなかったが、思考力だけはちゃっかり奪い去ったようだ。
嫌な気分。大体何よ睡魔って。偉そうにして。絶対私のほうが偉いわ。魔を払う仕事をしてるもの。
何だか眠ったら負けるような気がしてきた。いや、寝たら勝ちなのかしら。まあ、どっちでもいい。とにかく私の勝ち。勝ちだから寝る。おやすみなさい。明日も天気が良ければいいなぁ。
目を瞑る、笑い声、ヒソヒソ声、叫び声、気にしない、冷たい、蔑んだ、私を見る、目、あの人の……
何なのよ。
私はそう呟きながら掛け布団を跳ね除けた。
もう少しで眠れそうだったのに。またしても学校か。丑三つ時だからって私に呪いでもかけてるんじゃないだろうか。
私は学校があるであろう方向をなんとなく睨んでみる。壁しか見えない。
はぁ、もういっそこのまま起きてた方が楽かもね。少なくとも嫌な夢は見ないですむし。
暫く壁を睨みながら悩んだ後、その考えに至った私は、布団の上に膝を抱えて座り込む。幸い考える事は山ほどある筈だ。
明日は神奈子様にもう少し幻想郷について聞いてみよう。あの学校とも、もうすぐお別れかもしれない。でも、そんなに寂しくはないや。
幻想郷には何を持っていこうかなぁ。服や本、ゲームなんかもできれば持っていきたいけれど……。そもそも持っていけるのかしら。異世界だのなんだのに行くときって、大体の主人公はその時の服装で、何も持っていかないような気がする。
もしそうなら、せめてその時手に持ってるものくらいかなぁ。
じゃあ何を持っていこう、実用的なものにしようか、思い出深いものなんてあるかしら。
アルバムとかが第一候補かな。あとは……うーん、結構大切なものっていっぱいあるかも……。
幻想郷の生活水準とかどうなっているのかしら、電気があるならゲームも持っていきたいし。あ、電気といえばトイレとかどうなってるんだろう……。その辺も明日詳しく聞いておかなくちゃ。
あとは……
考える内容の九割方は幻想郷関係だという事実に気付いたのは、日が昇り始めた頃のことだった。
軽くシャワーを浴びて制服を着こんだ後、髪の毛を乾かしながらぼんやりと鏡を見つめる。
こびりついた悪夢はシャワーでも洗い落とせなかったが、澱み詰まっていた睡眠欲求は今更のように脊髄に落ちたらしく、体中の血液が眠気で重くなっていた。
派手な音を立てるドライヤーを手放して、化粧台の上に倒れこむ。
まったくもって気分は最悪。二日目の朝にも勝る。学校になんか行きたくも無い。どうせ退屈で怠惰で平凡で日常だ。
しかし、クラスのみんなと過ごす時間も残り少ない。できるなら、後悔はあまりしたくない。
思い直して顔を上げると、まだ目の下にうっすらクマが残っているのに気付いた。
あれだけ揉んでも洗っても温めても冷ましても取れないと言う事は、メイクでもして誤魔化すしかないだろう。一応それ用のコンシーラーも持ってるし……。
そこまで考えて、再び上半身が力を失う。口からはまるで誰かのようなため息が漏れていた。ろくに休息できなかった脳の回転数は未だに鈍く、メイクなんて面倒な事したらそれこそ途中で止まってしまいそうだ。
……止めとこ。学校に行くぐらいなら、別に何てこと無いわ。
そう納得してもう一度顔を上げ、髪の毛をそれなりに整えていつものように髪飾りをつける。
鏡の中に現れたのは、いつも通りの格好の、いつもより少しばかり野暮ったい自分の顔。
学校に行くぐらいなら、別に全然問題ないわよね。
よし、いざ出発!
しかし、突き上げようとした私の右手は滅多に使わないファンデーションを取り出し、顔中に塗りたくっている最中だった。
昨夜の事もあって、鏡の中で私を見つめる女の顔が無性に腹立たしかったのだろう。それなら仕方ない。
ついでに最近代わり映えのしない髪の毛にも何だか苛ついてきて、髪型を変えることにした。
誰か、髪型について何か言ってくれるかしら。
鏡の中の女はそんな私を馬鹿にしたような目で見つめていたが、やがて諦めたように薄く笑うと、髪の毛を後ろにまとめ始める。
なかなか斬新な髪型の出来に満足した私は大きく頷くと、今度こそ右手を高く突き上げ、そのままの勢いで家を出た。
しかしいざ外に出ると、睡眠不足の頭に四角い朝日が直撃し、危うくその場に座り込みそうになってしまう。
私は特に朝が嫌いなわけではないのだが、どうやら今日はその限りではないようだ。
せっかく髪型を変えたんだと、必死で自分を励ました。
私はライオンも怯えさせるぐらいの気迫で、薄い水色の空を睨みつける。
太陽め、近いうちに奇跡で撃ち落としてあげようか。
物騒な決意を心に秘めながら、気を取り直してアスファルトの上を歩き出した。
鈍い身体に鞭打って、いつものようにきびきびと。
幻想郷にもっていくのは、ゲームソフトにしよう。不意に私はそう思った。
私の存在を、しっかりとこの世界にも残したい、誰も見てないけど、みんなそうなのかもしれないけど、私はこんなにがんばっているんだから。
だから、アルバムも、服も、日記も、全部持っていかない。よくやったゲームのソフトを一つ、持って行くことにしよう。
マリオとワリオ、うん、あれがいい。新参者の私が、一味違うってことを幻想郷のみなさんに教えてあげよう。
新しい場所で、ワリオと一緒に、マリオに立ち向おうと、私は誓った。
でも結局、電気は通ってないからできないゲームたち。
あとがきの早苗さんのなげやりっぷりにワロタ
悪い夢を見た。