「ご主人様。ちょっとチュウでもしてみないかい?」
「ちゅ、チュウ? チュウチュウトレインですか」
「なにをぐるぐるまわってるんだいご主人様。ひとりEXILEしてもむなしいだけだよ。チュウといえばあれだよ。一般的に言うところの接吻というやつさ」
「ほわッ。ななななななにをおっしゃるのです。ナズーリン」
「だめかな? こう見えても私は愛玩動物としてはそれなりに人気があると自負しているところなのだが……。ほーら、影絵で遊ぶと少しばかり危険な香りがするだろう。特に耳のあたりが」
「は、はわ。夢の国から黒服さんが来そうです」
「私の耳、まるっこくてかわいいだろう?」
「そ、そりゃナズーリンは世界で一番かわいいですとも。し、しかしですね。仏道には劣情を抱いてはいけないという掟があります」
「ふうん。劣情ね。劣情……ねぇ。劣情を私に対して抱いてしまったわけだね。ご主人様は」
「こ、言葉の綾です!」
「ふふん。どちらでもいいさ。そういうのは人間に対しての教えなわけだしね。それにご主人様はまさに仏様じゃないか。私を涅槃へと導くというのも立派な仏の勤めだよ」
「わ、わわわ、しなだれかかってきてる。ナズーリンの小柄すぎる体が私の身体に密着、パイルダーオン!」
「ご主人様っていい匂いだな。とてもワイルドな匂いがするよ」
「ナズーリンもいい匂いですよ。本能の赴くままに食べちゃいたいぐらいです」
「では、私を法悦へと導いてくれないかな。ふふ……」
「あわわわわわ」
誠に野蛮で、性欲全開であるッ! いざ、南無三ーッ!
絶叫して飛び起きた。
こおろぎの鳴き声が遠くに聞こえてくる秋の夜のことである。
寅丸星はこう見えても仏の代理。ナズーリンとは部下と上司の間柄である。こんなエロい夢を見た自分が信じられない。
「ナズーリンがかわいいのは百も承知ですが、しかし、これはあまりにもひどいです。ただの夢とも思えません」
したたり落ちる汗をぬぐい、肩で大きく息をする。
いやな予感であった。
仏の見る夢は人間には知りようもない因果の必然を鳥瞰することがある。
人間が知りえる最高の必然はせいぜい天候と星の動き程度のことであるが、仏の宇宙的な認識は人間には偶然としか感じられない事柄も必然として捉えてしまう。
つまりは、今の夢は予知夢なのではないかと思った。
果たして、そうなるのだ。
朝。
ちゅんちゅんと雀が鳴く頃。
いわゆる朝チュンな時間帯。
ナズーリンがトコトコと小さな足音と響かせてやってきて「ご主人様」と伏せ目がちに口を開いた。
「な、なんですか」と星は恐れながら答える。
なにしろこれから何を言われるかだいたいわかっている。
「ご主人様とは長い付き合いになるけれど……もしかして、私はご主人様のことが好きなのかもしれない」
「ほあッ! 何を言うのです、ナズーリン。意味がわかりませんよ。悪い冗談ですか」
「冗談!? 哀しい認識だね。それは。私はこんなに真面目にご主人様に告白しているというのに」
「こ、こ、こっ」
にわとりのような声を出すしかなかった。
告白だなんて。
仏になってから一度もされたことはない。
しかも、かわいいかわいいナズーリンにされたことなど、まったく無いといってよく、むしろ呆れられたり、冷たい視線で見られたり、ハァと盛大な溜息をされたことのほうが多かった。
「あの、ナズーリン……」
「なんですか」
「告白というと、罪の告白とかそういう類で?」
「違うよ。告白といえばあれだよ。好きな人に対して好きという気持ちを伝えることさ」
「は、はは。ははははははは」棒読みのような笑いをこぼした。「面白い冗談を言えるようになりましたね、ナズーリン」
「冗談じゃないですよ。ご主人様」
「ううう、なんの冗談ですか」
「冗談ではなくね。性的な意味で愛してるって言ってるんだよ」
「はわーッ!」
ボンッという音をたてて、星の脳内回線が焼ききれた。
「ご主人様。『イエス』か『はい』か、どちらか答えてもらおうかな。端的に言おう。私と付き合ってもらいたいのだけれど」
「選択肢が最初から無い!」
「ご主人様には選択肢どころか拒否権もないけどね」ナズーリンが薄気味悪い笑いをこぼす。「いいかな。ご主人様」
ちょうど座っているときだったので、さすがにナズーリンが寺の中で一番小柄でも、星より高い位置に目線があった。
そして、見下ろされるかたちになる。
星は無言のまま涙目になりつつコクコクとうなずいた。
どすの効いたナズーリンにはいつもより迫力が感じられたのである。
さて、なぜナズーリンがいきなり星と付き合うなんて言い出したのか。
これには深いわけがある。
ナズーリンは自分の立ち位置をよく理解していた。聖のような人望もなければ、星のような仏としての力もなく、一輪のような戦闘力もなければ、村紗のような船を操縦する能力もない。
ないないづくしのナズーリンであるが、その弱さゆえに自分はマスコット的な役割を果たせるのではないかと思っていた。
もちろんちょっと生意気なところがあって、プチカリスマ的なところもあるのだが、やっぱり実力的にはよわっちぃので、どちらかといえばツンデレキャラ的な?
本当は弱いのだけど強がってる系のかわいさがあるのだと思っていたのだ。
例えば、朝ご飯の時間。
まっさきに食べ終わったのはナズーリンである。
「おなかすいたな。私の子鼠もおなかすいたと言ってるし。これは台所をあさる必要があるかもしれない」
「あー、鼠ってよく考えるとずっと食べてないと死ぬんだっけ?」と村紗船長。
「まあそれは極端な話だがね。新陳代謝が良すぎるというのは本当の話だよ」
「あなたって身体小さいものね。よかったら私の作ったカレー食べる?」
「パルメザンチーズもたっぷりかけてくれると助かるんだが」
「わかった。わかった。ナズーリンはチーズ好きだもんね」
「君のカレー好きほどではないさ」
「あら、ナズーリン。おなかすいたの?」と一輪。「育ちざかり?」
「まあそうとも言うかな」
「じゃあ、私のたくあんあげるわね」
もともと少食な仏教徒としての食事をこなす一輪であるが、その少ないなかからの施しだった。
「いいのかい。君の分が少なくなってしまうわけだが」
「どうぞ」
「よければ、パルメザンチーズをたっぷりとかけてくれると助かるんだが」
「はいはい」
次は聖である。
左右からナズーリンが食事を分けてもらっているのを目ざとく見つけて、対角上にいた聖は座ったまま膝で移動した。
「もしかして精進料理では足りないの?」
「足りないわけではないのだが、人よりも消化が早くてね」
「あ、もしかして太らない体質ってやつね」
「太る前にものすごい勢いで消化してエネルギーに変えてしまうからね」
「私のも食べる?」
「聖は封印がとかれたばかりでおなかがすいているだろう。悪いよ」
「いいのよ。私のようなおばあちゃんよりも、若いあなたのほうがずっと食事が必要でしょう。ほら、ナスの味噌漬けなんてどうかしら」
「パルメザンチーズ」
「はいはい」
最後は星。
ナズーリンは物も言わずに星のほうへと歩いてきた。
「あー、もしかして、まだ足りないのですね」
星はなぜか嬉しそうに顔を輝かせていた。トリを飾るということに対する嬉しさがあったのかもしれない。
あるいは、ナズーリンに施しをすること自体が、小動物に(実際に小動物であるが)えさを与えるような楽しさがあったのかもしれない。
しかし、ナズーリンはにこりともせずに、星の食台の上の食べ物を箸でつつき始めた。
「あ、あの、なにをして……」
「ご主人様、食べ残しはよくないな」
「はは、ありがとうございます……」
とりあえずご飯の上にチーズが乗っているチーズご飯を食べつつ、ナズーリンは自らのマスコット的な役割に概ね満足していたのである。
しかし、ナズーリンの安然とした生活も長くは続かなかった。
原因ははっきりしている。
『封獣ぬえ』
彼女が命蓮寺に弟子入りしたせいである。ぬえは平安の時代から長らく生きてきた妖怪ではあったものの、妖怪の精神年齢は生きていた年数と必ずしも一致しないところがあって、ぬえの落ち着かない雰囲気は、まさに少女のそれであった。
寺組のなかでは、聖や星は言うまでもなく、一輪も仏教徒として落ち着きがあるように見られるところであるし、村紗も同じく船長としての役割からか大人としての雰囲気をまとっているところがある。ぬえは自由奔放に生きてきたせいか、精神年齢が若干幼い。
そのせいか、ナズーリンのマスコット的な地位が脅かされているのである。
そしてナズーリンは考えた。
なんらかの地位保全のためのテコ入れが必要である。
ひとまず最も篭絡がたやすいであろう星にターゲットを絞り、恋人的な役割を果たすことで自らの存在価値を高めようとしたのである。
「ご主人様。スティックチーズゲームしよう」
「なんです。それ」
「ここに棒状のチーズがあるだろう。はいあーんして」
「あーん」
ナズーリンから差し出されたチーズの端っこをくわえた。食べようとするとナズーリンに止められる。
「あ、だめだよ。ご主人様。そのままの状態でなくちゃ」
「わわひまひた」
「さて、この状態で私がこちら側をくわえる」
はみ、と小さい音を立ててチーズの端に口を添えた。
「チキンレースの一種だよ。ふたり同時にチーズを食べはじめて先に口をそらしたほうが負けというゲームさ」
「それだと最終的にはアレなことが起こるのでは!」
星は顔を真っ赤にしてチーズから一端口を離した。今度はナズーリンがくわえていたおかげでチーズは落下せずに済んだ。
「ほら、ご主人様。ちゃんと口につけてないと」
煙草のようにチーズを人差し指と中指にはさみ、そのままの状態で無理やり星の口元に近づける。
「む、むむんぅ」
「ほらほら、ちゃんとくわえて」
「や、やめてください。やりますから。ちゃんとやりますから」
「よーし、いい子だ。ご主人様」
もはや誰がご主人様かわからない傍若無人な態度である。星はハァハァと大きな息をしつつ、「んくっ」と唾を飲みこみ、ようやくくわえなおすことに成功した。
ナズーリンは怖いぐらいの顔でスティックチーズゲームの続きを始めた。
その後どうなったのかは仏のみぞ知る。
「はぁ、しかし、最近のナズーリンは変ですね。突然付き合いたいとか、いままでさんざんいっしょに過ごしてきたでしょうに……」
「あ、星」ぬえが偶然通りかかったようである。「聞きたいことがあるんだけど」
「なんですか?」
「情けは人のためならずって言葉の意味なんだけど……」
「ああ、それはですね――」
星がおもむろにありがたい言葉を唱えようとした矢先、
「ご主人様に五メートル以上近づかないでもらえるかな。正体不明」
「あん? どうしたの。怖い顔して」
「ご主人様に近づきすぎるなと言ってるんだ」
「こらこら、ナズーリン。どうしたんです。そんなに怖い顔して」
「ご主人様は黙っていてもらえるかな」
「いえ、そういうわけにもいかないでしょう……。何を怒ってるんです」
「怒ってなんかいないさ。私は正当な権利を主張しているだけでね」
「正当な権利?」
「私はご主人様の恋人なんだろう」
「ごほっごほっ。それは遊びだと思っていました」
「遊びじゃないよ! あのとき、ご主人様は私の告白を受けいれて、うなずいただろう」
「むしろ、泣きそうな私を脅迫して、無理やり承諾を迫ったような」
「嘘をつくと地獄に落ちるよ」
「いや、仏ですし、地獄に落ちることはそうそうないと思いますが……」
「ともかく、私はご主人様の恋人なんだよ。正体不明」
「ああん。新手ののろけってやつなの? これが」
「そうだ。わかったらさっさと聖のおっぱいにつっこんで来い」
「しかたないな。わかったよ。じゃあね」
「ふぅ……、危ないところだった。やつの侵略をここで食い止められて本当によかったよ」
右手で額の汗をぬぐい、ナズーリンはほっと一息ついた。
「いやー、そのナズーリン?」
「なんです?」
「その、私を慕ってくれるのはありがたいんですけれども、いったいどういうことなんですか」
「ご主人様は黙って私の恋人でありさえすればいいんだよ」
「そういうわけにもいかないような気がしまして」
「ご主人様が大事な宝塔をなくしたときに見つけてあげたのは誰だい」
「ナズーリンです」
「ご主人様が朝起きれないときに起こしてあげてるのは誰だい」
「ナズーリンです」
「ご主人様が銭湯いって着ているものをうっかり全部なくしてしまったときに、さらにうっかりを重ねて全裸で外にでていこうとしたときに、服を見つけてきて衆人の前に恥ずかしい姿を晒すのを未然に防いだのは誰の功績かな」
「ナズーリンです……」
「ご主人様が、めがねめがねってしてるときに、頭の上にあるでしょといつも指摘してあげてるのはだれかな」
「なず……、ち、違うでしょう。それは。私はめがねかけてませんし」
「ともあれ、おおかたご主人様のすべてをお世話しているのは私なんだから、ご主人様は私の言うとおりにしておけばいいんだよ」
普通だったら怒ってもいいレベルの暴言である。
しかし、星はまったくといっていいほど怒りを感じていなかった。
むしろ、ナズーリンが何かよくわからないが焦っている様子が感じられて、むしろ哀れみのような感情を抱いたのである。
「ナズーリン。傍に寄ってください」
「う。ん? 藪から棒だね。ご主人様」
「私とあなたは恋人どうしなんでしょう。だったら傍に寄って欲しいのです」
「わかりました」
とっとっと、と小さい足音を響かせて、ナズーリンは星の隣に座った。
距離は五十センチも離れていない。
すっと、星の腕が伸びた。まるめこむようにしてナズーリンの頭を抱いた。
「もしかして、寂しさや孤独を感じていますか。ナズーリン」
「……」
「八苦のうちのひとつに、求めるものが得られぬことがあります。今のナズーリンは、まさにその苦しみを感じているのではないかと思いまして。あ、でも勘違いかもしれません。私はナズーリンが言うようにうっかり屋さんですし」
「違うよ」
「え?」
「ご主人様はいろいろと優しすぎるんだよ。ああ、もう恥ずかしいな。仏様じゃなくて、長年つれそってきた恋人みたいな心境で聞いてくれると助かるんだけど」
「ん。はい、よくわかりませんがわかりました」
「私はね。こう見えてけっこうご主人様に甘えてる部分があるんだよ」
「むしろ私のほうが甘えさせてもらってますが」
「いや、物理的に助けてることがじゃなくて、助けてあげてるという気持ちにさせるところがご主人様にはあるからね。ぜんぜんえらぶらないし、すぐ泣くし、うっかりだし」
「ひどい言われような気が……」
「でも――、ご主人様をお助けすることで、ちっぽけな優越感なりを満足させてる気分になってるわけだ。そういう心境があるのに気づいていながら、自分をだましてる部分があってね。それって、とても苦しい感じがしないかな」
「そうかもしれませんね。どうすればあなたを救ってあげることができますか」
「さあ。わからない。仏様にもわからないんじゃどうしようもないね。結局、私はご主人様に依存しっぱなしということなわけだから依存してるのをやめればいいわけなんだけど……、誰かにとられると思うと我慢ならない」
「それで、ぬえのことを怒ったんですね」
「かいつまんで言えば、そういうことになるかな」
「ナズーリン。大丈夫ですよ。大丈夫。あなたのことが一番好きですから。あなたが傍にいてくれることに私は感謝しているのですよ」
「まったく……、ご主人様は本当にネズミをダメにしてしまうタイプだね」
「いいじゃないですか。私にもダメなところがあるからお互いさまです」
ナズーリンはその言葉には答えを返さなかった。自分の中に言葉を染み渡らせようとしているみたいに黙っていた。
ふたりは『人』の字のように互いに重力を預けていた。
「ところで、ご主人様はご存知かな」
「なにがです」
「ネズミの鳴き声」
「ああ、それは――」
夢のなかの出来事が思い出されたのは刹那。
しかし、思い出されるよりもネズミの行動はすばやいものである。
要するに、予知夢はわりと短期間のうちに成就してしまったという話。ちなみに持続時間はたっぷり五分間ほど。チーズ風味である。
二週間後、多々良小傘が命蓮寺の門を叩いた。
愛らしい容姿、どこか間の抜けた言動、ドジっ娘属性、いじられ属性と、トップクラスの萌え要素を詰めこんだ、まごうことなきラスボスである。(マスコット的な意味で)
どたどたと廊下を走り近づいてくる足音が星の耳に届いた。
ああ、これは死亡フラグの予感。
思うとほぼ同時にがらりと勢いよく障子が開けはなたれる。
「ご主人様。抱いてくれ」
さすがに星は卒倒した。
甘すぎてパルメザンチーズがなければ卒倒してしまいそうだ!
甘甘甘……。
凄く甘くて素敵な話でした。
五蘊成苦も含まれている含蓄あるお話でした。
合掌。
すばらしい煩悩ダダ漏れの話だな。
毎度の事ながらあんたのえろさには敬服するぜ
なにこの搦手