「ちんちんかもかもって何かしら」
レミリアの口からその言葉がこぼれたのは、午後三時のティータイム中だった。
「今日は良い天気ね」とか「今日の夕飯はハンバーグがいいわ」とでも言うように自然に口にされたものだから、思わず咲夜は「今日の天気はハンバーグです」とか意味のわからない受け答えをしてしまいそうになってしまった。どんな天気だそれは。どんよりと曇った空から無数にハンバーグが降ってくるのか。次から次へと飛来する肉の塊。デミグラスソース弾幕。恐ろしい、主に洗濯物が増えるという意味で。
咲夜は首を振って今の想像を打ち消した。
「……?」
レミリアはメイドの奇妙な行動に小首を傾げながらも、とりあえず手にしたティーカップを傾ける。
「今日の紅茶はいつもとちょっと違うわね」
「少し趣向を凝らしてみました」
「なんて言ったかしら、このお茶。ダー、ダー……」
あと少しで思い出せそうなのに、あと一歩のところで出てこない。レミリアは歯がゆさを覚えた。
「ダー……」
「猪木ですか」
「違うわよ、なんで突如として午後三時のティータイムにプロレスラーの話題をリングインさせなきゃならないのよ」
「残機があれば何でもできる」
「ごり押しは私の性に合わないから駄目よ」
「アポォ」
「それは猪木じゃない」
そして似てない。
とりあえずその方達には早々に退場してもらい、ずれた話を元に戻す。
「この紅茶の名前よ。いつか前にも出してくれたことあったでしょう?」
「ああ、ダーリンですね」
「そうそう、そんな感じの名前……あれ、そうだっけ?」
「そうです」
きっぱり。
瀟洒な咲夜の顔には微塵の隙もない。
「そんな一昔前のアベックが喜び勇んで使いそうな呼び名だったかしら」
「お嬢様、アベックも充分一昔前の単語ですわ」
「うるさいな、話の本筋はそこじゃないでしょ!」
ダン!
レミリアは衝動的にテーブルを叩く。すると衝撃でティーカップが倒れ、中に注がれていたダーリン(仮名)がこぼれてしまった。
しまった。そんなに強く叩くつもりじゃなかったのに。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃあ……」
とっさに謝るレミリア。咲夜は変なところに細かいので、もしかしたら怒るのではないかと心配した。
案の定、咲夜はうつむき、ふるふると肩をふるわせ始めた。そしておもむろに手を体の前で構えると、
「アッポォ」
鳴いた。馬鹿にしているのか、このメイドは。
そして似てない。しかも似てないのに何で誇らしげな顔をしているんだ、むかつくなあもう。
「これ以上そのネタを引っ張るつもりなら、私の『不夜城唐竹割りレッド』であなたのメイド人生をリングアウトさせることも吝かではないわ」
「ごめんなさい」
早い。謝るの早い。まるで準備していたように綺麗に頭を下げる咲夜。しかも、綺麗に45度。惚れ惚れするくらいの謝罪っぷりだ。思わず褒めたくなる。いやならない。
気が付けばすでにテーブルにこぼれた紅茶はふき取られ、ティーカップには新たな紅茶が継ぎ足されていた。こんなところだけ完璧にこなすのが咲夜だ。
「……とりあえず話を戻すわ。なんて言ったかしら、このお茶。確か五文字だったような気がするのだけど」
「ダー」「ダーリンは四文字ね」
無限ループは怖いので、先に釘を刺しておいた。
「じゃあ『ダーリン☆』で」
「だから……え、なに、☆も一文字なの?」
「はい、『ダーリン☆』でちょうど五文字です。ご不満なら『ダーリン!』で妥協しましょうか」
妥協って何だ。
「私としては是非とも『ダーリン☆』を推したいところなのですが」
「そうね、『ダーリン!』だと別れ間際のぎすぎすしたアベックみたいで後味悪いわね。『ダーリン☆』で行きましょうか」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
一刻も早く会話を終わらせたかったので、適当に合わせて受け流した。その過程で一つの紅茶がこっぱずかしい名前に改名されてしまったが、それで困るのは紅茶農家の方々と命名神マリナンくらいなものである。とりあえず紅茶の名前がどんなものになろうと、レミリアは知ったこっちゃなかった。
カップに口をつけ、グイと傾ける。口に仄かな甘みと渋みが広がり、鼻からは豊潤な香りが突き抜けた。優雅なひと時。
「ああ、お嬢様とダーリン☆が熱い接吻を……私が見てる前だというのに……」
外野うるさい。
その言い方だと、真昼間から公園で人目をはばからずにちゅっちゅするアベックに聞こえるからやめて欲しい。
咲夜を無視して残ったダーリン☆をすべて飲み干すと、ほう、と思わずため息をついた。咲夜が。
なんで咲夜がため息ついてるの、どうして少し頬を上気させてるの。
「おいしかったわ、ダーリン☆」
「そうですか、とてもおたのしみでしたね。お代わりはいかがですか」
「いえ、止めておくわ」
「今日は淡白ですね」
何が。
気を取り直して、レミリアはさっきから放置プレイ気味にスルーされていたお茶請けの方に手を伸ばす。きつね色にこんがりと焼けたクッキーである。
一つ摘まんで口に入れる。
サクッ。小気味のいい音を立てて弾ける。口の中に広がる甘み。バターの香り。
「あら、おいしいわ」
「ありがとうございます」
「作り方を変えたわね」
「わかりますか」
「そうね、いつもより卵を多めに入れたんでしょ?」
「さすがお嬢様。聡明ですね」
「あ、当たった? わーい」
「そうです。森○製菓のムーンラ○トです」
市販かよ畜生。
「全然当たってないじゃない! 何が『そう』なのよ!」
「当たってますよ。卵を多めに入れたという辺りが」
「それをやったのは咲夜じゃないでしょ!」
「そうです。森○製菓の商品開発部が、心を込めて作りました」
「出来れば咲夜に心を込めて欲しかったわ……」
レミリアは肩を落とす。さっきおいしいと喜んだのが馬鹿みたいじゃないか。
「大丈夫です、私も心を込めました」
「具体的にどの辺りで」
「パチュリー様の戸棚から拝借する辺りで」
しかもパチェのかよ。
「後でパチュリーに謝っておきなさい」
「大丈夫です。ちゃんと『お菓子は頂いた! 小悪魔』っていう書き置きも置いてきましたから」
OK、小悪魔にも謝っておけ。
レミリアはもう一つクッキーに手を伸ばす。市販のものだと知っていてもおいしいものはおいしい。森○製菓侮りがたし。
レミリアはおもむろに、ん、と手を差し出す。そして何を言われるでもなく、その手に咲夜がナプキンを手渡す。それでレミリアは口を拭う。
その一連の動作はとても洗練されたものだ。この二人でなくては到底このように意思伝達は取れないだろう。まさに阿吽の呼吸。以心伝心。
そうだ。
咲夜は完璧で瀟洒なのだ。ときどき奇行に走ることはあれど、レミリアが背中を任せられるのは、彼女以外にいない。
レミリアは確信していた。咲夜こそ、最高のメイド。最高の従者だということを。
だから、レミリアはもう一度、咲夜に問う。
「ねえ、ちんちんかもかもって何かしら」
言った。今度こそ、はっきりと。言ってやった。
今度こそしっかり、咲夜の耳に届いただろう。
レミリアの問いに対しては、いつだって咲夜は明確な答えを返してくれる。一秒もかからずに。それこそ、時を止めてでも。
だから、レミリアは、その言葉を放った後満足げに微笑んで。
永い一秒間を心待ちにして待つのだ。
**********
咲夜は走った。ただひたすらに。
時が止まった廊下を、がむしゃらに走りぬける。
その必死の形相は、とても瀟洒とは言い難い。ゴルゴンもかくやとばかりの凄惨な顔である。生憎時を止めているので、そこらをふわふわうろついているメイド妖精は誰も振り返らないが、もし振り返ったところでそれが咲夜だとは夢にも思うまい。昨夜……さん? 残念、それは誤字だ。
そうやってなりふり構わず廊下を全力疾走するには、もちろんわけがある。
ぶっちゃけ咲夜はちんちんかもかもの意味を知らなかった。何だろう、そこはかとなく卑猥なワードであることは間違いないのだけれど、さりとてそうであるという確証もない。仮にあの場であてずっぽうで答えてみたとしよう。
「グングニル(隠語)をかもかもすることです」
どうだろう。もしこれが間違っていようものなら、和やかで優雅なティータイムが無残にザ・ワールドである。というかかもかもの意味が全く説明されていない。
だから、走るのだ。レミリアの問いに対する正しい答えを見つけるために。
その足の向かう先はただ一つ。紅魔館の地下に備え付けられた大図書館、その主であるパチュリーのところである。
普段無駄飯を食っているのだから、こんな時ぐらい役に立ってもらっても罰は当たるまい。
(さっき勝手にクッキーを拝借していたじゃないですか……ないですか……ですか……)
美鈴の声がした。妙にエコーがかかっていて不気味だ。
はっ!
足を止めて咲夜は振り向く。しかしその方向には誰もいない。
そもそも今、絶賛時止め中である。美鈴が動ける筈はない。
もしかして気の力か。美鈴の気の力で、咲夜の脳内に直接語りかけてきたのだろうか。気の力はついに時間を超越したのか。
なにそれこわい。気の力こわい。
念のため、咲夜は窓から門の様子を窺う。少し腰が引けているのは気のせいだ。
そぉーー……。
そこには、門の前で微動だにしない美鈴の姿が。大丈夫。ちゃんと時は止まっている。ほっ、と咲夜は胸をなでおろした。一つだけ、美鈴が氷精や宵闇の妖怪相手に熱心にけん玉を教えている体制で固まっているのが気になったが、見なかったことにした。「仕事しろよ」とでも注意しようものなら、気の力で末代まで呪われるに決まってる。
上がりかけていた息もそうしているうちに収まってきたので、もう一度走る準備をする。OK、私まだ走れる。
先行きの長い廊下。まだ道のりは半分くらい残っている。どうしてこんなに無駄に長いのか。空間でも操られているのではないか。
まさか、スキマ妖怪……!
しまった、あの妖怪の手がすぐにここまで!?
(咲夜さんの能力のせいじゃないですか……ないですか……ですか……)
うっさいだまれ。今度語りかけてきたら、お前のおゆはん、けん玉にすっぞ。
いつまでも気の力とかそんな胡散臭いものに怯える咲夜ではない。呪わば呪え。私の子孫にそんなちゃちな呪いに怯えるような奴はいない。というか、もっと門番の仕事に有効活用しろよその能力。
咲夜は思い切り床を踏みしめて、走り始めた。いつまでも時を止めていられるわけではない。急がなくては。
咲夜は走る。大図書館にあるであろう、一つの真実を見つけるために。
(いつも廊下走っちゃ駄目だって自分で言ってるくせに……言ってるくせに……くせに……)
美鈴のおゆはんはけん玉になった。
**********
「なんということでしょう」
思わず咲夜はその場にうずくまった。神の祟りか運命の悪戯か。かくもこの世は無情であったか。これが、運命の悪戯ではなく、運命を操る悪魔の悪戯なら、咲夜は一も二もなく受け入れていたであろう。グリンピースがおゆはんに出てこないように運命を操る悪魔、まじカリスマ。
しかし現実はそのどれでもなかった。神の祟りでもなければ運命の悪戯でもない。ひとえに咲夜のミスであった。
「固まってる……」
パチュリーは、椅子に座って読書に勤しむ姿のまま固まっていた。時が止まってるんならそらそうやん。
しまった、これではパチュリー様にちんかも(略した)の意味を聞けないではないか。
少しだけ時の流れを元に戻そうか、と考えたが即座に否定した。レミリアはあくまでも、即答を期待していた。その期待を裏切るなんて、紅魔館のメイド長の名に傷がつくというものだ。なんとしても時を止めている間に答えを見つけないと。
咲夜は悩んだ。あまり時間がない。ここに居られるのは、帰りのことを考るとあと僅かだ。
くそう、どうしてこんなに時間が残り少ないんだ。美鈴のせいか。それとも全力疾走しながら「レミダリ(レミリア×ダーリン☆)」の妄想を繰り広げてるうちに、地下への入り口を大幅に通り越したせいか。いや悪くない、レミダリは悪くない。
完全にそれの所為じゃないですか……ないですか……ですか……。
そんな美鈴のツッコミを期待したけど、それは無かった。おゆはんがけん玉になったのが相当ショックだったらしい。
ちょっと寂しい。
それはさておき、咲夜はちんかもの意味を見つけるために、図書館内を探……そうとした。
いや、広い。無駄に広い。
こんな中から一つの単語の意味だけを正確に探し当てるのは無理というものである。しかも、本棚には乱雑に本が詰め込まれており、どこにどういった傾向のものが収まっているのかさえ分からない。
せめて、百科事典のようなものがあれば。
しかしそんなものがそこらに転がっている筈が――
いや待てよ。
見たぞ、百科事典。しかもつい最近。
思い出せ、咲夜。思い出すんだ。
自らに問いかけ、自分の記憶を探り始めた。
咲夜は無意識に座禅を組み、左右の人差し指で側頭部をなぞる。円を書くように何度も。聡明な読者ならもう解るだろう。そう、アニメ「あっきゅうさん」のあの有名なポーズである。咲夜は、何かを思い出そうとするときのあっきゅうのポーズを真似することにより、あっきゅうの抜群の記憶力にあやかろうとしていた。
ぽくぽくぽくぽく……。
――あっきゅうさーん。
――慌てない慌てない。ひとやすみひとやす……いえ、休んでなどいられません。私の代のうちに少しでも多くのことを書きとめなければ……!
ついでに有名なアイキャッチまで思い出してしまった。不覚にも咲夜は涙ぐむ。ちくしょう、なんでCM入る度にそんなに重い台詞を聞かされねばならんのだ。
あっきゅーーーん!
思い出した。間に余計なものまで思い出してしまったが、とにかく思い出した。
そうだ、百科事典を見たのはあのときだ。
あれは、そう咲夜がレミリアの部屋で、とある遊び(団地幼妻と魚屋ごっこ)に興じていたときのこと。もちろんレミリアが暇とそれ以外の何かを持て余している団地妻の役、そこに「良いじゃないですか、奥さん……」と迫る魚屋の役が咲夜である。
咲夜はアポイントメントなしのぶっつけ本番でレミリアの部屋に押し掛けてみたが、意外にもレミリアもノリノリだった。特に「やめて! こないで!」と嫌がるシーンは迫真の演技で、まるで本気で拒絶しているみたいでリアルだった。咲夜はそそられた。
「そこまでよ!」
バァーーン!
そこに、突然パチュリーが飛び込んできた。舌打ちをする咲夜と安堵のため息を吐くレミリアの対照的な姿が印象的だった、と後に一部始終を偶然にもカメラにとらえていた鴉天狗のAさんが語っていたのは別の話。
とにかく、その時のパチュリーの格好である。ピーンと前に伸ばされた右手、そして今にも馬場チョップが落ちてきそうな構えをした左手の中には――そう、百科事典があった。
咲夜はさっそくパチュリーの身の周りを探し始めることにした。いつでも「そこまでよ!」と言って飛び出していけるよう、百科事典を常備しているに決まっている。そうじゃなきゃあのドンピシャなタイミングで割り込んでくる理由がわからない。くそう、あと少しだったのに。
机に座り、頬杖をついて本を見つめつつも動かないパチュリーの周りを探す。やばい、もう時間ないのに。
しかし、目当てのものはなかなか見つからなかった。常備しているわけではないのか。
パチュリーが読んでいる本も目当てのものと違った。怪しげな魔法陣の挿絵と、グロテスクなモンスターの絵が載っている分厚い本。どう見ても百科事典じゃない。
しかし、咲夜は嫌な予感がして、パチュリーの本を取り上げた。タイトルを見る。
『ツチノコでもわかる! 簡単お手軽召喚術!』
何とも胡散臭い本だった。が、放っておくと面倒なことになりそうな気がする。パチュリーが、召喚術やりたい、と言って咲夜達を困らせたのは今に始まったことではないのだ。
こないだなんて2ヘッドドラゴンとかいうなんだかヤバそうな奴を召喚していた。やたらと強かった。「あ、弾幕勝負じゃないなら私勝てますよ」とか言って美鈴が躍り出ていかなければ危険だった。さらば美鈴、君の犠牲は決して無駄には……え? 勝ったの? まじ? やだ何なのこの子。こわい。八極拳こわい。
しかし今度出てくるのがアーリマンとかだったらもう美鈴に勝ち目はない。新たな芽は早いうちに摘むべく、パチュリーの本は処分することにする。
「あ、やば」
そんな悠長なことをしている暇なんてなかった。早く、百科事典を見つけないと!
咲夜は、止められた時間の中で、必死に百科事典を探すのだった。
**********
レミリアはゆっくりと目を開ける。そこには、さっきまでと変わらない景色。午後三時のティータイム。
それもそうだ。だって、さっきの質問から一秒と経っていないのだから。
しかし、その一秒はレミリアの完璧で瀟洒な従者にとっては、無限の時間。答えを見つけるには充分すぎる時間だ。
「お嬢様、ちんちんかもかもとは」
そら来た。レミリアは口を釣り上げた。やはり、うちの従者は完璧。期待を裏切らない。
咲夜は、いつものような瀟洒な顔で、告げるのだ。
「レーヴァテイン(隠語)をスカーレットシュート(隠語)することです」
「違う」
レミリアの口からその言葉がこぼれたのは、午後三時のティータイム中だった。
「今日は良い天気ね」とか「今日の夕飯はハンバーグがいいわ」とでも言うように自然に口にされたものだから、思わず咲夜は「今日の天気はハンバーグです」とか意味のわからない受け答えをしてしまいそうになってしまった。どんな天気だそれは。どんよりと曇った空から無数にハンバーグが降ってくるのか。次から次へと飛来する肉の塊。デミグラスソース弾幕。恐ろしい、主に洗濯物が増えるという意味で。
咲夜は首を振って今の想像を打ち消した。
「……?」
レミリアはメイドの奇妙な行動に小首を傾げながらも、とりあえず手にしたティーカップを傾ける。
「今日の紅茶はいつもとちょっと違うわね」
「少し趣向を凝らしてみました」
「なんて言ったかしら、このお茶。ダー、ダー……」
あと少しで思い出せそうなのに、あと一歩のところで出てこない。レミリアは歯がゆさを覚えた。
「ダー……」
「猪木ですか」
「違うわよ、なんで突如として午後三時のティータイムにプロレスラーの話題をリングインさせなきゃならないのよ」
「残機があれば何でもできる」
「ごり押しは私の性に合わないから駄目よ」
「アポォ」
「それは猪木じゃない」
そして似てない。
とりあえずその方達には早々に退場してもらい、ずれた話を元に戻す。
「この紅茶の名前よ。いつか前にも出してくれたことあったでしょう?」
「ああ、ダーリンですね」
「そうそう、そんな感じの名前……あれ、そうだっけ?」
「そうです」
きっぱり。
瀟洒な咲夜の顔には微塵の隙もない。
「そんな一昔前のアベックが喜び勇んで使いそうな呼び名だったかしら」
「お嬢様、アベックも充分一昔前の単語ですわ」
「うるさいな、話の本筋はそこじゃないでしょ!」
ダン!
レミリアは衝動的にテーブルを叩く。すると衝撃でティーカップが倒れ、中に注がれていたダーリン(仮名)がこぼれてしまった。
しまった。そんなに強く叩くつもりじゃなかったのに。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃあ……」
とっさに謝るレミリア。咲夜は変なところに細かいので、もしかしたら怒るのではないかと心配した。
案の定、咲夜はうつむき、ふるふると肩をふるわせ始めた。そしておもむろに手を体の前で構えると、
「アッポォ」
鳴いた。馬鹿にしているのか、このメイドは。
そして似てない。しかも似てないのに何で誇らしげな顔をしているんだ、むかつくなあもう。
「これ以上そのネタを引っ張るつもりなら、私の『不夜城唐竹割りレッド』であなたのメイド人生をリングアウトさせることも吝かではないわ」
「ごめんなさい」
早い。謝るの早い。まるで準備していたように綺麗に頭を下げる咲夜。しかも、綺麗に45度。惚れ惚れするくらいの謝罪っぷりだ。思わず褒めたくなる。いやならない。
気が付けばすでにテーブルにこぼれた紅茶はふき取られ、ティーカップには新たな紅茶が継ぎ足されていた。こんなところだけ完璧にこなすのが咲夜だ。
「……とりあえず話を戻すわ。なんて言ったかしら、このお茶。確か五文字だったような気がするのだけど」
「ダー」「ダーリンは四文字ね」
無限ループは怖いので、先に釘を刺しておいた。
「じゃあ『ダーリン☆』で」
「だから……え、なに、☆も一文字なの?」
「はい、『ダーリン☆』でちょうど五文字です。ご不満なら『ダーリン!』で妥協しましょうか」
妥協って何だ。
「私としては是非とも『ダーリン☆』を推したいところなのですが」
「そうね、『ダーリン!』だと別れ間際のぎすぎすしたアベックみたいで後味悪いわね。『ダーリン☆』で行きましょうか」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
一刻も早く会話を終わらせたかったので、適当に合わせて受け流した。その過程で一つの紅茶がこっぱずかしい名前に改名されてしまったが、それで困るのは紅茶農家の方々と命名神マリナンくらいなものである。とりあえず紅茶の名前がどんなものになろうと、レミリアは知ったこっちゃなかった。
カップに口をつけ、グイと傾ける。口に仄かな甘みと渋みが広がり、鼻からは豊潤な香りが突き抜けた。優雅なひと時。
「ああ、お嬢様とダーリン☆が熱い接吻を……私が見てる前だというのに……」
外野うるさい。
その言い方だと、真昼間から公園で人目をはばからずにちゅっちゅするアベックに聞こえるからやめて欲しい。
咲夜を無視して残ったダーリン☆をすべて飲み干すと、ほう、と思わずため息をついた。咲夜が。
なんで咲夜がため息ついてるの、どうして少し頬を上気させてるの。
「おいしかったわ、ダーリン☆」
「そうですか、とてもおたのしみでしたね。お代わりはいかがですか」
「いえ、止めておくわ」
「今日は淡白ですね」
何が。
気を取り直して、レミリアはさっきから放置プレイ気味にスルーされていたお茶請けの方に手を伸ばす。きつね色にこんがりと焼けたクッキーである。
一つ摘まんで口に入れる。
サクッ。小気味のいい音を立てて弾ける。口の中に広がる甘み。バターの香り。
「あら、おいしいわ」
「ありがとうございます」
「作り方を変えたわね」
「わかりますか」
「そうね、いつもより卵を多めに入れたんでしょ?」
「さすがお嬢様。聡明ですね」
「あ、当たった? わーい」
「そうです。森○製菓のムーンラ○トです」
市販かよ畜生。
「全然当たってないじゃない! 何が『そう』なのよ!」
「当たってますよ。卵を多めに入れたという辺りが」
「それをやったのは咲夜じゃないでしょ!」
「そうです。森○製菓の商品開発部が、心を込めて作りました」
「出来れば咲夜に心を込めて欲しかったわ……」
レミリアは肩を落とす。さっきおいしいと喜んだのが馬鹿みたいじゃないか。
「大丈夫です、私も心を込めました」
「具体的にどの辺りで」
「パチュリー様の戸棚から拝借する辺りで」
しかもパチェのかよ。
「後でパチュリーに謝っておきなさい」
「大丈夫です。ちゃんと『お菓子は頂いた! 小悪魔』っていう書き置きも置いてきましたから」
OK、小悪魔にも謝っておけ。
レミリアはもう一つクッキーに手を伸ばす。市販のものだと知っていてもおいしいものはおいしい。森○製菓侮りがたし。
レミリアはおもむろに、ん、と手を差し出す。そして何を言われるでもなく、その手に咲夜がナプキンを手渡す。それでレミリアは口を拭う。
その一連の動作はとても洗練されたものだ。この二人でなくては到底このように意思伝達は取れないだろう。まさに阿吽の呼吸。以心伝心。
そうだ。
咲夜は完璧で瀟洒なのだ。ときどき奇行に走ることはあれど、レミリアが背中を任せられるのは、彼女以外にいない。
レミリアは確信していた。咲夜こそ、最高のメイド。最高の従者だということを。
だから、レミリアはもう一度、咲夜に問う。
「ねえ、ちんちんかもかもって何かしら」
言った。今度こそ、はっきりと。言ってやった。
今度こそしっかり、咲夜の耳に届いただろう。
レミリアの問いに対しては、いつだって咲夜は明確な答えを返してくれる。一秒もかからずに。それこそ、時を止めてでも。
だから、レミリアは、その言葉を放った後満足げに微笑んで。
永い一秒間を心待ちにして待つのだ。
**********
咲夜は走った。ただひたすらに。
時が止まった廊下を、がむしゃらに走りぬける。
その必死の形相は、とても瀟洒とは言い難い。ゴルゴンもかくやとばかりの凄惨な顔である。生憎時を止めているので、そこらをふわふわうろついているメイド妖精は誰も振り返らないが、もし振り返ったところでそれが咲夜だとは夢にも思うまい。昨夜……さん? 残念、それは誤字だ。
そうやってなりふり構わず廊下を全力疾走するには、もちろんわけがある。
ぶっちゃけ咲夜はちんちんかもかもの意味を知らなかった。何だろう、そこはかとなく卑猥なワードであることは間違いないのだけれど、さりとてそうであるという確証もない。仮にあの場であてずっぽうで答えてみたとしよう。
「グングニル(隠語)をかもかもすることです」
どうだろう。もしこれが間違っていようものなら、和やかで優雅なティータイムが無残にザ・ワールドである。というかかもかもの意味が全く説明されていない。
だから、走るのだ。レミリアの問いに対する正しい答えを見つけるために。
その足の向かう先はただ一つ。紅魔館の地下に備え付けられた大図書館、その主であるパチュリーのところである。
普段無駄飯を食っているのだから、こんな時ぐらい役に立ってもらっても罰は当たるまい。
(さっき勝手にクッキーを拝借していたじゃないですか……ないですか……ですか……)
美鈴の声がした。妙にエコーがかかっていて不気味だ。
はっ!
足を止めて咲夜は振り向く。しかしその方向には誰もいない。
そもそも今、絶賛時止め中である。美鈴が動ける筈はない。
もしかして気の力か。美鈴の気の力で、咲夜の脳内に直接語りかけてきたのだろうか。気の力はついに時間を超越したのか。
なにそれこわい。気の力こわい。
念のため、咲夜は窓から門の様子を窺う。少し腰が引けているのは気のせいだ。
そぉーー……。
そこには、門の前で微動だにしない美鈴の姿が。大丈夫。ちゃんと時は止まっている。ほっ、と咲夜は胸をなでおろした。一つだけ、美鈴が氷精や宵闇の妖怪相手に熱心にけん玉を教えている体制で固まっているのが気になったが、見なかったことにした。「仕事しろよ」とでも注意しようものなら、気の力で末代まで呪われるに決まってる。
上がりかけていた息もそうしているうちに収まってきたので、もう一度走る準備をする。OK、私まだ走れる。
先行きの長い廊下。まだ道のりは半分くらい残っている。どうしてこんなに無駄に長いのか。空間でも操られているのではないか。
まさか、スキマ妖怪……!
しまった、あの妖怪の手がすぐにここまで!?
(咲夜さんの能力のせいじゃないですか……ないですか……ですか……)
うっさいだまれ。今度語りかけてきたら、お前のおゆはん、けん玉にすっぞ。
いつまでも気の力とかそんな胡散臭いものに怯える咲夜ではない。呪わば呪え。私の子孫にそんなちゃちな呪いに怯えるような奴はいない。というか、もっと門番の仕事に有効活用しろよその能力。
咲夜は思い切り床を踏みしめて、走り始めた。いつまでも時を止めていられるわけではない。急がなくては。
咲夜は走る。大図書館にあるであろう、一つの真実を見つけるために。
(いつも廊下走っちゃ駄目だって自分で言ってるくせに……言ってるくせに……くせに……)
美鈴のおゆはんはけん玉になった。
**********
「なんということでしょう」
思わず咲夜はその場にうずくまった。神の祟りか運命の悪戯か。かくもこの世は無情であったか。これが、運命の悪戯ではなく、運命を操る悪魔の悪戯なら、咲夜は一も二もなく受け入れていたであろう。グリンピースがおゆはんに出てこないように運命を操る悪魔、まじカリスマ。
しかし現実はそのどれでもなかった。神の祟りでもなければ運命の悪戯でもない。ひとえに咲夜のミスであった。
「固まってる……」
パチュリーは、椅子に座って読書に勤しむ姿のまま固まっていた。時が止まってるんならそらそうやん。
しまった、これではパチュリー様にちんかも(略した)の意味を聞けないではないか。
少しだけ時の流れを元に戻そうか、と考えたが即座に否定した。レミリアはあくまでも、即答を期待していた。その期待を裏切るなんて、紅魔館のメイド長の名に傷がつくというものだ。なんとしても時を止めている間に答えを見つけないと。
咲夜は悩んだ。あまり時間がない。ここに居られるのは、帰りのことを考るとあと僅かだ。
くそう、どうしてこんなに時間が残り少ないんだ。美鈴のせいか。それとも全力疾走しながら「レミダリ(レミリア×ダーリン☆)」の妄想を繰り広げてるうちに、地下への入り口を大幅に通り越したせいか。いや悪くない、レミダリは悪くない。
完全にそれの所為じゃないですか……ないですか……ですか……。
そんな美鈴のツッコミを期待したけど、それは無かった。おゆはんがけん玉になったのが相当ショックだったらしい。
ちょっと寂しい。
それはさておき、咲夜はちんかもの意味を見つけるために、図書館内を探……そうとした。
いや、広い。無駄に広い。
こんな中から一つの単語の意味だけを正確に探し当てるのは無理というものである。しかも、本棚には乱雑に本が詰め込まれており、どこにどういった傾向のものが収まっているのかさえ分からない。
せめて、百科事典のようなものがあれば。
しかしそんなものがそこらに転がっている筈が――
いや待てよ。
見たぞ、百科事典。しかもつい最近。
思い出せ、咲夜。思い出すんだ。
自らに問いかけ、自分の記憶を探り始めた。
咲夜は無意識に座禅を組み、左右の人差し指で側頭部をなぞる。円を書くように何度も。聡明な読者ならもう解るだろう。そう、アニメ「あっきゅうさん」のあの有名なポーズである。咲夜は、何かを思い出そうとするときのあっきゅうのポーズを真似することにより、あっきゅうの抜群の記憶力にあやかろうとしていた。
ぽくぽくぽくぽく……。
――あっきゅうさーん。
――慌てない慌てない。ひとやすみひとやす……いえ、休んでなどいられません。私の代のうちに少しでも多くのことを書きとめなければ……!
ついでに有名なアイキャッチまで思い出してしまった。不覚にも咲夜は涙ぐむ。ちくしょう、なんでCM入る度にそんなに重い台詞を聞かされねばならんのだ。
あっきゅーーーん!
思い出した。間に余計なものまで思い出してしまったが、とにかく思い出した。
そうだ、百科事典を見たのはあのときだ。
あれは、そう咲夜がレミリアの部屋で、とある遊び(団地幼妻と魚屋ごっこ)に興じていたときのこと。もちろんレミリアが暇とそれ以外の何かを持て余している団地妻の役、そこに「良いじゃないですか、奥さん……」と迫る魚屋の役が咲夜である。
咲夜はアポイントメントなしのぶっつけ本番でレミリアの部屋に押し掛けてみたが、意外にもレミリアもノリノリだった。特に「やめて! こないで!」と嫌がるシーンは迫真の演技で、まるで本気で拒絶しているみたいでリアルだった。咲夜はそそられた。
「そこまでよ!」
バァーーン!
そこに、突然パチュリーが飛び込んできた。舌打ちをする咲夜と安堵のため息を吐くレミリアの対照的な姿が印象的だった、と後に一部始終を偶然にもカメラにとらえていた鴉天狗のAさんが語っていたのは別の話。
とにかく、その時のパチュリーの格好である。ピーンと前に伸ばされた右手、そして今にも馬場チョップが落ちてきそうな構えをした左手の中には――そう、百科事典があった。
咲夜はさっそくパチュリーの身の周りを探し始めることにした。いつでも「そこまでよ!」と言って飛び出していけるよう、百科事典を常備しているに決まっている。そうじゃなきゃあのドンピシャなタイミングで割り込んでくる理由がわからない。くそう、あと少しだったのに。
机に座り、頬杖をついて本を見つめつつも動かないパチュリーの周りを探す。やばい、もう時間ないのに。
しかし、目当てのものはなかなか見つからなかった。常備しているわけではないのか。
パチュリーが読んでいる本も目当てのものと違った。怪しげな魔法陣の挿絵と、グロテスクなモンスターの絵が載っている分厚い本。どう見ても百科事典じゃない。
しかし、咲夜は嫌な予感がして、パチュリーの本を取り上げた。タイトルを見る。
『ツチノコでもわかる! 簡単お手軽召喚術!』
何とも胡散臭い本だった。が、放っておくと面倒なことになりそうな気がする。パチュリーが、召喚術やりたい、と言って咲夜達を困らせたのは今に始まったことではないのだ。
こないだなんて2ヘッドドラゴンとかいうなんだかヤバそうな奴を召喚していた。やたらと強かった。「あ、弾幕勝負じゃないなら私勝てますよ」とか言って美鈴が躍り出ていかなければ危険だった。さらば美鈴、君の犠牲は決して無駄には……え? 勝ったの? まじ? やだ何なのこの子。こわい。八極拳こわい。
しかし今度出てくるのがアーリマンとかだったらもう美鈴に勝ち目はない。新たな芽は早いうちに摘むべく、パチュリーの本は処分することにする。
「あ、やば」
そんな悠長なことをしている暇なんてなかった。早く、百科事典を見つけないと!
咲夜は、止められた時間の中で、必死に百科事典を探すのだった。
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レミリアはゆっくりと目を開ける。そこには、さっきまでと変わらない景色。午後三時のティータイム。
それもそうだ。だって、さっきの質問から一秒と経っていないのだから。
しかし、その一秒はレミリアの完璧で瀟洒な従者にとっては、無限の時間。答えを見つけるには充分すぎる時間だ。
「お嬢様、ちんちんかもかもとは」
そら来た。レミリアは口を釣り上げた。やはり、うちの従者は完璧。期待を裏切らない。
咲夜は、いつものような瀟洒な顔で、告げるのだ。
「レーヴァテイン(隠語)をスカーレットシュート(隠語)することです」
「違う」
ギャグの切れがすばらしい。
あっきゅうさーん
好き好き好き好き好きっ好きっあ・い・し・て・る♪
美鈴無駄にすごいな
流れるようなギャグの密度が凄まじい。
楽しかったです。