これは『その瞬間だけ、キャプテンが悪い話』の続きになっています。
前のお話は読んだ方が良いと思います。
貴方が泣く姿を、私は想像すらした事がありませんでした。
そして貴方は、私ではなく、私の友の腕の中で、私が知らない顔で泣いています。
―――それは、『苦しい』でした。
◆ ◆ ◆
―――――ガブッ。
それは、温厚な親友のとても珍しい、だけど私にとってはどこまでも迷惑な、強靭な歯と顎がもたらす、野生の攻撃だった。
わあ、血が噴水の如く噴出している。
一気に顔色とセーラー服が、青と赤に変色していくのが自分の事ながらに分かってクラリとした。
「って、痛いわぁ!!」
「ぎゃうッ!?」
殴り飛ばした。
虎の姿のままの親友を、親友だからこそ遠慮なく、最近の鬱憤もちょっと混ぜて本気でぶっ飛ばした。
喉元を抉りこみ、そのまま腕の力だけでぶっ飛ばしたものだから、彼女は上手く着地をしつつも、苦しげに蹲り、綺麗な毛皮がぶわぶわと逆立っていた。
「ご、ご主人……?!」
「ったく!」
私の胸に顔を埋めていたナズが、ぽかんとして、しかしいまだに涙をこぼしながら、吹っ飛ばされた星を見る。
その唖然とした顔は、どうやら彼女の行動の意味を図りかねているらしい。
私は、ナズに血がかからないように気をつけて離れながら、ポケットに常備している止血用の包帯を取り出し、頭をぎゅっと縛り上げた。あとついでに首も少し。
「本当に、私じゃなかったら即座に死んでいるわよ!」
「……い、いや、むしろ何故に船長はくたばらないのか、私は疑問に思ってきたんだが」
一歩引いて、一瞬で血に染まった包帯だらけになる私を、失礼な感じに見てくるナズに、小さく「失礼ですね」とこぼして、私はむくりと起き上がった毛皮を見る。
「どういうつもり? 帽子が奇跡的に無傷だったからまだいいとしても、いきなり不意打ちで頭に歯形を付けてくるなんて、非常識にも程があるわよ?」
「…………」
ふわりと、虎の姿から人型へ。
そこには、酷くしょぼくれた顔の、毘沙門天の弟子だなんて、とても信じられないぐらい情けない、虎丸星の姿があった。
……あ、ちょっと泣きそうな顔。
一瞬で怯んで、怒りが引っ込んでしまう。
……ま、まあ。どうして噛んできたのか、何となく、分からないでもないけれど……
とりあえず、船長としてはしっかり釘を刺しておくべきだろう。
「うん、まあ、今度から気をつけてよね?」
「……は、はい。すいません。ムラサ」
びしり(?)と言ってやると、へにゃりと気を落としてしまう星。
普段、人型の時には隠された耳と尻尾を、てれんと弱々しく垂れ下げながら、正座して私に頭を下げる。
どうやら、いまだに出血し、包帯に吸い込めない血をだくだくと顔半分に流している私の顔を正視できないらしく、非常に居心地悪そうに身を捩る。
そんな仕草に困って、気まずくてしょうがなく、誤魔化すみたいに頬を掻くと、ぬるりとした。
と、不意に背中に暖かな感触。ん? と振り向く。
「……ら、らしくないね、ご主人。……温厚な君らしくない、や」
「っ」
ぎゅっと、ナズが私の背中に張り付きながら、どうにもそちらの方がらしくない、おずおずとした口調で、星にいつもの様にクールに話しかけようとして失敗していた。
「?」
おや? と思ったら、今度は星も、普段と違い、気落ちしたままに、若干戸惑いながら小さく頷いた。
「……は、はい。……あの、つい、本能に任せてしまって」
「をい?」
「……そ、そうかい。……まあ、船長は頑丈だし、ね。歯形の一つや二つ、平気さ、はは」
「いや、無理だからそれ。きついから」
何だこの二人?
怒るより先に心配してしまう、そんな変な雰囲気だった。
ナズはへっぴり腰な癖に、ぐいぐいと私を押していくので、私は一歩、二歩と、どんどん星に近づいていくし。星も星で、指先と指先をもじもじしながら、上目遣いにちらちらと、悲しげな眼差しを向けてきていて。
「……?」
私は、これはどういう事だろうと、ようやくゆっくりと考えられるまでには落ち着いてくる。
……えーと。
星と寛いで癒されていたら、ナズがやって来た。
雑談中に、何故かナズに泣かれた。
慰めていたら、星に頭を噛み砕かれそうになった。
現在、貧血できつい。
……見事に分からねぇなこれ。
展開に置いていかれている気がひしひしとするのだけれど、だからといって、ここで状況説明を求める程、空気が読めない訳でもないのだ。船長だし。
さて、どうするかなぁと、ナズに押されるまま、星の目の前に立つ。
星は正座したまま、緊張に顔を染めて、じっと座り込んでいた。
「………………」
そのまま、重い沈黙。
何故か、私を挟んで、気まずげに黙りこむ二人。
ああ、真面目に状況が分からない。
どうして、ナズは私の背中にのの字を書き始めるのかも、星が縋るように私の足に尻尾を擦らせてくるのかも、ちっとも分からない。
ただ、とりあえず現状打破はしようと、私は深呼吸。
そう、二人の気持ちが、今だけ擦れ違い、交わらないのだと言うのなら。その今だけ私は、二人を結ぶ船になろう。
二人の航海をよりよく導く船長として、敬礼をして手を伸ばそう。
それが、きっと流されてここにいる私に出来ることだと、前向きに考える。
「――二人とも!」
声をかける。
ハッとする二人の顔を交互にゆっくりと見ていって、その瞳に光がある事を確認してから、内心安堵しながらにこりと笑う。
「そうね。まずはお茶でも飲んで、それから話し合いましょう」
二人に、大丈夫だと心から微笑み、そう言う。
「お互いが現状をどうにかしたいと同時に願っているのなら、きっと話し合いで答えが見つかる。私も手伝うから、だから、沈黙のままに苦しむのはもう終わらせましょう」
聡い彼女たちなら、
それできっと、どうにかなるのだから、と。
私は、暗い顔で俯く二人に、しょうがないんだからと、少し乱暴に頭を撫でた。
◆ ◆ ◆
背中に虫が這う様な、落ち着かない時間だった。
ムラサが与えてくれたこの時間。
私とナズーリンの話し合い。
「……」
私は、ぬるくなった緑茶を飲もうともせずに、この心をどう彼女に伝えるべきなのかいまだ判断がつかずにいた。
ムラサにもちゃんと謝れていないし、何よりナズーリンの泣き顔を、勝手に見てしまった罪悪感もある。
怒って、いるだろうか?
それとも、見下げ果てた?
そわそわと、苦しくて落ち着かない。
ナズーリンは、そんな私とは違い、いつもの静かな表情でお茶のお代わりをしている。喉が渇いているらしくて、もう六杯目だった。
「……あの」
「っ。な、ななななんだい、ご主人」
「……あ、いえ。そんなに飲んで、大丈夫ですか?」
思わず、心配になって声をかけると、ナズーリンはむっと、余計なお世話だと言いたげにごくりとお茶を飲み干す。
「……へ、いきさ。おいしいからね」
「……そ、うですか」
き、気まずい。
ナズーリンと二人で話しながら、こんなに穏やかで無い気持ちになったのは、初めてかもしれない。
いつもは、言葉少なな私に、色々な話題を振ってくれるのに、ナズーリンは今はお茶にばかり忙しい。
まるで、私と話したくないと、言外に伝えようとしているみたいに。
ズキリと、心が、刃物で切られた感触がした。
……やはり。
「……っ」
ムラサとの、逢瀬を邪魔した事を、内心で怒っているのだろう……
「………」
サクリサクリと、浅く何度も切り裂かれる。
あの瞬間に、感じ入った。
私は気づいた。
あんなにも、縋って泣くぐらいだから、ムラサとはずっと前から、もしかしたら聖が封印される前から、そういう付き合いがあったのかもしれない。
彼女たちは、想い合っているのだと。
ムラサは、ぬえや一輪と関係があるのではと勘ぐっていたのに、本当に、私の乙女の勘とやらは当たらない。
……本当は、ナズーリンとだったんですね。ムラサ。
ぐびりと、泥でも飲み込んだみたいに、内臓がくたくたとじゅわじゅわと、溶けているみたいな、鈍い痛み。
これは、なんでしょうねと、乾いた笑いが込み上げる。
「……ご主人?」
「…………」
ナズーリンが、そんな愚かな私の様子に気づいたのか、不安げに、気遣うように私を見つめる。
その美しい瞳に、その瞳に映る私の病人の様な表情に、目を潰したくなった。
「……大丈夫です、少し、考え事を」
「……そう、かい」
苦笑。
口の中が苦いだけの、そんな笑いだったけれど、彼女は納得してくれないけれど、むしろ顔を曇らせてしまうけれど、それがどうにも重かった。
知ってはいた。
見ない振りをしていたけれど、無視できる程に、小さいわけでもなかった。
そっと目を瞑り、天を仰ぐ。
『私は、怖いですか?』
思い出す。
私は、ムラサにそう聞いた。
『? いきなりどうしたのよ』
『いえ、私はその、やはり虎ですから、怖かったりしないでしょうか?』
『ううん。むしろ最近虎って忘れるし。貴方は優しいじゃない』
『……そう、ですか? でも』
それなら、
どうして、ナズーリンは、私にあまり近づかないのでしょう?
怖くないのなら、私は醜くて、だからナズーリンは私とはあまり、目をあわせてくれないのでしょうか?
私の長年の悩み。
鏡を見るのが嫌だった、根深いそれを、ムラサはきょとんと聞いて、それから本当に楽しそうに笑って、否定した。
『知らなかった? 貴方は可愛いわよ』
そう、言ってくれた。
私の親友。
……そうだ。
そんな優しい親友と、私の大切な彼女。
二人が幸せになるのなら、それは私にとっても、とても幸福な事で。
―――そこに、何の問題があるというのだろう?
「……ナズーリン」
「……なんだい?」
だから、私に出来る事は、きっと。
そして、私の我侭は、許されるのなら、もう少しだけ。
「今度、一緒に出かけませんか? 私はまだ、里を熟知していないので、一緒に歩きたいです」
まだ、貴方との時間が欲しいという。
みすぼらしい虎の、『恋』の残骸。
◆ ◆ ◆
私が壊れてしまいそうだ。
私の顔は、ちゃんといつも通りなのか、不安でどうにかなりそうだ。
素直になると決めた時から、覚悟していたけれど、彼女の傍に座るのは、酷く緊張する。
もうお腹がたぷたぷなのに、喉がからからで、お茶を飲む手が止まらなかった。
なのに、君は儚げに神秘的に笑って、優しく私なんかを心配するから、おかしな顔をしてしまいそうで、必死に引き締めた。
君は、どうしてそんなに素敵なんだと、泣きそうなぐらいに。
もう、私は壊れてしまいそうで、死んでしまいそうだ。
あまりに、傍にいる君を、好きすぎて。過剰摂取で、副作用を起こしそう……
なのに。
「今度、一緒に出かけませんか? 私はまだ、里を熟知していないので、一緒に歩きたいです」
死にそうな私を、更に追い詰める。
その言葉に、口から勝手に「うきゅっ」と酷すぎる声が漏れて、尻尾がとんでもなく吊り上ってしまった。
「……ナズーリン?」
「……あ、ああ、別に構わないよ」
少し不安がる彼女に、慌てて安心させようと、ぶっきらぼうな声がでる。
ご主人は、ほっとした顔をして、良かったと言ってくれた。
きゅうんって、赤面しそうなぐらい恥かしい音が、私の中で盛大になるから、そんな顔は止めて欲しい。
きゅんきゅんとうるさくて、ドキドキと激しいんだ。
もじもじして、もう逃げ出したくなって、でも嫌ではないこれが、逆に苛立たしくて、もうたくさんで一杯だった。
だから。
「あ、明日で、いいのかい?」
「……構いません」
顔が見れなくて、俯きがちに言った。
それに、貴方は優しく答えてくれる。
だから、そう。
明日は、デートなのだ。
顔が、次第ににやけてしまうけれど、でも。
今だけは、そんな顔をさせて欲しかった。
◆ ◆ ◆
どうなのだろうね?
話し合いは、上手く言っているのか、私には判断がつかない。
私はただ静かに見守るしかできない。ただの外野なのだから。
私、村紗水蜜はそう一人思う。
そう。外野。
部外者。
ただの傍観者。
うん。……だからさぁ。
私はかなりうんざりしながら、溜息を押し殺した。
「ま、待ち合わせとか、するのかい」
「……で、出来れば」
「……あの。服、とか。その」
「い、いつも、通りで! その、いつもの貴方で、いいんです」
「……っ! そ、そうかい」
右肩に、ナズの額が押し付けられて、抱きつかれた腕に、のの字を書かれている。
左肩に、のしかかってしなだれかかる星が、真っ赤な顔でもじもじしている。
血で染まったセーラー服の船長を挟む、鼠と虎。
うん、何そのシュールすぎる光景。引くわ。
だからね?
どうして話し合いを、私を挟んでするのか、ちょっと説明して御覧なさい? 怒らないから、ね?
つか、ちゃんと目を見て話し合いなさいよ二人とも。
そんなんじゃ、相手の気持ちとか通じないからさ。
「あの、それじゃあ、待ち合わせ場所は、さ」
「え、ええ、ムラサの錨を目印に」
うをい?
聞き捨てなら無い目印に、目を驚愕に丸くする。
「では、明日は、三人で楽しみましょう……!」
「うん。三人で、楽しもうか、ご主人」
三人って……
まさか私が入っているのかこらっ!?
慌てて逃げようとすると、ぐっ、と腕に食い込む二人の指。
何故か二人は必死に、「来てくれるよね!?」「来てくれますよね!?」 ととんでもない懇願の目を贈ってくる。
「…………」
ひくりと、口元が歪む。
勿論、後でノーと言おうと心に決めた。
そして、明日のデートの事でまた、もごもごともじもじともにゃもにゃと話し合う二人の間で、私はかなり落ち着かなくて胃が痛かった。
私、死んでるのに、胃潰瘍の心配があるって、永遠亭のお医者様に言われた。
悲しかった。
あぁ。
私は嘆く。
私ってば、何も悪くないのに、どうしてこう、変な事にばかり巻き込まれるのかなぁ。
がっくりときたから。
この後、私は一輪の膝枕をたっぷりと堪能して、ぬえを抱きしめて癒されようと、そう決めた。
鈍感船長に托されたナズ星の運命や如何に……
ハッピーエンドだね!!
もちろん私は会員ですよ!
ナズ星はやはり良い!
あっ挨拶が遅れました。
私もあの会員ですよ。
あと、すいません会員登録の受付会場はどちらでしょうか?
やっぱり船長は悪い船幽霊さんだこと。
勿論、会員ですから!
がんばれ船長!この二人がすれ違ったままなんて許されるわけが無い!
これはデートが待ち遠しい!!
ちなみに私も会員です。