ミルは埃を被っていた。物置の奥に半ば打ち捨てられるように眠っていたというから、壊れたりしていないだけよかったのだろう。ハンドルが錆びつくこともなく、用を果たしそうだった。
改めて、この地霊殿の広さを思う。居間と、客間と、キッチン、寝室。あとは玄関ホール。それだけあれば私には事足りるし、あとの有象無象の部屋たちはペットたちに管理を任せてしまっている。たぶん、私が一番自分の家について無知だ。物置なんてずっと近寄らなかったし、こんなものが残っているとも思わなかった。
「冒険してきた」とこいしは言った。物置の現状がそれで大体分かった。いや、もしかしたら地霊殿そのものを評してそう言ったのかも知れない。私とて、ひとりで歩いて迷わないとも限らない。
「じゃーん、たからもの」
「……コーヒーミルね。それに、ドリッパー」
「ふうん。ね、たまにはコーヒーにしようよ。お姉ちゃん、紅茶ばかり飲んでたら肌が赤くなるわよ」
「じゃあコーヒーを飲めば黒くなるの?」
こいしはキャッキャと笑った。長い間、コーヒーなど飲まなかったから、豆を切らしていた。
「お燐、おりんーっ」
「はぁい、……や、こいし様、珍しい」
「コーヒー豆買ってきて!」
「こーひー?」
「コーヒー」
「合点」
こいしを居間に座らせて、キッチンに立つ。ケトルに水をくみ、レンジに火をつけた。火はまぼろしのように揺れて、私はその上にケトルを置いた。ミルとドリッパーの埃を払い、軽く洗浄する。綺麗になったが、どこか古ぼけた色を帯びた光沢をしている。ほどなくして、燐が豆を買ってきた。
「へんなにおい」
「おくう」
「でも、なんか美味しそう」
「空、あなたにも淹れてあげるわ。燐、一緒に居間に座ってなさい」
先に湯が沸いてしまった。しゅうしゅうと蒸気を吐くそれをひとまずレンジから離して、ミルで豆を挽いた。香りがより濃厚に漂う。居間から、笑い声が聞こえる。がりがり、がりがり、ハンドルは思ったより軽く回った。
そうして、よっつのカップにコーヒーが入った。私は自分のカップに角砂糖をひとつ、燐にはふたつ、空にはみっつ入れた。そこで、手が止まった。
むこうから、また、笑い声。
ああ、とため息が出た。私は震える指で、つまんだ角砂糖をビンに戻した。そうして、トレイに角砂糖のビンを載せた。深呼吸。こめかみにわだかまる小さな痛みを飼い殺して、私はトレイを持つ。そうして、居間に向かう。朗らかに談笑しているこいしと、ペットたちが、私のほうを向く。私は、泣きそうになるのをこらえて、こいしの目をまともに見る。ペットたちの心が心配の色を訴えかけてくる。声が震えるのは、抑える必要がない、と諦めた。
「こいし、おさとう、いくつ?」
読み終えた今、そんな気分です。
冒頭の家の下りの置き方が上手いと思いました。
この短い中に、これだけのものを込められるとは。
おみごとです。
とても言葉にはできそうにない
でもこれからは暖かいね!
古明地姉妹はほんとに切ない話がよく似合う。
折角いい話なのに最初にそんな感想を抱いてしまった。
内容も良くて題名もなるほどと思わせてくれるのに・・・。
この短さで古明地姉妹の関係性を
これでもかというくらいに見せ付けている。
また、何度か読み返させてもらいます。