「月下美人」
ふ、と眼を開けると空には禍々しいほどに輝いている月が見えた。
それを見て、ああ、今日も私は輝夜に殺されたのか、と理解する。
アイツが持っている特有の殺気や妖気を感じない所、私が眠っている間に輝夜は帰ったのだろうか。
何時もなら私が死んだ後もしつこく殺し尽くしてくるのに今日はもう居ない。
私を見逃したのだろうか、とも考えたが彼女の性格からするとその線はかなり薄い。
何と無く釈然としない気持ちを抱えながら、そのまま視線を上に戻す。
すると、そこには真ん丸い月では無く、見慣れた友人の顔が現れた。
彼女は私の眼が覚めたことを確認すると、全くと言わんばかりに首を振って私に声を掛ける。
「眼が覚めたか、妹紅?」
「……ああ、慧音、おはよう」
「まだ、おはようの時間では無いがな」
慧音は、何時もの帽子を被らず、その代わりに頭から大きな角が生えていた。
そう言えば今日は満月だったなと、少し前に月を見た筈なのに今更気が付く。
どうも寝起きだから頭が上手く廻っていないらしい、というのは言い訳がましいだろうか。
「隣、いいか?」
「別に構わないよ、私の土地じゃ無いんだからさ」
「それもそうだな。それじゃあ、失礼するぞ」
慧音は隣に倒れるようにして仰向けに寝転んで、私の視線の先にある物――月を眺める。
そんな彼女を見て、この月を見てどのような思いを抱いているのかが気になった。
彼女の見えている月は、私とどのように違うのだろう
「慧音」
「何だ」
「今日の月は、慧音からはどのように見える?」
慧音は私の質問を聞くと、急な質問だな、と冗談めかすように言葉を返す。
彼女の反応が愉快ではなかったので、少しだけムッとする。
慧音は私のそんな気持ちを知ってか知らずかクスクスと笑って、「そうだな」、と続ける。
「とても、綺麗だ」
月を見上げながら、凛とした声で彼女はたった一言で私の質問に答えた。
「……え、それだけ?」
私は彼女の返答に面食らい、間の抜けた声で返事をしてしまう。
「あぁ、それだけだよ」
「うそん、もうちょっと思うところとかないの? 今日の月は笑っているとかさ」
「月が笑っている訳ないだろう」
「いや、そりゃそうだけどさ……」
私は何処か納得できなかった。
もっと私は意外性のある返答を期待していたので、思いっきり肩透かしを食らった気分だ。
まぁ、よくよく考えれば彼女はとても真面目な人間なのだ。意外性のある答えを期待している方が馬鹿馬鹿しいのかもしれない。
「あのな妹紅、私は何の考えも無しに月が綺麗と言っている訳じゃないぞ? ちゃんと私なりの経験や理論があるんだ」
「え、まじで」
その言葉は、私を物凄く驚かせた。
失礼な話、慧音の事だから絶対何も考えないで答えたのだろうなと勝手に決め付けていたからだ。
「私はな、最初の頃は月を恐ろしい物だと思っていたんだよ」
「そりゃまた何で」
「満月になると、私が白沢になるからさ」
「普通じゃない、そんなの」
「今となっては普通になっているがな……最初の頃は怖かったのさ。私だけが人と違うんだ、って再認識させられるからな」
「……」
その話を聞いて、慧音は後天性の半獣である事が頭に浮かんだ。
後天性の半獣は呪い等によって、人間だった者が妖怪になる者である。
それは生まれつき半獣だった者――先天性の半獣に比べて、非常に辛いものだ。
何故なら、先天性の半獣は生まれながらに妖怪の社会に融け込んでいるのだが、後天性の半獣は半強制的に妖怪の社会へと組み込まれてしまうからだ。
例え、後天性の半獣は人として生きようとしても寿命、容姿、能力などからほぼ確実に人間の社会から追放されてしまう。
もしかしたら、慧音もそのような事があったのかも知れない。
「そして、月を見上げては恐れているのを繰り返している内にふと気付いたんだ」
「何に」
「月はどんなに時が過ぎようとも何も変わらないんだ、とな」
慧音は腕を天に突き上げ、月を指差す。
「どんなに私が変わろうとも、どんなに人が変わろうとも、月の輝きは色褪せる事が無い。それが分かると――今まで恐れていた月が、とても美しく見えたんだ」
慧音は月に指差したまま、まるで純粋無垢な子供のように微笑んだ。
その彼女の笑顔が、私には酷く眩しいものに見えた。
私が何千何百年の時を過ごしても絶対に浮かべる事ができないような笑顔。何だか、それがとても羨ましく思えた。
「それで、妹紅は?」
「え」
「なんだ、私にだけ聞いておいて自分は言わないつもりなのか?」
慧音はさっきの微笑が嘘みたいな意地悪そうな笑みを浮かべる。
「私も言わなきゃ駄目?」
「駄目だ」
「……分かったよ、言う、言うってばさ」
そうして、私は自分の中にある月のイメージを言葉にできるように固めていく。
綺麗、恐怖、狂気……色々な思いが私の中で渦巻く。そうした思考の先に行き着いたのは――。
「そうね、一言で表すとしたら――不可解、かな」
きっとそれが答えなのだろうと、自分で言った事に納得した。
思えば、私が何かを成した時は常に月と共に在り、その月の顔は一度たりとも同じだった事はなかった。
呪われた薬を手にし、私が不死の体を手に入れた時の夜は狂気を感じさせるような満月だった。
念願の宿敵と出会い、高らかに叫びながら殺した時の夜は不気味な満月だった。
そして、慧音と出会った時の夜は――とても美しい、月夜だった。
月は、私に合わせるかのようにコロコロと表情を変えていく。
それが、私を酷く不可解な気持ちにさせる。
「不可解、か。成る程、言われてみれば確かにその通りだ」
私の答えに満足したのか、慧音が大きく頷く。
「だが、不可解な中でも一つだけ確かな事はある」
「え?」
慧音の言葉に、眼を丸くする。
「月明かりに照らされている妹紅は、とても美しいと言う事だよ」
至って大真面目に、慧音は言った。
そしてしばらくの間、私も慧音も時が止まったかのように何も喋らなくなった。
ヒュウ、と冷たい風が頬を撫でる。
「え、あ、いや、そこで無言になると、そのなんだ、私がとても恥ずかしいんだが」
「……だったら、最初ッから言わなければ良いのに」
「だ、だって、あのタイミングで言ったら妹紅が照れるだろうなー。と思ったんだが」
「いやいやそれはない」
実は、不意に言われた賛美に私も結構照れていたりしたのだが、それは顔には出ていなかったらしい。自分の仏頂面に助けられる。
慧音は顔を茹蛸のように真っ赤にして、頭を抱えている。その恥ずかしがっている様を見て、思わず笑みがこぼれてしまった。
その私の笑みを見て、慧音は口を尖らせる。
「そそそそうだ! 全て月が悪い、変な事を口走ってしまったのも全て月が悪いんだ!」
「無茶苦茶な責任転嫁ね」
「その証拠に今日は満月だ。 満月には狂気が宿ると昔から言われているんだぞ!」
「何その根拠」
「つまり、私が何が言いたいかというと私が妹紅にあんな事を言ったのは月のせいだ。私の意思じゃ無い!」
「……もう、その理論で良いけどさ」
何か面倒くさくなってきたし。
本当なんだぞー、と隣で主張し続けてくる友人を無視してもう月を見上げ続ける。
慧音が言った小恥ずかしい事のお陰で、先程まで考えていた事が全て吹き飛んでしまった。
我ながらに本当にくだらない事を考えていた物だった。月がどう見えるだとか、どう感じているなどの、そんな小難しい事は私には似合わない。
私はこうやって、馬鹿話をして居るほうがよっぽど性に合っている。
その証拠に月を見てみろ。ほら、あんなに不可解に思っていた物が今じゃ、ただの黄色い珠にしか見えなくなっているじゃないか。
本当に、さっきまでの私はどうかしていたのだろう。
もしかしたら、本当に私は月の狂気に当てられていたのかも知れない。だとしたら、それを解き放ってくれた慧音にある意味感謝しないといけない。
そこでふ、と小さな悪戯が思い浮かぶ。
「慧音」
「お、やっと私の破廉恥発言は月のせいだと認めるつもりになったか?」
「もう、その事はいいってば」
「それじゃあ何だ」
慧音が怪訝そうに私の方に顔を寄せてくる。
私は大きく息を吸い、そして――
「月明かりに照らされている慧音は、とっても綺麗だよ」
――さっき慧音が述べた言葉を、そっくりそのまま言い返してやった。
「え……え!?」
慧音の顔は、一瞬惚けた後、その言葉の意味を理解したのか更に赤みを増す。
……何か、ここまで思ったとおりの反応だと、こっちまで恥ずかしくなって来た。
気恥ずかしさを誤魔化すために、慧音に背を向けて眼を瞑り、眠る体勢に入る。
「まぁ、そういう訳で私は寝る。さらば慧音ー」
「ち、ちょっと待てっ、まだ寝るな! いや寝ないでくれ、頼む!」
「ごめん、その願いは聞けない」
「も、妹紅ー!」
月は、何時までも私達を照らし続けている。
今までも、そしてこれからも。
なんか目から鱗がおちました。
超・月下美人に思わず納得してしまいましたw
この言葉、気に入った
二人とも可愛いです。
慧音さんが可愛い過ぎる!