これは、下の方にある『どうしてもキャプテンが悪い話』の続きになっています。
少しだけ読んでいた方が良いと思います。
怒っている女の子がいる。
なら、持てる全ての力を使って笑わせるのが、船長として、友人として、当然で贅沢な権利だろう。
右手に花束。
左手にプレゼント。
一輪と話した後、急いで里に出て手に入れた、気難しいぬえと話す為のアイテム。
昔、ぬえが好きだと言っていた花を一つ一つ思い出して、花屋で纏めて貰った全体的に青い花束。
とある人形遣いが作ったと、雑貨屋の店先に宣伝してあった、少し大きめのテディベアのぬいぐるみ。
それらを抱えて、私は走る。
代金はそれなりにしたけど、でも、彼女の機嫌を治せるかもと考えれば安い物だ。
正直、いまだに、ぬえが何に怒っているのか分からないし。
私の何がいけなかったのかすら、理解していないけれど。
「原因が私だって、はっきりと言われた以上。責任はちゃんと取る!」
女子を引きこもらせて、そしてその原因が私にあると気づかずに三日も過ぎている。
私が知らなかっただけで、私が悪いと言うなら、――――それは私が悪い!
理不尽だの何だの、すでに起きた問題に対して、そんな不遇で二の足を踏む様な、情けないキャプテンムラサじゃない!
―――私は、何が何でも、ぬえと仲直りをするっ!
心に業火を灯し、私は足音激しく、ぬえの部屋へと土煙を上げて向かうのだった。
◆ ◆ ◆
私は、何がしたいんだろうね?
カモメ柄のパジャマに何度目かの問いを投げかけて、私は、封獣ぬえは、淡く笑った。
あの時の、ムラサの笑顔と言葉が消えずに、私はもう三日も部屋の中で怠惰にパジャマを抱きしめていた。
ただ、一人で部屋の中でいじいじして、統一感のない室内の中、カモメの愛らしい絵柄を見て、それを着ていたムラサに、ふわりと抱きしめられた事を思い出しているだけ。
思い出したら、顔が熱くて、小さく呻きながらごろごろしてしまうけど、それは嫌じゃなくて嬉しいからで。
とにかく、私はずっと、ムラサの事ばかり考えていた。
シンとした静かな部屋。
気に入った物を見つけては拾い、洗って飾っただけの部屋は、住んでいる人間の趣向を完璧に正体不明にする、自分でもお気に入りの出来で、私はその真ん中で大きく溜息を吐いた。
「……あーあ」
乱雑で統一感のない部屋なのに、それでも清潔にして整理整頓もしているのは、この部屋にムラサがよく遊びに来るからで、ムラサが物珍しげに、部屋の置物を手にとって、歓声をあげるからで……
「…………っ」
ああ、またムラサの事を考えている。
そればっかりだ……
パジャマを、妄想のムラサを抱きしめるみたいに、ぎゅってしてみる。
ムラサの匂いがしていたパジャマは、いつの間にか薄れて、逆に私の匂いがついていて。……それが、酷く気に食わなかった。
「……ムラサの、ばか」
敷きっぱなしの布団の上でパジャマを抱いたまま身体を丸くして、ここにムラサがいたら、噛み付いてやるのになぁって、つらつらと考えた。
でも、今はムラサの顔なんて見たくなかった。
見たら、多分私はまた、酷い事を言ってしまうのだ。
……こう、
『――――ぬえ、私とお話をしましょう!』
「馬鹿じゃないの?」
って感じに。
どこか必死で、切羽詰った声をしているムラサに、あっさりと、冷たく拒絶と抵抗しか感じない声色を返してしまうのだ。
…………………。
うん?
今、くぐもっていたけど、あれ?
『………は、ははは、馬鹿ですいません』
はっ?!
がばりと勢いよく起き上がる。幻聴じゃなかった。
羽がぴーんと伸びて、適当に置いていた置物に二、三個ぶつかって派手な音をガチャガチャとたてた。
え? う、嘘?!
それは、間違いなくムラサの声で、私のせいでかなり消沈している様で、でもそこにいるのだ。
部屋の外に、きっと、情けない顔のムラサがいるんだ……!
「………あ!」
ぱあっ! と理由も無く反射的に嬉しくて、駆け寄ろうとして、カモメのパジャマが視界に映って足が、止まった。
あ……。
――――私は、ぬえの事けっこう好きよ。
蘇る、声。
それに、歯の根が震えるぐらい苦しかった事を思い出して、「っ」と引き戸に指を当てたまま、動けなくなる。
「…………」
爽やかに『好き』と言った、ムラサの笑顔。
エメラルドグリーンの瞳を、柔らかく細めて、心から言ってくれた、心からの、簡単な『好き』の言葉。
私の想いと釣り合わない、天秤が一方に痛いぐらい傾く、重さの違い。
手を伸ばしても、私ではない何処か遠くを見る、彼女の背中。
それが眩しくて、苦しくて、でも一緒にいたい、大好きな彼女。
「……ぁ」
勝手に、傷ついて、顔が見られなくて、悪態を吐く、こんな可愛くない女が、こんな気持ちのまま、ムラサに会って、いい訳がなかった。
パジャマを、強く握る。
『あの、ぬえ?』
「……っ、何よ! 帰ってよ! あっち行ってよ! 大嫌い!」
『うぉ……』
ショックを受けたみたいで、ムラサは、『えーと』とか、オロオロしているみたいだった。
ぐっと下唇を噛んで、泣きそうなのが悔しくて、心の中で「ばかばかばか」と一杯に言ってやる。
……でも、私が一番に馬鹿だって知っているから。
だから、私より馬鹿じゃないムラサに、馬鹿と言うしか、ない。
「何しに、来たのよ……!」
『……それはっ』
「わ、私は、ムラサの顔を見たくないから。お話なんて、したくもないから」
ああああ。
もうヤだなぁ……
何で、こんな事しか言えないのかな?
苦しさに、喉が痛みを感じるぐらい絞られて、嗚咽が汚く零れる。
本当は、全部逆なのに……!
理由なんてどうでもいい。此処にいるなら、それで嬉しいし。
ムラサの顔がすごく見たくて、お話がしたくて、それで、私の想いを知って欲しくて。
ヤだなぁ……
何でかなぁ……
どうして、私は好きな人にも、『正体不明』をしてしまうのだろう?
「……ッ」
どうして! どうして?! 意識すればするほど、私の気持ちを嘘で隠して、本当を表に出来ないのよ?!
本当は、本音は、ムラサにだけは、私の正体を、知って欲しいのに……!
「あ、あっち、行ってよぉ……!」
此処にいて……!
ポタリ、ポタリと、耳を澄ませば聞こえてしまいそうなぐらい、瞳から涙が零れていく。
ああ、駄目だ。
ムラサに気づかれてしまうかもしれない。ムラサは水が駄目だから、その気配には本当に敏感で、
『―――――……ああ、もう!』
苛立ちを交えた、ムラサの声。
ハッ、とした時には、ベキベキと木片が壊れる、暴力的で一種、独特な破壊音がして、
ブゥン! と。私の横を、見覚えがありすぎる錨が飛んでいって―――
引き戸が、縦に割れていた。
「……押して駄目なら!」
あ、って。
声が喉の奥で萎んで、涙が、止まって。
目の前で、ガラガラと引き戸が崩れて、その先で、眩しいぐらい乱暴に笑う、全然船長らしくない、ムラサが。
「――――何処までも、強引に押し切る!」
青い花束と、可愛いくまのぬいぐるみを抱いて、私を真正面から強く見つめて「ね?」とにかっと笑うムラサに、
私は、真っ赤になって、
やっぱり好きだ……って、思った。
◆ ◆ ◆
正直、私こと村紗水蜜はとっても反省して、正座をしていた。
「ま、まったく。普通に考えて、施錠もしてなかった戸を壊すって、馬鹿じゃないの!」
「……はい。言い訳のしようもないです」
あ、あははぁ、やっちゃった。
あれから、ごしごしと埃が入った目元を乱暴に擦ったぬえに、かんかんに怒られていた。
「どうするのよこの部屋!」
「はい、責任を持ちます! 直します!」
「……責任」
ほぼ土下座する私に、少しは怒りの溜飲を下げたのか、ぬえが追求の手を緩める。
にしても、と。
私は情けなさに、いますぐ自分で穴を掘って入って埋まりたかった。
私にもよく分からない、危機感というか勘というか、とにかく何かに攻め立てられて、穏便にいこうとしていたのに、おもいきり錨を振るってしまった。
こんな短気。船長失格。
今日は本当に、キャプテンとして最低だった。
おかげさまで、ぬえの部屋は滅茶苦茶だし……
「……ばか」
「はい、馬鹿です」
誠心誠意頭を下げる。
それで、その。
「……ぬえ」
どうにもタイミングが外れて、抱いたままだった花束とぬいぐるみを、どうしても渡したくて「はい」って両腕を一杯に伸ばして渡した。
「え?」
「いや、その……」
お詫びの品、って渡すのは間違いじゃないけど、今の雰囲気で言ったら怒られそうだし。
ぬえとの仲直りのアイテムなんて、正直に言ったら同じく怒られるし。
だから、
「受け取って、下さい」
とにかく、受け取って貰おうと、真剣にお願いした。
ぽっ、と頬が赤くなったぬえが、私と花束とぬいぐるみを交互に見ていって、すぐにきっと睨んでくる。
「あ、当たり前でしょ! 貰うわよ! か、返さないから、ね?」
あ、良かった。受け取ってもらえた。
ほっとして、「勿論」と微笑んだ。
彼女の顔が、耳まで赤くなる。
「……ムラサなんて、嫌い」
少しにやけたのが悪かったのか、ぷいっとそっぽを向かれて言われてしまった。
あはは、と苦笑。
「きらい、きらい、きらい、きらい、きらい」
「……いや、そこまで言わなくても」
「きらいで、きらいで、きらいで、きらいで」
「……傷つくよ? 傷つくからやめてあげて?」
「世界で一番、だいきらい」
むぎゅっ。
テディベアの手で、頬にパンチされた。
花束とぬいぐるみを持ったぬえは、正直絵的に嘘なぐらい可愛くて、さっきから「きらい」を連呼されているのに、どうにも怒れなかった。
むしろ、しょうがないなぁって、優しい気持ちになる。
「ムラサ!」
「ふえ?」
「気づいてよ」
「うん?」
「逆、なんだからね……!」
またパンチ。
ぬいぐるみの心地よい布の感触を頬に、きょとりとして、ぬえが顔を花束で半分以上隠しているのが不思議で、その半分だけの顔が真っ赤なのも不思議で、私は、疑問符を浮かべるしか出来ない。
「……えぇと?」
「…………」
逆?
えっと? 何が?
頓知が苦手な私は困って、でもこれ以上ぬえとの関係を崩したくなくて、今更だけど、部屋の中はぐちゃぐちゃ。いまだ引き篭った理由も分からなければ、私が何をしたのかすら謝れていないし、解決もしていない。
という状況を深く考慮して。
……ずるいけど、誤魔化す事にした。
「ぬえ」
「!」
立ち上がって、見下ろしていた彼女と同じ目線に立って、そのルビーの瞳に微笑む。
「ぅえ?!」と真っ赤になる彼女の顎に、そっと右手の人差し指を当てて、引き寄せた。
昔、地底にいた悪名高き海賊船の船長から聞いた話。
陸に置いてきた愛すべき女性に、いつも出航前に機嫌を崩す彼女に苦笑して、ご機嫌をとっていた、そのとっておきの方法。
花束とプレゼントと。
「そんなに、暗い顔をしないでよ。―――可愛い顔が台無しだから」
優しくて、甘い台詞と、頬への口付け。
心を込めて贈る。
それは、百発百中の、ご機嫌の治し方。
――――で。
そうして、機嫌は治ったけど、何故か弾幕とか拳とか投げた錨とか、とにかく色んなもので殴られた私。
包帯だらけのまま、ぬえに引きずられて夕食の席に座り、もくもくと食事を取っていた。
……何でだよ。
「やはり、食事は皆で食べるのがおいしいわね」
にこにこする聖に、すさんだ心が一瞬で癒される。
「……くぅ!」と内心悶えて、ああ、何か頑張って良かったかなって、報われて、「そうですね!」と返したら、何故か聖以外の皆に冷たく見つめられて、大人しくした。
……あぁ、やっぱ納得いかねぇ。
「船長には、これからも気をつけて貰いたいものだね。女心は複雑なんだよ」
あはは、ナズめこのぉ! 私も女だよ!
「ムラサ、お疲れ様です。でも、もう喧嘩は駄目ですよ」
穏やかに微笑む星に、曖昧に微笑んで、実は何も解決していないんだけどね、と、ぐったりする。
「まあ、お疲れ、ムラサ」
もう、瞼の腫れは消えて、いつも通りの一輪に、「ありがとう」と返して、でも、泣かせた罪悪感に少し笑顔がひきつる。
……今度からは、本当に泣かせない様に気をつけよう!
そして、ぬえは。
「…………」
何でだろう?
私の隣にぴったりとくっついて、時折、頬を撫でながら、赤くなって怒りながらご飯を食べていた。
……?
いや、本当にぬえが一番分からない。
正体不明にも程がある、訳の分からなさに、私は、ひたすら首を傾げるしかなかった。
「……ムラサ」
「うん?」
「分かってるとは思うけど」
「はん?」
もぐもぐとご飯を飲み込んで、お茶を口に含みながら返事をすると、ぎゅっと服を引っ張られる。
「私の部屋、壊れたから」
「――うぐ」
しまった。それもまだあったと、つまり、徹夜で修理しろって事かと、げんなりして肩を落とす。
せめて、今日は休ませて欲しいと、上目遣いにぬえを見れば、ぬえは「…ぐ」と口を引き結んで、ぷいっとまたそっぽを向く。
「だから! 今日からムラサの部屋で寝るからね!」
―――は?
引っ張られて、耳元で言われた小声の宣言に、私は箸をバキリと折りながら、大きく目を見開いたのだった。
そして、
癒しを求めて一輪に膝枕して貰っていたら、何故かまた拳骨を喰らい、部屋に帰ると、ぬえが無くした筈の私のカモメ柄のパジャマを着て、プレゼントしたぬいぐるみを抱いて、花瓶に花をしっかりといけて、仁王立ちしながら「遅い!」と怒る。
…………。
もしかして、これは船長としての器の大きさを測られた試練なのだろうかと、心の底から疲れて、私はぬえに引っ張られるまま、同じ布団で、ぬえの抱き枕として、非常に寝苦しさを感じながら眠るのだった。
ああ、急に、これだけは言いたくなった。
ぬえの胸に、ぬいぐるみと一緒に抱き寄せられたまま、むにむにと幸せそうに眠る寝顔に、力がごっそりと抜け落ちながら、私は思う。
きっと、絶対に、何が何でも。
私は悪くないっ!
もっとやってください
キャプテンがストレスで倒れるか家出するか。
地獄のタイムアップレース開幕ですね。
しかしキャプテンの本命が恋愛的にも聖だった場合、この寺はどうなってしまうのか……。
俺の心を正体不明な感情が襲った
船長はぬえに責任取るの決定だな