「先生、こいしはよくやっていますか?」
さとりは丁寧な物腰で、慧音に話しかけた。慧音は笑顔で対応する。
「そうですね。こいしちゃんはいい子ですよ。時々、寺小屋を勝手に出て行ったりもしますが、基本は良い子です」
「勝手に!?」さとりは眉をひそめる。「出て行くのですか?」
「ええ、しかしすぐに戻ってきますし」
「しかし、こいしは本当に自由すぎますね。あとできちんと叱っておきます」
「しばらく。しばらく」
「えと、どういうことです」
「私なりの教育方針がありますので、こいしちゃんを叱らないでください」
「こいしは迷惑をかけてばかりですし、先生はお忙しいでしょうし……」
「いや、私にもう少しお時間をください」
「先生を信じないわけではありません。けれど、先生は少し真面目すぎますからね……」
そうして、少しばかり不機嫌そうにさとりは帰っていった。
心穏やかで無いのは、さとりだけではない。
当然のことながら、さとりが覚りであることを慧音は知っている。
心の中を見透かされたような気分というのだろうか。『真面目』は堅物であり、『信じないわけではない』は安心するには足りないというふうに読み解ける。
慧音は芯から教師である。
教師は自省心が人よりも必要であると思っている。
寺小屋の授業が終わったあと、一人部屋で慧音は沈思した。
さとりの気持ちになって考えてみようと思ったのだ。
まず、教え子を寺小屋に預ける者は往々にして重責にあることが多い。地底を治めたり、ひとつの館を治めたり、家の裏の畑を耕したりとやるべきことは多い。そういった重責にあるときに子どもは邪魔だ。他人のことを考えられず、迷惑で、いないほうが仕事がはかどる。子どもは寺小屋に預けたほうがいい。それなのに、この教師ときたら、よそさまの子どもをつかまえて、勝手に出て行くだの、勉強が遅れているだの、人に迷惑をかけるだの、平気で言う。
アホじゃなかろうか。そもそも勝手にでていったり、迷惑をかけたり、勉強がてんでできない馬鹿だからこそ寺小屋に押し込んだのだ。自分の仕事をしろ。馬鹿教師と思ってしまう。
ところが、この馬鹿教師は、自分の仕事が役に立たない知識やら倫理観やら道徳観を教えることだと本気で信じているらしく、時には両親や家族にまで職責が及ぶと信じているところがある。
それで、家の中にまで押しかけて「あなたのお子さんは、これこれこういう理由でダメです」とか言うわけである。両親の教え方がダメだと暗に咎めているわけである。
こちらには時間がないのである。自分の仕事をするのでせいいっぱいなのだ。そもそもそういった負担を軽くするために教師に預けたのではなかったか。家族のことを省りみられないとしても、しょうがないことである。
子どもの成績が落ちたとき、この馬鹿教師は自分の責任だとは考えない。両親の教え方や、あるいは血筋や頭蓋骨の形が悪いのだと考えている場合が多い。自分はこれだけ知識を持っているのだ、知識人なのだと表だっては言わないが、心の裏側で考えていて、子どもがほんの些細なミスをするたびに、小さな自尊心を満足させる。それで、そういう自尊心を満足させるために、子どもがちょっと答えられないような難しい問題を出す。当然、子どもたちの成績は落ちる。両親は泣いてすがりつき、勉強を教えてくれと頼みこむ。教師はしかたないですねと溜息をつきながら、教鞭をとる。その裏側では、両親を屈服させたような錯覚に、心を躍らせているに違いない。
そもそも成績が落ちたのなら、それはすべて教師の責任だ。こちらは時間がないから教育してくれと頼んでいるのだ。教師は子どもたちの勉強の進行具合に応じて、適切な難易度の問題を出すべきである。また、それでも勉強がかんばしくないのなら、私的な時間を割いてでも教えればよいではないか。それが仕事なんだろうから。
限られた時間のなかで、重責の合間をぬって寺小屋を訪れたのに、教え子はたくさんいるのでと言って、まともに対応しないこともある。自分の子どもをないがしろにされたようで、おもしろくないから、つい「先生はお忙しいですから仕方ないですね」などと揶揄してしまう。すると臆面もなく「○○ちゃんは他の子より手がかかりませんので」などというのだ。腹だたしい限りである。
教える内容も、まったくもって無意味な場合も多い。自分の仕事を将来的に助けてくれるような知識を教えてもらいたいのに、どう転んでも必要ない高等数学やら、自分が生きてもいないような古い時代の話や、会ったこともない偉人の言葉を教えたりする。それで実用的な知識を授けてほしいとこちらが下手に願いでれば、基礎が必要だの、無駄なことほど美徳だの言って、のらりくらりとかわす。こちらは忙しいのだ。時間がないのだ。だから必要な知識だけ与えてくれればそれで良いと言っているのに、こちらの意図を理解しようとしないばかりか、時間をかけて教育費をとれるだけとろうとしているのである。
ほんと、教師というものは鼻もちならない聖人君子さまでございますね。
内容自体は好みだけれど。親ってのはこっちの仕事を勘違いしている人が多いんだ、本当。
あなたの教育観をけーねに語らせたかったの?
けいねの事好きな人もいることをちょっとは考えてくれ
一方的に落としてとってつけたような後書きも訳がわかりません
即刻処分すべき
正直、東方のキャラクターを使用する必要を作者が感じているとは思えません。
本当に、お願いですから、どこか他所でやって欲しいです。
教師にばかり責任おしつけてんじゃねぇよ作者!
んですけど。
うーん、あまりに実験作過ぎて何とも言えん。
数学ならば論理的思考の組み立て方、古典ならば日本語の正しい使い方、歴史ならば過去の人々を見て同じ過ちを繰り返さないように、という戒め、理科系の教科は数学と現実を結び付ける。
以上に例を挙げたように無駄なものなどありません。それぞれの教科がそれぞれ意味を持って組み立てられています。
どうせこれ釣りなんだろうな、と思いながらもマジレスさせていただきました。あまりにも腹が立ったので。
国を作るのは人であり、人を作るのは教育である
恩師の言葉の受け売りですがね
少なくとも私の恩師は人を作る為の教育をしてくれました
経営はいつも赤字でしたがそんな愚痴をこぼした事などありませんよ
>鼻もちならない聖人君子さまでございますね
ご自身の事でしょうか?
幻想郷内で教育ったって、そこまで大層な物でもないだろうと
個人に全部任せて、なんでも出来るようにしてもらおうなんて親も普通いませんよ
それにしても
こいし可愛いよこいし
と、解釈してしまった。
キャラの思考=作者の考えって考えるのは読み方としてどうかと
あとがきで救いもあることだし
キャラ好きの人はあれかもしれないけど、自分はそれほど酷い話だとは思わなかった。
ただ作者がキャラに思考させた内容が悪かった
二次創作の必要ってなんだろうか、多くの人が望む物と作者は思わないで欲しい
って長っ 送信っ
何か貴方の手のひらの上で踊らされた気分だ
そのように解釈させるにはかなり分かりにくい
あ、それと。
>>13->>14 作者乙。
追記のあまりの上から目線に噴出した。
メモ帳か頭の中だけでどうぞ、としか言いようがない。
本当に受け手様は鼻もちならない