「では、行ってまいります」
瀟洒なメイド長は慇懃に告げて、屋敷の門前から空へと飛び立った。
その姿が湖の上に小さくなるのを待ち、館の一隅に申し合わせた面々が集まってくる。
彼女が買い物を終えて戻ってくる、一時間あまりが勝負だ。
「咲夜、いった?」
それぞれの部屋で寝たふりをきめこんでいた、主とその妹もあわただしく登場だ。
「遅い。言いだしっぺのくせに」
魔女はすでに、使い魔に運ばせたおおきな瓶に木べらをつっこんでぐるぐるかき回している。
「ごめんごめん。あの子、戻ってきたりはしないよね」
この館には数えるほどしか窓がない。壁の高い位置についたそのひとつを、主は背伸びしてのぞきこむ。
「天気も重要なんだ。……よしよし、上々みたいだね」
正面に湖がかがやき、湿地の葦は風にゆれて、遠い山の端は青空にかすんでいる。
数日前まで残っていた雪は、完全にとけて流れていた。
「お財布忘れたり、しない人ですからねえ」
ふああ、とあくびをした門番をひっぱたいて、主は妹を振り返る。
「さ、フラン。やってちょうだい」
「きゅっとして」
ドカーン。
無造作に、だらりと下ろした右の手を彼女がにぎりしめたとたん、小さな窓の中心から窓枠、外側の壁にまで深い亀裂がはしり、その中心にめり込むようにして崩れさる。
もうもうと舞う土ぼこりの向こうに、午後にさしかかった庭が広がる。つつつ……と降りてきた妖精メイドがこわごわ覗き込むが、館の実力者が一堂に会しているので、透き通った羽根をふるわせて逃げていく。
「こんなにすがすがしい気持ちで館を壊したの、はじめてだよ」
力の調節もうまくいったのだろう、主の妹はいたくご機嫌だ。
「できれば壊すのは今日を限りにして欲しいわね」
顔をしかめる主の横から門番が躍り出る。練り上げた気で鋼のように硬くした指先を鑿のようにつかい、またたくまに穴の形をととのえていく。
「気、って便利ねえ」
「よく言われます」
ついで彼女は、廊下の壁に立てかけた丸太をつま先で軽々と蹴り上げる。気合一閃、手刀が稲妻のごとくはしり、丸太は長方形の板になって床に転がる。
合掌し見おろした門番は大きく深呼吸。かっ! と目を見開き赤い髪を振り乱し、みごとなバク転をきめてその場に膝をついた。
しゃこしゃこしゃこ。
実に手馴れた様子のカンナがけである。
「いや、そこも気でなんとかしろよ」
「無茶いわんでくださいよ」
差し込む日差しをさけて、壁によりかかる吸血鬼姉妹がからから笑う。
さて、魔女の出番である。
煉瓦を積み始めた門番の背後に立ち、分厚い本をひらいて彼女は小声でなにやらつぶやきはじめる。
「……門番妖怪を贄とし、ヘルメスより堕天せし魔界第七の王を召還」
「ちょーっとパチュリー様、なにを勝手なことをぬかしてくださってますか」
手は休めず振り返らず、門番は抗議の声を張り上げる。
「……だそうだから、うん、適当に来なさい」
魔女はくるくるっと指先を回す。
天井から下がる燭台の下、空中に魔方陣が描かれ、どろどろと噴き出す黒煙が流れて消えると、さかさまに陣から身をせり出してくるのは、いつもの使い魔である。
おいーっす、と手を振る主の妹に、ういーす、と蝙蝠の羽根をバタバタさせて応えている。
魔女は長いため息をついた。
「さっきそこで漆喰を混ぜていたじゃないの」
瓶には長い木べらが突き立ったまま、放置されている。
「魔界第七の王と呼ばれてはしかたありません」
「ほほう。そんな大物だったとは。弱点はなにかしら」
「……あっあっあっ。やめて攻撃しないで。すみません見栄をはりました。魔界も人手不足なんですよう。ちなみに弱点は火属性です」
指先にともした火を吹き消した魔女は眠たげな目つきのまま、あわあわと手を振る使い魔を見上げる。
「はい、さっさとやるわよ。呼び出された悪魔なら、定番の台詞があるでしょう」
「えーと。おまえが落としたのは賢者の石かホープダイヤモンドか。それとも普通のオリハルコンか」
「硝子。さっさと出して」
「ちょっとは乗ってくれてもいいのにぃ」
使い魔が背中に手をやると、その後ろからするすると、一枚の長大な透明な板が降りてくる。
「魔界ガラスですよー。粉々に割れても怪我をしにくい、安心設計です」
得意げな顔で使い魔はくるりと反転し、床に足をおろす。遅れて落ちてきた硝子板を、門番があわてて受け止めた。
主がうなずき、妹へ指をたてた。
「さ、フラン。もう一度お願い」
「きゅっとしてドカーン」
「ちょっと待ってうわっぷ!」
なんとか顔だけ逃がした門番の眼前で、支えている硝子が爆ぜた。
それを見届けた魔女は手に持った本を水平にすると、やおら取り出した砂時計を表紙にのせ、すぐにひっくり返す。
どうしたわけか、下の容器にたまった砂が真ん中の管をつたって上に上っていく。その砂の動きに呼応するように、粉々になった破片が壁の穴へと殺到していく。
やがて、砂がすべて上の容器におさまったとき、壁に取り付けられた木枠にぴったりと硝子がはめ込まれていた。どこにもヒビひとつない。いや一箇所だけ、細かな穴があいている箇所があるのだが、気づいたものはいなかった。
「ふふ、これは咲夜にもできないでしょうね。原理としては硝子自身の割れてしまったという悲しみの感情を魔術的な疑似餌にて飼いならすことによって」
閉じた本を抱きかかえて早口で喋る内容は、彼女以外誰も理解していない。青い顔をした門番が、ゆらり立ち上がった。
「ね、ね! ぜんぜん怪我しなかったでしょ」
笑いながら使い魔がそのたくましい肩をはたく。声もなくぺっ、と門番が吐き出した硝子片は地面に落ちる前にふわり浮き上がり、最後に残った隙間をぴったりと埋めた。
「ところでレミリア・スカーレット」
「なにかしらフランドール・スカーレット」
「ぜんぜん働いてないよね。一人だけ」
「そんなことはないわ」
「えらそうにしてるだけじゃん」
「咲夜が予定より早く帰らないよう、運命を見張るのに忙しいのよ」
「うっそだあ」
とはいえ本気で姉を糾弾する気のない妹は、金具をとりつけている門番の手元などのぞいてぶらぶらしている。
硝子の向こう側では、特に肝の座ったメイド達が数人で戻ってきて、主たちの様子をうかがいながら、壁の残骸や埃の片付けをはじめている。
「む。いかん」
眉をしかめた主の舌打ちは、すぐ隣にいた魔女にだけ聞こえた。
「どうしたの、レミィ」
「本当にもう帰ってきたみたい。予定より早い」
「あらら」
「いらんところで時間を弄くるなと命じているのに、まったく反抗期だね、あいつも」
「別にもういいじゃない。あらかた出来てるし、秘密にする意味も」
「わかってないなパチェは! 画竜点睛を欠くのだよ!」
矢のように廊下を走りぬけ、剣や斧と一緒に飾り棚にかかっていた日傘をひっつかんで彼女は表に飛び出していく。
「やれやれ。まあ、館の主みずから陽動をかって出るのなら、こっちも急がないとね」
開け放した扉から、門前での会話が聞こえてくる。
――さくやおかえりー。え? うんそうなのー。目がさめちゃってー。ところで牛乳プリンあった? えー、特命だっていったじゃないー。しょうがない、このリンゴで我慢してやるよ。ん? うるさいな、ここで食べるんだ。こら時をとめてカットしにいくんじゃない。だいたいナイフはおまえが持ってるでしょー。もー。さくやはわたしといたくないの?
「無茶しやがって……」
仁王立ちで門番、むせび泣きである。
「いや、美鈴。割と地よ、あれは」
「ええパチュリー様、存じてます」
そそくさと涙をひっこめる。まことに気とは便利である。
「さて仕上げね」
ひとまわり小さな壷で、使い魔は目の細かい、仕上げ用の漆喰を練っている。隣にかがみ込んで本をひらき、魔女は独り言のように喋る。
「古来より、魔術的な建築の最後のプロセスとして、人身御供や人柱を用いて守護を完成する、というのがあってね」
「あはは、その手には乗りませんよー。私にはパチュリー様より長生きして、亡くなられたあとで魂をいただいて魔界へ帰る大切な役割がありますから」
「そう、そうね。そりゃそうだわ」
ふ、と息をはいて魔女は、遠く広がる空を眺めた。
「仕方ないわね。今回は、この私みずから」
「ちょ、ちょちょちょちょっと」
上げかけた魔女の腰に、躍起になって使い魔がしがみつく。
「なによ。魂の回収もできて、貴女にはいいことばかりじゃない」
「……ううう。思わずマジにレスしちゃった自分がくやしい」
拳を固めて、上目遣いに魔女をにらむ。臙脂の髪の彼女のつむじを、後ろから妹君が突っついた。
「かわいい。この子、私専用のお付きに欲しいな」
「あげません。ということで妹様、お願い」
「お姉さまの代わりか。しゃーないな」
魔女が壷を差し出す。悪魔の妹はにいっと牙をむき出し、左手の中指の腹で撫でるようにする。それだけで垂れだした赤い血を、指先から壷の中へ落とし込んだ。
漆喰が紅に染まる。一部だけでなく、全体が一気に同じ、館を象徴する色となる。
門番が壷をうけとる。大きなコテに赤い漆喰を塗りつけ、きびきびと動かし、ならし、ととのえていく。
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そこは館の南の端。メイドたちの衣裳部屋やゲストルームのある廊下の突き当たり。
花壇を囲うオールド・ローズの生垣で、門とそこから続く道からは隠されている。逆に館の内からは、門の鉄扉ごしに湖の光と、遠く広がる森の影を眺めることができる。
あまり目立たない場所でなければ、彼女はきっと納得しないだろうというのが、みなの一致した意見だった。
主に手をひかれ、メイド長は外からその場へ降り立った。バスケットを手に提げたまま、その場のあまりの変わりようにぎょっと立ちすくんだ。
門番と使い魔が、左右から押し開けて招く。引っ張られるまま入ってきたメイド長の背でぴたりと閉めきられ、魔女は満足げにうなずく。設計もなにもあったものではなかったが、目だった狂いもないようだ。
「どうして」
みなの視線をうけて、彼女はようやく声をあげた。
床から天井までもある、大きな大きな窓だった。それまでそこにあった、ちっぽけなはめ殺し窓の名残りはどこにもない。
館の行き止まりで陰気によどんでいた廊下は、光にあふれていた。山から流れた薄い雲をちょうど抜けたばかりの、ぎゅっと絞ったオレンジのような西日が、窓枠の影を長く廊下に落としていた。
「私らはさ。太陽ってやつは苦手なんだけど」
その影の向こう、妹と並んで立った主が、自分のつま先にかかる光の境界を見下ろしていう。
「人間にはさ、たまの日光浴は健康にいいのだろう? だから作った、それだけだ。この場所は咲夜、おまえにあげるよ」
そして照れたようにそっぽを向く。
出来上がった窓を、メイド長はゆっくり振り返った。仔細点検するような目つきになるのは、性分というしかない。みな、固唾をのんで見守った。
「私が窓を『広げる』だけですみましたのに。どうして」
彼女はほほ笑み、それで門番や使い魔もホッとしたのだ。いつもどおりだと。皮肉のような、とぼけたようなやりとりをあとひとつふたつ交わして、それでいつもの紅魔館がやってくる。日も暮れて、みんないつもの居場所に戻ればいい。
「どうして……」
だから、おどろいて声をうしなったのだ。
まだ外は寒いからだろう、赤らんで乾いた彼女の頬を、硝子玉みたいな涙がころころ転げ落ちるのを、黙ってみているしかできなかった。
うつむいて肩をふるわせている影もまた長く伸びている。えいっとそこに飛び込んだ主の妹は、影からはみ出ないよう屈んで歩き、やがて立ち止まった。
しばらく、不思議そうな色を瞳に浮かべて見上げたあと、彼女はその小さな手で、メイド長の純白のエプロンを、そっと握った。
なんでもいい。あなたがいたという、確かなあかしを残したかったんだと思うわ。
いつのころからか、そこには小さなテーブルと対になった椅子が置かれていた。廊下を埋めるあたたかな光に目を細め、魔女は紅茶の返礼として、いつかの問いにやっと答えたのだった。
テーブルの上を、雲の影がゆっくり流れる。静かな春がはじまっていた。
「いやですわパチュリー様。咲夜はまだここにおります」
「ふふ、そうね。ごめんなさい」
白い歯が日差しにきらめいた。ずっと変わらないふたつのものを魔女は確認する。
彼女の笑顔と、紅茶の味だ。
<了>
この雰囲気好きですね。
ちくしょう、嫉妬するほど面白い
締め方も綺麗でした。
騒がしくもなく静かで美しく丁寧な感じなのに、ユーモラスな演出・セリフ。
そして最後に足される、ちょっとの切なさと優しさを混ぜ合わせたスパイス。
何度読んでも飽きません。
こんな仲良しファミリーな紅魔館も実に良いもんですね。
暖かな作品でした
ありがとうございます