「うらめしやー」
今日も小傘は朝から元気に人を驚かすことに勤しんでいた。人里の近くの道で、木陰に隠れつつ機を伺っては驚かせようとする。普段は目をくれる者も無いが、今日は珍しく一人の女性が足を止めた。緑色の髪をした少女。早苗だった。
「うらめしや!」
「妖怪も大変なんですね……」
古典的な方法を試みる小傘を哀れみに満ちた目でみる早苗。
「そうなのよ……驚かせないとお腹がすいてもう……」
小傘は思わず愚痴をこぼす。
「出来れば驚いて上げたいんですけど……ごめんなさい。私には難しい要求でして、ヘリコプターが空を飛ぶ時代に傘程度では……」
「へりこぷたー?」
「とにかく時代遅れなんですよ。あ! そうだ。これいります?」
早苗は鞄から何かを取り出す。チョコレートだった。
「さっき買ってきたんですけどあげますよ。チョコレートはエネルギー効率が凄くいいんです。これを食べて頑張って下さいね。では」
「ありがとう!」
人の優しさに触れた小傘。
「美味しいな。でも……お腹にはたまらないや」
優しさや同情では食べていけないのが妖怪である。気を取り直してじっと木陰に身を潜める。だが、一時間待ち、二時間待ち、それでも誰も驚く者はいなかった。
気がつけば日が暮れていた。人を驚かせるには最適な時間だが、人が出歩くこともまた少ない時間となる。小傘も諦めて帰ろうとした時、物音が聞こえた。これで最後にしよう、と思いつつ、いちるの願いをかけて小傘は飛び出す。
「う~ら~め~し~や~」
相手も思わず小傘を目に留めた。刹那の間、辺りに沈黙が広がる。そして、その沈黙を破り声が響き渡った。
「キャアアアアアアアア!」
恐怖に満ちた悲鳴が辺りを包み込み、ドサッという音と共に倒れ落ちる者がいた。沫を吹きつつ、少女が道の半ばで気を失っている
――小傘だった。
「大丈夫ですか! もしもし!」
何か黒い物が小傘を見下ろしていた。その影が小傘に必死に声をかけるが、小傘はまるでこの世のものではないものを見たかのような恐怖の表情を浮かべつつ、完全に気を失っていた。
その影は起きる気配の無い小傘を心配そうな目で見ていたが、一向に起きる気配が無いのを感じ、小傘を担ぐ。そして、小傘と共に暗闇の中を飛び去っていった。
「お久しぶりですね、魔界の皆様はお元気ですか?」
小傘は命蓮寺に運ばれていた。寺自体は建設中であったが、住居となる部分は完成しており、そこで星の看護を受けている。そして、客間ではそれを運んできた者が白蓮と親しげに話している。黄色い服を着た女性だった。
「ええ、出来れば皆で来たかったんですが、魔界の方も何かと忙しくて、代表で私が」
「聖輦船も今は使えませんし、遠路遙々ありがとうございます」
「いえいえ、魔界の者も皆白蓮様の復活、そして命連寺建設は喜んでおりますから」
そんな話の中、彼女は白蓮に手紙を渡した。
「神綺様からの親書です。完成の際には恐らくお見えになると思います」
「ええ、魔界にいた際には何かとお世話になってましたし、是非その際にはお礼を申し上げないと」
二人は白蓮が魔界に封印されていた際の思い出話に花を咲かせていた。その頃、ようやく小傘は目を覚ましたようだった。
「ああ、よかった。どうしたんですか? 随分とうなされてましたけど?」
星が心配そうな顔で声をかけた。
「見たの……見たの……」
小傘はうわごとのようにそれを繰り返す。
「見たって何を見たんですか?」
「あんな恐ろしい物がこの世にあるなんて……驚いたなんてもんじゃないよ……死ぬかと思った……」
小傘は頭を抱えつつ、恐怖に震え、当を得ない答えを繰り返す。
「よっぽど怖い物を見たんですね……人を驚かせるはずのあなたがここまで怖がるなんて。落ち着くまでここで静養していって下さい、私が付いてますから」
「ありがとう……夢に出てきそうで怖いの……ああ……」
「そうそう、道で気絶していたあなたを運んでくれた人が居たんですよ」
「そう……お礼しなくちゃ、誰なんだろう?」
「今、白蓮様と会っていますよ、終わったら一度お会いしては?」
「そうするわ」
小傘は星が持ってきたお茶を飲みつつ、次第に落ち着きを取り戻した様子だった。
「ああ、ようやく落ち着いてきた……」
「それは何よりです」
「そうね、怖かったけどあの驚かせ方は参考になったわ。いい勉強になったよ……もう二度と見たくはないけど……」
「先ほど通りかかったのですけど、白蓮様のお話も大事な所は終わったようでしたよ」
「そうなの。じゃあちょっと挨拶してこようかな」
「では確認してきますね」
そう星は言うと部屋を出て行く。
「しかし、あれはなんだったのかなあ……」
小傘は先ほどの恐怖と驚きに思いを巡らす。
「……考えると怖いから今はやめておこう……」
その間に星が戻ってきた。
「部屋に入っても大丈夫だそうですよ」
「よし、それじゃ行ってくるわ」
「ああ、案内しますよ」
そして小傘は星に連れられ、客間に向かう。ふすまを開ける。椅子に座る白蓮の姿が見えた、その向かいにも女性の姿が見え、そしてその上には巨大な何かが浮かび――
「キャアアアアアアアアアアアアアアア!」
外まで聞こえる金切り声を出しつつ、再び小傘は気を失っていた。
「う……ん……」
小傘はやっとの事で再び目を覚ます。
白蓮はじめ、命蓮寺の皆、それと小傘を運んできた客が心配そうな顔で見つめていた。ぼんやりしたままの頭の小傘に星がお茶を渡した。
「気持ちを落ち着ける効果がありますよ」
カモミールティーだった。その甘い匂いにようやく心を落ち着かせる。白蓮が話しかける。
「どうしたのですか? 急に気を失って」
「いや、恐ろしい物があの部屋に……」
「あの部屋にそのようなものがありましたか?」
白蓮は客に問いかける。
「いえ……私も特には。ですが、目が覚めてよかったですね」
安心した様子でそう言いながら、客は小傘を見ていた。彼女の回りには彼女とさほど変わらない大きさの何かが浮かんでいる。
巨大な目玉が。虚空に浮かぶ目玉が。五つの目玉が。血走った目で小傘を見ていた。
「うわああああああ!」
その視線に気づいた小傘は三度悲鳴をあげる。今回気を失わなかったのはカモミールの御利益だろうか。
「目玉が……目玉が……浮いてて……血走った目で……見てる……こいつだよ……私が見たのは……」
震えた声で呟く小傘。だが、魔界暮らしの長い命蓮寺の面々は平然とした様子だった。白蓮も事も無げに話す。
「そういえば幻想郷ではユウゲンマガンさんみたいな昔ながらの妖怪は少ないんでしたっけ?」
星が答える。
「ああ、そういえばそうですね、可愛い路線の妖怪が主ですしね」
皆、空に浮かぶ五つの目を特におかしいとも思っていないようだった。
「そうでしたか、ですが小傘、ユウゲンマガンさんは温厚な方ですから心配しないで下さい」
「巨大だし……目玉だし……浮いてるし……目が血走ってるし……」
「目が五つだと何かおかしいのですか?」
「だって……あんな大きな物が……」
ユウゲンマガンは気遣いを見せ、視線を反らしていたが、それでも小傘は相変わらず怯えていた。だが、白蓮は先ほどまでの優しい様子から打って変わった強い調子となり、小傘に話しかける。
「小傘、見た目で妖怪を判断してはいけませんよ、あなたにも思い当たる節はあるでしょう?」
「……」
小傘は自らの過去を思い出していた。
かつてはただの傘だった小傘。デザインが悪いからと言うだけの理由で、壊れていないにも関わらず無残に捨てられ、その恨みと長い月日によって小傘は妖怪となった。
小傘はその過去を思い出し、それを沈黙の中から見て取った白蓮は、いつしか柔らかい調子となり、ありがたい話を続けていた。
「――妖怪とは見た目だけで悪と判断されがちです、ですが、そのような妖怪こそ私は守りたいと思います」
などと。小傘は感銘を受け。目に熱い物を溜める。そして、命蓮寺の信徒がまた一人増えた。そして、小傘はユウゲンマガンに詫びる。
「ごめんなさい。ユウゲンマガンさん」
「いえ、こちらこそ。幻想郷では私のような存在は異形だということを失念していました、」
ユウゲンマガンも本来非はないはずだが、驚かせたことを認め丁寧に詫びる。幻想郷では中々見られない常識人のようであり、五つの目玉は体の一部らしく消すことも出来ないまま不気味に空を舞っていたが、本体の女性は温厚な淑女に見えた。
そして、小傘とユウゲンマガンはすっかり打ち解けた様子で話していた。自分を驚かせるほどの存在として、小傘も打ち解けた中に敬意を払いつつ、真剣な表情で話を聞いている。
「なるほど~」
「そうなのか~」
「わかったわ! ありがとう! 予想も出来ない非日常の物を人間は恐れるか! なるほどね~」
すっかり満足した様子の小傘。
「そうですね、きっと私を見てあなたが驚いたのも、空を飛ぶ目玉を見たからでしょう、確かに幻想郷では珍しくて、予想もできませんからね。魔界では私みたいな能力を持った物も多いですしみんな慣れてますから、誰も驚きませんけど」
「そうね、考えてみれば幻想郷にも自分の回りに巨大な幽霊が憑いてる人がいるけど、慣れてるから怖くないし。ああ、怪談みたいな使い古されたネタを捜してた自分が馬鹿みたい、あんなのみんな知ってるから驚くわけないよね」
「いえいえ、温故知新ともいいますし、古い話を知ることも大事ですよ。非日常はあくまで例の一つですから。いずれにしても私の話が役に立つのならば何よりです」
ユウゲンマガンも満足そうな様子を見せていた。
――その翌日。人里の近くの空に目玉が浮かんでいた。巨大な目玉の着ぐるみだった。中から声が聞こえる。「うらめしやー」と
人々は少々驚いた。今まで見たことも無いそれを見て、誰がこんな無意味な事をしているのだろうと考えていた。
――また翌日。空に目玉が浮かんでいた。巨大な目玉の着ぐるみが。
人々は驚いた。果たしてこんなことになんの意味があるのだろうかと考えていた。
――それからしばらくの間、目玉の着ぐるみが空を飛んでいた。雨の日も風の日も。
人々は次第にそれに慣れて、誰も驚かなくなり、考えなくなった。
「そろそろ潮時かな。ユウゲンマガンも慣れると驚かなくなるって言ってたし。目玉に慣れたのかな。新しい方法を考えなくちゃ」
次の日、小傘は家でのんびりとしていた。空に着ぐるみは飛ばなかった。
人々は驚愕した。日常の風景だった目玉が消えたことに。空飛ぶ目玉に慣れた人々には、それが浮かばない光景こそがもはや非日常の光景となっていたからだ。
そして、家でのんびりとしていた小傘のお腹は、生涯で無かったほどに満たされていた。
ほんとに書く人がいるとはw
もう完璧ですね。もう小傘に恐い物はない。
幻想郷にこの妖怪と見た目で並ぶような奴はそうそういませんよね
なんて出来たお人や…
ところで目玉の着ぐるみは文にききそうだ
えーと、イビルアイΣ?