――中空を舞う二つのソレを見た時、人は何を思い浮かべるのだろう。
蟲? 否、蟲があんなに巨大なはずがない。
鳥? 否、鳥があんなに速いわけがない。
UMA? 否、それは外の世界では架空の存在とされているが、この幻想郷では知れ渡っている存在だ。
故に、幻想郷の者がソレを見た時、迷わずにこう言うのだろう。
――吸血鬼だ、と。
「アッハハハハハッ! どうしたのお姉様、速度下がってきてない? 歳だからもうへばっちゃったのかしら?」
「五歳しか違わないくせによく言うわ。貴女だって、そんな私をいつまで捉えられないつもり? いい加減前菜は食べ飽きてきたんだけど?」
昼時の曇り空を二人の吸血鬼が疾走する。その速度はおよそ人間のついていけるものではない。常人ならば目で追うことすら困難であろうソレはしかし、彼女達からしてみればウォーミングアップにもならないお遊び。
互いの弾幕が飛び交い、爆ぜ、舞う。小型の花火が散るが如き美しきも儚い光景。まるで激闘の回旋曲。それに合わせて踊るかのような彼女等の動きは、人間などには遥か到達できない領域であり、見るものを魅了さえもする。
争いし二人は、迫り来る死の恐怖など微塵も感じずに、ただただ今この時の愉悦に笑みをこぼすばかりだった。
「そうだねっ、じゃあそろそろ次のメニュー、いってみようか!」
金髪の少女、フランドール・スカーレットは至上の笑顔で一枚のカードを取り出した。
そのカードが消失するとともに、フランドールの手に握られていたのはその身の丈以上もある巨大な一本の炎剣。
「残さず食べてよねお姉様っ! 禁忌『レーヴァテイン』!!」
振り下ろした剣が完全な炎と化して銀髪の少女、レミリア・スカーレットに迫り来る。直線的ではあるものの、その炎の巨大さに呆れかえる。とても自分と同等の背丈しか持たぬ少女から放たれた物とは思えない、とレミリアは苦笑した。
――同時に、自身の手に握られている物にも。
「食べ応えがありそうで嬉しいわ。頂いてばっかりじゃ姉としては申しわけないからお返しよ、神槍『スピア・ザ・グングニル』」
微笑んで、振りかぶったソレを投げ飛ばす。
瞬間、双方の衝撃がぶつかり合った際に生じたのは爆発。地上にまで到達して木々を揺らすほどの風圧を受け二人とも吹き飛ばされる――などという無様なことにはならず、互いに高度をさらに上昇させることによって回避していた。
距離を隔てた状態で一時静止。先に動いたのは紅。彼女達にとって、十メートル程度の間合いを消すのに必要な時間など零に等しい。フランは瞬時にレミリアの喉元に手を伸ばす。掴まれれば次の瞬間に映るのは首から上が吹き飛んだ肉塊の映像か。
そんなものを易々と受け入れてやるほど、レミリアは広大な心を持ち合わせてはいない。身体ごと後ろに倒して自分を死へと誘う魔の手から逃れると、勢いそのままに自身の身体を回転させて右足を思い切り振り上げた。世にも珍しい空中サマーソルトの完成である。
無防備なフランの顎をレミリアのつま先がしたたかに打ち上げ――ず大気をなでる。
人にあらざる反応速度で身を引いたフランは後退しつつ弾を放った。高速で飛来する弾丸がレミリアの胸を強襲する。今しがた回転を終えたばかりのレミリアにこれを避ける術はない。かの烏天狗ならば可能かもしれないが、無い物ねだりなどするだけ無駄なこと。故にレミリアは避けようとはせずに迫り来る弾を片手で弾き飛ばした。
地上にあった畑に小さな傷跡を残す弾。あの様子だと土中の作物はほぼ全滅だろう。両名、歩く災害にも程がある。
「それ被弾じゃない?」
「グレイズよ」
「いや明らかに身体の一部に命中――」
「緋想天ルールよ」
どこか納得のいかない顔をしながらも、そういうことにしておいてあげる寛容な妹。
気を取り直し、弾幕を広げる二人。刹那、その姿がかき消えた。正確には消えているわけではなく、凄まじい速度で互いの弾幕の隙間を縫いつつ移動しているだけなのだが、吸血鬼という常識外れの身体能力を有している存在なだけに、一般人から見れば消えているのと相違ない。
やがて、交差する寸分違わぬ影。開始が同時ならば到達も同時であった。
紅と純白が軌跡を残して飛び回る。どう聞いても爪のぶつかりあう音とは思えないような甲高い音が響く中、フランの手中には歪な形状をした漆黒の槍。
「せいっ!」
横に薙ぎ払ったその一撃に対して、あろうことかレミリアは自身の腕を振り上げた。当然、振るわれた槍はなまくらなどではないため、レミリアの腕の肉を削ぎ、そこに大きな傷跡を残す。
「あれ、当たった?」
意外そうな表情を見せるフラン。対して姉は――嗤っていた。
レミリアの腕から鮮血がぽたぽたと滴り落ちる。その血が一瞬動いたように見えたのは、錯覚ではない。
「肉を切らせて骨を断つ、って知ってるかしら? 『レッドマジック』」
空中で静止したかと思われた血液は、球体と化し弾幕となってフランに襲いかかる。その数は両の指ではとても足りず、水面を強く叩いた時の水飛沫の如き多大な量。
「うわっ、わっ、わっ!」
その数に圧倒されながらも必死に弾幕を展開し、次々訪れる血液の塊の相殺と回避を繰り返す。やがてその全てを被弾せずに消し去りどうだ、と軽くふんぞり返った時――姉の姿が視界から消失していることに気付いた。
「――必殺『ハートブレイク』」
――声は上から。
咄嗟に顔を上げたフランの視界を埋め尽くしたのは真紅の光。
「い゛ぃっ!?」
どう考えても避けられない距離まで接近しているそれに対してフランが取った行動は、手に持った槍でかっ飛ばすというとんでもない荒業だった。大胆かつ豪快なその方法は、結果として成功に終わるわけだが、とりあえず巻き添え喰った香林堂に後で土下座をしに行きましょう。
「今、ちょっと手に被弾したでしょう」
「グ、グレイズ! グレイズッ! というか緋想天ルールってさっき言ってたでしょ!」
「そんなこと言ったかしらねぇ、世の中には似たような人が三人はいるって言うしねぇ」
こんな傍若無人な姉が他にいてたまるか、と口に出す直前で留まったフランの健気さに心打たれる瞬間であった。ただ、フランの中でとりあえずこの姉は焼き尽くす、ということは決定したようだ。
「もう手加減しないからっ! いくよお姉様っ!」
「あら、今まではしてくれていたのかしら? ありがたいことね」
フランの手の中にあるカードが炎に包まれて大気に溶け込む。
「禁忌『恋の迷路』!」
一瞬にして尋常ではない弾幕が展開される。その拡散たるや、まさしく迷路。弾幕という壁で作られた迷路だ。
「『恋の迷路』……ねぇ」
レミリアは呆れたかのように一つ溜め息を吐いてその弾幕を見据えた。
フランのスペルはほぼ全てが禁忌や禁弾と呼ばれる高密度の弾幕で、避けるのには相当の労苦を必要とするのは、彼女を知る者ならば認知の内であろう。かの博麗の巫女や普通の魔法使いですら、フランのスペルには散々苦汁を嘗めさせられたものだ。
――だというのに。
「えっ!?」
目の前の光景に、フランは驚愕に目を見開くほかなかった。
何せその嵐が吹き荒れているかのような弾幕の中を、自分の姉がスラスラと、まるでそこには何も存在していないかのようなしなやかさで自分のもとへと迫ってきているのだから。
ありえない、と言ってしまえば簡単だが、そう言って眼前の事実を否定することに何の意味があろうか。
「よく考えてみなさいな、フラン」
気付けば、目の前には姉がいた。既にここは終着点。レミリアはいとも容易く禁忌とまで呼ばれた弾幕の攻略に成功する。
「う、そ……」
「恋の迷路? 笑わせるわ、貴女の姉がそんなものに迷うわけがないじゃない」
そこには絶対の自信があった。曲がることなき自信があった。
「――妹の恋路程度、分からない姉がいるもんですか」
そう言ってレミリアは、フランの顎を指先で持ち上げると、へ、と声を漏らしたその唇を強引に引き寄せ、自身のそれと重ね合わせた。
「っ!?!?!?」
唐突がすぎる不意打ちに、フランは驚いて目を丸くした。意味不明の攻撃は混乱を与え、一瞬の隙を作り出す目的だったのならば大成功だったが、真の目的は別にある。
「……!」
バンパイアキス。
吸血鬼の持つ吸血に似た特性で、キスを通して対象の生命力を奪う。フランは自分の生命が吸い尽くされていくのと、姉が唇だけでは飽き足らず舌を入れようとしてきているのを感じ、それを嫌悪した。
かといって、レミリアは空いた左手を抱きしめるような形で背に回してきており、人間相手ならまだしも同じ吸血鬼の力では逃れようにも逃れようがない。
そして、脱出案を巡らせている間に終焉は訪れる。
――ただし、レミリアの思惑とは少し違った形で。
「……む?」
ふと、レミリアの中に生まれた違和感。フランに押し付けていた唇がまるで虚無に口づけているようで、触感が徐々に消えていくのを感じたのだ。
果たして、レミリアの腕の中からフランが完全に霧散した。
感じた気配にレミリアが振り返ってみれば、背後には同じ顔、同じ衣装を身に纏った三人の妹の姿。
「あ、危なかった……二重の意味で危なかった……」
フォーオブアカインド。
恋の迷路をゴールされた時点で使用していたおかげで、フランはレミリアにファーストキスを奪われることなく脱出に成功した。その顔はどれも真っ赤に染まっていて、死んでも姉なんかに純潔を奪わせるものかという強い心意気が見て取れる。
そんな必死な妹の姿を目にして、レミリアは心底愉しそうに口元に指を当てて、クスクス、と目を細めて微笑む。
「あら残念、せっかく可愛い妹の初めてを奪ってあげようかと思ったのに」
――奪う。
その言葉に、フランはピクリ、と身体を硬直させた。
「……ん?」
明らかな空気の変化を感じて、レミリアは静かに笑みを消した。
三人のフランが一人、また一人と消滅していき、やがて残ったのは本体の一人。ギリッという歯ぎしりの音と、ギュッときつく拳を握り締めた音が重なった。
「お姉様は、いつもそうだ……」
ボソッ、と紡がれた言葉は消え入るような声で、しかしはっきりとレミリアの耳に届いた。
「お姉様はいつも、私の大切なものを奪っていっちゃうんだ……」
輝きを失った瞳にあったのは、まぎれもない――狂気。
「もういい――」
――こわれろ。
「――禁忌『フォービドゥンフルーツ』」
それは禁じ手と呼ばれた弾幕。
次の瞬間、レミリアの視界は紅で埋め尽くされた。
「っ!?」
突然の事態にでも瞬時に対応して見せる所は流石レミリア・スカーレットといったところか。僅かに存在する異色を探し出して、即座にそこへと飛び込む。抜けた先にはさらなる紅。同じようにその紅の羅列を抜ける。次いで見えた色は、紅。
紅、紅、紅、紅。
血の海に溺れたかのような錯覚に陥る。それが本当に鉄臭いただの液体だったならばどれほど良かったか。かすめただけで腕から鮮血が噴き出す。直撃すれば死にはしないだろうが、半日は行動不能になるだろうシロモノが周辺にズラズラと立ち並ぶ異質な光景。
久しく忘れていた痛みが全身を駆け抜ける。そのことにレミリアは至上の歓喜を覚えた。
「ハッ!」
尋常でない汗を流しながら、この状況で愉悦に浸っている姉もまた、妹と同じく間違いなく狂っているのだろう。
常人ならば瞬間的に地へと堕ちるであろう超高密度の弾幕。圧倒的優位な立場で姉の避ける様を傍観していたフランの表情はしかし、芳しくない。
「……足りない」
姉が妹のことを熟知していたのならば、妹もまた姉のことを熟知していた。
これでは足りない。かわし切る。姉ならばかわし切ると、フランは確信していた。
なればこそ、そこにはこれ以上のとどめとなりうるものが必須。
フランの予想通り、レミリアは巧みに針の穴ほどの弾幕の雨をかいくぐり、もうじきこのスペルの終結を迎えようとしている。
故に、このスペルがブレイクされる前に――フランは駆けた。
回避ルートが知られているのならば、最終的に行き着く場所は決まっている。なれば、そこで自分も攻撃を加えれば、完成するのは完全なる八方塞がり。
最後にレミリアが辿り着いた場所。超高密度弾幕ならではの完璧なパターン避け。周囲は紅き弾丸が埋め尽くし、唯一の抜け道も自分が塞いだ。
獲った、そう確信し、フランは姉へと手を伸ばした。
「ダメじゃない」
――そこで一つの感情が発生した。
「――不用意に近づいちゃ」
それは決して戦いの最中に抱いてはいけないもの。しかし、抱いてはいけないと分かっていながらも無意識に抱いてしまう優位な立場の者にのみ襲いかかる天敵。
すなわち――油断。
これで獲ったと思うが故、これで終わったと思うが故、勝利を確信したが故の油断。
それはどうしようもないほど、どんな言い訳もできないほど――決定的な油断だった。
――レミリアの手には一枚のカード。
「あ……っ!」
「――紅魔」
――真に引き付けられたのは、こっちの方だった。
気付いた時には既に姉の眼前。自分の爪が姉の肌に食い込もうかという瞬間、姉の口がこれでもかと言うほど大きく歪んだのを、フランは驚愕の瞳で見届けるしかなかった。
「『スカーレットデビル』――!」
――呼応するかのように、夜の王を中心とした巨大な火柱が天高く昇る。
周囲の物体を全て紅の炎で焼き尽くすかの如きその一撃は、完全にフランを呑み込んだ。
「うっ…ああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
妹の絶叫を十字の中心で聞きながら、姉は勝利の雄叫びの代わりに高く高く笑い声を上げた。
やがてその業火が天に消えていった時、レミリアは残り火を振り払うかのように大きく翼を広げ、飛行する気力も奪い尽くされたフランは重力に引かれ地上へと落下を始めた。
天に居る者と地へ向かう者。上と下。それは完全な決着の瞬間であった。
「奪う? 人聞きの悪い」
フランは遠くなっていく姉を見上げて、レミリアは堕ちていく妹を見下ろして。
「――私は夜の王。王が望むものを下の者が明け渡すのは当然のことでしょう?」
スカーレットデビルの声が、静かに灰色の空に響き渡った。
「じゃあ約束通り、私はレアチーズケーキね♪ 貴女は負け犬よろしくミルフィーユでも口にしてなさい」
「うぅ、今日も負けたぁ……明日こそは私が勝つんだからぁっ!」
「お二人とも、ジャンケンってご存知ですか?」