寝そべりながら読書に勤しむナズーリン。そこへきょろきょろと落ち着き無く、視線を彷徨わせる星がやってきた。
「ナズーリン」
「なんだい、ご主人様」
手を休めることなく返事をする。とても主君に対する時の態度ではないものの、これが既に日常と化してしまっているのだ。今更どちらとも訂正する気はない。
「ここへ置いてあったドラ焼きを知りませんか?」
そこで初めて、ナズーリンが小説から目を離した。
「ああ、ひょっとして中に入っている栗が美味しいと評判のどら焼きかな?」
「そうです」
腹の底に敷いていた空のお皿を取り出す。
「美味しかったよ」
巨大な独鈷杵が追いかけてきました。
辛くも独鈷杵から逃げ切ることができたナズーリン。しかし星のお説教からは逃れることができなかった。
正座をさせられ、いいですか、と窘められる。
「利口なあなたなら理解していると思いますが、人の物を盗るというのは最低の行為です。そうでしょ?」
「ああ、確かにそうだね。私は何と愚かな事をしてしまったんだ。ということで、読書に戻ってもいいかな?」
「駄目です。ちゃんと反省するまでお説教です」
聞こえないように舌打ちをしておく。星は案外抜けたところがあるくせに、ナズーリンに関しては妙に鋭いのだ。その洞察力だけは本物の毘沙門天にも劣らない。
「しかし、どうだろう。あんな目立つ場所にどら焼きを置いたご主人様にも責任はあるんじゃないかと私は思うんだけどね」
「む、どういうことですか」
「私はネズミだよ。そこに無防備な餌があるなら、例え罠が仕掛けられていたとしても食い付いてしまう。これはもう、種族としての性だね」
無論、罠が仕掛けられていたら解除して食べるに決まっている。どら焼きはさして好きでもないが、星のどら焼きとなれば話は別だ。星が楽しみにとっておいた物を食べるのは、チーズを頬張った時と同じぐらい幸せになれる。
「し、しかし、いくら無防備だったからって黙って食べることはないでしょう。欲しければ私に言えば良いのです。私だって鬼じゃありませんから、そうすれば半分ぐらい分けてあげました」
「それではご主人様がどら焼き食べたかったと半泣きで地団駄を踏まないだろ」
「あなた! やっぱりそれが目的だったんですね!」
しばし考え込み、ナズーリンは小傘のように舌を出して頭を叩く。
「すまない。嘘を吐かないと死ぬ病気に罹っているんだ」
「あからさまなリアクションまでとっておいて……その発言自体が嘘ですね!」
弁護士よろしく、びしりと指先を突きつけられた。白く綺麗な指先がすらりと伸びていて、何やら口の中がもごもごとする。ああ、齧りたい。
そんな口の疼きを抑えつつ、ナズーリンは肩をすくめた。
「今のはどうだろう、ご主人様。私が本当にそんな病気を患っているとしたら酷く傷つく発言だよ」
「患ってないから言ったんです。良いですか、ナズーリン。世間にはこういう格言もあるのです。人を見たら泥棒と思え」
「わかったよ、泥棒」
絶対正義という名の暴力が襲いかかり、危うく黒こげになるところだった。
息を切らせる星に対し、ナズーリンは汗一つかいていない。涼しい顔で、運動不足だなご主人様、と呆れたような溜息を漏らしている。
「元はと言えば、あなたが卑しくも私のどら焼きを食べたからいけないんです!」
「そう、確かに私のしたことは卑しい行為だ。だが、ご主人様は卑しくないのかな?」
「えっ?」
真っ赤になっていた星の顔色が、徐々に色を失っていく。冷静になっている証拠だろう。
ここぞとばかりに、ナズーリンは攻め立てる。
「毘沙門天の弟子ともあろう御方が、たかがどら焼き一つで部下を叱責。果たして、これは卑しくない行為と言えるんだろうかね。いや、私はそう思わない。むしろここで部下を許し、器の大きさを見せつけることこそ主たる者が勤めるべき役目だと思うよ」
「わ、私はどら焼きが食べたかったわけでなく、人の物を食べたあなたの行為を戒める為に……」
その言葉を待っていた。ナズーリンは口の端を歪める。
「そうだったのか。なるほど、それは確かに私が非を認めるべきことだったね。すまない、ご主人様。黙ってどら焼きを食べたりして」
「い、いえ……謝ってくれるのならそれで構いません」
怯む星が立ち直るより早く、一気呵成に詰めていく。
「だったら、どら焼きは買ってこなくても良いよね。だってご主人様はどら焼きが食べたかったわけでなく、私の非礼に怒っていたわけだから」
「あっ!」
まんまと翻弄されてしまった事に、ようやく星も気付いた。固く握りしめられた拳が、怒りと悔しさで小刻みに震えている。
だが、分かったところでもう手遅れだ。生真面目な星が、やっぱりさっきのは無しで、などと言うはずもない。
どら焼きが食べたいわけではなかった。その言葉を口にした時点で、星の負けは確定していたようなものだ。
知謀と弁舌で此処まで生き残ってきたナズーリン。その能力はいまだ衰えを知らない。
「うぅ……私のどら焼き……」
「今回ばかりは運が無かったと思って諦めてくれ。まぁ、運だけじゃなく餡も無くなったわけだがね。ははは」
「面白くありません!」
我ながら星と同じ事を思った。
「ところでご主人様。あれは何処にあるんだい?」
「え?」
「あれだよ、あれ。チーズ。買ってきてくれたんだろ」
今晩の料理の買い出しに行こうとしていた星を見つけたので、チーズを買ってきてくれないかと頼んでおいたのだ。勿論、お金は前払いで。
だらだらと脂汗を流しはじめる星を見て、俄に嫌な予感が舞い降りてきた。
「ご主人様、チーズは?」
「……忘れちゃった」
「お金は?」
「……使っちゃった」
気まずそうに頬を掻き、懐から真新しいどら焼きを取り出す星。
ダウジング棒を握りしめ、一目散に逃げ出した主を追いかける。
「ご主人様!」
いかに策略を張り巡らせようとも。
いかに知謀を尽くそうとも。
星のうっかりには敵わない。
ドラ焼き代になった気がしますw
星は食べたかったドラ焼きを食べることができた。
結局二人共得をするとは。
星ナズ、いや、ナズ星… これはいいものだ。うむ。
半泣きの星さん代だと思えば安いものですな
おなかが魔界都市になるんですが。
「わかったよ、泥棒」といい笑顔でのたまうナズさんに私は相対して秒単位持つ(理性が)持つ自信がありません。
食べたい
ってナズが言ってた
ナズさんパネェwww