人里から博麗神社への道のりは徒歩でおよそ三時間。
ほうきと一升瓶と風呂桶を携えて、魔理沙は歩き始めた。
「なんでなんだぜ?」
「……」
「おい、霊夢」
霊夢は風呂桶だけを持って、魔理沙と並んで歩いている。
「まあまあ。無理だと思ったら飛んでいいから」
「むーりーだー」
「魔理沙には無理かあ……そっかあ」
「飛んでいくのが無理だ、と言ったんだ」
二人は肩を並べ、歩き続けた。
そもそもは霊夢が言い出した。
「決めた。やりましょう」
と言えば、二人きりの時は酒である。
「いつ」
「今から」
「日が高すぎないか?」
「こないだ萃香と呑んで、酒を切らしたからね。先に人里まで買い出しに行かないと……」
「それでも夕刻にもならん。まあ、まずは買ってくるけどさ」
魔理沙は嫌な予感がしていた。
霊夢にも昼間っから酔うような趣味はない。さらに、この神社に酒がないという事態も珍しかった。
霊夢は、ぽんと手を打った。
「そうだ。ここにひとつ名案が」
「……」
「人里からは歩いて帰りましょう。それでちょうど、呑みどきになるわ」
「わあ。それは名案だなあ」
「歩けば汗をかくわね。だが都合のよいことにウチには温泉が! 温泉、酒。ワンダホウ! と……それでいきましょう」
こういう、いきさつである。
当たり前のように酒を書い、当たり前のように入浴セットを買った。
「あれ?」
と思った時には、何事もなく人里を出立していた。
そうして、今に至る。
(何か企んでるはずなんだが……)
魔理沙はじろりと霊夢の顔を見つめた。
常にゆるい表情をしている。
「ねえ魔理沙」
「む……」
「転ぶよ?」
すてん。
と魔理沙は転がった。
「危ないわねえ。ほら」
「私はただ、日課の頂礼を……あっ?」
見れば、霊夢の手には酒瓶が握られている。
(いつの間に……?)
寸前までは魔理沙が持っていたはずである。
転ぶのは確実と見て、瞬間、酒瓶だけは守ったらしい。
「おかげで助かったぜ」
霊夢の手から酒瓶を引ったくり、自力で立ち上がった。
魔理沙は普段、道なき森の中を歩きまわっている。
(ちくしょう)
転んだことは悔しかった。それを見越されていたことは、さらに悔しかった。
何よりも、酒瓶を奪われて気付きもしないことが……情けなく感じられた。
「魔理沙」
「何だよ」
「風呂桶、散らかってる」
「散らかしたんだよ。ふむ。明日は晴れ、ところにより雨だ」
タオルと石鹸、替えの下着を拾い、また歩き始めた。
体力とは、必要に応じて備わってゆく。魔理沙はその点で、
(この程度の荷物があっても、霊夢に負けるはずがない)
と思っていた。
霊夢は小脇に風呂桶を抱えて涼しい顔をしている。
「一升瓶、持とうか?」
「酒は死んでも手放せないな」
「ふらついてるわよ」
「酔ったんだよ」
魔理沙は目を細め、余計にふらふらと歩いてみせた。
汗が流れて目に滲みいり、痛くなった。
ようやく博麗神社に辿り着いた頃には、杖代わりにほうきを使い、曲がった老婆のような足取りとなっていた。
「は、や、く……お、ん、せ、ん……」
「魔理沙。怖いわ」
「うふふ……うふふふふ」
霊夢に酒を渡して支度を任せると、ほうきにまたがり、すうっと空を飛んだ。
陽は沈んでいる。
「ひどい目にあったぜ」
魔理沙は空中で帽子とエプロンを外し、胸元をはだけた。
冷たい夜風が吹き抜けてゆく。
(結局、何を考えてたんだか)
汗が冷えて、ぞくりと身震いした。
温泉を囲う岩場に降りると、服を脱ぎ散らかし、凍える身体を湯に沈めた。
(ああ。とろけるとろける)
魔理沙は溶けていった。
遠く、山の肩より浮かぶ月の、やわい光が湯に落ちて、水の音まで、きん色に染まった気がする……。
「いよっ魔理沙、酒だ。酒がきたぞ」
目を開ければ、ぞっとするような暗闇に鬼がいて、魔理沙とともに煮えていた。
萃香である。
魔理沙は、ぼうっとして言った。
「地獄に酒、とはこのことだぜ」
「それに何の意味が?」
「仏様よりありがたいだろ」
「いや、微妙なところだね……」
ちゃぷりと水音がして、
「魔理沙、今日はご苦労だったわね」
霊夢が入ってきた。
たらいが二つ、湯に浮かんだ。
(そうきたか)
一つには酒の水がたっぷりと張ってあり、底に猪口やぐい呑みが沈んでいる。
もう一つにはざるが敷いてあり、その上に鮎の焼いたものがずらりと並んでいる。
「適当だけど」
そう言った霊夢の声が、弾んでいた。
「木の葉じゃないだろうな?」
魔理沙は鮎に手を伸ばした。
「萃香が持ってきたのよ」
「そうかそうか」
串で貫き、塩を振って焼いただけである。
それが、
(うめえ)
たまらなかった。
ぐい呑みでざぶりと酒を汲んで、噛みしめるように喉に流した。
萃香がにたりと笑った。
「河童がくれたんだ。私が山に行くとね、すぐに土産を持たされるのさ」
「大歓迎だな」
「ん……」
萃香は肩をすくめて、小さく笑った。どこへ行っても鬼は厄介者でしかない……寒い土産であった。
宝のひょうたんで湯を汲んでは口に運び、萃香はひとり呑んだくれている。
(やれやれ。こいつに許すと、私の呑み分が無くなるんだが……)
魔理沙の性分である。
「萃香、やるじゃないか」
そう言って、ぐい呑みを押し付けた。
「旨いもん持ってきやがって。私の酒も呑んでみな。いくらでも呑んでいいぜ」
「歓迎してくれるねえ……」
温かい湯の湧くところ、鬼にも情が湧くのかもしれない。
萃香は渡された酒を、少し、少しと、舐めるようにして味わっていた。
「ああ……」
闇の中、半身を風にさらし、少女は天を仰いだ。
ざあっ。
と玉つゆが髪糸をしたたり、地の陰へと飛散してゆく。
(……尻が、いてえ)
粗い岩場ではある。
満天の星空へ向かい、魔理沙はとろりと息を吐いた。
「あん?」
魔理沙は妙な気配に気が付いた。
(何だこの匂い?)
凄まじい量の酒の香が立ち籠めている。
「なあ、萃香」
「うにゃあ?」
「さっきまで使ってた、自慢のひょうたんはどうした?」
「ああ……」
ざぶり、と頭から湯に突っこみ、しばらくすると腕だけが浮き上がった。
「あぁらわぁらわら……」
「うんうん。呑み過ぎるなよ」
腕の先からひょうたんを奪い取り、岩場へ移した。
「いやあ……私ぁ、冗談で言ったんらき、らけ、ね」
「私もね。でもあいつ、変に意地に、にゃるんだもん」
萃香と霊夢が、ひそひそと何かを話している。
(うん……?)
妙に気になって、魔理沙は聞き耳を立てた。
「そそ、それれ、どららっら?」
「私には、らん、楽勝だったけど」
「魔理沙さ、さ、さ」
「あの通りぃ」
「死んら亡霊のような眼をして、こちらを見ているう」
「魔理沙、ど、どうだった?」
「なにが……」
「歩ひ、歩いて、博麗神社へ参詣しよう、の日帰りコースよお。参詣後は温泉でひと休みぃ、の旅は……」
魔理沙はくらりと目まいがした。
酔い加減の霊夢が語るところによると……。
温泉ツアーを組んで、博麗詣でのキャンペーンを貼るということらしい。
昼間のことは、
「た、お試しよお。冗談半分、面倒になったら、中止のつもりでお散歩……」
要はひま潰しで、始めたという。
(温泉目当ての客も、来れば賽銭くらいは投げてくかもな)
魔理沙はくたびれた笑いを洩らした。
「だが霊夢、それはやめた方がいい」
「どうしてえ?」
「分からないなら、私の勝ちだ」
「あ、あんたに分かって、私に、分からないはじゅ、ないわねえ」
「分かった上で言ってるなら、なおさら私の勝ちだろう」
魔理沙が鼻で笑うと、霊夢はムキになった。
「わ、私が、負けを認めるようなことがあればあ、土下座してえ、鼻からお酒すすってみせるわ」
「忘れるなよ」
「あーっはっはっは……」
仰向けで動かなくなった萃香の腹を、ぺちぺちと叩いて霊夢は笑った。
キャンペーンは成功したと云えよう。
客足は日増しに伸びてゆき、某紙に記事が掲載されてからというもの、朝夕を問わず参詣客が訪れるようになった。
ただし、客層は少し偏っていた。
「少女混浴中……」
魔理沙は紙面から目をそらし、深く嘆息した。
手元には、ラキという、ひどい酒の瓶がある。
「好い香りのやつ用意して待ってるからな。あまり意地になるなよ」
魔理沙はひとり、呟いた。
(女として、私は勝ったと思う。しかし勝利ってのも虚しいもんだな……)
それから……。
霊夢が泣きながら魔法の森へ向かったのは、ひと月ほど後の話になる。
でも話は少しわかりにくいです。
>あとがき
デフデフ言うロボを従え、男のロマンを語るあの方ですね。