ある日の朝。
大妖精と共に住む自宅で、チルノはいつもと同じように着替えていた。そしてその最中、チルノは愕然とした。それから慌てに慌てた。その理由はと言うと――
「だ、大妖精ー!」
取り敢えずいつもの服に着替えを済まし、チルノはそう叫びながらどたどたと忙しい音を立てながら部屋を出た。
「何? チルノちゃん」
その声を聴き付け、台所から大妖精は顔を覗かせていつもののんびりボイスで返事。
「無いのよー! あたいのパンツが無いのよ!」
これだからである。そりゃ慌てても仕方ないってもんだ。
「え? ないの?」
「そう、一枚も無いの!」
必死に無い無いと主張するチルノを見つめながら、大妖精は考える。
えーっと……確か昨日は……? あー、そういえば昨日のチルノちゃんの洗濯物、やけにパンツが多かったっけ。
それっぽい事に気づくと、大妖精は合点のいった顔になった。
「昨日出したチルノちゃんの洗濯物、パンツ多かったけど、もしかして全部出しちゃったんじゃない?」
「……あっ」
その言葉に、チルノははっとした表情になって口元を掌で隠す仕草をする。
チルノは基本的に遊ぶ事第一。その他の事はどうしても面倒に感じてしまい、こういった衣服の洗濯も大妖精任せで、出す時も溜まりに溜まって着る物に困り出してから出すのがしばしばだった。
そして今回、チルノはうっかり自分の下着を全部洗濯に出してしまったのだ。
「うぅ、どうしよう……」
「いいじゃない。たまにはおうちの中で過ごしてみるのも」
「それは出来ないのよっ」
チルノの乙女的緊急事態に、大妖精はのんびりとした態度。
そんな大妖精に、チルノは服の裾を掴んで抗議。
「どうして?」
「今日はリグルやルーミアと遊ぶ約束してるんだもん」
「いつも遊んでるし、今日ぐらいはいいんじゃない? 仕方ないんだからさ。事情とかは私から話して断っといてあげるよ」
そう言って、大妖精はにこりと微笑む。
が、チルノは首を縦には振らなかった。
「約束破る訳にはいかないわよっ」
「そのままじゃ安心して遊べないよ? 私の下着はチルノちゃんには合わないし……」
「だって……」
チルノはそう小さく呟くと、俯いて視線を逸らした。表情からは、まだ食い下がる意思が垣間見える。
それを見て、大妖精は気づいた。
要はどうしても遊びたいのだ、この氷精は。こんな落ち着かない心配を抱えていて心から楽しめないというのは、大妖精の言葉で分かってはいるのだろう。しかしそれでも遊びたい気持ちの方が強い。遊び盛りのチルノらしいと言えば、らしいだろう。
そんな子供らしさに、大妖精は内心で笑みを零す。
が、さすがに子供とは言え女の子。万が一にでも下着を穿いていないのがバレてしまえば、チルノは泣くだろう。リグルやルーミアはそれを囃し立てて意地悪するような性格はしていないし、逆に「気にしないよ」と慰めるだろう。
その場合、これを機に少しは女の子らしい慎みを持つかもしれないが……如何せん、心に小さくとも傷を負ってしまうだろう。
大妖精としてはチルノの泣き顔は見たくないし、心に傷を負って欲しくも無い。何より、大妖精はチルノが笑顔で遊ぶ姿を見るのが何よりの楽しみだった。
「ねぇチルノちゃん。遊びたい気持ちは良く分かるよ。だけどね、今日だけは我慢出来ないかなぁ?」
なればこそ、こうやって止めるのは明白である。
大妖精は腰を屈めてチルノと同じ視線になり、優しく言い聞かせるようにしてそう言った。
「で、でも……」
チルノは大妖精に心配を掛けている事に気づきつつも、どうしても遊びに行きたい気持ちを抑え込めず、結果的に視線を左右に彷徨わせてどうにか解決する手段を模索する事になっていた。
大妖精は相変わらずの優しい微笑みを崩さず、チルノを見つめている。それがまたチルノには辛くて、早く解決方法を見つけなければ、と思考は焦りに焦っていた。
そして数分程かかり、チルノは何か思いついたらしく、パッと顔を上げた。
「そうだ、いい事思いついたわっ」
何やら自信たっぷりなその様子に、大妖精は思わず面食らってしまう。
「いい事って?」
「ちょっと待ってて――よっと」
チルノは自分の周りに冷気を発生させ、それをスカートの中に吹き込ませた。
「――よし、おっけーっ。見て見て大妖精。これなら平気よっ!」
チルノは自信たっぷりにそう言うと、自分のスカートを思い切り捲り上げた。
大妖精はその行為に思わず頬を真っ赤に染め、顔を両手で隠してしまった。
「ちょっと大妖精。ちゃんと見なさいよー」
「チルノちゃん駄目駄目駄目だってばーっ! はしたないから駄目だよぉーっ!」
見る事を強要するチルノに、大妖精は顔を両手で覆ったまま左右に顔を激しく振る。
そんな大妖精の気持ちが分からないのか、チルノは片手でスカートの裾を纏めて掴んで固定すると、大妖精の手首を掴んで無理やり下げさせた。
「ほら、これなら平気でしょ?」
「え、あ、えっと、その……す、透けちゃってるよ?」
大妖精はますます頬を赤く染め、今では顔全体が林檎のようである。
チルノはその言葉に意外そうな顔で反応を返すと、自分のスカートの中を覗き込んだ。
そこには、チルノの予定通り氷で創られた下着が確かにあった。
あったのだが、思いっきり透けていたのだ。大妖精の言葉通り。
それを十秒程じーっと見つめると、チルノはゆっくりと顔を上げた。
その表情は諦めたような開き直ったような、何とも曖昧なもの。
「……ま、まぁ、これでちょっとは落ち着いたし、大丈夫、よ、きっとっ……」
「いや、大丈夫じゃないと思うなぁ……」
確かめるようなチルノの声に、大妖精はまだ若干赤い顔のまま苦笑いで返答。
そして二人して一頻り「あは、あははははは……」と乾いた笑い声を上げていた。
「えーっと、それじゃ……あたい朝ご飯いらないから、じゃねっ!」
「え、あ、ちょっとチルノちゃんっ!?」
そして突然チルノは早口でそう言ってくるりと反転すると、大妖精の静止の声を振り切って台所を飛び出した。
それからチルノはリグルやルーミアといったいつものメンバーと合流するべく、いつもの指定場所へと急いだ。
その最中も相変わらずスカートの中身が気になってはいたものの、今更帰るのも馬鹿らしいし、何より引き返すのが何だか負けたように思えてなるべく気にしないようにしていたのだった。
やがていつもの集合場所――紅魔湖の畔が見えてくると、いつもより早めに高度を落とした。中を見られないように、スカートをぎゅっと抑えながら。
「あ、チルノ。おはよーっ」
「おはよーっ!」
そうやって近づくチルノの様子を気にも留めず、畔に腰を下ろしていた二人は立ち上がって手を振る。
「ふ、二人ともおはよーっ」
さすがに二人を前にするとどうしても自分の事態を意識してしまい、チルノの声は若干どもってしまっている。
「ねぇねぇ、今日何して遊ぶの?」
「そうねぇ……チルノは何か案はある?」
「あ、あたい? えーっと、あたいは何でもいいよ、うん」
そうやって苦笑いを浮かべるチルノに、リグルだけは少しだけ疑問を持った。
しかし、それよりもリグルは遊びたい思いの方が強い。調子が悪いとかなら本人がその内言い出すだろう、と内心でケリをつけてすぐに忘れる事にした。
「それじゃ、軽く弾幕ごっこでもする?」
「あ、じゃあ先にリグルとルーミアがやりなよ。あたいは少し見学するから」
「ん、いいけど……」
つい先ほどは忘れようとしたものの、やっぱりチルノの様子がおかしい事にリグルは内心で首を傾げる。
ちらりと隣のルーミアを見るが、ルーミアはチルノの様子に気づいていないのか満面の笑顔。早く遊びたいと言った様子がありありと見て取れる。
見学なら体調が悪くても別に問題は無いだろうし、終わってから訊けばいいや、とリグルは再び思い直し、ルーミアの手を掴んで空へと上がった。
その様子にチルノはほっと安堵し、地面にペタリと腰を下ろした。
が、特に疑われなかった事に安堵しただけで、これから先の事にチルノは大きな溜め息を吐いた。
チルノとしては今更帰る訳にもいかないし、折角始まった遊びを途中で抜けて二人をがっかりさせるのは忍びない。
しかし帰らないなら、ずっと下着を穿かずに氷で創った自前の下着を着けているという事実に悩まなければならない。
結果、チルノは飛び出さずに最初から諦めて家で大人しくしているべきだったと後悔していた。
そしてもう一度、はぁっ、と大きく溜め息。
やがて弾幕ごっこも終わり、二人はチルノの元へと戻った。
「うーん、ルーミア強くなってるなぁ」
「えへへー。リグルも強いよー?」
「そ、ありがと。――さて、次はどうする? チルノとルーミア? それとも私かな?」
「え、う、うーん……」
チルノは考え込んだ。ここで自分が名乗り出なければきっと疑われる。しかし名乗り出て空に上がれば当然スカートの中の心配は大きくなってしまう。どちらにしても危険な事に変わりはない。
自分から「今日はパンツ無くってさー。仕方ないから自分で用意したのよ。似合うー?」なんて公言するのは何としても避けたいところ。
それならそれで、必死に隠した上でバレて泣きながらでも事情を説明すれば、同情は買えるかもしれない。この二人なら、その可能性は高い。
そうなれば、ここはやはり。
「それじゃ、あたいと、えーっと……ルーミアでやろうよ」
「いいよー」
そうして、チルノのいつも以上に必死な弾幕ごっこが幕を開けた。
「じゃ、いくよー」
「ど、どっからでもかかってきなさいっ!」
湖の上で二人は対峙する。無論、単なる遊びなので殺気とかそういう物騒なものはまったくもって無い。ただチルノにはいつもと違って必死さがあるが。
チルノのそんな様子を気にも留めず、ルーミアはいつもの調子で弾幕を繰り出す。
それに対し、チルノは少しでも危なければパーフェクトフリーズで対応する安全策。あまり動き回らずになるべくギリギリで避け、その際の反撃は一度に発射出来る最大数の氷柱を飛ばし、同時にアイシクルフォールやヘイルストーム、フラストコラムスで一気に囲む全力短期決戦仕様。
みるみる内に妖力が減ったところでチルノは気にしない。自分が大きく動かないで済むうちに仕留められればそれでいいのだから。
「わ、わ、わわわっ」
「この、このっ!」
ルーミアはいつもと違う弾幕に焦り、目前の氷柱とパーフェクトフリーズで予め固められていたアイシクルフォールの残滓が動き出したものに囲まれて為す術も無く気合避けの防戦を強いられていた。
「は、早く落ちなさいよっ!」
チルノは動いて一気に詰めればそれで終わる状況だが、やはり動くのには抵抗があった。上空は風も強い。スカートを抑えていなければ簡単に捲れてしまう。だから短期決戦ながらもルーミアの限界を待つ長期戦を強いられる他は無かった。
「も、もう限界ぃ~……」
いつの間にか増えていた弾幕にルーミアは目を回し、ふらふらとしている。言葉通り、ルーミアは既に限界だ。
「チルノ~、降参~」
そんな訳で、ルーミアはいつの間にか用意していた白旗を振って降参宣言。
チルノはそれを見て漸く攻撃の手を緩め、すぐにパーフェクトフリーズでルーミアの周囲の弾幕を固める。
ルーミアは相変わらずぐるぐると目を回しながら、ふらふらと湖の畔へと降りていった。
それを見届け、チルノは先に垂直落下して湖面ギリギリまで降りてから真っ直ぐに二人の元へと戻った。
「お疲れ、二人とも。……ねぇチルノ」
「な、何? リグル」
「あんたさ、えらく必死だったけど。なんかあったの?」
訝しげな視線でそう問われ、チルノは思わず身体を硬直させる。
そしてどうにか表面だけで笑顔を作り、口を開いた。
「べ、別に何もないわよ?」
「……ならいいんだけどさ。一応私達友達なんだからさ、困ってたり悩んでたら相談してよね」
リグルのその言葉に、チルノは事情を説明しようと思った。だが、それも一瞬の事。
やはりこれは話すには気が引ける。それに疑われてはいるものの、バレてる訳じゃない。
「……うん。ありがと、リグル」
その殊勝な返答にリグルは満足そうな表情を浮かべると、隣で未だに目を回してふらふらしているルーミアの介抱に移った。
「ほら大丈夫? ちょっとそこで座って休みなさい」
「はうぅ、目が回るぅ~……気持ち悪いよぅ……」
リグルは苦笑しながらルーミアに肩を貸して近くの木陰へと移動。
チルノはそれを見ながら、今日何度目かの溜め息を吐いてすぐ側の木陰に腰を下ろした。
それからはリグル・チルノの二人と弾幕ごっこで疲れ果てたルーミアの提案でお喋りとなり、やがてお昼だから、とチルノはそそくさと二人の元を去って自宅へと急ごうと湖畔を駆け出した。
普段はすぐに飛び立って自宅へと向かうのだが、すぐに飛び上がれば中身が見える可能性が高い。二人からある程度離れたところから飛び立つのが一番安全なのだ。
そうして二人の姿が見えなくなったのを確認し、チルノは飛び上がろうとした――
「よ、チルノ」
ところで、後ろから聞き覚えのある声がチルノの耳に届いた。
聞き覚えも何も、チルノにとっては良く聴く声なのだが。
普段遊んでいる最中、よくその人物は紅魔館へと向かって高速飛行しているのだから。
「え――? うわ、あ、あ、あ……」
そしてタイミングが悪かった。
なんせ飛び立つ直前で話しかけられたのだ。
いきなり地面に降り立とうとすれば、バランスを崩してしまうのも道理だ。
両手をパタパタと振って体勢を立て直そうと足掻くが、所詮足掻きにしか過ぎない。
重力は無常なのだ。
「ふぎゅっ」
思いっきり前のめりに倒れ込んだ。
ふわりと舞い上がる蒼のスカート。
真後ろには魔理沙。
魔理沙の眸に映ったのは、紛れも無くチルノ謹製の透ける氷パンツ。
そして数瞬遅れて舞い上がったスカートは重力に引かれ、チルノの下半身を覆い隠した。
「……あー、大丈夫、か?」
そう声を掛け、魔理沙はチルノを抱え起こす。
「……もしかして、見えた?」
「いや、そのー……中々斬新で独特なもん着けてるんだな、お前」
見てしまった事でばつの悪さを顔に出しながら、魔理沙。
その言葉に、チルノは俯いてふるふると細かく身体を震わす。
胸中に浮かぶのは、多分今までの必死さとか最初の後悔とか、色々なのだろう。
「……チルノ?」
そしてその言葉が決定的だった。
チルノは顔を上げ、泣き始めた。思い切り。
魔理沙は一瞬驚くが、わんわんと泣き叫ぶチルノを見て悪い事をした、という思いが胸に浮かんで何とも申し訳無さそうな顔になる。
「ああほら、私が悪かったっ。悪かったから、泣き止めよ、なっ?」
少し腰を屈め、チルノと同じ目線になって魔理沙は困った顔でチルノの頭を撫でる。
が、それでもチルノは泣き止まない。
涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながらも、尚泣き続ける。
次第に魔理沙は撫でてあやすだけでは駄目だと分かり、ひとつ大きく溜め息をついて屈めた腰を伸ばした。
そしてチルノの背に両手を回し、自分の方へと引き寄せた。
「不可抗力とは言え、見てしまったのは謝るから。何があったかとか訊かないし、詮索もしないから、取り敢えず泣き止め。なっ?」
魔理沙はそのまま背中を撫でる。
そうしていると、次第にくぐもった泣き声はしゃくりあげるものへと変わっていった。
チルノをこんな風に優しく扱った事のない魔理沙は今の自分に内心で苦笑するが、まぁ泣く子には勝てないしな、という事で納得する事にした。
やがてしゃくり上げる声が聴こえなくなると、魔理沙は途端に圧し掛かってくるような重圧によろめきかけ、どうにか一歩下がる事で耐える事が出来た。
何事かと思ってチルノの身体を少し離すと、頭がかくっと垂れた。そしてそうやる事で、魔理沙は漸くチルノからすぅすぅという寝息を聴き取れた。
魔理沙は仕方ないなぁ、と苦笑しながら小さく呟くと、そのまま背に担ぎ、箒に乗って危なっかしいバランスながらも自宅へと急いだ。
辿り着き、魔理沙は自室のベッドへと寝かせて目覚めるのを待つ事にした。
起きたらどんな顔をするだろう、とか、ドロワーズか何か貸してやろう、とかそんな風な事を思いながら、魔理沙はにやにやと気持ち良さそうな寝顔を眺めていた。
-FIN-
なにこの面白ツール!
八雲紫を分析して納得。
つーか、敢えて⑨パンツを入力した動機については突っ込まない方向性で。