店を畳んでいる途中で腹が鳴った……。
何となく気恥かしさから、真っ白い頭髪をぐしゃぐしゃとかく。
いかんな……。
長いシャツの袖で額を拭うと、やや大ぶりな自分のズボンをパンパンと叩いた。
私は朝から、我が家から結構遠く離れた集落まで行商に来ていた。
品物は、家の近くの竹林から勝手に切り出した竹で作った細工物。
店と言っても、品物を包んでいた風呂敷を地面に広げ、見栄え良く並べただけだ。
かさばらないように、やや乱雑に商品を重ねると、風呂敷を包む。
……ふと視線に気づけば、物珍しい顔で、子供がこちらを見ていた。
私は包みかけた風呂敷から竹トンボを取り出すと、空に飛ばす。
驚いた顔で、それを目で追う子供。
その顔が嬉しそうな笑みに変わるのを見ながら、さっと荷物をまとめ上げ、歩き出す。
高度を落とし始める竹トンボを追いかける子供は気づかない。
子供は好きだ。
さて、私は風呂敷を担ぐと、どこか飯を食べられる場所を探し始めた。
小さな集落だが、飯屋の一つはあるだろう。
少しくらい飯を食べなかったところで、人間死にはしないし、私はそれ以上に丈夫なので死ねもしない。
いや、実際は死ぬのだが。
とにかく餓死というのは何よりも辛く苦しい死に方だと、身をもって体感し、悟っていた。
故に、わざわざこんな行商の真似事なんぞやって、日銭を稼いでいるのだ。
とにかく、女一人、食うに困らない程度の金は常に持っていたい。
何より食事をすること自体、私は割と好きなのだ……。
そうこう考えている内に、集落の外れ辺りまで来てしまっていた。
まずいな……。
どこでもいいんだが、こういう時に限って中々見つからない。
集落を出て、街道沿いで探すか?
もやもやと考え続けながら歩いていると、数軒先に古びた看板が掲げてあるのに気づいた。
「蕎麦、か……」
こんな所で蕎麦屋に目にかかるとは思わなかった。
蕎麦か、それもいいな。
安心したような心地で暖簾をくぐった。
「あ、いらっしゃいませー」
中に入って見渡すと、小じんまりとした店の中に客はいなかった。
時間を外したか……?
一瞬不安に駆られるが、とにかく空いている席へ腰を下ろすと、給仕と思しき中年の女が茶を運んできた。
「どうも」
小さく礼を言うと、貼り付けてある品書きへ目を移す。
狸か……確か西と東では中身が違うのだったよな。
ここはどっちだろうか、油揚げでも揚げ玉でも、どちらにしても悪くない。
月見か、玉子を乗せるのもいいな。
鴨が入ってるのも、値は張るが魅かれるな。
移り気に、黙々と考えていると、ふとある品が飛び込んできた。
天ぷら蕎麦……?
まさか、ここで天ぷらの字を見るとは思わなかった。
静かに驚いている所へ、給仕の声がかかる。
「御注文、お決まりですか?」
あ。
「ああ、じゃあ、天ぷら蕎麦を……」
「天ぷら蕎麦ですね、天そば一丁ー!」
威勢のいい声が、店の奥へ飛ぶ。
まいったな、目をひかれている所へ聞かれたものだから、思わず注文してしまった……。
天ぷら蕎麦、か。
随分前に食べたことがあるが、あれは笊の方だっただろうか。
確かにうまくはあったんだが、この地にもあったとは知らなかった。
……しかし、果たしてそれは本当に天ぷら蕎麦だろうか。
蕎麦が運ばれてくるまでの間を、私は密かに考え続ける。
何故なら、ここには海がない。
海産物というのが全く流通していない土地なのだ。
ということは、天ぷらの主役であるところの海老もないわけで……。
……一体どんなものが運ばれてくるのだろう。
少々の不安と、おぼろげな好奇を感じながら、一口茶を啜った。
「はい、おまちどう」
来た。
運ばれてきた蕎麦は、意外にもまともだった。
普通のかけの上に、天ぷらがのっているという基本的な形。
汁は、色がやや濃い目だろうか。
問題の天ぷらは、やはり海老は入っていなかった。
しかし、海老こそないが、他は茄子、南瓜、獅子唐、と、基本の野菜類は抑えてある。
そして、海老の代わりか、やや大ぶりな野菜のかき揚げがのっている。
うーん、そうか、やはり海老というのは、初めからないものとしてここでは扱われているんだな。
代わりに、器からはみ出さんばかりに野菜の天ぷらがのっている。
何とも食いでがありそうな代物だな……。
味を壊さない程度に七味をふりかけると、手を合わせてから食べ始める。
初めに蕎麦だけをすすり、少し汁を飲む。
うん、悪くない。いい味だ。
天ぷらはどうだろうか、茄子を半分まで齧り、蕎麦も一緒に含む。
少し残っている衣の歯ごたえと、茄子の素朴な味が、蕎麦と交わっていい感じだ。
次は獅子唐と。ああ、南瓜もいいな、うまい。
かき揚げも……。
噛んだらざくりとする、ふやけた部分と交わって絶妙だ。
うん、野菜だけの天ぷらというのも、案外悪くないものだなぁ。
「ふぅ……」
うまかった。
汁まで飲み干すと、残った茶で一息ついた。
しばらくしてから、勘定を払い店を出る。
腹はしばらく虫も鳴きそうにない、結構な量だった。
再び風呂敷を背負って、ゆっくりと街道へ歩き始める。
しかしというか、今更だが……。
やはり、天ぷらというのは海老がないと、何となくしまらないものだなぁ。
「野菜だけの天ぷら蕎麦、か……」
はは。
不思議なもやもやを抱えたまま、私は力なく笑った。
余計に腹減ってきた。