何時もの場所――霧の湖。
其処で、あたいはお姉ちゃんに話をしている。
だいぶ前の事、少し前の事、ちょっと前の事……色々、沢山。
勿論、無駄話をしている訳じゃない。
「それでね、それでね」
「なにかしら、チルノちゃん?」
「あたい、色んな奴と弾幕ごっこしたの」
……なんでもいいけど、お姉ちゃんの膝、柔らかいなぁ。
レティの膝も素敵なんだけど。ぷにぷに。
あれ、腿って言うんだっけ。
違う違う。
「えっと……青白と赤緑、白黒、緑白、それから、七色と闘ったわ!」
「早苗さん、美鈴さん、魔理沙さん、空さん、アリスさん。ね?」
「倒した奴の名前なんて覚える必要もな、お姉ひゃん、いたひ」
「チルノちゃんは私の名前も覚える必要がないと言うのね?」
「う。んー……わかった。ちゃんと言うよ」
でも、あたい、お姉ちゃんと闘った事あったっけ?
……あ、だから、違うってば。
本題がずれてきている。
お姉ちゃんと話をしていると、そんな事が多い。
ずるずるずるずる続いて、気がつけば何を言おうとしていたか忘れちゃう。
それはそれで楽しいんだけど。
でも、今日は駄目。
あたいは決めたんだ。
あの日に刻んだ決心は、今も揺るがない。
んしょっとはね起き、お姉ちゃんと向き合う。
「早苗も美鈴も、魔理沙、お空、アリスも、ぜーんぶやっつけたわ!」
「此処に戻ってきた時は随分ふらふらだったけど……」
「だって、最後にぼかーんって!」
「あぁ!? 思い出さなくてもいいわ、思い出さなくてもいいのよ」
「ぼかーんどかーんひゅるひゅるひゅーぐしゃ……じゃない! お姉ちゃん!」
顔をずぃっと寄せ、肩を強く握る。
ふらふらだったのは本当だ。
でもそれは、その前からだった。
連戦連勝とは言え、あたいは何度か地に落ちた。
最強無敵妖精のあたいが、だ! 許せるか!? 許せない! だから!
「もっと最強になるわ!
今よりずっとタフになる!
つまり――あたいより強い奴に会いに行く!!」
ずばーっんと言い放つあたい。凄く決まった。
そう、あたいは旅に出るのだ。
朝から昼にかけてじゃない。一泊二日の大冒険をも凌ぐ武者修行。
お姉ちゃんと話をするのも最後になるかもしれない――その思いで、あたいは話をしていた。
燃えるようなあたいの視線を、お姉ちゃんは真っ向から受け止めてくれた。嬉しい。
「……そう」
「お姉ちゃん、止めないで!」
「止めないわ。いいえ、むしろ」
お姉ちゃんは言葉を切り、立ち上がった。
お陽さま色の羽根が広がる。
光で、透けて見えた。
「まず、私を倒してみなさい!」
両手を広げて、お姉ちゃんは力強くそう言った。
……んと、えっと。
なんか可笑しい。
だって。
「お姉ちゃんに名前を覚える必要があるって言われたって事は、あたいはお姉ちゃんに」
「チルノちゃんっ!」
「あぃ!?」
ぴっと人差し指を立てて、お姉ちゃん。あたい、間違ってる?
「1+1は?」
「へ……2だよ?」
「うん、良くできました」
「褒めて褒めて」
「撫で撫で」
んーって、違う!
「お姉ちゃん! あたい、お姉ちゃんに教えてもらった事は忘れてないよ!?」
「そう……加算ではもう貴女を止められないのね」
「引き算だって出来るわ!」
「ふふ、いい子いい子」
「撫でて撫でて」
んー……っがぁぁぁぁ!?
あたいは両手を振り回した。
お姉ちゃんは話を逸らそうとしている。
……と言うか、前にもこんな事があったような。花が一杯咲いた後。
ずっと昔を思い出していると、含み笑いが耳に響いた。
誰の――決まっている。
お姉ちゃんだ。
あたいの腕を柔らかく掴み、そっと呟く。
「じゃあ、乗算は出来るかしら?」
首を捻る。
「じょーさん?」
「ええ。掛け算の事よ」
「なら、知ってるわ! お姉ちゃんが教えてくれたじゃない!」
いんいちがいち、いんにがに、いんさんがさん――。
――ごしちさんじゅうご、ごはようじゅう、ごっくよんじゅうご!
「どう!?」
胸を張るあたいに、お姉ちゃんは、にこりと笑った。
「六六は?」
なにそれ。
ぽかんとするあたい。
前に教えてもらったのは其処までだ。
その先があるなんて知らないし、考えもしなかった。
あたいの頭の中を覗いていたようなタイミングで、お姉ちゃんは続けた。
「いい、チルノちゃん。
六六は三十六、六七は四十二……もっともっと続くわ。
辛辣な言い方だけど、貴女は、氷山の一角に足をつけたにすぎない」
何てことだ……!
「お姉ちゃん、つまり!」
「そう! その先を掴んでこそ!」
「あたいの最強は、より最強になる!」
「辛い時間になるわよ、だけど!」
「うん! あたい、頑張る!」
拳を握り、決意を固めた。
「チルノちゃん!」
「お姉ちゃーん!」
抱きしめられ、抱きしめ返す――むぎゅう。
……う?
「でも、お姉ちゃんは最強になれるなんて一言も」
「六一から始めましょう」
「あぃ」
こうして、辛く険しい掛け算との戦いが始まった――。
「ろくにじゅうに、ろくさんじゅうはち……」
「チルノちゃん、岩に座るなら木の枝に移りましょう」
「ろくよんどるふぃんうぃーでぃーえす……んぁ、どして?」
「他に気がうつっちゃうでしょ? 是とか」
「あぁ、あたいのゲームギア!?」
「しちごさんじゅうご、しちろくよんじゅうに……」
「七七四十九、七六四十二……」
「しちごさんじゅう……う?」
「三十五。はい、最初から」
「うぼぁー」
「はちしちごじゅうろく、はっぱろくじゅうよん……」
「丸腰だから最強だ、真っ直ぐ立ったら気持ちいい」
「丸腰じゃなくてもあたいは最強!」
「チルノちゃんの場合、氷は武器に入るのかしら」
「剣にも槍にも出来るよ! はちくななじゅうに……」
――そうして、何度か太陽が落っこちて、上がってきた。
で、もう一度落っこちかける、その間際。
風が吹いた。
自然だけど、自然じゃない吹き方。
パチュリーの周りほどには不自然でないその風は、だから、風の友達、天狗のもの。
「どーもぉ、こんちこれまたお日柄も宜しく。えぇっと……」
訳のわからない言い回し。
だから、わかった。鴉天狗の文だ。
なんて思っていると、急に風は止んでしまった。
下の方で、かさりと草の揺れる音がする。
文に挨拶する為に、お姉ちゃんが岩から腰を上げたのだろう。
大台に差し掛かろうとしているあたいには、有難かった。
「こんにちは、文さん」
「あぁ、はい、こんにちは。貴女は――」
「今日は、どういったご用件で来られたんです?」
「いやね、ちょいと面白い噂を耳にして」
「チルノちゃんの、ですか」
「ですです」
口ずさむ度に近づいている。
もう少しで、『その先』が掴めそうなのだ。
しかも、あたいには明瞭に答えが見えている。
「なんでも、『より最強になる為の勉強中』、と」
「ええ。今も、続けています」
「チルノさんが勉強、ね」
「心外な響きを感じますが、吸収量は凄いんですよ」
「……と仰られても。算数でもやっているんでしょうかねぇ」
もう少し、もう少し……!
「まぁ……見て頂ければ解ります」
「論より証拠、と言う訳ですね。では」
「其処に居ますわ。チルノちゃん、文さんが」
呼び声に、あたいは視線を向ける。
でも、ごめんね、文、お姉ちゃん。
大台の前だから、挨拶はできないよ。
「さぁ――見上げてくださいな」
だから、その代わりに、あたいが掴んだ『その先』を聞かせてあげる――!
「――ななひゃくにじゅうきゅう!」
できたー!
ぴょんととび下りる。
木の下で、お姉ちゃんが待っていた。
飛べるけど……いいや、今は甘えちゃおう。
とすん。
「できた、できたよ、お姉ちゃん!」
「ええ、聞いていたわ」
「褒めて褒めて」
「撫で撫で」
「もっと、もっと!」
「撫で撫で、撫で撫で」
「んーっ! ……て、あれ、文がいない?」
何処行ったんだろう。
「ふふ……お勉強の成果を、書きに帰ったんじゃないかしら」
「ふーん。ちょっと位、遊んでいけばいいのに」
「あら、チルノちゃんは遊びたい?」
「う? うーん……今日はいいや。なんだか疲れちゃった」
「ずっと頑張っていたんですもの、当然よ。じゃあ、どうする?」
気付けば、太陽も落っこちている。
あたいの瞼も重たくなった。
でも、あっちの方が先。
「寝る、けど、あたい、太陽に勝ったよ!」
「ん……チルノちゃんは、無敵の最強妖精だものね」
「最強の無敵妖精! ……あ、そうだ、お姉ちゃん?」
かさりと音がした。
お姉ちゃんが岩に腰を下ろした音。
続いた、とん、は、あたいの頭を膝に乗せた音。腿だっけ。
瞼が落ちる。
意識がとおのく。
あぁ、ひょっとしたら、おねえちゃんのももが――。
「あたい、もっとさいきょーに、なったのかな?」
「……ええ。チルノちゃんが覚え続けていれば、ね」
「なら、だいじょうぶ。おねえちゃんに、おしえてもらったこ、と、は……」
――おねえちゃんが、さいきょーなのかも、しれ、な……。
――翌日に発行された、文々。新聞の速報には、珍しく一面に写真が掲載されていなかった。
――しかし、記者である射命丸文の表現により、対象であるチルノの成果はいかんなく発揮されていた。
――此処に、その一文を抜粋しよう。
『黄昏時、私は彼女を、氷精を見た。
少女は、しかし少女と呼ぶには軽すぎるように思う。
氷精チルノは、世の全てを見通しているとばかりの表情で、笑っていたのだ。
そう、笑っていた。確かに、笑っていた。
――くくく、と』
<了>
……あれ?
チルノかわいいなぁ大妖精もかわいいなぁ
ちょ、これはw
いえ、面白かったのですが。