上海人形が服を着ようとしない。アリスがいくら着せようとしても着ようとしない。
こんな状況が現在2日続いている。
アリスは困っていた。なぜならアリスはいつも上海人形を持ち歩いているからだ。
「上海、ちゃんと服着なさい」
「バッカジャネーノ!! 」
上海人形が服をアリスに投げつけた。
蓬莱人形がそれをキャッチした。
「ホ、ホラーイ」
この有様である。
部屋の中には、脱ぎ捨てられた上海人形のドレスやら、下着やらが散乱していた。
こんな状態では、誰かを呼ぶことなんて勿論出来ないし、外出することも不可能である。
そんな訳でアリスは、ここ二日、ずっと家の中で上海人形と格闘していた。
「上海、そんなこと言わないでよ……」
おまけに上海人形のつっけんどんな態度に、アリスの心は沈没寸前だった。
「ねぇ、上海、いくら外が暑いからって、そんな格好することないじゃない」
「バッカジャネーノ」
「さっきからなんでそれしか言わないのよ……」
脱ぎ捨てられた服を手にする。
服はかなり新品のものだった。
一体なんで上海人形がこんなに反抗的なのか、アリスには見当がつかなかった。
その日は雨だった。
とても強い雨が降っていた。
アリスは紅魔館の図書館にお邪魔していて、お茶を頂いた後帰ろうとしたときに急に雨が降ってきたのだった。
紅魔館のメイドは泊まっていけばいいと言ってくれたのだったが、そんなのは悪いとアリスは振り切って出て行ってしまった。
そのときに、一緒にいた上海人形もびしょぬれになってしまったのだ。
「上海、ごめんね。こんなになっちゃって」
「アリス、アリスモヌレテル」
「うん、そうね。一緒に乾かしましょうね」
今思えば、それが最後の言葉だったのかもしれない。
あの時の上海は、自分のことを心配してくれた。
とても優しかったのだ。
風呂から上がり、上海人形の服を脱がせ、本体を乾かした。
濡れた服は全てその日のうちに洗った。
明日にはきちんと着せよう、そう思いながら。
そして、次の日には。
「バッカジャネーノ!!! 」
「ちょ、上海!! 」
上海は服を着ようとしない。何一つ身につけようとしない。それどころか服をアリスに投げつける始末。
上海の性格の激変振りに、アリスはびっくりした。
そして、いつからこうなってしまったのだろうかと、悲しくなった。
アリスはもう何度も着せようと服を近づけた。
けれども上海人形はアリスの手を振り払うばかり。
アリスの心は、墜落寸前だった。
上海人形を後に、上海人形のいる部屋から出て行く。
蓬莱も一緒だ。
パタンと扉を閉めても、何の返事もない。
部屋のドアの前にへたりこんで、アリスはため息をつく。
「ねえ、蓬莱、どうしちゃったのかな、上海」
「ホラーイ」
「なんでこんなことになっちゃったのかな」
「ホラーイ……」
「上海、私が一体何したっていうのよ……」
蓬莱をぎゅうと抱きしめる。蓬莱はホ、ホラーイと苦しそうな声を上げたが、それどころじゃなかった。
上海人形は、部屋でおとなしくしているみたいだった。
けれども、自分がやってくると、バッカジャネーノと睨む。
アリスの目から、涙がひとつこぼれた。
「うっ、上海……」
一体自分が何をしたというのだろう。
なんで服を着てくれないのだろう。
いつからこんな風になってしまったのだろう。
上海人形は、バッカジャネーノを繰返すばかりで、何も応えてはくれなかった。
上海人形の服は、いつもアリスのお手製である。
原料の布や糸を郷で買ってきて、全て自分で縫って作る。
そんな風にしていつも、人形の服を作っていた。
だから、自分の作った服を着てくれないということは、アリスにとっては相当のダメージだった。
上海に着せてあげるはずの、赤い服。
部屋から持ってきた、赤い服。
上海が振り払った、赤い服。
全部、アリスの特製だった。
「上海……」
雨に濡れておかしくなったのだろうか。
上海はいつも自分に優しくて、こんなことは今までにないことだった。
いくら考えても、答えは見えなかった。
「上海……」
上海人形は部屋でどうしているのだろうか。
さっきと同じように、部屋の真ん中に裸で胡坐をかいて座っているのだろうか。
アリスには見当もつかなかった。
「上海……」
蓬莱の首をつかみながら、アリスは独り言を言う。
「ねえ、何が悪かったのかな、蓬莱」
「ホラーイ」
蓬莱の首をつかみながら、アリスは独り言を言う。
「この下着が気に入らなかったのかな。黒じゃ駄目だったのかな。でもドロワーズなんかよりもよっぽど似合うと思うのに。こんなに紐っぽいのがよくなかったのかな。紐のほうが、上海にはよく似合うと思ったのに」
「ホ、ホラーイ」
独り言は、リビングの中へと消えていく。
「それとも、いきなり赤い服から着せたのがいけなかったのかな。やっぱり下着は必要だったのかな。下着がないほうが健康にいいから、そっちのほうがいいと思ったのに」
「ホラーイ……」
後に残るものは、何もない。
「なんで? どうしてわかってくれないのよ、上海。あなたには絶対、こっちの黒のほうが似合うのに。どうしてそんなに拒むの? どうしてドロワーズじゃなきゃはかないって言うの? 絶対そんなことはないのに。ねえ、どうして、どうしてなの上海」
「ホ、ホラーイ……! 」
蓬莱は最早、ホラーイとしか言えない。
「あの図書館の魔女が言っていたじゃない……! 下着なんか履かないほうが健康に良いんだって……! 折角、折角上海にも次からはそうしてあげようと思ったのに……! なんで、なんでわかってくれないのよ上海っ」
床がみしみしと音を立てていた。
けれどもそれにも構わず、アリスは蓬莱をぎゅうと抱きしめた。
「蓬莱、ねえ、蓬莱。蓬莱もそう思わない? 」
「……」
「蓬莱? ねえどうしちゃったの、蓬莱」
「……」
「へ、返事してよ蓬莱! ねえ、蓬莱ってば! 」
「(ホ、ホラーイ……)」
蓬莱は最早、言葉を発することもできなかった。
「どうしてっ、どうしてなのっ!? ねえ蓬莱、答えてよ蓬莱!! ねえ、ねえってば!! 蓬莱! 蓬莱! 」
乾いた叫び声だけが、リビングの中を埋め尽くす。
「ううっ……!! 上海……! 蓬莱……! 」
アリスの目から、涙が一つこぼれる。
何故、人形たちはわかってくれないのだろう。
ちゃんと心を通わせたはずなのに。なぜなのだろう。
一体いつどこで道を間違えたのだろう。
「上海……蓬莱……」
意味のない呟きばかりが、部屋を埋め尽くしていく。
アリスはただ、涙を流すしか術がない。
上海が服を着てくれない。ぱんつも履いてくれない。蓬莱は何も言わない。何も言わずにただたたずんでいるだけだ。
「上海……蓬莱……」
アリスは泣いた。それはもう、すごく泣いた。
その泣き声は、隣の魔法使いを起こし、隣の魔法使いを駆けつけさせ、隣の魔法使いに抱きしめられるほどだった。
そのぐらい、アリスは泣いた。
泣いても泣いても、上海が部屋から出てくることはなかった。
蓬莱が言葉を発することもなかった。
ただ、隣の魔法使いに身を寄せるだけだった。
そんな日々が、一週間続いた。
ある晴れた日のことだった。
隣の魔法使いに助けられ、アリスは少しだけ回復した。
落ち着きも多少取り戻した。
そんなある日のことだった。
リビングでお茶を入れていたアリスは、魔法使いの言葉を思いだす。
「お前、そりゃ嫌がるだろ。人形だって一人前なんだぜ。ぱんつぐらい自分ではけるだろ」
「魔理沙……」
「一言で言えば、お前は過保護だ。着替えぐらい、一人でやらせろよ」
「でも、でもっ」
「お互いの領域に踏み込みすぎないことは、一緒に暮らしていく上で大切なことだと思うぜ」
「……」
「ぱんつぐらい、選ばせてやろうぜ」
魔法使いに言われて、やっと気が付く。
自分が今まで、どんなに過保護だったのかを。
上海は、自我に目覚めつつあるのだ。良い傾向ではないか。
上海がどんな下着を履こうとも、いいじゃないか。本人の好きなようにさせるのが、親心というものだろう。
「ごめんね、上海……」
自分の昔のことを思い出す。
そういえば、母に服を着せてもらったとき、気に入らないからといって投げ捨てたことが何度もあった。
その時には気が付かなかったが、母はなんとなく悲しそうな顔をしていた気がする。
きっと今の上海も、昔の自分と同じなのだ。
「ちゃんと謝らなきゃね」
きっと上海人形は、部屋で今も胡坐をかいているだろう。裸で。
いつまでもそんな格好をさせるわけにはいかない。
自分から一歩踏み出さなければ。
洗い終わった上海人形用のドロワーズを握り締め、アリスは部屋をノックした。
「バッカジャネーノ」
上海だった。
一週間ぶりに聞く、上海の声だった。
アリスはそれだけで泣きそうになった。
「あ、しゃ、上海」
「バッカジャネーノ」
「あのね、上海、きいて」
「バッカジャネーノ」
「ばっかじゃないの、じゃなくって、あのね、私、貴方に謝りたくて……」
上海人形はそれを聞いて、バッカジャネーノというのをやめた。
アリスはほとんど泣きそうな声で、上海に話しかけた。
「ごめんね、上海。私、貴方の気持ち全然考えていなかった」
「……」
「貴方がどんなぱんつが似合うかなんて、そんなことを勝手に決めて、勝手に暴走してしまったの」
上海人形は、何も言葉を発しない。
「ごめんね、私、上海がとても可愛いから、つい過保護になっちゃって。でも駄目よね、そんなんじゃ主失格よね」
リビングには、アリスの声だけが響く。
「上海、ごめんね。ちゃんと貴方のもとのドロワーズ、洗っておいたからね。今日はそれだけ、渡しにきたの」
上海は、何も言わない。
「許されないことをしたわよね、でも、私っ……」
アリスの目から、涙が一つ零れ落ちる。
そうだ、この一週間、ずっと上海に会っていなかった。
そのことが、こんなに自分の心にダメージが来るなんて思いもしなかったのだ。
「ねえ、上海、出てきてよ。おねがいだからっ……!」
アリスはドアの前に崩れ落ちる。
あまりに苦しくて、悲しかった。
もう耐えられなかった。
「上海、上海ぃ……」
ドアの向こうには、上海人形がいた。
上海人形は、ずっとアリスの言葉を聞いていた。
いつしか上海人形の手は、自然とドアノブの方へと動いていた。
ガチャリ。
部屋のドアが開いた。
アリスはびっくりして、目の前の光景をまじまじと見た。
そこには一糸まとわぬ上海人形の姿があった。
「上海……!! 」
「バ、バッカジャネーノ」
上海人形は、アリスの持っているドロワーズをひったくり、部屋へと帰っていった。
心なしか頬が赤い、そんな気がした。
「許してくれたの? ねえ、上海」
「バッカジャネーノ」
「許してくれたのね」
「バ、バッカジャネーノ」
「上海ぃ……!! 」
アリスはドロワーズを履いた上海に飛びついた。
上海人形は驚いてレーザーを吐こうとしたが、生憎1週間一人で生きていたため、魔力は残っていなかった。
アリスのされるがままに、上海人形は抱きしめられる。
「上海、上海ぃ」
「ババババッカジャネーノ」
「上海ぃ……」
上海は、アリスが涙を流していることに気が付く。
おずおずと手を伸ばし、それに触れる。
久しぶりに、主に会ったような気がしたのだった。
「ごめんね、ごめんねぇ、上海……」
「フ、フン、バッカジャネーノ」
上海人形は、ぷいっとそっぽを向く。
けれどもそれはただの照れ隠しであった。
アリスはずっと、上海を抱きしめていた。
「バッカジャネーノ」
「ごめんね、もうこんなことしないからね、上海」
「フ、フン……!」
隠されていた自分のドロワーズを手にした上海は、ドロワーズを履き、赤い服を着て、側で眠っている蓬莱に人工呼吸を施した。
蓬莱はすぐに起き上がった。
起き上がると、窒息しそうなぐらい強い力でアリスに抱きしめられた。
「蓬莱ぃ」
「ホ、ホラーイ……!」
ぎしぎしと音を立てたような気がしたが、上海は聞かなかった振りをした。
蓬莱は若干苦しそうな声を上げたが、気にしない振りをした。
そんなこんなで、晴れて二つの人形は復活したのだった。
「おう、元気そうだなー」
空は晴れ。
隣の魔法使いは今日も、アリスの家に遊びに来ていた。
勿論、人形たちも一緒に、アリスの庭に出ていた。
「シャンハーイ」
「ホラーイ」
「お、お前、いつのまにか仲直りしたんだ? 」
二つの人形は、魔法使いに近付く。
ニヤニヤしながら言う隣の魔法使いに対し、そっぽを向くアリスであった。
「ふ、ふん別にいいじゃないの」
「一週間前のお前は可愛かったんだけどなー」
「ちょっ……! 」
上海人形のレーザーが、魔法使いの帽子の方に向かった。
魔法使いは必死でそれを避けた。
「ああもうまったく、可愛くないぜ! 」
「シャンハーイ」
「ホラーイ」
「お前らなぁ! 」
魔法使いを追いかける人形たち。
その様子は、前よりも生き生きしている風に見えた。
ようやく復活したのかな、と隣の魔法使いは内心喜んでいた。アリスも心なしか元気そうに見える。
やっぱりこの人形遣いには、人形が側にいないと駄目なのだ。
「シャンハーイ」
「ホラーイ」
「おまっ、ちょっ、アリスこいつら止めさせろ! 」
「嫌よ、あんたが余計なこと言うからいけないんじゃない」
「ああもう、こいつら~! 」
魔法使いとじゃれあう人形たち。
アリスは遠目でみながらその様子を笑っていた。
これからは、人形たちの気持ちも考えてあげよう。
自立人形には程遠いけど、人形たちにもちゃんと心があるのだと、わかったから。
「アリスー」
「アリスー」
「はいはい、いまからそっちにいくわよ」
人形たちが呼びかける。
アリスも笑顔で手を振る。
そんな主の姿を見ながら、人形たちも笑うのだった。
「アリスー」
「アリスー」
「待ってってばもう」
「おーおー、幸せそうだなあ、お前ら」
人形遣いの元にやってくる嬉しそうな人形たちを見ながら、魔法使いは口笛を吹く。
なんというか、こいつら本当に家族みたいだなあと思いながら。
今日もまた、人形遣いは、人形たちとじゃれあうのだった。
完
良い上海姉さんと蓬莱姉さまでござました。
>「ぱんつぐらい、選ばせてやろうぜ」
な、なんか、魔理沙さんが輝いて見えた……!!
一周年、おめでとうございます。これからも頑張ってくださいね!
オメデトウナノカ-