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妖怪の山の上空、天界の一角の木陰に二人分の影がある。
木漏れ日を遮るのは一方で、木の根を椅子とし膝を揃えて座る。一方は足を投げ出し後頭に回した組んだ手を枕にする。後者が口を開いた。
「ねえ衣玖、ブラックラーメンってなによ?」
「なにをまた唐突に。しかもブラックラーメンなんて総領娘様はどこで知ったのですか」
「ちょっと地上に遊びに行った時にね。それで、闇鍋みたいなもんなのそれ?」
「"闇"はダークネスです、安直なままにしかも間違った発想をしないでくださいな」
「ギャグにまでいちいち突っ込むのは空気読んでないわよ」
「失礼、噛みました。――で、ブラックラーメンというのは富山ブラックの名の通り、富山県のご当地ラーメンです。なんでもスープが墨のように黒いとか」
「イカ墨でも入れているのかしら?」
「さあ。とにかく最近はカップ麺も発売された程の人気だそうで」
「それって美味しいってことよね?」
「まぁ人気があるということは、少なくとも不味いということではないでしょう」
「じゃあちょっと食べてくるわね」
言うなり、比那名居天子は飛び上がりその勢いで雲の下へと飛び去った。
「え? ちょっと総領娘様!?」
永江衣玖の反応は遅すぎた。彼女が天子の飛び降りた雲の裂け目を見た時には、彼女の影も形もなかった。衣玖は、またか、と溜息を一つ、
「……はぁ、まったく。幻想郷でいったいどうやって食べるつもりなんだか……」
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魔法の森は瘴気で常に覆われている。それは当然森の中だけで留まるものではなく、拡散こそしないものの森周辺は霞がかっていることが多い。
香霖堂は珍しく瘴気の欠片も無い地表の上、太陽の下にあった。
「ふむ、今日はなにか良いことがあるかもしれない。空気の入れ換えもしておくか」
香霖堂の主、森近霖之助にとって天気はさほど重要ではない。しかし梅雨でもないのに雨が続くのは面倒だし、本にカビが生えたりするのは困る。だから穏やかな天気と空気は受け入れるにやぶさかではなかった。
窓を開け爽やかな風を吸い込み、
「なによこの店、狭いわねカビ臭いわね狭いわね」
乱暴に扉が開かれたと思しき音と共に、聞き慣れない少女の声が聞こえてきた。
霖之助は頭痛を感じながら、カビ臭い空気の方へ顔を向け、
「生憎と荒れた空気は入れたくないんだが」
「あら大丈夫よ、外は晴れていたわ。なんならこの剣で快晴に、って――」」
手にした剣を構えた少女は、しかし霖之助を見ると眉をひそめ、
「――なんか長雨とかになりそうだから止めとくわ」
「ああ、それが良いだろう。で、その珍しそうな剣を質入れにでも来たのなら僕の心は快晴になりそうなんだが」
「馬鹿じゃないの、お金じゃ買えない価値があるのよこれは」
「……そうかい。で、なら他にご入り用の品かな?」
「ここって外の品を扱ってるんでしょ? ブラックラーメンって無いかしら?」
「ラーメンって、あの拉麺のことかい?」
ジェスチャーで左手の丼と麺をすくう箸を見せてみる。
「それ以外にあるわけないじゃない」
「さっきからのその口をどうにかして欲しいんだが……えーと」
「比那名居天子よ。天人様」
「ああ天人か。ということはその剣は天界にあるという……」
「緋想の剣は私の宝よ。そんなことよりブラックラーメン!」
「ああ、残念ながら拉麺の取り扱いはしてないよ」
「なによ、無いなら最初から言いなさいよね」
「まあまあそんなことを言わずに。とりあえずその剣についてコーラでも飲みながら――」
コーラを取り出そうと目を放した瞬間、叩きつけるような音がした。ビクッとした体を振り向かせると、すでにそこに天子の姿は無かった。
「……霊夢の話していた不良天人か。次はもう少しおとなしい天人が来てくれると良いんだが……」
もちろんあの剣を携えて、と霖之助は一言付け加えながら、コーラを一本取り出した。
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人間の里に通じる街道上を屋台が行く。
屋台には歌も伴っていた。メタル系で。
「――鰻もねぇ! 鰆もねぇ! 魚がそもそも泳いでねぇ!!」
メタル系で。
歌うのは屋台を引く羽の生えた少女だ。彼女は春のうららにさえずるように歌い上げる。それは空高く響き、
「五月蠅いわよ妖怪が!!」
上から降ってきた岩と少女と頭を強打した系の音で静寂になる。
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「……うーん、夜?」
「あ、起きた」
羽の生えた少女が見たものは、稜線を暗くしつつある空と、のぞき込む不機嫌そうな少女の顔だった。慌てて飛び起きようと思ったが、そのままでは互いに頭突きすることになる。
「痛――ッ!!」
「なにすんのよ馬鹿妖怪!」
ぶつけた。
頭をさすりながら、羽の生えた少女は尋ねた。
「えと、私なにしてたんだっけ?」
「痛たたた……。もう、なにも覚えてないの? 忘れやすすぎだわ」
「夜雀だからね。三歩歩いて忘れる自信があるわ」
「自慢げにするな。で、貴方が倒れていたから目が覚めるまで介抱してあげたのよ」
「貴方じゃなくてミスティア・ローレライ。ミスティアで良いわよ」
「比那名居天子よ。天子様でも比那名居様でも良いわ」
「天子、どうもありがとう!」
「聞いちゃいないわコイツ……」
しかし満面の笑みで感謝の言葉を言うミスティアに、天子は、まぁ良いわ、と呟き、
「あーあ、日が暮れちゃったし。今日の探索は終了ね」
「探索? なにか捜し物があるの?」
「ちょっとね」
「なら私も探してあげる! 折角介抱してくれたんだから」
「別に恩返しなんて良いわ。それにどうせミスティアには見つからないし」
探している品は妖怪、それもこんな弱そうなのに探せるわけはないと天子は思った。
「そんなのやってみなきゃ分からないわ。とりあえず何探してるかだけでも言ってみてよ」
しかしミスティアの表情は強気、強情とするものだ。笑顔で話しているならまだしも真面目さを見せるそれは断れるものではない。
まぁ手がかりぐらいになれば、と天子はミスティアに話した。要約するまでもなく、
「ブラックラーメンを食べたいんだけど、どこで売ってるか知ってる?」
ミスティアは頭を抱え、捻り、唸り、しばらく考えた末に、
「じゃあ食べさせてあげよう!」
そう結論づけた。
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ミスティアの屋台は妖怪相手の商売が基本で、人通りの少ない獣道に出没することが多い。
しかしこの日は、人通りが少ないとはいえ街道上にその赤提灯が灯っていた。
店員は一匹。客は一人。
「ちょうどこの間からラーメンも始めて見ようと思ったんだよねぇ」
真新しく備えられた小さめの寸胴に向かうミスティアと、
「作るねぇ……ま、この際なんでもいいわ。お腹も減ってきたし」
当初目的を見失いつつある天子だ。
普段着の上に割烹着を羽織るミスティアは忙しなく調理の準備に取りかかっていた。様になっているその姿は、妖怪辞めて店を開けば良いんじゃないか、と天子に思わせる。
ネギを刻んだり、温まるスープの水蒸気に顔を逸らしたりする内に、
「へいお待ち!」
醤油色をした丼が天子の前に出された。いただきます、と一口すすり、
「へぇ、なかなかじゃない。鶏ガラ?」
「むっ失敬な。野菜をじ~っくり煮込んだ上に特製ブレンドの香辛料なんかを混ぜた私の汗の結晶! 鶏肉を使わずにこのコクを出すのにどれだけ苦労したことか……!」
「その汗がコクの正体とか言わないでよね。……でも久々に塩っ気のあるもの食べたわ。だいたい桃ばかりなんて……」
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「はっ、ブラックラーメン!」
「お客さん、もう一杯?」
カウンターの上、空になったラーメンと食べかけの八目鰻の白焼き、徳利数本がある。ミスティアが一升瓶を手にした時、
「違うわよ、ブラックラーメン作るって言ったじゃない!」
「ぶらっくらーめん?」
「またそこからか……ッ!」
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「あーはいはい。で、材料はなんだっけ?」
「それが分からないのよ。イカ墨あたりを入れてるとは思うんだけど……」
カウンターの上、徳利やらは片隅に寄せられ天子は空いたスペースに肘を突く。
「イカ墨は無いなぁ……とりあえずなんかあるもので近くしてみるよ」
「白焼きも美味しかったし期待しているわ」
「ブラックって言うぐらいだから闇鍋っぽいのかなぁ……」
「たぶんそうね、ブラックだし」
ミスティアは適当に材料を取り出し、天子に見せて相談する。
「ちょうど土産にもらった黒い殻の温泉卵あるよ」
「入れよう入れよう」
殻のままドボン。
「りんご、どうする?」
「下ろして入れよう」
じゃぼっ。
「ネギは?」
「炙って入れよう」
ちゃぽ。
「なんか知らないけどコンビーフあった」
「どういうのか知らないけど入れよう」
ドバッ。
「トキの肉がある……ま、焼鳥じゃないから良いか」
「ますますブラックっぽいわね入れよう」
ドバドバッ。
「肉を軟らかくするため酒も入れようか。龍神丸空けちゃう!」
「空けちゃおう空けちゃおう!」
ドクドクドク。
「キクラゲ!」
「キクラゲ! 入れよう」
ボチャッ。
「あとなんか細かいのどばーっと!」
「はい一気! 一気!」
ドバーッ!
「最後、改めてネギと黒胡椒!」
「あ、瓶の蓋取れた……混ぜれば良いか!」
ドボッ、ボトッ、バサー。
「最後、鳥目になる!」
「うおー闇っぽい、手元しか見えない!!」
「へいお待ちっ。私もそっち行くから」
天子の目の前に丼が置かれ、やや後に隣にミスティアが座った。
眼前、天子には丼が置かれているが中は何故か闇に包まれ見えない。ただ胡椒の強い香りが何かと混ざり合って微妙に美味しそうな匂いを伝えていた。
隣、ミスティアも匂いだけなのは同様らしく、
「自分も真っ暗にできるあたりがさすがよねぇ」
美味しそうな匂いもあり、自画自賛をする。
二人は手を合わせ、
「いただきます」
まずはスープの味を見ようと、二人は丼を持ち上げ、乙女な唇を端に付け――。
やっべえみすちー可愛い何これ。そして最後の悪ノリは友人と店に行くとよくやるなぁと思いながらニヤニヤ読んでいました。
みすちーの魅力と天子の魅力を再確認しました。ごちそうさまでした。
ミスちーの屋台物は大好物です。
おもしろかった。ご馳走様でした(-人-)