わたしが台所でお料理に励んでいると、後ろからてゐがひょこひょことやってきて、ガバッと背中に飛びついた。包丁を握っていたので超危ない。怒ろうとして右を向くと、てゐが右肩から顔をぴょこっとのぞかせたので、あやうくほっぺにキスをかますところだったが、危ういところで踏みとどまった。その一瞬後にわたしはちょっと後悔したのは内緒だ。なんせこのSSは全年齢対象作品、もしわたしがてゐとちゅっちゅしてそしたらてゐもちゅっちゅを返してきてお互いそのまま変な気持ちになったりしたら取り返しのつかないことになるからだ。
「なに作ってんのー?」
てゐが興味津津といった顔で訊いてきた。まぁこんくらいの悪戯はいつものこと、てゐが関わった悪戯ではめったにけが人が出たことはないので、とりあえずさっきの件は不問にしておくことにしてわたしは手元の料理に視線を戻した。
「じゃがいもの冷たいスープ。ヴィシソワーズっていうらしいわ。最近山に来た巫女さんにレシピを教えてもらったの」
あの山の巫女、東風谷早苗という名前だったっけ。彼女とは博麗神社で知り合った。お師匠様の開発したご飯と一緒に併用するとすぐにお腹が膨れるという夢みたいなお薬の代金をせしめに行った時だ。わたしと彼女はそこで息投合して、いじられ属性というものについて二三時間とてもこっくりと濃い議論を交わしたのだが、その後霊夢にうざがられて仲良く神社から蹴りだされたのだった(代金をもらえなかったのでその後お師匠様にこってりしぼられたのも、今ではいい思い出である)。
別れ際に「ぜひうちの神社にも売りに来てください」と言われ、それからというもの、薬販売にかこつけて遊びに行くようになったのだ。その料理というのもそこで教えてもらったもの。
「ふぅん、変な名前だね、その……なんだっけ?」
「ヴィシソワーズ」
「うーんと、うーんと、びしそわあーず?」
この時、わたしの頭の中に電流走る。
「えーっとね」
「なに?」
「もう一度発音してみて」
「びしそわあーず」
てゐの声、毎度聴いているとなかなかに舌足らずでおまけに結構ハスキーで、それはもう萌えることこの上ないのだけれど、今回のは反則だった。まず、「ヴィ」という発音ができない。上の歯で下の唇をかまないといけないのだけれど、もともと日本語ではそういう発音はあまりしない。古くからこの国に暮らすてゐにそういう風な習慣がないのは当たり前だった。それにフランス語の「oi(オワ)」の発音も苦手らしい。「ソゥワァ」ではなく「そわあー」とひらがなで表記できるようにしかいえないのだった。
「もうちょっとちゃんと発音してみよっか。いい? まず上の歯で下唇を噛むの」
「え、そうなの? こ、こう?」
あむ、とてゐはわたしの言葉に従った。ちょっと出っ歯なそれが下唇の柔らかい肉に食い込んで、少し顔をしかめているてゐの顔はなかなかにおいしいです。
「はい、そのまんま言ってみて、ヴィ」
「び、び、びじぞわぁぅぎゅっ!」
発音してる途中で舌をかんだらしい。彼女はやっとわたしの肩から降りてしゃがみこむ、俯いてぷるぷる震えながら両手で口のあたりをおさえた。もちもちした耳がへにゃりと垂れる。かわいい。もふもふしたい。
「大丈夫?」
「だ、だいじょうぶだいじょうぶ」
「じゃあもう一回やってみよう。今度は後半のところ。口を軽くすぼめて『お』の形にするの」
今度もてゐは従った。ただしちょっとやりすぎて、唇がまさしくキスをせがんでいる形になってわたしの理性がやばい。
「で、そのまま口を開いて『オワァズ』って言うの。ただし、伸ばしすぎるのもダメね。あくまで弾むように。ボールが弾んで、もっかい地面に落ちるのをイメージしてね。はい、『オワァズ』」
「お、おわあーず」
わたしは慌てて前を向いてこみあげてくる笑いをこらえた。思わず肩が震えてくる。どうしよう、すっごいすっごい可愛い。
「れ、鈴仙? 出来てた?」
てゐが不安げに声をかけてきた。
「う、うん。バッチシよ。でももう少しうまくなるために、他の言葉のお勉強もしようか。『ヴァイオリン』って言ってみて?」
「ば、ばいおりん?」
「そ、そう、いい感じよ。じゃぁ他にも、ヴェルサイユ」
ちなみにこの単語、早苗さんから貸してもらった漫画(絵と文章が組み合わさってるやつだ)で知ったやつだ。
「べるさいぅ?」
「じゃあ、ヴィシー政権」
「びしいーせーけん」
「ヴァンパイア」
「ばんぱいや」
もうダメだった。頬の筋肉が崩壊してついでに腹筋も御臨終。ヴィシソワーズなんかそっちのけで、わたしはその場に腹を抱えてしゃがみこんだ。ひぃひぃと笑いがこみあげてくる。やばいやばいこの破壊力。
「な、なんで笑ってるのさ!」
「だ、だってだって、てい可愛いんだもの……!」
「あ!!」
「え?」
てゐの突然の叫び声に顔を上げると、彼女がわたしに向かって「犯人をあなたです!」とでも言うように指を突き出しているのが見えた。どうしたんだろう?
「いまていって言った!」
「? ていはていじゃない」
「発音が違う! てゐだよてゐ!」
てゐがやたらと瀟洒な「ゐ」という発音をし始めたのでわたしは面喰った。なんでその発音が出来て「ヴィ」とか言えないのだろう?
「ほら、言ってみな。『てゐ』」
「てい?」
「あーもう、違うって! 『てゐ』」
「てゑ?」
「誰だそれ!! 『てゐ』!」
「てうぃ……なんか凄い発音しづらいわねぇ。『てい』でいいじゃない」
「……、……もういい!!」
そういっててい……てゐは台所を出ていった。あれ? わたしの見間違いじゃなかったら、もしかして泣いてた? てゐに限ってそんな事はないと思いながら、どうしても気になってあとを追っかけてみる。てゐの背中が姫様の部屋に消えていく。
ぼそぼそと、話し声が聞こえる。わたしは暗い廊下に留まって、なにかとてつもなく大きな間違いをしたのではないかという不安に駆られながら、時を待った。
しばらくして。
「姫様のごくつぶしいいいいいいいいいいいいい!!」
「ちょ!? ちょっと、て、てい!?」
ばたばたと走っていくてゐの足音と姫さまの声。わたしは思わず追っかけて廊下に出てきた姫さまにダイビングヘッドバットをお見舞いした。
「ほぎっ!?」
「ひゃぐっ!?」
そのまま倒れこむわたしと姫さま。いい感じで主従ラブラブストーリーの始まりだ。あっ、食パン咥えてなかった。だめー。普通にだめー。
「イナバ、重い」
「あわわ、すみません。と、ところで、ていがさっき凄い剣幕で出て行きませんでしたか?」
「そーなのよ。イナバったら急に『姫様。私の名前を言ってください。あぁ、イナバ、じゃなく、ちゃんと名前で』とか言い出して」
あちゃぁ。これは悪い予感しかしないよぅ。
「それで、姫様はなんと」
「うんー。因幡てい、って言ったら急にあんな感じで。さっぱりわけわかめだわ」
「あー」
やっぱりだ。姫様もきちんと発音が出来ていない。それであんなことを言ってまた駆けていったのだ。ど、どうしよう。
「とりあえず、イナバ」
「は、はい?」
「どいてくれると嬉しいんだけど」
すっかり忘れていた。わたしは姫様の上に覆いかぶさっているんだった。頬を赤くした姫さまがあまりに可愛らしかったので、つい。名残惜しかったので一度姫様の薄い薄いお胸を一揉みしようとして空ぶってから起き上がった。すると、てゐが駆けていった先、お師匠様の部屋から大きな声。
「師匠のおっぱい星人んんんんんんんんんんん!!」
「つ、月人ですけどおおおおおおっ!?」
廊下を遠くに駆けていく音。わたしと姫様が駆けつけると、そこには立派なおっぱい星人、もとい、お師匠様が呆然と立ち尽くしていた。
「し、師匠?」
「永琳……」
わたしたちが声をかけてようやく我に返るお師匠様。眉をハの字にして、こうおっしゃられた。
「で、これはいったいどういうことなの?」
かくかくしかじか。まるまるくまぐま。ここまでのいきさつを話すと、お師匠様は頭を抱え、深い深い溜息をつく。
「ウドンゲ」
「は、はい」
「……この、おばか」
「す、すみません」
思わず水飲み鳥のように頭を下げることしかできないわたし。何度目か頭を上げた先のお師匠様の顔が、いつもわたしを叱る時よりもう一段階ほど沈痛なものである。その理由が分らなくて、じっと顔を見つめていると、お師匠様の重い口が開く。
「私も迂闊だったわ。つい、てい、と発音してしまった。気が抜けていたとはいえ、ダメね」
なんとお師匠様まで。考えてみればそうだろう。でなきゃてゐがお師匠様をおっぱい星人呼ばわり……しそうだけど、まぁうん。お師匠様のおっぱいにはとても興味があるが、今は惜しむらくそれに気をとられている場合ではない。
おっぱい。
「ど、どうしましょう、姫様ぁ、お師匠様ぁ」
「ふむ……」
顎に手を当てて考え込むお師匠様はクールビューティーで思わずその頬にちゅっちゅしたくなる。いやいや、そういう場合でもなくて。
「名前を」
姫様が呟く。思わず振り返るわたしとお師匠様。珍しく姫様が真面目な顔をしていた。
「名前を、呼んであげればいいんじゃないかしら」
「え、そんな」
「そう、ね」
「え、お師匠様ぁ。そんな事くらいで出てくるわけが……」
言い終えるより先に、おでこに衝撃が走った。お師匠様の光速でこぱっちん。
「うわらばっ!?」
「こら、ウドンゲ……。……もとい、レイセン? 軽々しくそんな事を言うもんじゃないわ。よく、考えてみなさい」
はて、どういうことだろう。今の一撃でだいぶ脳細胞がやられたのは大きなハンデなんだけれどなぁ……ん? あれ? いま、お師匠様、わたしの事をレイセンって呼んだ。いつもはその名を口にするだけで月からの使者が感づくおそれがあるかもと、ウドンゲウドンゲとしか言わないお師匠様が、何故こんな時に?
……そうか。「名前を呼ぶ」という事。それは決して「そんな事」扱いしていいもんじゃない。
てゐが「鈴仙」、お師匠様が「ウドンゲ」、姫様が「イナバ」。それぞれが別の名前で呼び、それが結果的にフルネームになることで、わたしはこの永遠亭に居ることを、この幻想郷で生きていくことを、何よりも強く決定付けられているのだ。一人でも欠けてはいけない。
そして姫様たちに対して、わたしができるただ一つの恩返しといえば、彼女たちの名前を呼ぶことだった。愛称にもありったけの愛を込めて、「姫様」、「お師匠様」、そして「てゐ」と。
そんなわたしにとってとても大切な人たちの一人であるてゐの、彼女の大切な名前を、わたしは軽んじてしまった。なんて不義理なことをしてしまったのだろう。なんて酷いことをしてしまったのだろう。きっとてゐの心は大きく傷ついたに違いない。それを癒すには、やっぱり……。
「お師匠様」
「……何も言わなくてもいいわ。貴女の顔を見れば分る。さぁ、ウドンゲ、姫様、まずは練習しましょう。てい、と呼んでしまっては出てきてくれないわ」
「そうね」
「はい」
わたしとお師匠様と姫さまで輪になる。お師匠様が見本としててゐてゐてゐてゐ、姫さまとわたしがていていていてい。てゐてゐてゐてゐ、ていていていてい。ワンスアゲンてゐてゐてゐてゐ、ていていていてい。てゐてゐてゐてゐていていていていてゐてゐてゐうさてゐていていていていてゐてゐてゐてゐていていていていてゐてゐうさてゐてゐてゐてゐていていてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐてゐ。
「言えました!」
「言えたわ!」
「おっけーね。今の感覚を忘れないで。さぁ、皆の思いを伝えたら、せーの、で、呼ぶわよ」
頷く私と姫さま。まず、お師匠様が先陣を切った。
「ねぇ、皆悪かったって反省してるわ。許してもらえるかしら!?」
姫さまが続く。
「あなたが泣いてると、誰が皆を笑わせてくれるの? もう一度、あなたの笑顔を見せて!!」
そして、わたし。
「ごめんね、本当にごめん! お願いだから、機嫌なおして、姿を見せて!!」
せーの。
「「「て――――――――――――――――――――ゐっっっ!!」
「はぁ――――――――――――――――――――いっっっ!!」
永遠亭の押入れに勝手に作っただろう秘密の小部屋から飛び出る小さな影。いつも以上に真っ赤な瞳に涙をためて、それでいていつも以上に明るい笑顔を見せて、てゐがわたしに向かって跳ね飛んでくる。その小さな暖かい身体を、わたしは抱き止めて、思いっきり抱きしめた。
「ごめん、ごめん、ほんと、ご、め、……んねぇ、てゐ……!」
「な、泣かないでよ鈴仙。わ、わた、私だって泣いちゃいないんだから、ね」
わたしの頬を熱い涙が伝う。てゐが強がりを、しゃくりあげながら言う。しばらくそのまま、抱き合ったまま。
不意にてゐが耳元で囁いた。
「ね、鈴仙。なんか……お腹すいちゃった」
「あ、そうだね。じゃあご飯にしよう」
「びしそわあーず?」
「そう、びしそわあーず」
「あれ、鈴仙も言えなくなったじゃん!」
身体を離して、てゐがいつもの悪戯めいた笑み。うん、その顔がてゐらしくていいや。そして。
「そうだね、びしそわぁーず、び、びし……」
「あはははは! 鈴仙ったら!」
「あはは。でも、もういいよ」
「ん?」
「びしそわあーずなんて言えなくても、てゐ、あなたの名前が言える方が、ずっといい」
一瞬、きょとんとするてゐ。けれど、すぐさまお日さまみたいな明るい笑顔に変わる。わたしも、お師匠様も、姫様も、みんなみんな笑顔。そのまま楽しいご飯の時間へと、永遠亭の一日は今日も変わりなし!
うわうどんげかわいい
幻想郷に行きたくなったぞ どうしてくれよう
永琳はおっぱい星人じゃなくて乳神様だぁぁぁ!
と言いたい所ですが、てゐさんがとってもかぁいいのでおっけーねです。
かわいいてゐ
もうみんなが可愛すぎて感無量。感無量。感無量。
こんな永遠亭がもっと増えるといいなぁ……。
こんなすばらしい作品を書き上げたお二人に敬意を表し。
びしそわあーず。
鈴仙ちゃんがいい感じに壊れてるwww
超面白かったです。良いお話をありがとうございました。
“て”と“ゐ”がゲシュタルト崩壊したわ…
こんなの、もう、どうしたらいいんだ!
永遠亭ばんざーい
みんな仲良し永遠亭が可愛いなあ。