目を開けてみても、なにもみえない。
その場所が広いのか狭いのかさえわからないけれど、一つだけ確かな事がある。
――この真っ暗な空間には、私一人だけしか存在していないという事だ。
どうして私はこんな所で独り佇んでいるのだろう。おーい、と当てもなく声をかけてみても、ただその声が響くばかり。誰かがやってくるような気配など微塵もない。
それからどのくらい経っただろう。いくら待ってみても、誰も現れる事はない。何とかしてこの漠然とした空間から抜け出したかったけど、一人残された私に何かが出来るわけでもなく、私にはただ待つ事しか出来なかった。
寂しい。誰でもいいから、誰かに会いたい。もう一人ぼっちはいやだ。誰も私を見てくれないのは辛すぎる。そんなふうに嘆いていると、向こうの方から人の気配がした。
よかった、これで寂しさから解放される。これでもうあんな思いはしなくていいんだ。うれしくて気配のした方へ駆け出そうとしたけれど、何故か私の体は身動き一つ取れない。なんだか妙な感じはするけど、きっと辛い思いをしたせいだと自分を宥め、私はその気配の主を待った。
やがてその主らしい少年が私の前に現れた。声をかけてみようと思って、私は口を開こうとしたが、何故か全く言葉が出てこない。どうしたんだろう、やはり具合が悪いのだろうか、などと私が考えていると、不意に少年がぶっきらぼうに言った。
なんだこの傘、きったねぇ~!
ああ、そうだったっけ。あまりに辛かったから、忘れようとしていたみたいだ。そう、ここは誰もいない空間なんかじゃない。ここはなんでもない街の道端。誰もいないと感じたのは、誰も私に興味がないから。そして私は――
――ただの、捨てられた傘。
小傘が再び目を開けると、そこには青空が広がっていた。雲一つないとまではいかないが、それでも薄い雲間から陽が差し、辺りを照らしている。
なんだか妙だ、と寝ぼけた頭で小傘は考える。いくら自分がだらしない所があるからといって、外で寝てしまうはずがない。でも、現に目の前には晴れ晴れとした空が広がっている。だけど……
「大丈夫?やりすぎたかな……」
起き上がると、緑髪の巫女が手を差し伸ばしていた。そうだった、この人間を脅かそうとして返り討ちにあったんだっけ。じゃあやっぱりあれはいつもの夢か。そんな事を考えながら、小傘は彼女の手を取った。
「ほんとだよ、まったく。もっと手加減してよね」
「自分から仕掛けてきてよく言うわね。じゃあ私は忙しいのでこれで。……ああ、そうそう。もう人を脅かそうとかしないほうがいいわよ。今時あんなので驚く人はいないし無意味だから……ってあれ?」
別れ際の爽やかな皮肉を残して早苗はその場を去ろうとしたが、小傘の様子を見て思わず立ち止まった。てっきり彼女も皮肉で返してくると思ったが、その彼女は俯いたまま顔を上げようとしない。早苗が近寄ってみると、小傘は小刻みに身を震わせていた。
「意味がない……必要ない……?私に価値なんてないの?私……どうしたらいいのかなあ……」
彼女の様子を見て、早苗は己の未熟さを後悔した。この幻想郷に来てからそれなりに日も経ち、ここでの立ち振る舞い方がわかってきたつもりになっていた。けれど、彼女が出会ってきたのは皆自立できる力と精神を持った変わり者ばかりだ。今目の前で震えている少女のように、自分の生き方を確立できていない妖怪だっているかもしれないという可能性を見落としていた。
きっと、彼女にとっては人間を脅かす事が生き方であり、それは彼女の存在理由そのものに関わる事なのだろう。だから、さっき自分が言った事は彼女自身の存在を否定するのと変わらない。本当に悪い事をしてしまった。
泣き出しそうな小傘の背をさすりながら、早苗は優しい口調で彼女に語りかけた。
「こうして貴女がここに存在している以上、貴女に価値がないはずがないわ。大丈夫よ、泣かないで?」
「ほんと……?」
「ええ。でも、驚かせるのは諦めたほうがいいかもしれないわね。人間があれくらいでは驚かなくなっているのは事実だし、かといって怪我をさせるのはよくないでしょ?」
「うー……じゃあ、私どうしたらいいかな?」
小傘の問いに早苗は頭を捻る。本来ならどうやって生きていくのかなど自分で決めろ、と言い放ちたいところだが、この状況でそんな事を言えば泣き出してしまいかねない。かといって、ついさっきまで空に浮かぶ謎の船を追っていた自分には時間がない。さて、どうしたものか……
「ねえ、あんた急いでるの?」
「え?どうして?」
「なんとなく」
なるほど、こういう事を察する事は出来るのか。そう思いながら、早苗は小傘の肩に手を置いて言う。
「うん、実はちょっとね。そうだ、用事が片付いたら私ここに戻ってくるから、それまで一人で考えてみるのはどう?」
「うん、いいよ。あんた親切だね」
「あんたじゃなくて早苗。じゃあ、また後でね」
そう言って早苗は船が消えていった空の彼方へ飛び上がり、やがて見えなくなった。一人残された小傘はひとまず辺りの手頃な岩に腰掛ける。
さて、ちょっと考えてみようか。
そもそも、自分は最初傘として生まれた。長年使われるうちに意思を持ち始め、ちょうどその頃捨てられた。それからしばらくは誰にも興味を持たれることなく路傍に打ち捨てられたままだった。ちょうど毎日見てしまうあの夢のように、いつも私は一人ぼっち。だから、この体を得てからは人の興味を引く事だけを考えて生きてきた。けれど、それほど精神が成長していなかったからだろうか、興味を引く方法として思いついたのは「人を驚かせること」だけだった。ただひたすらに誰かの関心を求めていたから、色々な事をゆっくり考える事をしてこなかったっけ。ちょうどいい機会だから、もっとよく考えてみよう。
ここまで考えて、考察がぱたりと止まってしまった。早苗の言う事はもっともだし、何か別の方法があるのなら人を驚かせるのをやめてもいいとは思う。けれど、どうにも他の方法なんて考えつかない。ずっと驚かせる事だけを考えてきたから他の事なんて出来そうにない。そもそも、他に何が出来るのかさえもわからない。片っ端から挑戦してみればいいか。でも、どうやって?人間にはこれまで色々迷惑をかけたから、助けてくれるかわからない。でも、妖怪に知り合いもいないし、手助けしてくれそうな者も知らない。経験も知恵も知識もない、本当に何も知らない私を、誰が助けてくれるだろうか。
やっぱり、私は必要のない存在なのではないだろうか。一度捨てられた傘に存在理由なんてない。たとえ妖怪になっても、何も出来ないのなら意味もない。やっぱり、私なんか……
不意に、人の気配がした。小傘は反射的に草むらに身を隠した。珍しく使ったことで妙に火照る頭には、すでに早苗の言葉は残っていなかった。
とりあえず、あの人間を脅かそう。すべてはそれからだ。
* * *
「うらめしや~」
背後に回りこみ、小傘は物陰から飛び出した。そして相手の顔を確認しようとした時、小傘の全身が凍りついた。
髪は短い緑色で、風にふわりと舞う。すらりとした全身をチェック柄の服で包み、日傘を優雅に差している。けれども、その紅い瞳はいきなり現れた不届き者を見下すように睨みつける。それだけで、小傘は一歩も動けなくなってしまった。
「……つまらないわね、貴女」
しばらくの沈黙の後、その女性が視線を外しながら言った。つまらないとはどういう意味だとは思ったが、そんな事を考える時間など小傘にはなかった。考える間もなく、彼女はその女性に襟を掴まれてしまったからだ。
「え?あ、あの、ちょっと!」
「何か?とりあえず私の穏やかな午後を邪魔した埋め合わせはしてもらうわよ」
「えっと……なんでもない、です」
これ以上文句を言うなら黙らせるぞ。彼女の表情がそう語っていたので、小傘は静かに待つことにした。いったい何をさせられるのだろうか。何にせよ、碌な事ではなさそうだ。そんな事を考えながら、小傘は静かに溜息をついた。
「さあ、ここが貴女の仕事場よ」
謎の女性に連れられ、小傘は一面の向日葵畑にやってきた。首の辺りをさすりながら彼女に尋ねてみる。
「仕事場?あの、いったいここで何を」
「わからないほど莫迦ではないでしょう?貴女はここでこの子達の世話をするの。いいわね?」
拒否権など存在しない。そう彼女の眼が言っていたので、小傘は黙って頷いた。
「じゃあお願いするわね。私は風見幽香。貴女は?」
「え?」
「名前はその人の存在そのものの証。仕事を任せる相手の名前くらい、知っておいてもいいでしょう?」
「あ、うん。私、多々良小傘。よろしくね、幽香」
「『さん』くらい付けなさい、失礼よ。じゃあまずは……」
そう言って幽香は仕事の説明に入った。それを聞いている間、小傘の顔は自然と綻んでいた。
今まで、誰かに名前を訊かれた事などなかった。これまで数多の人間を脅かしてきたが、誰かと会話をした事は殆どない。今思うと、脅かす事が如何に独りよがりな方法だったのかがよくわかる。びっくりさせられた相手に興味を抱く者など、まずいないだろう。けれど、今日までの自分にはそれが全てだった。人間を脅かすことは、自分の存在の主張だった。多々良小傘という存在をもっと知って欲しい。その思いだけで、私はずっと人を脅かし続けた。
でも、幽香は名前を訊いてくれた。私という存在を見てくれた。ここでなら、私でも自分の生き方を見つけられるかもしれない。
「聞いてるの?間違えたり駄目にしたりすれば……わかってるわよね?」
幽香の言葉で小傘は我に返った。慌てて彼女の顔を見ると、彼女は優雅に微笑んでいた。あれほど恐ろしい笑みなんて今まで見たこともない。
「は、はい!私、頑張る!」
そう言って小傘は水を汲みに出かけた。うれしそうな彼女の背中を眺め、幽香も優しい笑みを浮かべた。
草むらから飛び出してきた小傘を見たときから、彼女の持つどこか寂しげな雰囲気を幽香は感じ取っていた。なんだか、彼女の心はいつも雨が降っているような気がした。もちろん、ぱっと見ただけで彼女の全てがわかったわけではないが、少なくとも彼女が悩んでいることくらいはわかった。だから、ここへ連れてきて少し様子を見てみようと思ったのだ。最近里の花屋ともやり取りをするようになったため人手が足りなくなったことだしちょうどいい。
名前を訊いた時の反応を見る限り、きっと彼女は自分の場所を探しているのだろう。まだ一度も感じたことのない、自分の存在を肯定してくれる、冷たい雨の降らない場所を。
やはり連れてきてよかった。そう思って振り返ると、バケツを持って帰ってくる小傘が見えた。左右にゆらゆら揺れながらバケツを抱える彼女を見て、幽香も思わず笑みを零した。
「ええっと、まずは水を……うわっ!?」
仕事を始めた小傘を待っていたのはトラブルの連続だった。もしかすると、彼女はそういう星の下に生まれたのかもしれない。水をあげようとすればバケツを倒し、植え替えを頼まれれば別の苗を抜いてしまう。普段なら無言でお仕置きされても仕方ないほどの大失敗を連発したが、幽香は彼女の事を怒れずにいた。
彼女の働き振りを見ていると、その一生懸命さが伝わってくるからだ。いい加減にやって失敗し、反省もしないのであれば容赦なく怒ることができるが、こう一生懸命にやられてはどうも気が引ける。それに加えて幽香は小傘の想いを知っていたし、当の本人は失敗を悔やんで今にも泣き出しそうなのだ。こんな状況で怒る事など、あの風見幽香でも不可能な芸当である。
「やっぱり、私なんて……うぅ」
小傘の眼には雫が溜まっている。そんな様子だから、彼女の後ろで幽香が心配そうに彼女を見つめ、頭を捻り、ポンと手を叩いたことにも気づいていない。
「そうね。やはり初めてでは難しかったかしら。じゃあ貴女には別の仕事をあげる。はい、これ」
幽香は色とりどりの花が咲いたバスケットを取り出し、小傘に手渡した。キョトンとしている小傘に仕事を説明する。
「人間の里の花屋を知っているかしら?あの店にも偶に花達をお裾分けするのだけれど、それを店に届けて欲しいの。出来るわよね?」
「え?で、でも私、あんまり人と話したことないし……」
「大丈夫よ、私の遣いだといえば平気だから。じゃ、お願いね」
そう言って幽香はわざと小傘に背を向けた。小傘は少し迷っていたが、やがて覚悟を決めたように里への道を歩き出した。その背を見送りながら、幽香は一人呟く。
頑張るのよ、小傘。きっと、これで貴女も居場所を見つけられるから。
* * *
例の店には意外と早く着いた。それほど遠くないのだろうか、それとも気持が逸ったのだろうか。何にせよ、あとは訪ねてこれを渡すだけだ。そう心に念じたが、どうしても一歩を踏み出すことが出来ない。頼まれたのだから、きちんとやり遂げなければ。それはわかっているつもりだが、どうしても怖い。小傘は殆ど人間と話したことがないから、どうしても怖気づいてしまう。もし自分が入っていったら、ここの店主はどう思うだろう。やはり嫌な顔をするのだろうか。もし笑顔で迎えてくれたとしても、何を言えばいいだろう。幽香の名を出せばわかると言ったが、さすがに他に何も言わないわけにはいかない。そんな時、もし無言のままでいたらどう思うだろう。こんなふうに、つい考えても仕方のない事ばかり頭に浮かんでくる。このままじゃ駄目だとわかっていても、やっぱり何も出来ない。やっぱり、私は……
ふと、手にしたバスケットに目を落とした。様々な花に囲まれて、一輪の向日葵が堂々と咲いている。それはまるで幽香のように凛々しく咲き誇っていた。
何やってるの。早く済ませてしまいなさい。大丈夫、貴女ならできるわ。
わざとこっちを見ないでそう言う幽香の姿が何故か浮かんできて、小傘は思わず微笑んだ。そう、大丈夫。幽香が言うんだから、大丈夫なんだ。そう心に念じて、小傘は店の戸を開けた。
「うらめし……じゃなかった、ごめんくださーい」
「はいはい、どちら様で」
店の奥から初老の男性が少し怪訝な顔をして出てきた。おそらく、小傘の言い間違いも聞こえたのだろう。髪はもうすっかり白髪だが、耳は衰えてはいないようだ。
「ええと……わ、私、風見幽香さんの遣いの者です。あの、これ!」
緊張したそぶりで小傘は店主にバスケットを差し出した。その様子から何かを悟ったのだろうか、彼は少し目を細めてそれを受け取りながら言った。
「ああ、ご苦労様。はい、これを幽香さんに渡しておくれ。そして……これは君に」
店主はバスケットから向日葵を抜き取り、小傘の手に握らせた。
「わ、私にですか?でも、これはおじいさんが売るんでしょ?」
「いいのさ。幽香さんだって、それを望んでいるよ……おっと、これは内緒かな?」
「だけど……」
「そう遠慮しなさるな。それとも、私の感謝の気持を受け取ってくれないのかい?」
店主の言葉を聞いた途端、小傘は自分の頬を温かいものが伝うのを感じた。それが涙だと気づくまでに少し時間がかかったが、彼はそれを笑顔で待ってくれていた。
「あの、ええと……ありがとうございました!」
そう言って深々とお辞儀する小傘を見て、店主はまたうれしそうに笑う。
「ああ。それじゃあ、気をつけて」
ほんとうにうれしかった。誰かにお礼を言われるなんてはじめてだったから、それがどんなに温かくて素晴らしいものなのか知らなかった。きっと、こういう気持が集まって、それが自分の居場所になっていくのだろう。そして、それは自分の存在に価値があることの証明にもなってくれる。こういう経験を繰り返すことで、私も自分の事が分かってくるかもしれない。そんな事を考えているうちに、小傘は向日葵畑に着いた。
「ただいまー!」
幽香は心配そうに辺りをうろうろしていたが、小傘の元気な声を聞いてうれしそうに微笑んだ。
「おかえり。どうやら掴んだみたいね。あら、素敵なお花」
「あ、うん!えへへ、おじいさんに貰っちゃった」
「へぇ。まったく、あの人は本当に……余計な事言ってなかったでしょ?」
「なんか、内緒がどうとかって言ってたような」
「……後で言っておきましょう」
そう言って拳を握る幽香の表情は鬼神のそれを遥かに凌駕するもので、小傘は小さくひぃと叫んでしまった。
幽香の目から見ても、小傘の様子は初めて会った頃のものとは大きく変わっていた。自分を脅かしたあの時の彼女はどこか寂しげだったが、今はこんなにうれしそうに笑っている。やはり連れてきてよかった。そう心の中で呟きながら、幽香は小傘に背を向けた。
「さて、今日はこれで終わりよ。ありがとう、本当に助かったわ」
「え?で、でも……」
「どうかした?」
そう、これも彼女のため。自分で言い出せなければ、誰も構ってはくれない。でも、もし自分で私に気持を打ち明けることが出来たなら、私は彼女の居場所になろう。
しかし、幽香の想いとは裏腹に小傘はもじもじして言い出せずにいる。もし私がもっと突き放すような態度を取れば、彼女はまた独りになってしまうだろう。
まったく、私も甘いな。
「……これは私の独り言だけど」
背を向け、更に日傘で姿を隠すようにして、幽香は呟くように言う。
「里にも花を分けるようになって人手が足りないのよ。ああ、どこかによくいう事を聞くちょうどいい人材はいないものかしらね」
「あ、あの!私でよければその……ううん、幽香、私にやらせて!私、まだ何も分からないから失敗ばっかりだし、何をやっても駄目だけど私いたたっ!?」
目を固く閉じ言葉を搾り出していた小傘の頬を幽香が笑顔でつねり上げる。やっている側は本当に楽しそうにしているが、やられている側はいい迷惑だ。
「生意気よ。私の苦労も知らないで、まったく」
「痛い、幽香痛いってば!」
ギリギリとつねり上げるその手はやがて小傘の両頬を優しく包み込んだ。
「え?あの……幽香?」
「貴女が今までどんな生き方をしてきたか、なんとなくだけどわかっているつもりよ。貴女が自分の生き方を探していたこともね。小傘、これからはここが貴女の居場所よ。文句はないわね?」
「文句なんかあるわけないよ。よろしく、幽香」
向日葵はいつも太陽の方を向いている。けれど、この日だけはまるで二人を見守るように、花畑の中心を向いていた。
色とりどりの花と、それを守る日傘に支えられて、まだ幼い雨傘はこうして漸く自分の足で地に立つ事が出来た。
私は多々良小傘。フラワーマスター見習いの、化け傘妖怪の女の子。まだまだ未熟で失敗も多いけど、それでも里で人間達と話をするのは大分慣れた。
「こんにちはー!」
「やあ小傘ちゃん、今日も元気だね」
「こんなに天気がいいですから、いやでも元気になっちゃますよ」
店主のおじいさんと話していると、見覚えのある人間が店に入ってきた。
「あ、貴女は」
「こんにちは!早苗さんもお花を?」
「ええ。でもよかった。あの日戻ってみてもいなかったから心配してたのよ」
早苗も一目見て私の変化に気づいたらしい。私が微笑んでいると、彼女も自然と笑顔になった。
花は本当に不思議だと、私は改めて思った。初めてこの店を訪ねた時、もし私がバスケットの中の向日葵を見なかったら、最後の一歩を踏み出せなかったかもしれない。あの時にお遣いをこなせなかったら、おじいさんにお礼を言われなかったら、きっと私は今もうじうじしていたと思う。こんなふうに、私達の日々をさりげなく支えてくれるもの。それが、花なのだろう。
おじいさんと早苗さんに別れを告げて、私は店を出た。さて、今日は何をするんだろう。幽香はたまにとんでもないものを育ててみたりするから、また面倒なことにならなければいいな、などと思いながら私は路を歩く。
なんだか、人の興味とか、そんなのはもうどうでもよくなってきた。一生懸命何かをやっていたら、自然と誰かと繋がりが出来て、それがまた繋がって。生き方なんて、そんなものじゃないか。昔の私は人の目ばかり気にして、大事なことを忘れていたのだ。他人がどう思うかではなく、自分がどう生きるか。それを教えてくれた幽香のためにも、立派なフラワーマスターにならなければ。
そういえば、あの夢も最近は見なくなった。きっと、私自身が変わることが出来たからだろうと思う。こうやって、これからも一つずつ問題を乗り越えていく事になるんだろう。この分ではまだまだ先は長そうだけど、頑張ろう。そう心に決めて、私は駆け出した。陽の光を受けて輝く向日葵のような、温かいあの人の下へ。
そんな彼女がそっぽを向かれて悲しんでいるとしたら。道に迷っているとしたら。
こんな生き方もありなのかもしれません。良い物ですね。
素敵な作品をありがとうございました。
GJ!