ガラムマサラとキュビズムに関する考察

「夢オチと爆発オチ、好きなほうを選べ」

　お嬢様が居丈高に言う。しかし私にとって不思議なのは、お嬢様が居丈高なのは今に始まったことではないのに、それを私がわざわざ認識していることだ。
「ええと、好きなほう、とは」
「言葉の通りよ。ウチの従者はいつからそんなに愚鈍になったの」
「申し訳ありません」
　私はたたずまいを直す。主人に失態を見せるようでは従者失格である。自分の仕事を全うしなければならない。今の自分の仕事……お嬢様の夜食のテーブルを任されているのだ。
「それで、どっちが好きなの」
「少し考えさせて下さい」
「……もう、脳で考えるからいけないのよ。人間は使えないわね」
「申し訳ございません」
　謝ってばかりだ。しかしそれでも仕事を全うしなければいけない。私はカートのカレー皿をテーブルに載せる。ルウの入った器をその横に。
「あら、ハヤシライスね」
「カレーでございます」
「あら、そう」
　ところで先ほどから後の方で河童がリンボーダンスを踊りながらカレーを虎視眈々と狙っている。そして天井では土蜘蛛が今にも飛び掛りそうな勢いでこっちを凝視している。床をヒールで叩くと、床下で何かがうごめく気配。正体は分からないが、おおかたカレーの香りに釣られて来たに違いない。
「だから、ハヤシライスにすればいいんだってば」
「申し訳ありません、次回から善処します」
　ナイフを１１時の方向仰角３５度で投げるとぐえっという声がして、真っ赤な絨毯の床に人形遣いが墜落する。それよりも私が気になるのは、懐中時計の針が逆回転していることだ。
「ねえ咲夜、不完全性定理について話してもらえるかしら」
「茶番です」
「そうね」
　お嬢様に前掛けをつけて差し上げる。その間に美鈴が純金製のスプーンを運んでくる。そうして、そのスプーンを自ら使ってカレーに突っ込もうとしたので、時間を止めてジャーマンスープレックス。スプーンは優雅にお嬢様の前に置く。
「ねえ、咲夜、そろそろ選択してもいいと思うんだけれど」
「お嬢様、ラッキョウと福神漬けがございます」
「ん、レーズンとナッツが欲しいわ」
「すぐにご用意いたします」
　台所からレーズンとナッツを持ってくる間に、廊下でさとり妖怪と九尾狐がジョイメカファイトしていたのを両成敗する。勝ったほうがカレーを食べる、などと勝手に決めるのは許せない。部屋に戻ると河童のリンボーダンスがいよいよ激しくなり、よくよく見るとリンボーのバーは白狼天狗のダンビラ刀だ。唐突に床の一部がボコリと盛り上がったと思うと、半霊娘が絨毯を突き破って飛び出し、しかし私はとっさにシャイニングウィザード。
「お嬢様、レーズンとナッツです」
「咲夜、そのベルヌーイ曲線のごとき美しさのナッツはどこから持ってきたの」
「お答えいたします……テネシー州にアルバートという大農園主がいたのですが、実はブリテンの私の親戚の友達の従姉妹の息子の大祖父の隣人の遠縁だったのです。彼は言いました、『だから、俺は見たんだ、オレンジ色の光がウチの牛をさらっていったんだ』だから私は答えたのです、『それはあなたのワイフよ』と。私たちは心行くまで笑いあいました。そうして出来上がったのがそのナッツです」
「なるほどね」
　私はビンからそれらをスプーンで掬い取り、ちょうどライスとルウの中間点にそっと添える。カレー皿の上の世界に色が満ち、「らー、らー」とどこからか歌が聞こえたと思うと床で伸びていた門番が耳から血を噴出して笑い出す。その声に釣られて氷精が飛来し天井スレスレをアクロバット飛行した際土蜘蛛の巣をずたずたに切り裂き、土蜘蛛はぽてりと床に墜落する。
「ねえ、咲夜、そろそろ選んでよう」
「さあ、準備が出来ましたわ、召し上がれ」
「わぁい」
「もちろん希少品入りですわ」
「ほう」
　お嬢様はあどけなく反応したり居丈高になったり、実にお忙しい方だ。河童はとうとう酸欠を起こして伸びている。私はなんとなく違和感を覚えたので見てみると、実は河童ではなく合羽を着た風祝で、私は何故彼女がそんなことをしたのか理解できない。
「今日の希少品はなあに？」
「トリニトロトルエンでございます」
　お嬢様はここで初めて私の目をまともに見た。月よりも円く紅い瞳が驚きに見開かれ、大きく開けた口からは犬歯がのぞく。そうして、お嬢様は全身の緊張を解くと、背もたれに大きく体重を預け、にこりと笑う。幸せそうな笑みだ。
「ああ、そういうことだったのね」
　そうして、純金のスプーンを小さな手で握る。目には涙すら浮かべている。私は幸せを覚える。
「さすが私の従者だわ」
「恐縮です」
　お嬢様はカレーを掬い、そうして、茶色いルウが口に運ばれる。