ある日。阿求は慧音の自宅を訪ね、こんなことを訊いた。
「ヒモってどういう意味ですか?」
「む、む。それはだな、好きな人のお世話をしたくなっちゃう女性の性質を――」
「肉じゃが作りすぎちゃったんで、おすそ分けです」
「ヒモのことはいいのか」
「そんな日もあります」
「それ言いたいだけちゃうんかと」
阿求はスキップで帰っていった。
ある日の寺小屋の授業中。
阿求が窓を突き破って飛び込んできた。
「慧音先生、一大事です」
「どうした、血だらけだぞ」
「キュウリにハチミツかけるとメロンの味になるっていうじゃないですか」
「そうだな。え?」
「そこでメロンパンにお醤油かけてみたんですけど」
「なぜ」
「おいしくなかったです」
「だろうな」
阿求は満足して帰っていった。
幻想郷縁起。由緒正しき歴史ある書物である。
その有用性は計り知れない。
危険な場所を知り、自衛の手段にするもよし。知的欲求を満たすもよし。
無限の可能性を秘めているのだ。
「細かく刻んでチャーハンに混ぜると美味しいんですよ」
「ネギみたいに言うなよ」
そんな日もある。
阿求は近頃、メリケン語を学んでいる。
ある程度分かるようになると、実際に使ってみたくなるのは人情というもの。
「AQ de gozaru」
「何もかも間違ってる」
「Uh,Huh. Are you Ms. Keine?」
「Yes I am. And you?」
「……はぁ?」
慧音はちょっと泣いた。
稗田邸ではお手伝いさんを五人雇っている。
広い屋敷だから、それぐらいの人数は必要なのだ。
みんな、炊事洗濯お掃除。甲斐甲斐しくやってくれている。
「そのうち一人は微妙に透けてまして」
「なにそれ怖い」
巫女に頼んでお祓いしてもらった。
阿求は物知りである。
慧音でも知らない、極めて豆知識的なことまで、よく知っている。
「フランスパンってフランスで発明されたわけじゃないんですよ」
「ほう、そうだったのか。ならどうしてフランスパンと呼ぶんだ」
「そんなことより宇宙の話をしましょう」
「嘘はよくないぞ」
そんな日もある。
特に理由はないけれども。
阿求は天狗からカメラを借りてきた。
早速、レンズを慧音に向ける。
「慧音先生、いちたすいちは?」
「に~」
「…………?」
「撮ってくれないのか」
慧音は、ひどく赤面した。
ある休日。
阿求は慧音を連れて呉服屋を見てまわっていた。
煌びやかな布地を手にとって、楽しんでいる。
「イメチェンしようかと思うのですよ」
「どんな風に」
「迷彩柄っていうのが最近、ナウなヤングの間でバカ受けらしくて」
「何十年前の話だ。そもそも呉服屋に売ってるわけないだろう」
「あ、光学迷彩です」
「見えないだろ。っていうかそれも売ってねえよ」
二人は団子を食べて帰った。
阿求の朝は早い。
目を覚ますと、何を置いてもまずは牛乳を飲む。
「先に布団から出ろ」
慧音がフスマから現れてツッコんだ。
阿求だって幻想郷の住人。弾幕勝負には興味がある。
血湧き肉踊る魂のぶつかりあい。カスりあい。
とても良いものだ。
手近なところで、慧音に勝負を挑む。
「さあ慧音先生、どっからでもかかってきなさい」
「だから布団から出ろと」
阿求は二度寝した。
阿求は空を飛べるようになった。
突然だったから、びっくりだ。
「朝起きたら飛べるようになってまして」
「それはすごいな。私だってけっこう修行したのに」
「ほほほ、すごいでしょう。ところで、ここらの雲は暑いですね。あっちの雲へ移動しましょう」
「お前まだ寝てるだろう」
慧音は鼻ちょうちんを叩き割った。
女のすなるツンデレといふものを、阿求もしてみんてとするなり。
「べっ、べつに慧音先生のために地球が回ってるわけじゃないんですからね」
「そりゃそうだ」
難しい。
ある夏の夜。阿求は慧音を花火に誘った。
「慧音先生にはバケツを見張る役目をお任せしたい」
「よし任せろ。火事になったら大変だからな」
「わたしは蚊が来ないように線香をたきます」
「誰が花火をするんだ」
妹紅が一人で頑張ってくれた。綺麗だった。
阿求の好物はビーフシチューである。
「食べたことはありませんが」
「ないのかよ」
慧音は腕によりをかけてビーフシチューを作ってやった。
何かしら、この気持ち。
ラブかしら。
慧音先生のことを思うと、お腹のあたりが締めつけられるよう。
「ただの食べすぎだ」
五皿はあんまりだった。
女のすなるヤンデレといふものを、阿求もしてみんとてするなり。
「胃潰瘍のことが大好きなんです。好きで好きでたまらないんです、死んじゃうぐらいキリキリキリキリ」
「医者に診てもらった方が良いぞ」
とても難しい。
阿求が風邪を引いた。大変だ。
マジで病んでしまった。
「ごほごほ」
「大丈夫か、つらいか」
「げほほげほん」
「つらいんだな、かわいそうに」
「ざーぼんざーぼん」
「それはさすがにネタだろ」
慧音の熱心な看病の甲斐あって風邪は治った。良かったね。
大切なことを伝えたいから、と。
阿求は慧音を里外れの、一本杉の立つ丘に呼び出した。
木陰。そのひび割れた樹皮に手をあて、慈しむように、身を寄せている。
慧音が汗を拭きながら丘をのぼってくる姿が見えるやいなや、彼女は駆け出した。
抱きしめる。
夏の風が、二人の柔らかな髪を揺らした。
慧音に身体を預け、目を伏せたまま、阿求は呟く。
「タヌキがネコ目で、ネコの仲間だなんて知りませんでした」
「どこがどう大切なんだ」
「つまりドラちゃんはそこまで怒ることないんじゃないかと」
「なにがなんだか」
「ところで」
「なんだ」
「ヒモにしてください」
「わかった」
――こんな天然ちゃん、放っておけないもの。
二人は手をつないで丘を下った。
おしまい