涼しい盆だった。
霊夢は昼間中、縁側で空を眺めていた。
そろそろと陽が暮れてゆく。
立ち上がると、申し訳程度の雑務を済ませて、食事の頃合いとした。
「いただきます」
梅干しを噛みしめ、粥をすすった。
「ごちそうさま」
と言って、箸を置いた。
間もなく日没する。食器を片付け、一人、速やかに寝床を整えた。
(明日のごはんどうしよう……)
眠りに落ちて、奇妙な夢を見た。
博麗霊夢は老いていた。
「霊夢。遊びに行きましょう」
呼ばれて、よろりと立ち上がった。
軒先に出ると、背の高いかいわれ大根が生えていた。
(朝ごはん……)
引き抜くと、
「痛い。やめて」
悲鳴が聞こえた。
かいわれ大根はうねうねと動いて、白蛇に姿を変えた。
その姿を見ている内に、
「レミリア?」
そう感じた。白蛇はするりと逃げて、空を飛んだ。
「ここまでおーいで」
ちろりと舌を出した。
紅い舌先が大気に溶けて霧となり、霧は空を紅に染めて、夕刻となった。
(異変ね)
霊夢は白蛇を追ったが、少し歩くと動けなくなった。
嘆息し、近くの岩に腰掛けると、目を閉じた。
「飛びなさいよ」
白蛇の声である。霊夢は眠りたかった。
「寝るな。飛びなさい!」
ぐらりと岩が揺れた。
霊夢を乗せて、岩は浮かび上がった。
霊夢は目を覚ました。
(何か、光った気がしたけど……)
静かな夜である。
外に出れば、何かがいる予感はする。
「気のせいよ」
呟いて、また眠りについた。
また、夢を見た。
浮かんだ岩に座って、ふらふらと夕空を漂っていた。
上空を見ればくらげが一枚浮いている。白蛇が言った。
「下を見なさい」
案山子が立っていた。
きゃはは。
と笑うのが聞こえたので、思わず袖を振って符をばらまき、案山子を木っ端、微塵とした。
その塵が風に乗せられて集まり、五色に輝く虹を形成した。
「アリス?」
そんな気がした。虹の中を、別の案山子が泳いできて言った。
「霊夢。上に気をつけなさい」
くらげはぐにゃりと捻り曲がり、三日月になった。
(はて。勘違いか……)
空が暗くなった。
ざっ……と。大粒の雨である。
雨の一粒一粒は、ヒトデとなって乱れ飛び、口を揃えて言った。
「そんなに弱っちくて、よく巫女が務まるねえ」
霊夢は、岩にしがみつくのに必死だった。顔に張りついたヒトデが暴れて、びちびちと頬を叩かれる内に、
「魅魔?」
そう思えてきた。ヒトデをはがして捨てると、三日月が横に傾き、ニタッとした顔になった。
「気安く呼ばないでほしいね」
ふつ、と凄まじい光が疾った。
目を閉じれば、雷鳴――轟音が落ちて背を貫き、胸が震えた。
三日月は散り散りになり、やがて静かな星空と小さな満月が残された。
(浮く……)
月の重力に、霊夢は引っ張られていた。
気を抜くと、上に落ちそうだった。
(何か、いるわね)
夢ではない。
霊夢は目を開けなかった。
「私は眠いのよ!」
一喝すると、ふわりと気が休まり、また夢へ落ちた。
重い月である。
岩にしがみついて耐えていると、暗い空がみしみしと音を立て、ひび割れた。
空の割れ目から、金色の光が、かつ、かつ、と洩れ始めた。下では落ちていった空の破片が溶けて、大洪水を巻き起こしている。
(のどが渇いたな)
などと思う間に、辺りは水没した。
(がぼがぼ)
水は、茶の味がした。
霊夢を乗せて岩はぐんぐんと浮上し、水面に出ると、目の前で太陽が燃えていた。
ゆるく吹きつける乾いた風に、好い香りが含まれている。霊夢はそろりと、岩から立ち上がって言った。
「幽香?」
そう思わせるものがあった。
「知らない。それより、贈りものよ」
太陽の中で黒点がぐるりと渦を巻き、やがて黒白の入り乱れた熱球になった。
それが近付いてくるので、
(邪魔よ)
霊夢は回し蹴りを入れた。
すると黒点が赤く燃え上がり、熱球は紅白の玉となって固まった。
涼しい夜である。
紅白玉は、霊夢に付き従うかのように浮いている。霊夢は岩に立ったまま、後ろを振り返った。
「ほんと、騒がしい連中」
延々と……有象無象の、やけに賑やかな化け物どもが、後をついてきていた。
白蛇が目の前に現れ、訴えるように言った。
「ねえ、霊夢。もう飛べるでしょ? 行きましょうよ」
「ふむ」
符を一枚、白蛇に貼って黙らせた。
(何か忘れてる)
霊夢は思案し、ふと、乗ってきた岩に視線を落とした。
岩は、亀になっていた。
「玄爺?」
そう思えた。亀は、嬉しそうに喋り始めた。
「少し眠っておりました……。ほう。ご主人様も歳を召されましたなあ。しかし、やれやれ……。思い出せばまるで……今も、夢のことのようじゃ」
亀は向きを反転すると、
「さて。遊びに……征きましょうか」
巫女を乗せて、闇の大空を疾駆した。
有象無象が四方八方に散開し、どれも妖しく煌めいている。
霊夢は微笑していた。
月下に巫女がいて、進めば弾幕の河となる。
ざあっ。
と掠め去った弾幕の余波が、熱風となって吹き抜けた。紅白玉がびりびりと音を立て、弾幕の波を砕きながら突き進む。
(腕が……)
力がみなぎっていた。両腕を広げると、風圧に千切られそうである。
ばらばらと符を落とす。
(散れ)
念じれば、生き物の如く、符が跳んだ。
霊夢の征くところ、数多の化け物どもが、闇に煌めきを残し、妖しく落ちてゆく。
符を撃ちながら右に、左へ、
「あっ……」
と思う間もない。霊夢は死地にいた。無数の弾幕が拡散し、逃げ場を失っている。
紅白玉が不気味に光っていた。
符を止めた。
その指先で、上段より腕を振り下ろし、虚空を斬った。
(しょせん、夢よ夢よ。どちらも夢と変わりないわ)
にたりと笑い、即、胸元に戻した指先は印を結んだ。
「臨」
紅白玉が輝いた。
(こそばゆいわね……)
ちつ。
と、何かが掠り、腋のあたりを切って落とした。
被弾する――寸前。巨大な光線が疾り、弾幕を押し包んで、消し去った。
「兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
次々、指を組み替えて印を切る。
紅白玉より閃く光線は、縦横、夜空を大ざっぱに切り裂いた。
(あはは。エクステンドしちゃうわ)
ひどく幻想的な夢であった。
弾幕も化け物も消滅して、
(さてと)
霊夢は辺りを見回した。
涼しい夜空に、ぽつんと霊夢は残されていた。
乗っていた亀も消えて、宙に浮いている。
「あれ。魔理沙は?」
呟いたところで、何者も現れない。
「こっちよ。霊夢」
白蛇の声がした。
あらゆる方向に重力を感じる中、
(こっちだ)
霊夢は、一点へ向かい落ちていった。
加速し、時は光の如く過ぎてゆく。
紅い満月を背にして、白蛇が待ち構えていた。
「やっと来たわね」
嬉しそうである。
霊夢は辺りを見回した。
「探しものかしら?」
「別に。ただ……ここまで来て、あいつが現れないなんてねえ」
「それはそうよ」
白蛇は月に溶けて、月は黒い翼を抱えた、幼い少女の姿となった。
「あいつなら、さっき私が殺したもの」
「ふうん」
「さあ、遊びましょう」
そこで、霊夢は目が覚めた。
おそらく夜半。
布団から起き上がり、かっ、と障子を開けて外を見た。
どさり。
と、目の前に降ってきた影がある。その尻を踏みつけると、
(この踏み心地は……)
魔理沙だった。
「生きてる?」
「まあ。八割方、生きてるぜ」
見上げれば闇に、レミリアが両腕を組んで気取っている。
魔理沙は威勢良く立ち上がった。
「まだまだ。二度目のニューゲームだぜ」
「先に罰杯だよ」
言って、グラスを突きつける者がいた。
魅魔である。
ひと息に酒を呑み乾し、魔理沙は再び空へと跳んだ。
「あんたら、人んちで何やってんのよ」
縁側に魅魔がいて、その隣にいる幽香は茶をすすっている。
「お茶」
「見れば分かる」
「お酒」
「見れば分かる」
霊夢は深く嘆息した。
視界に入るだけでも、尋常な数ではない。
斬りあう侍のような影二つ。老人の幽霊を囲む騒霊達。魔界の住人。魔女に吸血鬼、科学者など、
(有象無象が……)
博麗神社に群れていた。
「なあ。靈夢」
魅魔である。
唇に琥珀色の液体を含みながら、首を上に傾けた。
「もうちと、アイツのことをしっかり見てろよ」
「何のことよ?」
視線の先では、ほうきに乗った魔法使いの影が、烈しく火花を散らせていた。
魅魔は振り向いて、ニタッと笑った。
「見てやってくれ」
「……」
「お前を悔しがらせるのが、アイツの夢じゃないか。そん時までさ……頼むよ」
「ふうん」
「ほれ。見てろよ」
「見てるわよ」
恋の魔法とやらが、巨大な雷光となって、夜空を貫いていた。
しばらくして、焦げた吸血鬼が落ちてきた。
(うん。この感触。レミリアね)
尻を踏みつけた。
魅魔が微笑を浮かべ、グラスを傾けた。
せんべいをかじる音がする。
「ところで」
幽香を睨みつけて言った。
「勝手にうちのお茶、飲まないで。人が寝てる間に……」
「あら。じゃあこれ食べる?」
「うん」
差し出されたせんべいを、ばりばりと噛み砕いた。
「いや。そうじゃなくて……」
「お団子まで欲しいの? ふふ。いいのよ。何も言わなくて」
幽香は哀れげに言い、陰に置いていた団子を、すうっと差し出した。
口を閉ざした霊夢に、
「ふん……。帰省しようと思ったんだけど、あれが鬱陶しかったのよ」
言ってそれを指さした。
何の遊びか。どこかで見た門番と死神が、競うように大鎌を振るっている。
(要するに……)
どれもこれも、帰省先や逃避先に博麗神社を選んで来たらしい。
「こいつ、霊夢の寝込みを襲おうとしてたんだぜ」
魔理沙が降りて来て言った。
「人聞きの悪いこと言わないで。おやつが欲しかっただけよ」
足元から、素早くレミリアが起き上がった。
両者飛び上がり、三戦目となった。
にぎやかな夜だった。
集まれば酒、弾幕となる連中で、空が過密している。
盃を用意すると、霊夢はどっかりと縁側に腰掛けた。
「酒、貰うわよ」
ブランデーであろう。無造作に注ぐと、きつい匂いがした。
霊夢は猫のように舐めた。
「しかし面白かったよ」
魅魔が、あざ笑うような顔をした。
「一体、いつ起きるか、いつ気付くかと思ってたけどねえ」
「くくっ……」
幽香が口を押さえ、笑いをかみ殺した。
(くだらない。どうせ、人が寝てる間に馬鹿騒ぎでもしてたんでしょうが)
ぐいっ、と盃を傾けた。
バカジャネーノ。
と聞こえて、見ればアリスと人形だった。
「私は止めようと、したんだけどねえ」
そう言って、手鏡を差し出してきた。
弾幕で明るい夜である。
(まさか……? いや、まさかね。そんなガキみたいなこと)
鏡に映った顔は、花畑や花丸などの落書きで一杯だった。
霊夢は危うく微笑した。
「可愛くしてくれたものね……」
「あら怖い。ひょっとして、お羊羹まで欲しいのかしら?」
幽香はどこからか羊羹を取り出し、薄い笑いを浮かべた。
池で顔を洗っていると、玄爺が現れた。
「人違いじゃったか……」
霊夢の顔をしげしげと眺めた後、水中へ潜っていった。
(あははは……)
鬼にも見えよう。
巫女の使命に、全身、焼けていた。
陰陽玉がいくつも浮遊する。
奪い取った羊羹をつまみながら、ゆらりと体を浮かせた。
「そうこなくっちゃ」
魅魔が嬉しそうに杖を構えた。尖端が三日月の形へと変わる。三日月が光輝を放つと、満ち溢れた魔力が目に映り、霧雨のように辺りへ滴っていた。
かるく、霊夢は浮かび上がった。
「いいぞー。楽園の素敵巫女」
「妖怪のかたき巫女」
「成仏したら安いお団子供えに行くぜ」
どっ、と四方八方から囃し声が湧く。
月下、
「強い方と遊んであげるから」
縁側ではひとり、幽香が涼しげにしていた。
符が乱舞した。
ひと昔ほど前になる。
「私の目的は、全人類に復讐することなの」
魅魔はそう口にした。
そして直後に現れたのは、人間の魔法使いであった。あるいは何かに利用する為に連れていたのかもしれない。
ただ、復讐などは、
「もうどうでもいいの」
と言った魅魔に、怨念はなかった。
その時の人間は後に、魔理沙と名乗る。陽気で見栄っぱりで嘘つきで……、
(優しいこともある奴。あんなのと暮らしてたら、邪気も抜けるわ)
そう思うのだった。
やがて、魅魔は姿を見せなくなった。人に理由を尋ねたところで、
「私が退治したぜ」
などと答えて、そいつはにたりと笑うだけだった。
(まあ、どうでもいいけどね)
博麗霊夢である。
そう深い興味はなかった。
すでに弾幕の中、月も見えない。
霊夢は星弾の隙間を縫うようにして突破し、全力、蹴りを叩き込んだ。
「お盆だけど……。悪霊はどこに封じれば良いのやら」
「ふふ。妖精の頭の中はどう思う?」
振り下ろされた杖が、鼻先を掠めた。
続く光弾を、滑るように避けつつ、距離をとった。
「良さそうね。お花畑で、広々としていて冬も冷房完備」
「決まりだね。死霊は神社で盆踊り。めでたい巫女は、一人涼しく……」
魅魔が、ニタッと笑った。
異常に紅い満月が出現し、巨大となり、空を呑み込んでゆく。
「悪靈の夢に堕ちるがいい」
満月は粉々に砕け散り、流星となって降り注いだ。
微笑を浮かべる霊夢の傍らで、陰陽玉が、不気味に煌めいていた。
「はで好みなとこは師弟そっくりね。さあっ……臨」
指先に斬られ、空間が裂けてゆく。普段のルールではない。
慌てて逃げ散る有象無象の中には、
「あらきれい」
慣れているのだろう。
いつの間に焼いたものか、神社の縁側で、愉しげに餅を食う者もいた。
狂乱の時が過ぎて……。
霊夢が目覚めた時、すでに正午を廻っていた。
(暑いわねえ)
外に出ると、蝉の声すらない。
「また来年」
そう呟くと、伸びをして、境内の掃除を始めた。
盛大に散らかっている。
(誰の仕業よ……)
集めた符が、山となった。
「手伝おうか?」
魅魔である。
無視していると、背後霊のように付きまとって喋り始めた。
「うおー。ひもじい。くるしい。ぺこぺこだー。ああ、腹よ泣くな。どうせごはんは無い」
「……」
「ほほう、蝉の死骸が落ちているぞ。人として食うべきか死すべきか、それが問題だ」
「……」
「なんと! この巫女は気高く生きようとしている。蝉の死骸をつまみあげ、その口に放りこ……おっと」
投げつけた死骸を、魅魔はひょいとかわした。
「何たることか。巫女は惨めな誇りのために飢死を選んだ」
「……」
「地下より出でて相対する大空に恋い焦がれるあまり、高く飛翔する夢を抱いたまま、石畳に乗り上げてしまい干からびるミミズの如く、のたうちまわって死ぬことだろう」
「うるさい黙れ」
「い、や」
魅魔はウィンクした。
「しかしお前さん。金がないわけじゃないだろうに」
「さあね」
腐るほど貯まっていた。
誰の仕業か……月の末頃になれば、
(一年くらいは、馬鹿みたいに暮らせるわね)
と思える程度の金が、決まって無造作に置いてある。
「使えよ」
「使ってるわよ。神社の経営、宴会の費用、とか」
とか……と言う中には、案外な数の人々が、助けられているかもしれない。
それでも、おのれ一人の為には使わなかった。なぜかと問われれば、
「何となく」
としか答えないだろう。
「野良犬だねえ」
しみじみと呟く声がした。
「おっ。ここまでだな」
魅魔はそう言うと、遠目に空を見つめた。
黒い影がこちらへ向かっている。
「じゃあ、まあ。頼んだぜ」
にたりと笑っていた。
「つないでおきなさいよ。あんたの飼い犬でしょうが」
「野良犬さ。お前と同じな」
「……」
「私にできることは、いつか道に迷って倒れる時が来たら、手を引いてやるくらいさ」
魅魔は消えた。
ぽつりと、
「いくら振り返っても、私の道に、あいつはいないわよ」
呟いた直後、たっ、と足音を立てて魔理沙が現れた。
清掃を続けていると、
「こんなにも暑いから、蝉でも食ってんじゃないかと心配したぜ」
と言って、目の前に立ち塞がった。
「邪魔」
「掃除は終わりだ。迎え酒といこうぜ。ちときついヤツだけど」
「ああ……」
霊夢は苦笑した。
(そういえば昨日、負けてたわね)
罰杯を受け損ねたらしい。
「アテは持って来たんでしょうね」
「塩」
「あのね……。それはこうすんのよ」
ざあっ。
と境内に撒き散らした。
「ああ、すっきり」
「悪霊でもいたのか?」
「さあね」
魔理沙の持って来たブランデーをちびちび呑りつつ、その日も、
(これでよし)
と、過ぎていった。
博麗神社の盆のことである。
読んでて精神がグニャグニャになりそうでした。
グリモワールオブマリサの霊夢の説明を読むと、本気で霊夢がこんな夢(現実?)を見ていそうだから困る。
ところで踏み心地で何で個人(妖)識別できるのかについて詳しい説明を是非!