橙が発情期を迎えた。
藍は頭を抱えた。
「にゃぁ~」
柱に、壁に、机に、あらゆる家具にひとしきり欲情し終えた橙は次に、藍の左足に標的を定めていた。
「おまえなぁ…」
どれもが自分を満足させてくれないことに気付いて、対象を無生物から切り替えたことは、褒めてやらないでもないが、相変わらず根本的なところで間違っている。
見境はないのか。ないのだろう。動物は基本的に絡めりゃなんでも良いのである。
甘ったるい声をあげながら体を擦り付けてくる式に藍は、深く深く頭を抱えた。
こうして常に移動を続けるマヨヒガを見つけることができるのは紫様と私を含むわずかな、強力な妖怪。
それに私の式である橙くらいなものだ。
今朝の掃除を一頻(ひとしき)り終えて縁側の襖を開け放ち、朝の光を家に取り入れる。洗濯に適した良い天気に満足して藍が踵を返すと、もう足元にいたのである。一瞬でマヨヒガに潜り込んで、藍にぴたりと張り付く様は、まさに電光石火。そこら辺りはさすが猫だ。
飛び起きてもう我慢できぬほど私に甘えたかったのか。それにしても奇異であったが。
ここまで走りに走って、私に縋り付いたというなら、朝の挨拶を忘れた無礼もどうにか許してやろう。
どうも橙は主人離れできぬ未熟者で、困ったものだ。自立心を養うために独立させた甲斐があまりない。
「はぁ……」
などとはつかの間の甘い幻想であった。
藍は落胆した。
しばらく藍に一言も発せず、猫なで声を続ける式を不審に感じ、うわぁなにこのベトベト汚いと思うと、すでに橙ははしたない格好になっていた。
ああ、あれだ。もうそんな季節か。別にやましいことではない。毎年の事だ。
このまま式の修行を、藍しゃま九尾の房中術編に移行するのもやぶさかではなかったが、まだ朝だし、気分は乗らなかった。
では乗ればよかったのかというと、そういうわけでもない。
それに夏だし、暑いし。では夏でなければよかったのかというと、うむ、掃除の続きだ。
藍はもう一つため息をつき、足に纏わりつく橙をやさしく蹴って転がすと、転がった先の机にじゃれ付く橙を横目に、すでに終わった朝の清掃を余計なほど丁寧に完遂させた。
さて、藍は現実逃避の掃除に一息ついた。
そろそろ現状と向き合わなければならない。
「橙よ」
「にゃぁ~」
藍は体をくねらせる式を、どうにか正面に座らせた。
体の芯が入っておらず、橙はすぐに腰が砕けていく。
「おい橙。聞いているのか」
「にゃぁ~」
ダメだ。すぐ肢体を横に投げ出して、床に擦りつけ出した。畳のい草との摩擦がよほど気持ちよいのか、光悦の表情を浮かべた橙はズルズルと服が脱げていく。
洋服が畳に引っかかり、服と上半身と擦れて一層強く肌が刺激された。
その摩擦を楽しむために、また橙は床に胸を押し付けては、何度もずらした。
繰り返すうちに、橙のきれいなお腹が露わになった。
藍は神妙に、橙に話しかける。
「返事をしなさい。橙」
「にゃぁ~」
「よいか。返事をなさい」
藍は少々肩を落とす。この事態、早急にどうにかせねばなるまい。
橙が発情期を迎えたことは生理現象であるから仕方ないとして、こうも乱れていること自体は、本人の自制心に問題がある。
これは許すことはできまい。いくらなんでも精神面に不安を感じる。体調の如何で式の継戦能力に支障が出るようでは、お話にならぬのだ。
「主人の声にも返事ができないほど、君は心得ていなかったのかな」
「にゃぁ~」
「……ふぅ…」
一応は今ので藍に意識を向けたらしい橙は、藍に向けて、正座で折った膝に寄って来る。そして愛しむように、そこに頬をなすり付けた。
藍は息をすっと吸い
「…橙ッ!!」
と、怒鳴りつけた。
「返事をしなさいッ!!」
「は…はひぃ!? ら、らんしゃま…! ど…どうなしゃったんですか?」
大慌てで橙は取り乱す。頭から生える黒い耳がビクッと立った。
手足をバタバタさせて、大急ぎで現状を確認すると、帽子を被りなおして居住まいを正す。
だが、相変わらず頬にはよだれが付着していた。
頬ずりをする橙に、藍が感じたのは好意などではない。怒りだった。
いくら愛弟子に近い関係にあるとはいえ、主人は主人。舐めきった態度を延々と続けられて安穏としているほど藍も無神経ではない。
しかも、ひどい無作法で、である。
「いま、私が何度呼びかけたのか、分かるかな?」
「えっと…い、いまのだけじゃなくて…。に、二回…!でもな、なくて…」
「分からないなら、分からないでよい」
「…はい、すみません」
橙はシュンとなる。
「私の話はちゃんと聞くように、言ったね」
「ごめんなさい…」
素直で良い。怒られても尚、言い訳を続けるならばさらに厳しい叱咤が必要だ。
だが未だに頬が上気し続けているところを見ると、今年の情動は根が深いようだった。
藍はしおらしく、下に俯く橙に目をやった。
子供が大人に怒られるときは例外なく大層怖いものだが、その実、大人の方はそれほど怒っていないケースがままある。
子供の倫理観のため、仕方なく怒るのだ。この場合もそうだった。
幼獣はしばらく獣だった頃の性質を引きずっていて、この式はこうした未熟な失態を時々見せてくれる。
少しは可愛いのだが、笑ってばかりもいられない。
それに今は主人の活動期だ。紫様に見つかれば、まず間違いなく悪戯の対象にされるだろう。それも相当悪質なことでご高名な紫様だ。
以前なぞ、朝起きたら橙の尻尾が、二本ともヌタウナギに変わっていたことがあった。
『あら…発情期?』
なんてお聞きになられて、はいと素直に答えようものなら、明日には橙が四、五匹に増えているかもしれない。
いや、紫様のことだ。猫の子だからと十や二十は持って来るやもしれん。
皆々様、よもやこれを幸福とは思うまいぞ。
週に三度は訪ねて来る橙だ。簡単に計算しただけでも二十あれば一日に八はマヨヒガに来訪する。
その夕飯はどうする。泊まりなら部屋の用意から洗濯までやるのは私だ。第一、その数の式に稽古をつけるのは実際不可能だ。手がかかり過ぎる。
式というのは単純に数が多ければいいものではないのだ。良質な式神を作るには自分の妖力のスペースを十分に開けておいてやらねばならない。
そうすることで自分の力の全てが過不足なく式に伝わるのだ。
どうなるにせよ、紫様に見つかるわけにはいかん。あの困ったお方の興味に曝されて、無事な輩などいまい。
大体、なんだ。橙がたくさんいるとか。
橙は唯一であるからこそ彼女なのであり、たくさんいたなら良いなどとは彼女の存在を馬鹿にしている。
まったくけしからん。この八雲藍にそんな俗っぽい思考などはない。想像してみよ、橙がたくさんいるなどと。
まったくけしからん事に、藍は極楽浄土を見つけたような至福の笑みを浮かべていた。
「百一匹橙……クッ…クフフッ…。……いや、ダメだ。一匹だけ余って仲間はずれになれば可哀想じゃないか。何を考えてかは知らんが、中途半端な数はいかんな。人間とはなんと愚かな」
「何がけしからないのかしら」
「俗物の考える安易な楽園についてです。ハーレム、と言いましたね。全くあれは個人の人格を馬鹿にしている。…おはよう御座います、紫様」
「えぇ、おはよう」
藍は涼しい顔して、汗をだらだら垂らした。
「今朝はお早いお目覚めですね」
「おかげで私一人で着替えちゃったわ」
「申し訳ありません」
着付けに居合わせなった事に対し、藍は振り返って軽く侘びをする。
それでも、藍の手伝いなしで十分に服装は整えられているようだった。艶やかで長い金髪など、どうやっても一人では手入れが届かない箇所までしっかりと念入りに整えてあった。髪に結んだリボンたちは、どれも他人から見て最適な位置で、過剰にならず、多少配色は派手ながらも、目に痛みを感じさせない的確な場所に綺麗に配されている。
端整な顔立ちには薄く化粧水が施してあり、幼子のように瑞々しい肌を保っていた。殆ど素のままであろうと十分麗しいその姿。これでどれほどの男性を虜にしたのか藍には計り知れないが、クルクルと指を回しながら、自然体で身に付いたコケティッシュな笑みでこちらを見……
…あぁ、毎度長々と面倒くさい。もういいや。
「紫様、今日も可愛いっすね」
「あら…突然ありがとう。なんだか投げやりだけど」
適当に端折った藍は、直立したまま応対する。
「それではお食事に致しますか?」
「ん……そうね。でもその前に、そういえばアナタの式の気配がしたのだけれど?」
「気のせいではありませんか」
紫様はこちらから視線をはずすと、横目でそこらを確認し、まあどうでもいいかという顔になった。
ここままどうか、興味失くして欲しい。どこにいるか、だと。
橙なら、今、とっさに隠した私の導師服の、スカートの中でふとももを舐めている。
暗い場所に入って、再び橙は野生を取り戻しつつあるようだった。
うおおおぉぉ、頼む。本能に打ち勝ってくれ、橙。
「ぁくっ」
「どうしたの、藍?」
「猫の舌がザラっと…」
「猫の舌?」
「いえ、なんでもありません」
不思議そうな顔をする紫様。
足にしがみついた橙が、どんどん高度を上げてきている。
今や私の内股まで舐め始めた。まずいまずい、やめろって橙。それ以上はやばい。
「またたび」
「いづぉあ!」
「……どしたの、藍?」
「な…なっ、なんでもありませんよ」
「ごめんなさい。なんとなく、また、旅に出たいなって急に思って」
「…そうですか」
「この前、皆で旅行したでしょう?」
唐突に妙なことを言い出す紫様。
またたび、という言葉に股下の住人が飛びあがって反応した。飛び上がったら当然天井にぶつかった。
一度目のアクセントの『また』、の後に間をおいてなかったような気がしないでもない。
紫様は依然、何も分かってない無垢な表情をしている。口元に二本の指をもってきて、小首をかしげ、ぽやぽやっとハテナマークを頭に浮かべているのだ。
とにかくこれ以上暴れられたらまずい。藍は苦肉の策として、橙の体を足と尻尾を使って器用に押さえつける。
当然息苦しいらしく、橙は抵抗する。
分かってくれ、橙よ。言葉なくとも意思は通じてくれ。今こそ幻想郷にこの親子ありと言われた、藍しゃまと橙のコンビで、紫様をうまく誤魔化し通す時だ。
その意思表明に応えるように、橙が藍の尻尾を噛んだ。
行きがけの駄賃とばかりに、ももに鋭利な爪が突き立った。
いた。いたたたっ。やめっ…。
顔で笑って背中で泣いて、頬の端をひくひくさせながら、藍は笑顔を絶やさない。
湿った水音と、荒い呼吸が響くスカートの中を、できるだけ悟られぬよう藍は平常を装う。
「まあいいわ。それじゃ行きましょ」
「はい、紫様」
「……?」
「どうさなさいました」
「どうって、ほら、早くついてきなさいよ。居間行きましょ?」
「私は掃除を片付けてから参ります」
「どこもかしこも綺麗なものじゃない。ぴっかぴかよ」
「い、いえ…それは」
「それにご飯が食べたいわ。先に作って頂戴」
藍は言葉に窮する。ほれ見たことか、現実逃避とはツケが回ってくるものなのだ。
現状、どうやってこのまま移動せよと言うのだ。
暴れる橙を、服の外から布越しで、できるだけ優しく尻尾で包み込み、藍は両足で同時に地面を蹴る。
干潟に打ち上げられた海老のように、跳ねて廊下を移動した。
「藍……なにそれ」
「両足歩き……健康法、です」
「どたばた五月蝿いから、やめてね」
居間についたとき、浮遊すればよかったと気付いたのは後の祭りだった。
「なんだか手際が悪いわね、藍」
「おや、そうですか。もう私も歳なのかもしれませんね」
「あらやだわ。アナタがそれなら私なんてもっとじゃない」
「紫様はいつまでもお若く美しくいらっしゃる」
「まぁ…今朝の藍ったら本当に変」
「ハハッ、これは手厳しいお言葉だ」
「言葉の端から、気が利きすぎよ」
やばいやばいやばい。
実際は気など髪の毛先ほど利かしていない。
いや、神経を削っているという意味に限定すれば確かにそうかもしれないが。
調理は簡単で済むものにした。外の世界より持ち込んだ冷蔵庫から、昨日の残りと、保冷室から野菜を取り出す。
水洗いを済ますと、慎重に、すり足の横歩きで台所を移動した。サラダを仕上げていく。
「藍…一体なんなのそ」
「カニ歩き健康法です」
席に御付きになった紫様を、有無も言わさぬ甲殻類の健康法で、お口を見事に縫いとめる。
次は焼いた魚を出せばなんとかなる。完成だ。あとは用事でもなんでも適当に見繕ってマヨヒガをひょいと出れば良い。
なせばなるものだな。すまん橙、もう少し我慢してくれ。
股下から聞こえる息は未だに荒い。時々聞こえてくる嬌声のようなものに怯えながら、藍は小さな式の体を尻尾で支える。
九尾でよかった。
「用意が整いました。どうぞお召し上がりください」
「ええ、ありがと。それじゃ頂きます」
にっこり笑顔のご主人を見て、藍はようやく気が緩んだ。
どうしようもない例えを出すことを許してくれるなら、もよおした時、ようやく自宅についた感覚が近いだろうか。
「藍は食べないのかしら」
「はい。私は先ほどすでに頂きましたから」
「あっ、藍、ちょっと止まって」
故に、浮き足立って足早に居間を去ろうとして、紫様に声をかけられたとき、何か柔らかいものを踏んでしまった。
『………!!』
どうするべきか。これは知っているぞ。前にも踏んだことがある。
これは橙の尻尾だ。
藍の太ももに、橙の爪が突き刺さる。そこまでは藍にも我慢できた。覚悟したことだ。
だがこれではおさまるまい。藍は血の気の引く音というのを、実際に初めて聞いた気がした。
橙、嘘…だよな。それ以上やったら、このまま私の足で、お前の首の骨折るからな。絶対だからな。だからやめろよ。
やだからな。痛いのやだからな。本当にやめてくれよ。
願い空しく、突き立った爪が暴れる腕とともに、何度も皮膚をえぐっていった。
頭が真っ白になる。全身の筋肉が硬直し、藍は痛みに絶句する。橙の口を尻尾で塞ぎ、叫び声を無理やり隠す。
ああちきしょう。橙の首なんか絶対折れるかよ。折れないよ。橙。
「…がッ!!………っぐ……」
藍も叫び声はあげない。強靭な精神力で、主人に式が見つかることも、何も知らぬ罪無き主人を煩わせることも許さない。
できる限り表に出さず耐え切った。板ばさみの立場が、つらいところだ。
だが紫様が一瞬、えぐいものを見る目で藍を見た。軽く引いていた。
『うわぁ痛そう…』
とかそんな感じだ。まるで中で何が起こったか完全に分かっているように。
勿論何事もなかったかのように、すぐに表情は戻った。
おいババァ。私はいま重要なことに気付きそうだぞ。
「ひぃやぁぁぁ!!いったぁぁぁいっーーー!」
一瞬の油断をついて導師服がばさっと捲れあがり、そこから橙が飛び出した。
派手な音で障子を突き破り、空の彼方へと駆けていく。
「あっ、こら橙!」
「やぁぁー!!」
叫び声が遠くなった。
「……」
「……」
チク、チク。しばらく沈黙の中、時計の音だけが居間に響いた。
残された二人は、なんとも微妙な空気になった。
藍は無言で隙間妖怪を見つめた。
おずおずと、威圧に負けて口を開く。
「………う、嘘ついた罰よ」
「……」
紫様は目を逸らす。
顔立ちが語る。橙いないって言ったじゃない。
「そうですか」
「……えぇ」
「……」
「あっ……その怪我」
「は?」
「足首まで……血が垂れてきてるわ」
「生理です」
「え…いや、だって橙が」
「橙? 今朝は見ませんでしたよ。生理です」
「手当てしないと」
「生理、です」
「あ……そう、なの」
内股から、赤い血が滴っていく。畳が色を変えた。
「ああ!!」
藍は叫んだ。
「ダメだ…!橙はどうすべきか!あんな状態で飛び出していって、どうしよう!」
「落ち着きなさい藍」
「落ち着いてなぞいられません!すぐ追わなければ!もし人里の悪い男にでも捕まったら!」
「少し自分の式を信頼してあげなさい」
「だって、さっき椅子の脚に欲情してたんですよ!?」
「藍。アナタの式が大変な状態だからこそ、アナタ自身が冷静にならなくてはダメよ」
紫は、藍を後ろからそっと抱いてやった。
「考えてごらんなさい。何故理性もなくした式が、朝一番にこのマヨヒガにやってきたのかを」
「紫様…それは…」
「アナタがいるからでしょう? 猫は場所にこだわるわ。つまり彼女にとってここが繁殖に及んでも構わぬほど、安心できる場所ってことよ。好きな藍様の隣ね」
「…はい。まあ…そう、かもしれません」
「私が見ている限り、アナタの教育方針が間違っているとは思わない。だからきっと言いつけを守るわ」
安易に快楽に体をまかせ、愚かなことはしない、と紫は囁いた。
紫は思う。幼いからこうして抱いてやると、藍はどんなに焦っていても、落ち着いたのだ。
最近はめっきりその機会も減ってしまったが、久しぶりに主人としての尊厳を取り戻せた気がする。
私自身のカリスマというか、そんな威厳ある雰囲気に、藍は心の平静を得るのだ。自分で言うのも難だが。
藍は昔から感じていた、隙間妖怪とは全く別のことを思う。紫様は、おばあちゃんっぽい匂いでやっぱ落ち着くなぁ。
穏やかな表情で紫は促す。
「さ、やるべき事を言ってみなさい」
「はい。まず式を打って橙の場所を調べ、人間などに迷惑が掛からぬよう、彼女を保護します。その後は、自分の理性が保てるように、訓練ですね」
「よくできました。ほらそれじゃ行ってきなさい」
藍はシャンと立って、縁側から飛び立っていく。
悪戯どころか、懐深く道を指し示す紫に、藍は自分の今までの考えを少し恥じた。
「行ってきまーす。夕飯までには戻ると思いますのでー!」
そんな一言を残して去っていく藍を、紫は柱を背に手を振って見送った。
軽く、手首だけを左右に振って、にこやかに送り出す。
やだ……もうそんな季節なのね。
紫は憂鬱そうにため息をつく。
「はぁ…全く。落ち着きの無い。この親にしてこの子ありね」
悪戯好きの彼女には珍しく、従者の苦労を労うように慈愛の心で、遠く飛び去る影に視線をやる。
同種の徒労を経た仲間に向けるような、感慨深い顔。本当に稀な事だ。
最後に、結局どうして紫様がこの事に、比較的寛容だったかは分からなかったが。
数時間後、恥ずかしそうに手を繋いで帰ってくる私と橙が、そして手を振って迎えてくれる紫様が、マヨヒガの軒先にあった。
藍は、その光景が、その答えでも良いと思った。
藍様だからなぁ…