抱きしめられる。
ぎゅうなんていうより、きゅうの方が効果音として似合いそうな弱々しい抱擁だった。
慌てるよりも先に服に皺がついちゃうなあなんて、悠長なことを考える。
「ええと? 大丈夫ですか?」
「んん……」
大丈夫じゃないのだろうか。
もしかしたらそれは肯定だったのかもしれないが、私を抱きしめる力は弱まらなかった。
いや、元から弱々しいのだから、その表現はおかしいか。力は変わらなかった。これでいこう。
しかし、こんなのに抱き着くあたり、結構危ないのではなかろうか。
自分で自分をこんなのって結構凹むなあ。そんな取り留めのないことを考える。
ああ、どうして早苗はいきなり抱き着いてきたのだろう。
真正面からきゅうとしがみつかれたままでは、その表情を伺うことも出来なかった。
「文、その抱っこちゃんは何?」
「私が知りたいですね」
怪訝な顔をして訪ねてきた霊夢に、割と本気で答える。
とりあえず放置して酒を飲んでいるものの、真正面から抱き着かれていては、飲みにくい。
現実逃避にも集中できないのだ。当の本人は何の反応もしてくれないし。
胡座をかいていた上に座られて、いい加減きつくなってきたのだけれど。
「さっきいきなり抱き着いてきたはいいものの、離れないんですよ」
「文に抱き着くなんて物好きね、早苗は」
「ええまったく。どうして私なんでしょう」
「さあ? まあ、いいじゃない。たまには人に優しくしても」
「優しくない人に言われてもなあ。霊夢が代わってくださいよ」
「あんたが宴会の片付けをやってくれるならいいけど」
「じゃあこのままでいいです」
「ちぇ。そっちの方が楽なのに」
いや、抱き着かれるのも割と大変なんだこれが。
ろくに動けないし、身じろぎされると気になるし。
胸とか結構ダイレクトに当たってるもんなあ。私と同じかちょっと大きいくらいか。
今度サイズを聞いてみよう。早苗だから真っ赤になって面白そうだ。
記事にするんですか、なんて言われて弾幕張られるかもしれないが。
もしそうなったら自分の好感度と信頼度が悲しすぎるけど。流石にそれはしないやい。
でも、真っ赤になりながら弾幕を張る姿を撮るっていうのも、いいかもしれない。
霊夢や魔理沙はその辺うまく逃げるからなあ。弾の扱いと回避が無駄に上手いのが厄介だ。
――ああ、そうだ。顔といえば。
「霊夢、ちょっと早苗の顔見てくれません?」
「ん? ……ああ、あんたその格好じゃ見れないもんね」
「そうなんですよ。蒼白だったら、今すぐにでも引っぺがさなくてはなりません。飲んでましたから」
「流石にそれはねぇ。私としてはそれも面白いけど。どれどれ……、何だ。つまんない」
「はい? つまらない?」
にやにやとしていた霊夢が私の後ろに回ると、そんな感想を漏らした。
声から表情が伝わってくるくらいつまらなさそうだった。
私の隣に座った霊夢がやっぱりつまらなさそうな顔で言う。
「寝てる。ちょっと顔赤いけど、気持ち悪くはなさそう。むしろ幸せそう」
「あー、それなら大丈夫ですかねぇ。で、面白いっていうのはどういうことでしょう?」
「うげ。聞き逃してくれなかったか」
「ふふん。私をごまかせると思ったら大間違いですよ」
しばし、他愛のない会話を交わす。
早苗が寝ているから小さい声でだったけれど、このうるさい中ではあまり意味はないだろう。
ついでに、どうせ寝ているのだから、と体勢を変えてみる。
早苗の体を軽く持ち上げて足を伸ばす。関節がぽきりと鳴った。
そのままふとももの上に置いてやる。微かな声と身じろぎはまだ夢の中にいるからだろう。
……体勢を変えても起きないくらい寝入ってるなら、放っといてもいいんじゃないかな。
「駄目よ」
「なんですと」
「面白いから」
「……ところで、何が駄目なんでしょう」
「早苗放っといて他んとこ飲みいっちゃおっかなーとか考えてそうだったから、駄目」
「前半までしか合ってませんが。相変わらず勘がいいですね」
「ふふん。あんたの考えてることなんてお見通しなんだから」
「そんなに分かりやすいキャラだったかなあ。私」
「欲望に真っ直ぐだからね」
「それは否定できません」
「抱っこしやすいように体勢変えたんだから、今更放っとくのもなんだし」
「はいはい。おとなしく抱っこしてればいいんでしょう」
腹いせに霊夢の杯を奪い取って飲み干してやる。
不満そうな顔をされたけれど、早苗に配慮してか、何もされなかった。
これは、この機会にいろいろいじるチャンスかもしれない。ありがとう早苗。
後日に仕返しをされない程度の見極めが重要だが。
「じゃあ私は動けませんし。おかわりよろしく」
霊夢の杯を差し出して、もっと注いでとお願いする。
調子に乗るなと言いながら、はいはいとやってくれる霊夢というのは珍しかった。
「霊夢は早苗に甘いですね」
純粋に思ったことを冗談半分に口にしてみる。
あ、なんかにやっとされた。今にも皮肉を言われそうなそんな雰囲気。
「あんたと違って、ちゃんとしてるからね」
ああ、ほら、やっぱり。にやにやしながら言うセリフじゃないからそれ。
そのままとても愉快そうに笑って、霊夢は続けた。
「来る時にはお茶請け持ってきてくれるし。
宴会にだって、酒持ってきてくれるのよ? あんたと違って」
確かに私は何も物を持ってはこないけれど。そこまで強調したいか。
もっとも、霊夢はそんな細かいことにこだわりはしないだろうが。
あれだ。早苗は食べ物くれるから大好きーって感じなのだろう。餌付けされている。
だから私にも持ってこいと言うのだろう。ストレートすぎて、ある意味遠回りな脅迫。
物じゃなくて、厄介ごととかだったらいっぱい持ってきてやろうと思う。
「お賽銭だって入れてくれるのよ?」
「それが一番の理由ですかこの俗物巫女め」
「うるさいわね」
「きゃあ、怖い」
殺気を込められた目線に冗談っぽく返しながらも、ちょっぴり本気で怖かったので身を抱える。
自分の身ではなく、早苗の身体だけれど。物理的に出来ないのだからしょうがない。
いざとなったらこの娘が盾だ、と軽い脅しを込めた目で見返してみた。
はあ、と諦めたようなため息を付きながら眉を寄せる霊夢。
今度から何かあったら早苗を盾にしよう。そう誓った。
「盾にしても怒る時は怒るからね」
「あはは、そんなことしませんよ」
どこか乾いた笑いが漏れる。
怖い。超怖い。何がってその勘の良さと、関係ない早苗まで巻き添えにすると言えるあたり。
まるで躊躇しない声色ではっきりと断言されてしまった。男らしい。巫女だけど。
最初に関係ない早苗を盾にしようと思ったのは私だが。姑息を吹き飛ばす豪胆さ。
風雨なんて、この快晴の前にはただの通り雨に過ぎないのであった。
「ん、むぅ……」
思わず強く抱いてしまったか、苦しそうに早苗が呻く。
起こしちゃったかな? と反応を待ってみるも、早苗はすぅすぅと寝息をたてるだけだった。
ほう、と息を吐く。残念な気持ちとよかったという気持ちが半分ずつ。
いやいや、何をよかったと思っているんだ私は。
なんとなく周りを見渡せば霊夢がこちらを見ていた。
少し細められた目がうすら寒い。緩みそうなのを押さえ込んでいるような口元。
何がおかしい。私がそう言おうとする前に霊夢が口を開いた。
「あんた、優しいじゃない」
押さえる気もない緩みきった口元。細められた目は私と早苗を視界に収めている。
冗談じゃなく、寒気がした。優しいとか冗談でも言われたくはない。
特に霊夢から言われるのはきつい。彼女は率直な物言いが好きだから。
だから、私やどこぞのスキマのように遠回しで無意味なことは言わないのだ。
霊夢が言うのはいつだって、その目で見た真実で、その身で感じた本当で。
「私が優しい? 冗談でしょう」
まあ、軽口で返すのが私だけれど。声に不機嫌さは含まれていたかもしれない。
霊夢の表情が一転。冗談じゃないわよ、と軽く怒ったような瞳で言う。
「いいじゃない。たまには優しくたって。今日の標語はそれね」
「私に優しくない標語ですね」
「もしかしたら私にも優しくないかも」
笑い飛ばされた。あんま飲んでないくせに酒が回ってるんじゃないかなこの巫女は。
へらへらと笑う霊夢が私から自分の杯を奪い返す。
そのまま後ろに手を着いて、早苗の表情を見るようにしながら酒を呷った。
「こんな表情されたら優しくしてやるかー、とか思えるわ。私でも」
「ふうん? やっぱり私からは見えないんでどうにも」
「いい酒の肴になるわよ。抱き着かれてる文も面白いし」
さっきから言われている面白いには種類と度合いがあるのだけれど。
場合によってはどうしてくれよう。
「そうだ。写真撮ってあげる。一回使ってみたかったし」
「……いいですが。壊さないで下さいね」
とりあえず撮るためだけの簡単な説明をして、一枚だけ撮ってもらう。
後で現像したら新聞にしてやろう。たいして面白くはならないだろうけど。
「じゃ、撮れただろうから写真にしたらよろしく」
「よろしく?」
「あんたのことだから新聞なりなんなりにするでしょ。今回は読んでやらなくもないわ」
どんな新聞になるかしらね、と楽しそうな、どこか皮肉を含んだ声で笑う。
今回はって酷いなあ。いつもそれくらい楽しみにしてくれればいいのに。
「はあ……。まあ、いいですけどね」
そんなのは、悲しいほどに有り得ない。
むしろ一回でも楽しみにされたことを光栄に思うべきなのだろう。泣きそう。
しかし、霊夢はくじけそうな私などどこ吹く風で、優しくしてやる筈の早苗をいじり始めていた。
「結構伸びる」
「うぐぅ」
頬でも引っ張られているのだろう。間抜けな声が横からした。
止めなさいと言ってやるべきなのだろうけれど、面白そうなので放置。がんばれ早苗。
せめてもの応援に赤ん坊にするように背中を優しく叩いてやることにした。
たぶん、この状況すごくシュールだろうなとは思ったけれど、面倒臭いので、やっぱり放置。
こうして夜は更けていく。
いじり倒す筈が、逆にいじられていた気がしないでもない。
結局、宴会が終わっても早苗が起きてくれることはなかったので、私が連れ帰ることになった。
お持ち帰りである。性的ではない意味で。
「二柱は博麗神社の宴会には来てくれないんだもんなあ」
私達がいると早苗が遠慮するから、と言っていた。
何か意図があるのかと一度聞きに行ったことがある。あまりに普通で、がっかりしたものだ。
「連れ帰る方の身にもなってほしかったり」
愚痴りながらも、しっかり役目を果たす私は偉い。
神様に恩を売っておくことに損はないし、優しくしてやるのも稀にはいいかもしれないだろう。
これは間違っても、まっとうな優しさではないが。
後日談。
私は結構悩んでいた。
「こんなの、どう記事にしろって……!」
霊夢が撮った写真は初めてにしては中々のもので、ピンボケも、指が写っていることもなく。
フレームの中にきちんと収まっている被写体は、それだからこそ問題だった。
「確かに、こんな幸せな顔されたらなあ」
どんな文を添えて公表しろって言うのか。あの生臭巫女め。あの声色はそういうことか。
しょうがないから、新聞にするのは諦めて二柱にでも渡してしまおうかと思う。
諦めは重要である。霊夢に笑われても、それはそれで仕方ない。
あの二人のことだから喜ぶだろうし。恩のバーゲンセールだ。有り難みが減ってしまう。
だから渡すのは一枚だけにしておこう。厄介ごとを持っていくのは私の役目だし。
さて、二柱がもう一枚現像できるのに気付くのが先か、二人の喧嘩に早苗が霊夢に泣きつくのが先か。
せめてもの仕返しに、後者であることを願おう。神様に頼るしかない賭けだった。
もう一枚って何だろう?
後、ほんのり出来てよかった
いいお話でした。
たまらないです。
なんていい文なんだか
ていうか俺にも・・・
文と霊夢の会話、かなり好きだぜ。
誤字らしきものを
体制>体勢かと
霊夢だからなんだろうな…ゴチソウサマでした!