紅。館の色は紅。
紅。それはリンゴの色。アダムとイヴの、リンゴの色。
紅。夕日の紅。
紅、それは血の色。滴り流れ落ちる血の色はどす黒い紅。
月の色は紅。
紅、紅、紅……この紅色が貴女。
ふふふふ…私の手の中に、貴女が、貴女の紅が。
あぁ…あぁ!それはなんと美しい紅か。
この紅は、私の中に流れる紅と、おんなじ紅なのか。
まさか!私みたいな人間の身体に、これほどまでに美しい紅色が有るものか。
嗚呼、あぁ……こんな事、こんな事を、私は…!
私は、私の手には紛れもなく貴女の紅色が、お嬢様の紅色あって、そう、そうだ。もう引き返せない。引き返せない。
私は、震える手で、ドアノブを掴んで、捻って、そうして無防備に横たわる貴女を置いて、部屋を、後にした。
夜、空には紅い月。こんなに月が紅いのに、どうして貴女は部屋の中で寝ているのでしょう。
ふふっ、はははは!あはははは!
何かが、自分の中で音を立ててちぎれ落ちた。
Show must go onと、誰かは言った。もう、なるようにしかならない。
それでも、心は表には出しては駄目だ。少しでも怪しまれては、立場がない。
左手ではいつでもナイフを掴めるように、気を抜かない。
しかし私の手のこの紅を気にする者はいないだろう。
なぜ? そんな、貴方、冷静に考えて御覧なさい。
絨毯の紅を、僅かに震える足で踏みしめる。
出来ることなら、走り出したい。走ってすぐにでも、自分の部屋に、逃げ込みたい。
胸の中で、鼓動の音が大きく、大きくなってゆく。
あがった息は、私に早歩きさえも許容しない。
脂汗がじわりと滲む。
不快感と恍惚と、虚脱感と陶然とが混ざり合った心が、今にも私の体から飛び出ていきそう。
ようやくだ。部屋が近づく。もう少しで、私は、報われる。
手の中の紅色はまだその持ち主の生暖かさを包括していて、けれど次第に冷たくなってゆく感覚が、それが主の元を離れた事を、如実に語っている。
ドアの取っ手を掴むと、なだれ込むように扉を押し開けた。
真っ暗な部屋。ここが、私の部屋だ。
蝶番のきしむ音を引き継いでドアがバタンという音を立てると、私は一人になる。
一気に脱力して、呼吸が一層乱れた。深く、口で呼吸をしている。
のどが渇いた。
じっとりと汗をかいていた。
しかし今は寝苦しい夜が、昼間が、ありがたい。
道を外れて、悪魔の下に仕えた人間が、また道を外すのだ。
もう、もうどうしようもない。
しかし誰が私を責められる?
私は、私自身を信じて生きてきた。
それが運命だったのかもしれないが、私は自分の意志でレミリア・スカーレットに仕えた。
ああ、あァ!それならこの背徳の行いもまた、運命なのでしょう!
そうだ。なによりこの手に張り付いた、鮮血――
……のような色のネグリジェ!
この紅色のネグリジェを、洗濯室へ持って行くのではなくて、自室に持ち込んだことも、そう運命――ッ!
そう運命!
抗えない、それがサガ!
もはや戸惑いも、なにもない。
「嗚呼ッ!お嬢様!」
その真紅の、ほんのり湿ったネグリジェに、顔をうずめる。
「はぁ……あァお嬢様の、芳しい香りが……んっ!」
胸の鼓動が三倍速。赤い彗星か、それとも真紅の稲妻なのか。
ベッドにどさりと倒れこむと、なんだかいけない想像をしてしまいそう。
こんな状態で人前に出たら、それこそもうろう会見をしてしまうだろう。そんなユーフォリアでユーサネイジア。
息が詰まるような、というよりも実際に息が詰まりかけたところで、乾いた音が、耳に届いた。
ノックの音だ。
(ねぇ、さくやー、入るわよ)
「え!? ちょ、ちょおっとまってくださいお嬢様ー!!」
ギィ、っという音がする。
oh……ポイントオブノーリターン。絶体絶命。四面楚歌の九死に一生?
パニック状態になって訳が分からず、私はそのネグリジェを宙へと放った。
ドアの向こう、お嬢様はそこに。
私がそれを視認するのと同時に、ふぁさ、っとネグリジェが着陸した。お嬢様の香りが、ふわりと舞った。
「やっぱりお腹すいたからご飯を……あら、さくや」
「な、なんでせうおぜうさま」
「紅いカチューシャにしたのね。ひらひらしていてかわいいわ。……と、それはいいとして、やっぱり二度寝しないことにしたから、ご飯を用意して頂戴」
「……かしこまりました。お嬢様」
そう言うと、お嬢様は帰ってしまった。
「ふぅ……なんというミラクル」
私は頭の上のネグリジェを手にとると、もう一度そこに顔をうずめる。
「――次回は、時間をしっかり止めることにしますわ」
……開け放たれたドアの向こう、小悪魔が家政婦が如く私を見つめていたことに気が付くのは、また数分後のことである。
しかし私は知っている。
小悪魔がお嬢様に告げ口を出来ないということを。
――なぜなら、彼女がパチュリー様のネグリジェをくんかくんかしているということを、私は知っているのだ。
そしてその事実を、小悪魔も知っている。
そう。彼女は先駆者であり、同志なのだ。
背徳と狂気は、月夜に波及する。
ほら、貴方にも、ね?
でも小悪魔で吹いたw