梅雨が過ぎ、殺人光線と化した日光が降り注ぐ季節となった。無論のこと夜も暑い。
寝ている時にかく汗の量も当然増えるわけで、私は布団を干していた。
普通の洗濯物を干し終わったあとで布団に取り掛かる。ぐっと掛け布団を持ち上げると接している部分が暑かった。もう掛け布団は無くてもいいかなと思いつつ、それで風邪気味になりかかったこともある。二律背反とはこういうだろうか。
ぶわっと布団を広げそのまま物干し竿に乗せる。
たらりと下がった布団に突っ込んでいきたい気がしないでもない。
次に敷布団だ。掛け布団よりも重みを感じながら持ち上げると、ほんのりと汗のにおいがした。このにおいもお昼過ぎにはすっかり消えているのだろうが、日に当たっていた布団はどこか寝る時に熱い気がするので夏は少し苦手だった。
「これで終わりかしら」
誰に呟くわけでもなく言った言葉は布団が吸い込んでいった。
縁側から座敷に上がり、ふと卓袱台を見ると帽子が鎮座していた。いや帽子なのだからあったでいいのだろうが、確かそれは山の上の神社の神様の帽子だから鎮座でもいいかもしれない。しかし私は神様がそこにいてもそんなにかしこまる気はないので実はあったでもいいというオチである。
「霊夢さん!」
むう、この帽子喋りよる。が、喋ったのは後ろにいた人物、東風谷早苗であった。
「この帽子、干してもらえませんか?」
「え、何で?」
もちろんそんな帽子一つ干すのは容易いが、それは誰であってもそうであるはずだ。
ここはとりあえず理由を聞いておくのが先決である。
「えっと、この帽子、すごく干しづらいんです!」
「早苗、こんにちは」
「え、ええ、こんにちは」
「お帰りはあちらだけれど」
「いや、ちゃんと理由があるんですよ! 最後まで聞いてください!」
わたわたする早苗を尻目に台所へとお茶をとりに行く。夏に熱いお茶というのも粋であるが、やはり冷たいのも飲みたくなるもので朝に汲んだ井戸水で冷やしてある。
話しこみそうなので結局二人分持っていくことにした。
「で、なんなのよ?」
「これ、洗濯バサミにはさみづらいんです」
「お茶もってきたわ」
「ありがとうございます。ってなんで帽子の前に置くんですか!」
取ろうとした早苗の手を払い、私は自分で持ってきたお茶に手をつける。
少しぬるいな。
「ああ、お茶‥‥‥」
「ふざけたこと言ってるからよ。そんだけ厚い生地ならはさみ辛いでしょうよ」
「いえ、そういう次元の問題でなく」
そう言いかけた矢先に、言葉はお茶を飲むずずずという音に遮られた。
二人が音がした方向を見ると、お茶を飲む帽子と目が合ったのである。
二人と一つで縁側に並んだ。帽子は渕の部分で器用に湯のみを持ち、山の部分の中腹にお茶を注いでいる。本来ならば染みができるのだろうが、こぼれたあとなど一つも無かった。一丁前に飲んだ後にほうと息を吐いたように見えた。
「私は洗濯をしてたのですが、ついでに神奈子様の注連縄と諏訪子様の帽子を干そうと思ったんです。天気もいいし。注連縄の方は半端じゃない重量でしたが、この重さなら飛んでいくこともないので庭に転がしておきました」
「なにげにひどいわね」
「帽子は物干し竿に洗濯バサミでつけておけばいいと思ってつけたのですが、干し終わったあとにふと視線を感じるんです。見回してもさっきの帽子とほかの洗濯物しかない。そして気づいたんです。帽子の目が哀しそうな目でこっちを見ているのを‥‥‥!」
「怪談なのか喜劇なのかはっきりしてほしいわ」
「それで今に至ると」
手を伸ばしてお茶を口に運ぶ。早苗も湯のみをとり、帽子もお茶を口にする。
「ふぅ」
「ふぅ」
「****」
「で、何で私のところにもってくるの」
「霊夢さんならこんな視線ものともしないだろうなあと」
「ほめられてはいなさそうね」
「涙を浮かべた妖怪をばったばったと薙ぎ倒し」
「非情なイメージなら今度から早苗にも冷たく、いえ冷酷にあたるけど」
「でもちゃんとそういう妖怪には手加減してるんですよねー」
「‥‥‥なによ、その目は。御札がそうなってるだけよ。さあ、帽子の話だったでしょ。ほらなんか案があるんじゃないの」
急かすと早苗はなにかニヤニヤした表情だったが、話し始めた。
「物干し竿です」
「物干し竿がどうしたのよ」
「まず物干し竿を縦に置きます。霊夢さんがそれを支えてる間に私が帽子をてっぺんに掛けてきます。あとは私がまったりする一時間ほど支えていてくれればって、あ、針を向けるのやめてください。いやほんと、刺さります、刺さるって、うあー」
「結局これ何かできるの?」
「そうですねぇ。何かやってみてください!」
早苗がびしっと帽子に指を突きつける。
知らないのかよ。
指さされた帽子は早苗を一瞥すると何か喋った、ように感じた。
心なしか怒っているような気がする。
「ねえ、あれ指さすなって言ってるんじゃ」
「はっ、すみません」
慌てて指を戻すと満足したような感じでうなずく。そのせいで奇妙にへこんだりしている。
突如帽子が淡い虹色の光に包まれた。そしてそのまま浮き上がりくるくると回り始めた。
「なんと神々しい‥‥‥」
「ええー」
そしてそのまま縁側へ降り、光は霧散していった。
「‥‥‥」
「‥‥‥」
着地した帽子はどうだと言わんばかりに反り返っていた。またへこんでいた。
しばらく続く沈黙、今の行動に対しどう反応しろというのだ。
早苗の方をちらと見ると困った顔をして見返してくる。
目と目で通じ合うわけではないが、一度この場を去ることを二人で決めた。
「早苗、買い物にでも行かない?」
「いいですねー。そういえば里の方ではもうわらび餅はじめたらしいですよ」
「あら、じゃあちょっと多めに持たないと」
「ふふふ、諏訪子様たちにも買っていかないと」
そう言って笑いながら空へと飛んでいった私たちを帽子は見えなくなるまで見つめていた気がする。神社も見えなくなったころ、一度だけ振り返ったが何も見えなかった。
昼が過ぎ日が西に傾き始めるころ神社に戻ると、縁側では例の神様が足をぶらぶらさせて座っていた。
「やっほー、おかえりー」
「おかえりって、あんたの神社じゃないわよ」
「あー諏訪子様、ただいまです。わらび餅買ってきたんですけど」
「おっ、いいねえ。食感がたまんないよね」
顔を綻ばせ、包みを開いていく。透明な衣に包まれ餡子の姿はほのかに見える。見た目からしていかにも涼む。
「うん。うまそう。どれ、あいつより先に一口」
そう言うやいなやぷるると震えるそれを口へ放り込む。
幾度かの咀嚼、ごくりと動く喉。
満面の笑みを浮かべて、
「いやーいい仕事するなあ」
「おいしそうに食べるわね。どれ私も」
「霊夢さんはさっき一緒に、ああーもってかないでー」
「まま、どうせならこの三人で食べてしまおう。神奈子は天狗の宴会でいつもおいしいもの食べてるんだ。かまいやしないよ」
「えーと、まあ諏訪子様がそうおっしゃるなら」
「おや、ついに早苗もわらび餅に魅力に負けたわね」
「一度味わってしまうと、おいしさがわかるからつい」
「しかしほんとうまい」
こうしてわらび餅はあっという間に無くなってしまった。おいしくいただかれるのだから本望であろう。
「しかし帽子が飛ばされてなくて良かったです」
「なんのこと?」
「その帽子ですよ。半日近くほうっておいたから」
「いや、今日は朝起きてからずっとかぶっているよ」
「あれ?」
「え、じゃあ縁側にいたのは‥‥‥」
二人で縁側の周りを探したが帽子(のような何か)はどこにもいなかった。
一体あれはなんであったのだろうか。
だが私の入れたお茶をおいしそうに飲むあれは決して悪いものには見えなかった。
悪いことをしてしまったとも思っているし、侘びもしたい。もし今度会えたのならば麦茶とわらび餅を奢ってやろうと私は密かに思っている。
寝ている時にかく汗の量も当然増えるわけで、私は布団を干していた。
普通の洗濯物を干し終わったあとで布団に取り掛かる。ぐっと掛け布団を持ち上げると接している部分が暑かった。もう掛け布団は無くてもいいかなと思いつつ、それで風邪気味になりかかったこともある。二律背反とはこういうだろうか。
ぶわっと布団を広げそのまま物干し竿に乗せる。
たらりと下がった布団に突っ込んでいきたい気がしないでもない。
次に敷布団だ。掛け布団よりも重みを感じながら持ち上げると、ほんのりと汗のにおいがした。このにおいもお昼過ぎにはすっかり消えているのだろうが、日に当たっていた布団はどこか寝る時に熱い気がするので夏は少し苦手だった。
「これで終わりかしら」
誰に呟くわけでもなく言った言葉は布団が吸い込んでいった。
縁側から座敷に上がり、ふと卓袱台を見ると帽子が鎮座していた。いや帽子なのだからあったでいいのだろうが、確かそれは山の上の神社の神様の帽子だから鎮座でもいいかもしれない。しかし私は神様がそこにいてもそんなにかしこまる気はないので実はあったでもいいというオチである。
「霊夢さん!」
むう、この帽子喋りよる。が、喋ったのは後ろにいた人物、東風谷早苗であった。
「この帽子、干してもらえませんか?」
「え、何で?」
もちろんそんな帽子一つ干すのは容易いが、それは誰であってもそうであるはずだ。
ここはとりあえず理由を聞いておくのが先決である。
「えっと、この帽子、すごく干しづらいんです!」
「早苗、こんにちは」
「え、ええ、こんにちは」
「お帰りはあちらだけれど」
「いや、ちゃんと理由があるんですよ! 最後まで聞いてください!」
わたわたする早苗を尻目に台所へとお茶をとりに行く。夏に熱いお茶というのも粋であるが、やはり冷たいのも飲みたくなるもので朝に汲んだ井戸水で冷やしてある。
話しこみそうなので結局二人分持っていくことにした。
「で、なんなのよ?」
「これ、洗濯バサミにはさみづらいんです」
「お茶もってきたわ」
「ありがとうございます。ってなんで帽子の前に置くんですか!」
取ろうとした早苗の手を払い、私は自分で持ってきたお茶に手をつける。
少しぬるいな。
「ああ、お茶‥‥‥」
「ふざけたこと言ってるからよ。そんだけ厚い生地ならはさみ辛いでしょうよ」
「いえ、そういう次元の問題でなく」
そう言いかけた矢先に、言葉はお茶を飲むずずずという音に遮られた。
二人が音がした方向を見ると、お茶を飲む帽子と目が合ったのである。
二人と一つで縁側に並んだ。帽子は渕の部分で器用に湯のみを持ち、山の部分の中腹にお茶を注いでいる。本来ならば染みができるのだろうが、こぼれたあとなど一つも無かった。一丁前に飲んだ後にほうと息を吐いたように見えた。
「私は洗濯をしてたのですが、ついでに神奈子様の注連縄と諏訪子様の帽子を干そうと思ったんです。天気もいいし。注連縄の方は半端じゃない重量でしたが、この重さなら飛んでいくこともないので庭に転がしておきました」
「なにげにひどいわね」
「帽子は物干し竿に洗濯バサミでつけておけばいいと思ってつけたのですが、干し終わったあとにふと視線を感じるんです。見回してもさっきの帽子とほかの洗濯物しかない。そして気づいたんです。帽子の目が哀しそうな目でこっちを見ているのを‥‥‥!」
「怪談なのか喜劇なのかはっきりしてほしいわ」
「それで今に至ると」
手を伸ばしてお茶を口に運ぶ。早苗も湯のみをとり、帽子もお茶を口にする。
「ふぅ」
「ふぅ」
「****」
「で、何で私のところにもってくるの」
「霊夢さんならこんな視線ものともしないだろうなあと」
「ほめられてはいなさそうね」
「涙を浮かべた妖怪をばったばったと薙ぎ倒し」
「非情なイメージなら今度から早苗にも冷たく、いえ冷酷にあたるけど」
「でもちゃんとそういう妖怪には手加減してるんですよねー」
「‥‥‥なによ、その目は。御札がそうなってるだけよ。さあ、帽子の話だったでしょ。ほらなんか案があるんじゃないの」
急かすと早苗はなにかニヤニヤした表情だったが、話し始めた。
「物干し竿です」
「物干し竿がどうしたのよ」
「まず物干し竿を縦に置きます。霊夢さんがそれを支えてる間に私が帽子をてっぺんに掛けてきます。あとは私がまったりする一時間ほど支えていてくれればって、あ、針を向けるのやめてください。いやほんと、刺さります、刺さるって、うあー」
「結局これ何かできるの?」
「そうですねぇ。何かやってみてください!」
早苗がびしっと帽子に指を突きつける。
知らないのかよ。
指さされた帽子は早苗を一瞥すると何か喋った、ように感じた。
心なしか怒っているような気がする。
「ねえ、あれ指さすなって言ってるんじゃ」
「はっ、すみません」
慌てて指を戻すと満足したような感じでうなずく。そのせいで奇妙にへこんだりしている。
突如帽子が淡い虹色の光に包まれた。そしてそのまま浮き上がりくるくると回り始めた。
「なんと神々しい‥‥‥」
「ええー」
そしてそのまま縁側へ降り、光は霧散していった。
「‥‥‥」
「‥‥‥」
着地した帽子はどうだと言わんばかりに反り返っていた。またへこんでいた。
しばらく続く沈黙、今の行動に対しどう反応しろというのだ。
早苗の方をちらと見ると困った顔をして見返してくる。
目と目で通じ合うわけではないが、一度この場を去ることを二人で決めた。
「早苗、買い物にでも行かない?」
「いいですねー。そういえば里の方ではもうわらび餅はじめたらしいですよ」
「あら、じゃあちょっと多めに持たないと」
「ふふふ、諏訪子様たちにも買っていかないと」
そう言って笑いながら空へと飛んでいった私たちを帽子は見えなくなるまで見つめていた気がする。神社も見えなくなったころ、一度だけ振り返ったが何も見えなかった。
昼が過ぎ日が西に傾き始めるころ神社に戻ると、縁側では例の神様が足をぶらぶらさせて座っていた。
「やっほー、おかえりー」
「おかえりって、あんたの神社じゃないわよ」
「あー諏訪子様、ただいまです。わらび餅買ってきたんですけど」
「おっ、いいねえ。食感がたまんないよね」
顔を綻ばせ、包みを開いていく。透明な衣に包まれ餡子の姿はほのかに見える。見た目からしていかにも涼む。
「うん。うまそう。どれ、あいつより先に一口」
そう言うやいなやぷるると震えるそれを口へ放り込む。
幾度かの咀嚼、ごくりと動く喉。
満面の笑みを浮かべて、
「いやーいい仕事するなあ」
「おいしそうに食べるわね。どれ私も」
「霊夢さんはさっき一緒に、ああーもってかないでー」
「まま、どうせならこの三人で食べてしまおう。神奈子は天狗の宴会でいつもおいしいもの食べてるんだ。かまいやしないよ」
「えーと、まあ諏訪子様がそうおっしゃるなら」
「おや、ついに早苗もわらび餅に魅力に負けたわね」
「一度味わってしまうと、おいしさがわかるからつい」
「しかしほんとうまい」
こうしてわらび餅はあっという間に無くなってしまった。おいしくいただかれるのだから本望であろう。
「しかし帽子が飛ばされてなくて良かったです」
「なんのこと?」
「その帽子ですよ。半日近くほうっておいたから」
「いや、今日は朝起きてからずっとかぶっているよ」
「あれ?」
「え、じゃあ縁側にいたのは‥‥‥」
二人で縁側の周りを探したが帽子(のような何か)はどこにもいなかった。
一体あれはなんであったのだろうか。
だが私の入れたお茶をおいしそうに飲むあれは決して悪いものには見えなかった。
悪いことをしてしまったとも思っているし、侘びもしたい。もし今度会えたのならば麦茶とわらび餅を奢ってやろうと私は密かに思っている。