地霊殿の広間の隅に見慣れない四角い物体があった。
よく目を凝らしてみればこたつで、にゅっと薄紫色をした丸いものが付き出ていた。丸いものの正体に気づいてあたいは目眩がしそうになる。
「さとり様!?」
「どうしたの、そんな声出して」
地霊殿は幻想郷では珍しく洋風の作りであって、だからこそ余計に床に置いてあるこたつとミスマッチがひどかった。あまり目の前の光景を信じたくなく、あたいは目を両手でこすってみる。
目を開けた時にはこたつなんか見間違いで、主は優雅に椅子に腰掛け、紅茶とクッキーでも口にしていたらいいのにと思ったが現実は残酷で、主は床に這いつくばる様にこたつから手と首だけ出して、広げた新聞の上で蜜柑の筋を取っていた。
誰かカリスマを持ってきてくれ。
「……何やってるんですか」
「寒くて」
しれっとした顔で蜜柑を見つめながら、さとり様は滅多に見ない真剣さで筋を丁寧に取っている。
「そんな恰好してるの映姫様とかが見たら泣きますよ。ていうかあたいが今泣きそうです」
「豆炭買ってくるの忘れました」
「そういうこと考えてから置きましょうよ」
ちょいちょいと手招きされたので、あたいはさとり様の向かいになるようにこたつに入る。毛布をめくったら、さとり様の靴下を履いた足が引っ込む様子が見えて妙におかしかった。
さとり様も起き上がってきて、テーブルの上にさっきまで広げていた新聞紙と蜜柑が乗った鉢を置いた。
「はい、あーん」
「あい」
条件反射でひな鳥みたいに開けた口に、筋を取った蜜柑が二房押し込まれる。少し冷たかったけど甘酸っぱくておいしかった。さとり様がちいさく笑う。
「どうしたんですか、これ?」
「前にお空と言ってたじゃない。神社でこたつ入って温かかったって」
「言いましたけど」
主が覚妖怪からこたつ妖怪に変化する羽目になるんだったら口が裂けても言わなかった。
そう思ったのは伝わっている筈なのだが、さとり様は何も言わずに静かに笑った。
起きあがったはいいけれどこたつから出る気は微塵も無いらしく、鉢に盛られた蜜柑をまた一つ取っている。
「だから、蜜柑とお煎餅とお茶も用意したのよ」
体の脇に置いていたらしいお盆を机に乗せて、湯呑を一つ取ってお茶を入れてくれる。小さくお辞儀をしてから受け取ってすする。少しぬるくて、あたいの舌にはちょうど良かった。あ、お煎餅はさとり様どうぞ。
「これであとはお燐がないたら完璧ね」
「なく?」
さとり様は意味ありげに笑って、すっとあたいの顎の下に手を伸ばして指先を動かした。くすぐったくて身をよじるとだーめ、と言って頬をつまんできた。
「い、ちょっと、なん、ですか?」
「にゃぁ」
赤い舌をちろりと出して、さとり様は上目使いで悪戯っぽく笑った。
顔が一気に熱くなる様子が自分でもわかった。何やってんですかあんたと怒鳴りたいのを必死で我慢する。あたいは顔を見せたくなくて、べたりとこたつのテーブルに頬を張り付けた。
「さとり様なんかきらいです」
「悲しいわ、大好きなお燐にそんなこと言われるだなんて。それともひょっとして反抗期?」
「いくつだと思ってるんですか」
炬燵につっこんだままの足でさとり様の膝を軽く蹴る。蹴る事なんて読めているくせにさとり様は避けもしないで、きっとにこにこと笑っているのだろう。
「怒らないで、私のかわいい火車」
突っ伏したままの頭をあやすようにゆるく撫でられる。耳の付け根から先端へ、毛の流れに沿ってやわやわと撫でてくるので体温が伝わってきて背筋がぞくぞくして仕方無い。
やめてくださいもう充分です勘弁してください。私の、とか言われるだけで死んでもいい気分になるんです。
胸の中で必死で押し殺している悲鳴も聞こえているだろうに、この主ときたら知らん顔でどろどろに甘やかしてくれる。
「ねぇお燐」
「なんすか」
「こっち向いてちょうだい」
甘ったるい声出されて、あたいが嫌だなんて言えない事も嫌いになんて百編死んでもなれない事も、全部知っているくせに、わざとあたいの答えをさとり様は欲しがる。
手の上で踊らされているなんてわかっているのに、その手を振り払えないあたいはきっと馬鹿だ。
顔をあげた途端口に押し込まれた蜜柑は全て筋が取られていて、あたいはもぐもぐと噛み締めてから全部飲み込んだ。
甘酸っぱい果汁が喉を通っていく様子がわかる。言いたい事も全部飲みこんでしまって、腹の中で跡形もなく溶けていく。
「おいしい?」
「……はい」
「よかった」
さとり様の口が動いてにっこりと笑われた途端、あたいの心のどこかはまるで爆発したようにはじけてしまって、それからの事はもうわからない。
この主が気まぐれに差し出すやさしさと甘さだけで、あたいはきっと生きている。
よく目を凝らしてみればこたつで、にゅっと薄紫色をした丸いものが付き出ていた。丸いものの正体に気づいてあたいは目眩がしそうになる。
「さとり様!?」
「どうしたの、そんな声出して」
地霊殿は幻想郷では珍しく洋風の作りであって、だからこそ余計に床に置いてあるこたつとミスマッチがひどかった。あまり目の前の光景を信じたくなく、あたいは目を両手でこすってみる。
目を開けた時にはこたつなんか見間違いで、主は優雅に椅子に腰掛け、紅茶とクッキーでも口にしていたらいいのにと思ったが現実は残酷で、主は床に這いつくばる様にこたつから手と首だけ出して、広げた新聞の上で蜜柑の筋を取っていた。
誰かカリスマを持ってきてくれ。
「……何やってるんですか」
「寒くて」
しれっとした顔で蜜柑を見つめながら、さとり様は滅多に見ない真剣さで筋を丁寧に取っている。
「そんな恰好してるの映姫様とかが見たら泣きますよ。ていうかあたいが今泣きそうです」
「豆炭買ってくるの忘れました」
「そういうこと考えてから置きましょうよ」
ちょいちょいと手招きされたので、あたいはさとり様の向かいになるようにこたつに入る。毛布をめくったら、さとり様の靴下を履いた足が引っ込む様子が見えて妙におかしかった。
さとり様も起き上がってきて、テーブルの上にさっきまで広げていた新聞紙と蜜柑が乗った鉢を置いた。
「はい、あーん」
「あい」
条件反射でひな鳥みたいに開けた口に、筋を取った蜜柑が二房押し込まれる。少し冷たかったけど甘酸っぱくておいしかった。さとり様がちいさく笑う。
「どうしたんですか、これ?」
「前にお空と言ってたじゃない。神社でこたつ入って温かかったって」
「言いましたけど」
主が覚妖怪からこたつ妖怪に変化する羽目になるんだったら口が裂けても言わなかった。
そう思ったのは伝わっている筈なのだが、さとり様は何も言わずに静かに笑った。
起きあがったはいいけれどこたつから出る気は微塵も無いらしく、鉢に盛られた蜜柑をまた一つ取っている。
「だから、蜜柑とお煎餅とお茶も用意したのよ」
体の脇に置いていたらしいお盆を机に乗せて、湯呑を一つ取ってお茶を入れてくれる。小さくお辞儀をしてから受け取ってすする。少しぬるくて、あたいの舌にはちょうど良かった。あ、お煎餅はさとり様どうぞ。
「これであとはお燐がないたら完璧ね」
「なく?」
さとり様は意味ありげに笑って、すっとあたいの顎の下に手を伸ばして指先を動かした。くすぐったくて身をよじるとだーめ、と言って頬をつまんできた。
「い、ちょっと、なん、ですか?」
「にゃぁ」
赤い舌をちろりと出して、さとり様は上目使いで悪戯っぽく笑った。
顔が一気に熱くなる様子が自分でもわかった。何やってんですかあんたと怒鳴りたいのを必死で我慢する。あたいは顔を見せたくなくて、べたりとこたつのテーブルに頬を張り付けた。
「さとり様なんかきらいです」
「悲しいわ、大好きなお燐にそんなこと言われるだなんて。それともひょっとして反抗期?」
「いくつだと思ってるんですか」
炬燵につっこんだままの足でさとり様の膝を軽く蹴る。蹴る事なんて読めているくせにさとり様は避けもしないで、きっとにこにこと笑っているのだろう。
「怒らないで、私のかわいい火車」
突っ伏したままの頭をあやすようにゆるく撫でられる。耳の付け根から先端へ、毛の流れに沿ってやわやわと撫でてくるので体温が伝わってきて背筋がぞくぞくして仕方無い。
やめてくださいもう充分です勘弁してください。私の、とか言われるだけで死んでもいい気分になるんです。
胸の中で必死で押し殺している悲鳴も聞こえているだろうに、この主ときたら知らん顔でどろどろに甘やかしてくれる。
「ねぇお燐」
「なんすか」
「こっち向いてちょうだい」
甘ったるい声出されて、あたいが嫌だなんて言えない事も嫌いになんて百編死んでもなれない事も、全部知っているくせに、わざとあたいの答えをさとり様は欲しがる。
手の上で踊らされているなんてわかっているのに、その手を振り払えないあたいはきっと馬鹿だ。
顔をあげた途端口に押し込まれた蜜柑は全て筋が取られていて、あたいはもぐもぐと噛み締めてから全部飲み込んだ。
甘酸っぱい果汁が喉を通っていく様子がわかる。言いたい事も全部飲みこんでしまって、腹の中で跡形もなく溶けていく。
「おいしい?」
「……はい」
「よかった」
さとり様の口が動いてにっこりと笑われた途端、あたいの心のどこかはまるで爆発したようにはじけてしまって、それからの事はもうわからない。
この主が気まぐれに差し出すやさしさと甘さだけで、あたいはきっと生きている。
あとはおくうとこいしで四面全部埋めればいいよ!
いや、二十倍でも(ry