*この作品は創想話作品集46にある『散る野』のその後を短編連作(?)でだらだらと綴ったものです。
読んだことのない人にはただ霊夢とチルノがいちゃいちゃしているようにしか見えないと思います。
池の水面には、今も姿を変えることのない蓮の花がゆらゆらと揺れている。時折吹く風は柔らかく、まだまだ心地よい陽気が続くことを告げているかのようだった。
吹く風にのって歌が流れる。木々の間に、花々の弁に、水の表面をそっとなでるように、優しい音色が池のほとりから奏でられている。
「~♪」
木々の葉や花が揺れるのに合わせるかのように、その場の歌姫ことチルノは、水の中に両足をつけて左右に体を揺らしている。風を感じ、木々や花の揺らめきを感じ、自然が奏でるささやかな音に合わせて清々と歌う。普段は愛くるしい幼子の容貌も、この瞬間だけは色恋に己を染めた、年若い少女のようだった。
霧が晴れていくように、ひっそりと歌うのを止める。周囲で奏でられていた自然の合奏団も、ぴたりと音を止めた。そこには、演奏会の後のような、不思議な心地よい時間が流れる。
「んよっと……もう、いいかな?」
腰を上げて、空を見る。太陽の位置からして、そろそろお昼を回ってもいい頃合いのはずだ。
「それじゃ、またね」
少し浮かんだ辺りで周りにをちらりと流し見て、チルノは青空へと飛び上がった。
さぁ――と、木々の葉が揺れた。
花満開、ではもう言葉が足らず、狂い咲きとでも称した方が適切な異変はまだ続いていた。と言っても、花たちも少しづつではあるがその数を減らしてきている。それでもまだ異常なほどの花たちが中空を舞っているので、それを実感する者たちからすればまだまだ異変は続いているも同然だった。
その一人、博麗霊夢は今日も箒を片手に、境内の真ん中でため息を吐いた。毎日毎日掃いても掃いても次の日になれば花弁は神社の中いっぱいに散らばっている。敷地自体そうは広くはないが、こうも同じ光景ばかりを見させられては億劫になってしまう。それでなくとも、面倒くさいのに、という言葉は胸の内に秘めておいて。
「また萃香に手伝わせるかなぁ……でも、今度は宴会だーとか言いかねないしなぁ」
前に一度だけ手伝わせたときの条件は一夜泊めてやることだった。普段なら勝手に泊まっていきかねないというのに、珍しく殊勝な物言いと、楽ができるという誘惑に負けて頼んだ。その結果、一晩中酒盛りに付き合わされて、次の日に掃除ができなくて本末転倒だった。
二度と頼むまいとは思ったものの、やはり人間目の前にある甘い誘惑には弱いらしい。空から舞い降りてくる花たちを見ていると、別に宴会一回くらいいいのでは、と思えてしまう。
どうしようかな、と思っていると、花とは違うものが降りてきた。
「やっほう、霊夢元気?」
チルノだった。
「あんたほどじゃないわよ。っていうか何しに来た」
「んー……何しにきたらいい?」
「意味わかんないわよ」
「だってー……」
実はこうして特に用事もないのにチルノが博麗神社を訪れるのは今日が初めてではない。
あの日から、たびたびチルノは霊夢に会いにこうして神社に足を運んでいる。理由はない。ただ、霊夢に会いたいだけだった。でも、当の霊夢はチルノがそう言っても信じてはくれない。何の悪戯をしにきたのかとか、寒いからあっち行けとそっけない反応を返してくる。
チルノも、その理由が用意できるものならしたいと思っている。しかし、今までがあまりに縁がなかっただけに、いきなりそう都合のいい理由が出てくるわけもない。
霊夢の周りにいる者たちを見ていると、あまり深く考えないでもいいのではないかとも考えた。皆が皆とは言わないけれど、ほぼ全員が霊夢の意思や迷惑になることを考えないで足しげくこの神社に通っている。だから、自分も横暴なくらいわがままにしていれば、霊夢も何も言わなくなるのでは、と。
だけど、なかなかそう思い切った行動には出られなかった。遠慮、だろうか。若干の配慮が混じったそれを、チルノは霊夢に感じていた。
霊夢には会いたい。でも、迷惑にはなりたくない。
「ほら、今から掃除するから、さっさと帰る」
「う~」
昔のように、無邪気に甘えられたら……と、一瞬だけ思う。それが出来たなら、きっと自分はこんなにも悩むことはなかっただろう。
……あれ、と不思議な既視感を覚えた。それは、果たして今、霊夢の周辺に居る者たちと何が違うのだろうか?
もしかしたら……いや、薄々は気づいていたけれど、敢えて考えないようにしておいたことだけど……もう少し、自分の気持ちを出した方がいいのかも知れない。分かっていても、今はどうしても遠慮してしまうから、それは本当にちょっとかもしれない。でも、そのちょっとで、いいのではないだろうか?
そのちょっと、がまた分からないのだけど……
「ん~……むぅ、見れば見るほどに面倒くさくなってきたわ。やっぱり萃香にやらせるか……でもなぁ……魔理沙とか紫の耳に入ったら色々とまた面倒に……うーん……」
頭をぽりぽりとかきながら、霊夢の意識は既にチルノから離れている。境内に敷き詰められた花弁は玉を敷き詰めたかのように美しいけれど、きっと霊夢にとっては森の中に散らばる枯れ葉と大差ないのだろう。
……あ。と、チルノは“ちょっと”を見つけた。
「あ、ねえ霊夢。あたしが掃除、手伝ってあげよっか?」
「んあ? あんたが?」
「うんっ」
「ん~……」
霊夢が腕を組む。悩んでいるようだけど、チルノにはどうしてかこの後、霊夢がなんと答えるか分かっていた。
だって、霊夢はどんなときだって、博麗霊夢なのだ。昔も、自分が少しのことで足踏みをしていたとき、ほんの僅かしか差し出していない自分の手を優しく掴んでくれた。何もしなければ何も応えてくれないけれど、求めたら、それがどんな形であれ返してくれる。
それが、チルノの知る、博麗霊夢なのだから。
「だめ……?」
でも、やっぱりちょっとだけ不安で、訊いてみる。
「……ま、手伝ってくれるっていうんなら、いいわ。でも」と、指を立てて霊夢は言う。「手伝っても、お茶くらいしか出さないからね」
「……うん!」
そうして、チルノは霊夢が差し出す箒を受け取った。
「っていっても……そうよね、あんたに熱いお茶が飲めるわけなかったわよね」
今気づいたという風に、霊夢は頭をかいた。急須と茶のみを二組載せた盆を、縁側で待っていたチルノの傍に置いて、自分も座る。一応、茶のみ二つともにお茶を注ぎはするものの、そこからは薄っすらと湯気がたっている。春なのに湯気が立つほどの熱いお茶を、氷精であるチルノが飲めるはずもない。
「いいよ。あたしが傍にいればいつか冷めるだろうし」
「ああ、言われてみればそうね……ん? それってつまり、私のも冷めるってことじゃない」
「あはは」
「笑うなこのやろう」
こつんと軽く、頭をはたく。文句を言いながらも、結局そのままチルノを追い出すでもなくのんびりと茶に息を吹きかけ始める。
「……」
「……」
「……なによ」
チルノのじぃと見つめる視線に、霊夢が横目で返す。
「ううん、何でもない」
「あっそ……」
それでチルノが見るのを止めたわけではないが、どうでもいいのか、また空を眺めながら霊夢はお茶を冷ます作業に戻る。
……似ているなぁ、なんて言っても、きっと霊夢には何のことか分からないだろうなと思う。髪の長さや癖、口調もそうだけど、何より雰囲気が似ている。彼女の周りだけは、何故か違う空気が漂っている。
許される、とでも言えばいいのか。彼女の周りでは世界に存在する全てが許されている気がする。風や匂い、その他全て。そんなものが彼女に許しを請う理由なんてないけれど……でも、そう思ってしまうくらいに、彼女の周りは穏やかなもので満たされているのだ。
例えば、地獄に彼女が居たとする。地獄に仏、なんてものじゃない。地獄はきっと楽園へと変わってしまう。閻魔も鬼も亡者も、誰も彼もを、彼女の存在が許してしまう。
「……だから、なによ」
……少し、強く見つめすぎてしまったみたいだった。さっきとは違って、少し目つきが鋭い。
「んーん、何でもないっ。あ、もう飲めそうかな?」
言って、茶のみを持つ。少なくとも、持った部分は熱くない。もしお茶がまだ少し熱くても、これなら自分が息を吹きかければすぐに冷たくなってくれるだろう。
「……まだ一杯しか飲んでないのに、もう淹れ直しか……決めた、あんたとはもう一緒に飲まない」
「やだ」
掃除を手伝うと言う前まではあれだけ霊夢に対して何かを言うことを躊躇っていたというのに、チルノは自分でも不思議なくらいきっぱりと言った。
「やだじゃない」
「じゃあだめ」
「だめでもない。なら冷たくないように成りなさい」
「それ無理……」
きっぱり否定したものの、やっぱりまだ霊夢に対しては強く出られない。何か良い返しはないものか……と、霊夢が茶のみを持つ手に視線が止まる。
「あ……」と、思いついたことを言おうか、逡巡する。でも、折角だから言ってみようかと、今なら言える気がすると思い、口を開く。「じゃあ、代わりにご褒美ちょうだい?」
「ごほうび~……?」
「うん」
「飴なんてないわよ」
「違うよっ。欲しいけど」
「じゃあ何よ?」
「えっと」
茶のみを持つ手に、少し力が入る。霊夢の顔を見ていられなくて、俯いて視線から逃げる。恥ずかしいけど、ここで言わないとこの先、聞いてもらえるか分からない。
一息吸って、勇気を補充。後は吐いて、
「……頭、撫でて……………………?」
「……………………は?」
「だから……頭……………………撫でて?」
「……」
沈黙が辛かった。それよりも、感じる霊夢の視線に恥ずかしさが増してくる。言うんじゃなかったと後悔する。今までに感じたことのない熱を顔に感じる。
ああ、これが熱いってことなんだな、と、漠然とチルノは思った。夏の太陽なんかの暑さは、あれはどっちかと言えば痛いとか苦しいに近いけれど、今頬に感じるこれは素直に熱いと感じることができる。
今は新たな発見に喜ぶ余裕なんて微塵もないけれど……
「えっと……」沈黙があまりにも痛いので、少しだけ顔を上げて霊夢を見る。「やっぱり……だめ?」
「あ、あー……」
ちらと見ると、何故か霊夢の頬も少しだけ赤いような気がした。
「ま、まぁ……それくらいでいいなら……いいわよ……」
「ほんとっ!?」
勢いよく霊夢の方を見る。すると、今度は霊夢が顔を背けてしまった。
「? どうしたの?」
「な、何でもないわよ……ほら、撫でてあげるから、ちょっと、向こう向いてなさい……」
「うん……?」
霊夢の行動はよくわからないものだったけれど、撫でてくれるというので素直に霊夢に背を向ける。
「……はぁ~………………」
後ろで、霊夢のため息。
「なに?」
「何でもなぁい……で、撫でるって、どうすればいいの? 頭を叩けばいいの? それとも手を置いてさすればいいわけ?」
「二番目がいいかな」
「そ」
と、言うなりチルノの頭の上には手の感触。
「――」
そのまま、あまり優しくない手つき、どちらかといえば乱雑に頭の上を撫でられる。髪の毛の流れに沿ってくれてないから、わしゃわしゃと髪の毛が乱れるのが見てなくても分かる。
でも、お腹のそこから這い上がってくるものがあった。ゆっくり、ゆっくりと、染み渡るようにして、何かがあがってくる。
霊夢の手が頭の上で動くたびにくすぐったいような、甘いような感覚が、首筋に震えるような気持ちよさを感じる。
「ん」
霊夢の手をとると同時に振り返る。そのまま霊夢の手を両手で掴んで、ほっぺたにくっ付けた。
「ちょっと」
「冷たい?」
「いや、大丈夫だけど……」
「ん」
てっきり体に結界を張っていないのかと思って心配したけれど、大丈夫みたいでよかった。
「あー……気持ちいいの? あんた」
変なことを聞くな、と思った。そんなこと、聞くまでもないのに。
「うん。気持ちいいよ」
「あ、そ……じゃあ、いいわ」
そう言って、やっぱりそっぽを向いて、霊夢は片手でもうとっくに冷たくなってるだろうお茶をすすった。
また、手伝いをしたら頭を撫でてくれるだろうか……?
また、手伝いをしよう。チルノは頬に霊夢の感触を感じながら、その気持ちよさに身を委ねた。
読んだことのない人にはただ霊夢とチルノがいちゃいちゃしているようにしか見えないと思います。
池の水面には、今も姿を変えることのない蓮の花がゆらゆらと揺れている。時折吹く風は柔らかく、まだまだ心地よい陽気が続くことを告げているかのようだった。
吹く風にのって歌が流れる。木々の間に、花々の弁に、水の表面をそっとなでるように、優しい音色が池のほとりから奏でられている。
「~♪」
木々の葉や花が揺れるのに合わせるかのように、その場の歌姫ことチルノは、水の中に両足をつけて左右に体を揺らしている。風を感じ、木々や花の揺らめきを感じ、自然が奏でるささやかな音に合わせて清々と歌う。普段は愛くるしい幼子の容貌も、この瞬間だけは色恋に己を染めた、年若い少女のようだった。
霧が晴れていくように、ひっそりと歌うのを止める。周囲で奏でられていた自然の合奏団も、ぴたりと音を止めた。そこには、演奏会の後のような、不思議な心地よい時間が流れる。
「んよっと……もう、いいかな?」
腰を上げて、空を見る。太陽の位置からして、そろそろお昼を回ってもいい頃合いのはずだ。
「それじゃ、またね」
少し浮かんだ辺りで周りにをちらりと流し見て、チルノは青空へと飛び上がった。
さぁ――と、木々の葉が揺れた。
花満開、ではもう言葉が足らず、狂い咲きとでも称した方が適切な異変はまだ続いていた。と言っても、花たちも少しづつではあるがその数を減らしてきている。それでもまだ異常なほどの花たちが中空を舞っているので、それを実感する者たちからすればまだまだ異変は続いているも同然だった。
その一人、博麗霊夢は今日も箒を片手に、境内の真ん中でため息を吐いた。毎日毎日掃いても掃いても次の日になれば花弁は神社の中いっぱいに散らばっている。敷地自体そうは広くはないが、こうも同じ光景ばかりを見させられては億劫になってしまう。それでなくとも、面倒くさいのに、という言葉は胸の内に秘めておいて。
「また萃香に手伝わせるかなぁ……でも、今度は宴会だーとか言いかねないしなぁ」
前に一度だけ手伝わせたときの条件は一夜泊めてやることだった。普段なら勝手に泊まっていきかねないというのに、珍しく殊勝な物言いと、楽ができるという誘惑に負けて頼んだ。その結果、一晩中酒盛りに付き合わされて、次の日に掃除ができなくて本末転倒だった。
二度と頼むまいとは思ったものの、やはり人間目の前にある甘い誘惑には弱いらしい。空から舞い降りてくる花たちを見ていると、別に宴会一回くらいいいのでは、と思えてしまう。
どうしようかな、と思っていると、花とは違うものが降りてきた。
「やっほう、霊夢元気?」
チルノだった。
「あんたほどじゃないわよ。っていうか何しに来た」
「んー……何しにきたらいい?」
「意味わかんないわよ」
「だってー……」
実はこうして特に用事もないのにチルノが博麗神社を訪れるのは今日が初めてではない。
あの日から、たびたびチルノは霊夢に会いにこうして神社に足を運んでいる。理由はない。ただ、霊夢に会いたいだけだった。でも、当の霊夢はチルノがそう言っても信じてはくれない。何の悪戯をしにきたのかとか、寒いからあっち行けとそっけない反応を返してくる。
チルノも、その理由が用意できるものならしたいと思っている。しかし、今までがあまりに縁がなかっただけに、いきなりそう都合のいい理由が出てくるわけもない。
霊夢の周りにいる者たちを見ていると、あまり深く考えないでもいいのではないかとも考えた。皆が皆とは言わないけれど、ほぼ全員が霊夢の意思や迷惑になることを考えないで足しげくこの神社に通っている。だから、自分も横暴なくらいわがままにしていれば、霊夢も何も言わなくなるのでは、と。
だけど、なかなかそう思い切った行動には出られなかった。遠慮、だろうか。若干の配慮が混じったそれを、チルノは霊夢に感じていた。
霊夢には会いたい。でも、迷惑にはなりたくない。
「ほら、今から掃除するから、さっさと帰る」
「う~」
昔のように、無邪気に甘えられたら……と、一瞬だけ思う。それが出来たなら、きっと自分はこんなにも悩むことはなかっただろう。
……あれ、と不思議な既視感を覚えた。それは、果たして今、霊夢の周辺に居る者たちと何が違うのだろうか?
もしかしたら……いや、薄々は気づいていたけれど、敢えて考えないようにしておいたことだけど……もう少し、自分の気持ちを出した方がいいのかも知れない。分かっていても、今はどうしても遠慮してしまうから、それは本当にちょっとかもしれない。でも、そのちょっとで、いいのではないだろうか?
そのちょっと、がまた分からないのだけど……
「ん~……むぅ、見れば見るほどに面倒くさくなってきたわ。やっぱり萃香にやらせるか……でもなぁ……魔理沙とか紫の耳に入ったら色々とまた面倒に……うーん……」
頭をぽりぽりとかきながら、霊夢の意識は既にチルノから離れている。境内に敷き詰められた花弁は玉を敷き詰めたかのように美しいけれど、きっと霊夢にとっては森の中に散らばる枯れ葉と大差ないのだろう。
……あ。と、チルノは“ちょっと”を見つけた。
「あ、ねえ霊夢。あたしが掃除、手伝ってあげよっか?」
「んあ? あんたが?」
「うんっ」
「ん~……」
霊夢が腕を組む。悩んでいるようだけど、チルノにはどうしてかこの後、霊夢がなんと答えるか分かっていた。
だって、霊夢はどんなときだって、博麗霊夢なのだ。昔も、自分が少しのことで足踏みをしていたとき、ほんの僅かしか差し出していない自分の手を優しく掴んでくれた。何もしなければ何も応えてくれないけれど、求めたら、それがどんな形であれ返してくれる。
それが、チルノの知る、博麗霊夢なのだから。
「だめ……?」
でも、やっぱりちょっとだけ不安で、訊いてみる。
「……ま、手伝ってくれるっていうんなら、いいわ。でも」と、指を立てて霊夢は言う。「手伝っても、お茶くらいしか出さないからね」
「……うん!」
そうして、チルノは霊夢が差し出す箒を受け取った。
「っていっても……そうよね、あんたに熱いお茶が飲めるわけなかったわよね」
今気づいたという風に、霊夢は頭をかいた。急須と茶のみを二組載せた盆を、縁側で待っていたチルノの傍に置いて、自分も座る。一応、茶のみ二つともにお茶を注ぎはするものの、そこからは薄っすらと湯気がたっている。春なのに湯気が立つほどの熱いお茶を、氷精であるチルノが飲めるはずもない。
「いいよ。あたしが傍にいればいつか冷めるだろうし」
「ああ、言われてみればそうね……ん? それってつまり、私のも冷めるってことじゃない」
「あはは」
「笑うなこのやろう」
こつんと軽く、頭をはたく。文句を言いながらも、結局そのままチルノを追い出すでもなくのんびりと茶に息を吹きかけ始める。
「……」
「……」
「……なによ」
チルノのじぃと見つめる視線に、霊夢が横目で返す。
「ううん、何でもない」
「あっそ……」
それでチルノが見るのを止めたわけではないが、どうでもいいのか、また空を眺めながら霊夢はお茶を冷ます作業に戻る。
……似ているなぁ、なんて言っても、きっと霊夢には何のことか分からないだろうなと思う。髪の長さや癖、口調もそうだけど、何より雰囲気が似ている。彼女の周りだけは、何故か違う空気が漂っている。
許される、とでも言えばいいのか。彼女の周りでは世界に存在する全てが許されている気がする。風や匂い、その他全て。そんなものが彼女に許しを請う理由なんてないけれど……でも、そう思ってしまうくらいに、彼女の周りは穏やかなもので満たされているのだ。
例えば、地獄に彼女が居たとする。地獄に仏、なんてものじゃない。地獄はきっと楽園へと変わってしまう。閻魔も鬼も亡者も、誰も彼もを、彼女の存在が許してしまう。
「……だから、なによ」
……少し、強く見つめすぎてしまったみたいだった。さっきとは違って、少し目つきが鋭い。
「んーん、何でもないっ。あ、もう飲めそうかな?」
言って、茶のみを持つ。少なくとも、持った部分は熱くない。もしお茶がまだ少し熱くても、これなら自分が息を吹きかければすぐに冷たくなってくれるだろう。
「……まだ一杯しか飲んでないのに、もう淹れ直しか……決めた、あんたとはもう一緒に飲まない」
「やだ」
掃除を手伝うと言う前まではあれだけ霊夢に対して何かを言うことを躊躇っていたというのに、チルノは自分でも不思議なくらいきっぱりと言った。
「やだじゃない」
「じゃあだめ」
「だめでもない。なら冷たくないように成りなさい」
「それ無理……」
きっぱり否定したものの、やっぱりまだ霊夢に対しては強く出られない。何か良い返しはないものか……と、霊夢が茶のみを持つ手に視線が止まる。
「あ……」と、思いついたことを言おうか、逡巡する。でも、折角だから言ってみようかと、今なら言える気がすると思い、口を開く。「じゃあ、代わりにご褒美ちょうだい?」
「ごほうび~……?」
「うん」
「飴なんてないわよ」
「違うよっ。欲しいけど」
「じゃあ何よ?」
「えっと」
茶のみを持つ手に、少し力が入る。霊夢の顔を見ていられなくて、俯いて視線から逃げる。恥ずかしいけど、ここで言わないとこの先、聞いてもらえるか分からない。
一息吸って、勇気を補充。後は吐いて、
「……頭、撫でて……………………?」
「……………………は?」
「だから……頭……………………撫でて?」
「……」
沈黙が辛かった。それよりも、感じる霊夢の視線に恥ずかしさが増してくる。言うんじゃなかったと後悔する。今までに感じたことのない熱を顔に感じる。
ああ、これが熱いってことなんだな、と、漠然とチルノは思った。夏の太陽なんかの暑さは、あれはどっちかと言えば痛いとか苦しいに近いけれど、今頬に感じるこれは素直に熱いと感じることができる。
今は新たな発見に喜ぶ余裕なんて微塵もないけれど……
「えっと……」沈黙があまりにも痛いので、少しだけ顔を上げて霊夢を見る。「やっぱり……だめ?」
「あ、あー……」
ちらと見ると、何故か霊夢の頬も少しだけ赤いような気がした。
「ま、まぁ……それくらいでいいなら……いいわよ……」
「ほんとっ!?」
勢いよく霊夢の方を見る。すると、今度は霊夢が顔を背けてしまった。
「? どうしたの?」
「な、何でもないわよ……ほら、撫でてあげるから、ちょっと、向こう向いてなさい……」
「うん……?」
霊夢の行動はよくわからないものだったけれど、撫でてくれるというので素直に霊夢に背を向ける。
「……はぁ~………………」
後ろで、霊夢のため息。
「なに?」
「何でもなぁい……で、撫でるって、どうすればいいの? 頭を叩けばいいの? それとも手を置いてさすればいいわけ?」
「二番目がいいかな」
「そ」
と、言うなりチルノの頭の上には手の感触。
「――」
そのまま、あまり優しくない手つき、どちらかといえば乱雑に頭の上を撫でられる。髪の毛の流れに沿ってくれてないから、わしゃわしゃと髪の毛が乱れるのが見てなくても分かる。
でも、お腹のそこから這い上がってくるものがあった。ゆっくり、ゆっくりと、染み渡るようにして、何かがあがってくる。
霊夢の手が頭の上で動くたびにくすぐったいような、甘いような感覚が、首筋に震えるような気持ちよさを感じる。
「ん」
霊夢の手をとると同時に振り返る。そのまま霊夢の手を両手で掴んで、ほっぺたにくっ付けた。
「ちょっと」
「冷たい?」
「いや、大丈夫だけど……」
「ん」
てっきり体に結界を張っていないのかと思って心配したけれど、大丈夫みたいでよかった。
「あー……気持ちいいの? あんた」
変なことを聞くな、と思った。そんなこと、聞くまでもないのに。
「うん。気持ちいいよ」
「あ、そ……じゃあ、いいわ」
そう言って、やっぱりそっぽを向いて、霊夢は片手でもうとっくに冷たくなってるだろうお茶をすすった。
また、手伝いをしたら頭を撫でてくれるだろうか……?
また、手伝いをしよう。チルノは頬に霊夢の感触を感じながら、その気持ちよさに身を委ねた。
早く速く疾く迅く『その2』を見に行かねばねばねば!