~注意~
作品中に専門用語らしきものが出てきますが意味がわからなくても平気なので、そこらへんは軽く読み飛ばしてください。
日差しが暖かい。
霊夢はいつもの通りに縁側で緑茶を啜っていた。
何年も毎日のように繰り返されたその光景は、既に一つの風景と化して周りに溶け込んでいる。
――ズズズズズッ――
「ほぅ・・・」
春先の暖かい陽光は、境内のそこかしこにある冬の名残を溶かしていく。
――キュルルルルル――
不意に場にそぐわない微かな音が霊夢の方から聞こえてきた。
「ん~そろそろお腹がすいてきたわね。ご飯にしましょうか」
霊夢は湯飲みを持って台所に歩いていった。
竈に火をつけ、手早く食事の準備をする。
一人暮らしが長く、料理にそこまでこだわりがないため料理自体はすぐに出来た。
そして、無意識に自分用とは別のさらに料理を載せてはたと気付く。
「またやっちゃった。もういらないってのに・・・癖はなかなか抜けないものね」
少しだけ寂しそうにして、霊夢は皿の料理を戻す。
「まぁあいつがいなくなってから、まだ少ししか経っていないしね」
そう呟きながら霊夢は庭があるほうに顔を向ける。
霊夢の腕に巻かれた鈴がチリンと鳴いた。
暑さの厳しい水無月の終わり、霊夢は立て簾の下で足を水の張った桶に浸しながら、風鈴の音を聞いて涼を楽しんでいた。
――チリン――
「暑い・・・」
訂正、汗を流しながら空ろな視線を彷徨わせている姿は、涼を楽しんでいるというよりも涼に逃げているといったほうが正しいかもしれない。
博麗の巫女でも、流石にこの暑さにはたえられないようである。
風通しの良い家屋と巫女服、様々な涼を楽しむ品々。
暑さ対策にいろいろと力を注いでいる日本人だが、それだけやってもいやそれほどしないと耐えられないようなのが日本の暑さなので。
しかも最近気温が上がっているという噂も届き、霊夢でなくてもげんなりする。
「あ~こうなったらチルノでも気絶させて拉致ってこようかしら?」
いささか物騒な事を口にする楽園の守護者。
まぁ、一応人間側の守護者でもあるので言動自体に矛盾は無いのかもしれないが・・・。
――ガサッ――
――コンッ――
「ん?」
茹だり気味の巫女の耳に微かな音が届いた。
音は境内の外側、夏の日差しを受けてうっそうと生い茂った藪の中から聞こえてきた。
「なにかしらね・・・」
妖怪なんかでは恐らく無い。巫女の感がそう告げている。
だからといって動物の可能性も低いはずだ。
巷で妖怪神社みたいに言われるだけあって、ここは妖怪等が良く訪れる。しかも結構力を持つものが多い。
紫やレミリアなどが筆頭だろう。
そのため、それらの妖気を感じてかここら辺はあまり動物がよってこない。
いっそのこと虫なんかもよってこなければいいのにと、蚊取り線香と蝿叩きを見て思うこともしばしば・・・。
閑話休題。
霊夢がぬるくなった桶から足を引き上げ、音のしたほうに向かった。
やぶ蚊を手で払いながらがさがさと藪を分けてみると・・・。
「あら、珍しい」
そこには可能性の低いはずの物体が、ぐったりとした感じで横たわっていた。
それは長めの口から舌を出し、茶味のかかった毛皮に包まれた胸を荒く上下させていた。
「狐・・・よねぇ?」
霊夢の目の前に横たわっている狐は、薄く開いた眼を霊夢に向けるがそれ以上は何もしなかった。
「そういえば今頃って狐の子離れの時期だっけ?もしかして、親離れしたばっかの仔かしら」
よく見れば、酷く痩せている事を考慮してもなお小さい。
霊夢はその子狐を見て少し考える。
(どうしようかしら?食べるには少々痩せ気味だし、何より肉を食べる食欲は無いしね。だからといってほっておくのもなんだし・・・)
霊夢が子狐の処遇を考えていると、ふと子狐と視線が合った。
「・・・」
――ハッハッハッハッ――
「・・・仕方ないわね」
霊夢は何か諦めたように息をつくと、子狐を抱き上げた。
「感謝しなさい。貴方の眷属が神の使いをやっていなきゃ行き先は台所よ」
そう言いながら霊夢は子狐を涼しくて水のある縁側へと連れて行った。
「ほれ、水よ」
とりあえず日陰で水を与えてみると、少しずつ飲んでいったのでしばらくそのままにしておいた。
その後食べ物を目の前においてみると最初は少々警戒していたようだったが、最後には与えたそれをすっかり食べきってしまった。
(ん、調子が戻れば勝手に出て行くでしょう)
それを見た霊夢はそう考え、狐から興味を無くし屋内に入っていった。
(あ、まだいる)
日が暮れてからふと思い出したように縁側を覗いてみると、狐はまだそこにいて夜の庭をぼぅっと眺めていた。
霊夢が少し近づくと、こちらに気がついて首をこっちに向けた。
そしてゆっくりと立ち上がりこちらに近づこうとしたが、足が震えるのかすぐさま伏せってしまった。
「まったく、無理して近づこうとしなくていいのに」
霊夢はその狐の様子に苦笑してから、ゆっくりと狐へと近づいていった。
霊夢がすぐ側まで来ると、狐はその面長の顔を霊夢にこすりつけ一声鳴いた。
「なに、お礼のつもり?」
そう言って腰を屈めて手で顔の横を撫でてやると、狐は目を細めて顔を手に押し付けるように動かした。
「な~に?甘えてるつもり?」
その行動に霊夢も目を細めて、もう片方の手で頭をぽんぽんと叩いてから撫で始めた。
しばらく撫でてから、霊夢は立ち上がり狐を見る。
「さて、私は寝るけどあんたはどうする?」
霊夢がそう問いかけると、狐はコンと一声鳴いてからふらふらながらも立ち上がり、霊夢の横についた。
「そう、じゃあ一緒に寝る?」
その言葉に狐は再びコンと鳴いて、顔を足にこすり付ける。
「はいはい、わかったわよ」
霊夢はそれを見て狐を抱き上げ、寝室へと向かった。
暑さの和らぐ夕暮れ、霊夢はいつものように縁側でお茶を啜っていた。
「よう、霊夢。今日も暑かったな!」
「あんたがくると余計に暑くなりそうよ」
そんな霊夢の元に、いつものように魔理沙がおしゃべりにやってくる。
毎日のように繰り返される風景だが、今回はそれに+αがついていた。
「ん?狐じゃないか。どうしたんだそれ?」
魔理沙が霊夢の隣で丸くなっている狐に気付き、怪訝な顔をする。
「ん、行き倒れたところを助けたら住み着いちゃったわ」
「へぇ珍しい、霊夢が動物を飼うなんてな」
そう言いながら魔理沙は狐に近づいた。
狐は顔を上げて魔理沙を見るが逃げようとはせず、魔理沙が手を伸ばして触れてきてもされるがままだった。
せいぜい耳がピクンと動いたぐらいで、魔理沙の手が離れると再び頭を下げて上目遣いで魔理沙を見つめたまま丸くなった。
「おとなしいな。名前はなんていうんだ」
「さぁ、狐に聞いてみたら?私は狐の言葉なんてわからないし」
「いやいや、お前のつけた名前だよ」
「名前なんて付けてないわよ?」
「へっ?」
霊夢のあっけらかんとした物言いに、魔理沙は素っ頓狂な声を上げた。
「おいおい、飼っているんだろう?名前ぐらい付けてやらないのかよ」
「別に必要ないもの」
そう言って片手で狐の頭を撫でてやると、狐は目を細めてその手に顔を押し付けてきた。
「うわ、随分懐いてやがる」
「何か不満そうね?」
「そりゃあな。霊夢って結構そっけないから動物が懐くなんて考えづらいし」
「うっさい」
そんな二人のやり取りをよそに、狐は未だ撫で続けられる霊夢の手に目を細めていた。
それからというもの、霊夢に付き従う狐の姿が見られるようになった。
さっきのように縁側でお茶をしている霊夢の横で丸くなっている姿の他、境内の掃除をしている霊夢の横で箒にじゃれ付いている姿や、宴会で他の参加者に撫で回されている姿、買い物のために里に降りてくる霊夢の後ろについてきている姿も偶に見られた。
さらに珍しいことに、未だに名前すらつけていないのにその狐にちょっかいを出そうとすると、それにいち早く気付く霊夢から針と札が飛んでくるのだった。
最初のうちはまるで異変のように扱われていたが、三月もするといい加減皆それに慣れ、新しい博麗神社の日常へと受け入れられていった。
「それでも変な感じがするぜ」
「何がよ?」
木々の葉も落ちて、緑が減り、時には雪がちらつく神無月の終わり、魔理沙はいつもと同じように縁側に座る霊夢をみてそういった。
「去年なら考えられなかった光景だぜ?」
「いいじゃない。暖かくて快適よ?」
そう答える霊夢は腕に狐を抱き、その頭に自分の頭を乗せていた。
たまに頭を動かして顎で狐の頭を撫でるようにぐりぐりしている。
その姿を見ていた魔理沙は嘆息して頭をかく。
「しかも鈴までつけてるし、名前は未だに無いくせにさ」
「仕方ないじゃない、こうでもしないとここは妖怪が多いんだから危険だし」
「だからって、いちいち御守用の鈴を作るなんてなぁ」
「何よ、文句あるの?」
狐の首につけられた紅白の鈴を鳴らしながら魔理沙が言うと、霊夢は顔をしかめて言い返した。
「いや、霊夢がそれでいいならいいが・・・なんかこうイメージがなぁ」
「なんのイメージよ?」
霊夢と狐、二対四個の目を向けられ、魔理沙は肩をすくめる。
「まぁいい、寒くなってきたし私はそろそろ帰るぜ」
そう言って魔理沙は箒にまたがり、空へと上っていった。
それをしばらく見届けてから、霊夢は狐を放して立ち上がった。
(さて、ご飯はなににしようかしら?最近寒くなってきたし、久しぶりにあれにしようかな)
霊夢は軽く伸びをしてから、狐を呼んで部屋の中へと入っていった。
迷いの竹林の奥深くで名前の通り永久の不変を現したような空気を(屋敷内の騒々しさとは異なり)周囲に漂わせる永遠亭。
その庭に面した廊下で、永琳はお茶を片手にゆっくりとくつろいでいた。
「最近寒くなってきたから、お茶が美味しいわね」
後ろの襖の向こうではしゃぐ兎達の声を聞きながら、永琳はお茶を楽しんでいたが、ふと向こうから人影が飛んでくるのが見えた。
「おや、誰かしら?」
しばらくすると、見覚えのある赤白の服が見えるようになってきて、そのままそれが永琳の元に降りてきた。
「永琳!!」
「あら、珍しい来客ね」
永遠亭に駆け込んできた霊夢を見て、永琳は眼を丸くした。
「この子の調子を診て頂戴!」
そう言う霊夢の腕にはぐったりとした狐が抱きかかえられていた。
「・・・ウドンゲ、診療道具と毛布を持ってきて」
「あ、はい!」
「そこの子、ここで診察するからちょっと人払いをお願い」
「はい」
人用の診察室より、ここのほうが診察しやすい。
そう考えた永琳は何かと思って奥から出てきた鈴仙に指示を出し、近くにいた兎に人払いを頼んだ。
「さて、何があったのかしら?」
「良くわからない、気付いたときにはぐったりしていて、いきなり吐き出して、その後したおしっこも真っ赤で・・・」
いつもの霊夢らしくないあわてた口調で狐の病状を語る。
それを聞いていると鈴仙が診療道具と毛布を持ってきたので、永琳は毛布を敷かせ狐をそこに横たえるように霊夢に指示した。
「大丈夫・・・?」
「今診てみるわ」
(とりあえず吐瀉物は詰まってないとして・・・黄疸があるわね、となると赤い尿は血尿じゃなくて血色素尿かしら。脈も速いし、歯肉の色も薄目で色の戻りも遅い。それに嘔吐と・・・溶血性の貧血かしら?もし免疫介在性なら厄介ね)
永琳は手早く診察をしていく。
「ウドンゲ、採血管と酒精綿」
「はい」
「霊夢、暴れないと思うけどもしそうなったら危険だから押さえていて」
「う、うん」
「頚と肩と腰を押さえれば動けなくなるから」
「こう?」
「そう」
鈴仙から採血管を受け取り、酒精綿で前脚を拭いて採血を行った。
それを鈴仙に渡し、すぐさま指示を出す。
「赤血球数と自己凝集性を調べて、塗抹標本を作製して頂戴。後、人工血液の調整もお願い」
「わかりました」
鈴仙は血液の入った採血管を持ってすぐさま奥へと消えた。
しばらくすると、顕微鏡と紙を持った兎が戻ってきた。
「塗抹標本です。あとこれが検査結果です」
「ありがとう」
顕微鏡と紙を受け取った永琳は、まずざっと紙に目を通す。
(自己凝集性は無しと、少し安心かしら?でもやっぱり赤血球数は少ないわね。)
次に永琳は顕微鏡を覗き込んだ。
(小型の赤血球が多いわね・・・あら、これは)
そこには赤血球から円形の突起が見えた。
それを見て永琳は原因の予想が立った。
永琳はすぐさま紙に何かを書き、持ってきた兎にそれを渡す。
「ウドンゲからここに書かれている薬を貰ってきて頂戴」
「あ、はい」
兎が奥に向かっていったのを見てから、永琳は霊夢に向き直る。
「ねぇ?昨日か一昨日あたりにこの子にネギとか食べさせなかった?」
「ネギ?」
心配そうに狐を見ていた霊夢は、永琳の質問に目を丸くした。
「えぇ、ネギそのものでもなくていいの。たとえばネギの入っていた料理の一部でもいいわ」
「えっと、そういえば昨日すき焼きを食べてその残りをあげたわ・・・」
「それね」
「どういうこと?」
「薬を貰ってきました!」
霊夢が疑問を問いかけると、永琳は貰った薬を注射しながら説明をし始めた。
「いい、人が食べるものの中には動物にとってはとても危険なものもあるの。ネギなんかはその代表例だけど、コーヒーやお酒なんかもそうね。それで犬みたいな動物にネギを食べさせると、血が壊れて弱ってしまうのよ。下手すればそれで死ぬわ」
「そんな・・・」
「師匠!人工血液が準備できました!!」
鈴仙が戻ってきて輸血の準備が出来た事を知らせた。
「よし、この子を連れて行くわよ!」
「はい!!」
「ち、ちょっと・・・」
「そうそう」
鈴仙が狐を抱え、永琳と共に奥へと行こうとする。
霊夢も立ち上がるが、永琳が厳しい顔で振り向いたので思わずその場に立ち止まった。
「私達も頑張るけれど、最悪の場合だけは覚悟しておいて」
「最悪って・・・」
その言葉に霊夢は言葉を失い、奥へ行く二人を追いかけることも出来ずその場に立ち尽くした。
・・・そして、その日から狐を博麗神社で見ることは無くなった。
夕食を縁側に持っていく。
あの日から偶にこうやって縁側で食事をするようになった。
「変だとは判っているんだけど、未練みたいなものかしらね・・・」
霊夢がそう呟きながら庭に目をやる。
「?」
庭の藪が動いたような気がして、霊夢は目を凝らす。
すると、そこから茶色いものが飛び出した。
それを見た霊夢は驚きの表情を浮かべ、そして少し笑った。
「そう・・・あんたは私から離れても元気でやっているみたいね」
狐はコンと一声鳴くと茂みから進み出た。
するとその後からもう一匹狐が出てきて、前にいる狐と顔をすり合わせた。
それを見て、霊夢はさらに目を細める。
「あら、お嫁さんを紹介にしにきたのね」
その言葉に答えるようにコーンと一声鳴くと、狐の番はそのまま藪の中に消えていった。
「・・・やっぱり人の下より自然にいる方が良いみたいね」
そう呟いた霊夢は、立ち上がり屋内へと歩いていった。
そして歩きながら思う。恐らくもう縁側で食事することは無いだろうなと・・・。
縁側に置かれた鈴がチリン、と風も無いのに音を鳴らした。
作品中に専門用語らしきものが出てきますが意味がわからなくても平気なので、そこらへんは軽く読み飛ばしてください。
日差しが暖かい。
霊夢はいつもの通りに縁側で緑茶を啜っていた。
何年も毎日のように繰り返されたその光景は、既に一つの風景と化して周りに溶け込んでいる。
――ズズズズズッ――
「ほぅ・・・」
春先の暖かい陽光は、境内のそこかしこにある冬の名残を溶かしていく。
――キュルルルルル――
不意に場にそぐわない微かな音が霊夢の方から聞こえてきた。
「ん~そろそろお腹がすいてきたわね。ご飯にしましょうか」
霊夢は湯飲みを持って台所に歩いていった。
竈に火をつけ、手早く食事の準備をする。
一人暮らしが長く、料理にそこまでこだわりがないため料理自体はすぐに出来た。
そして、無意識に自分用とは別のさらに料理を載せてはたと気付く。
「またやっちゃった。もういらないってのに・・・癖はなかなか抜けないものね」
少しだけ寂しそうにして、霊夢は皿の料理を戻す。
「まぁあいつがいなくなってから、まだ少ししか経っていないしね」
そう呟きながら霊夢は庭があるほうに顔を向ける。
霊夢の腕に巻かれた鈴がチリンと鳴いた。
暑さの厳しい水無月の終わり、霊夢は立て簾の下で足を水の張った桶に浸しながら、風鈴の音を聞いて涼を楽しんでいた。
――チリン――
「暑い・・・」
訂正、汗を流しながら空ろな視線を彷徨わせている姿は、涼を楽しんでいるというよりも涼に逃げているといったほうが正しいかもしれない。
博麗の巫女でも、流石にこの暑さにはたえられないようである。
風通しの良い家屋と巫女服、様々な涼を楽しむ品々。
暑さ対策にいろいろと力を注いでいる日本人だが、それだけやってもいやそれほどしないと耐えられないようなのが日本の暑さなので。
しかも最近気温が上がっているという噂も届き、霊夢でなくてもげんなりする。
「あ~こうなったらチルノでも気絶させて拉致ってこようかしら?」
いささか物騒な事を口にする楽園の守護者。
まぁ、一応人間側の守護者でもあるので言動自体に矛盾は無いのかもしれないが・・・。
――ガサッ――
――コンッ――
「ん?」
茹だり気味の巫女の耳に微かな音が届いた。
音は境内の外側、夏の日差しを受けてうっそうと生い茂った藪の中から聞こえてきた。
「なにかしらね・・・」
妖怪なんかでは恐らく無い。巫女の感がそう告げている。
だからといって動物の可能性も低いはずだ。
巷で妖怪神社みたいに言われるだけあって、ここは妖怪等が良く訪れる。しかも結構力を持つものが多い。
紫やレミリアなどが筆頭だろう。
そのため、それらの妖気を感じてかここら辺はあまり動物がよってこない。
いっそのこと虫なんかもよってこなければいいのにと、蚊取り線香と蝿叩きを見て思うこともしばしば・・・。
閑話休題。
霊夢がぬるくなった桶から足を引き上げ、音のしたほうに向かった。
やぶ蚊を手で払いながらがさがさと藪を分けてみると・・・。
「あら、珍しい」
そこには可能性の低いはずの物体が、ぐったりとした感じで横たわっていた。
それは長めの口から舌を出し、茶味のかかった毛皮に包まれた胸を荒く上下させていた。
「狐・・・よねぇ?」
霊夢の目の前に横たわっている狐は、薄く開いた眼を霊夢に向けるがそれ以上は何もしなかった。
「そういえば今頃って狐の子離れの時期だっけ?もしかして、親離れしたばっかの仔かしら」
よく見れば、酷く痩せている事を考慮してもなお小さい。
霊夢はその子狐を見て少し考える。
(どうしようかしら?食べるには少々痩せ気味だし、何より肉を食べる食欲は無いしね。だからといってほっておくのもなんだし・・・)
霊夢が子狐の処遇を考えていると、ふと子狐と視線が合った。
「・・・」
――ハッハッハッハッ――
「・・・仕方ないわね」
霊夢は何か諦めたように息をつくと、子狐を抱き上げた。
「感謝しなさい。貴方の眷属が神の使いをやっていなきゃ行き先は台所よ」
そう言いながら霊夢は子狐を涼しくて水のある縁側へと連れて行った。
「ほれ、水よ」
とりあえず日陰で水を与えてみると、少しずつ飲んでいったのでしばらくそのままにしておいた。
その後食べ物を目の前においてみると最初は少々警戒していたようだったが、最後には与えたそれをすっかり食べきってしまった。
(ん、調子が戻れば勝手に出て行くでしょう)
それを見た霊夢はそう考え、狐から興味を無くし屋内に入っていった。
(あ、まだいる)
日が暮れてからふと思い出したように縁側を覗いてみると、狐はまだそこにいて夜の庭をぼぅっと眺めていた。
霊夢が少し近づくと、こちらに気がついて首をこっちに向けた。
そしてゆっくりと立ち上がりこちらに近づこうとしたが、足が震えるのかすぐさま伏せってしまった。
「まったく、無理して近づこうとしなくていいのに」
霊夢はその狐の様子に苦笑してから、ゆっくりと狐へと近づいていった。
霊夢がすぐ側まで来ると、狐はその面長の顔を霊夢にこすりつけ一声鳴いた。
「なに、お礼のつもり?」
そう言って腰を屈めて手で顔の横を撫でてやると、狐は目を細めて顔を手に押し付けるように動かした。
「な~に?甘えてるつもり?」
その行動に霊夢も目を細めて、もう片方の手で頭をぽんぽんと叩いてから撫で始めた。
しばらく撫でてから、霊夢は立ち上がり狐を見る。
「さて、私は寝るけどあんたはどうする?」
霊夢がそう問いかけると、狐はコンと一声鳴いてからふらふらながらも立ち上がり、霊夢の横についた。
「そう、じゃあ一緒に寝る?」
その言葉に狐は再びコンと鳴いて、顔を足にこすり付ける。
「はいはい、わかったわよ」
霊夢はそれを見て狐を抱き上げ、寝室へと向かった。
暑さの和らぐ夕暮れ、霊夢はいつものように縁側でお茶を啜っていた。
「よう、霊夢。今日も暑かったな!」
「あんたがくると余計に暑くなりそうよ」
そんな霊夢の元に、いつものように魔理沙がおしゃべりにやってくる。
毎日のように繰り返される風景だが、今回はそれに+αがついていた。
「ん?狐じゃないか。どうしたんだそれ?」
魔理沙が霊夢の隣で丸くなっている狐に気付き、怪訝な顔をする。
「ん、行き倒れたところを助けたら住み着いちゃったわ」
「へぇ珍しい、霊夢が動物を飼うなんてな」
そう言いながら魔理沙は狐に近づいた。
狐は顔を上げて魔理沙を見るが逃げようとはせず、魔理沙が手を伸ばして触れてきてもされるがままだった。
せいぜい耳がピクンと動いたぐらいで、魔理沙の手が離れると再び頭を下げて上目遣いで魔理沙を見つめたまま丸くなった。
「おとなしいな。名前はなんていうんだ」
「さぁ、狐に聞いてみたら?私は狐の言葉なんてわからないし」
「いやいや、お前のつけた名前だよ」
「名前なんて付けてないわよ?」
「へっ?」
霊夢のあっけらかんとした物言いに、魔理沙は素っ頓狂な声を上げた。
「おいおい、飼っているんだろう?名前ぐらい付けてやらないのかよ」
「別に必要ないもの」
そう言って片手で狐の頭を撫でてやると、狐は目を細めてその手に顔を押し付けてきた。
「うわ、随分懐いてやがる」
「何か不満そうね?」
「そりゃあな。霊夢って結構そっけないから動物が懐くなんて考えづらいし」
「うっさい」
そんな二人のやり取りをよそに、狐は未だ撫で続けられる霊夢の手に目を細めていた。
それからというもの、霊夢に付き従う狐の姿が見られるようになった。
さっきのように縁側でお茶をしている霊夢の横で丸くなっている姿の他、境内の掃除をしている霊夢の横で箒にじゃれ付いている姿や、宴会で他の参加者に撫で回されている姿、買い物のために里に降りてくる霊夢の後ろについてきている姿も偶に見られた。
さらに珍しいことに、未だに名前すらつけていないのにその狐にちょっかいを出そうとすると、それにいち早く気付く霊夢から針と札が飛んでくるのだった。
最初のうちはまるで異変のように扱われていたが、三月もするといい加減皆それに慣れ、新しい博麗神社の日常へと受け入れられていった。
「それでも変な感じがするぜ」
「何がよ?」
木々の葉も落ちて、緑が減り、時には雪がちらつく神無月の終わり、魔理沙はいつもと同じように縁側に座る霊夢をみてそういった。
「去年なら考えられなかった光景だぜ?」
「いいじゃない。暖かくて快適よ?」
そう答える霊夢は腕に狐を抱き、その頭に自分の頭を乗せていた。
たまに頭を動かして顎で狐の頭を撫でるようにぐりぐりしている。
その姿を見ていた魔理沙は嘆息して頭をかく。
「しかも鈴までつけてるし、名前は未だに無いくせにさ」
「仕方ないじゃない、こうでもしないとここは妖怪が多いんだから危険だし」
「だからって、いちいち御守用の鈴を作るなんてなぁ」
「何よ、文句あるの?」
狐の首につけられた紅白の鈴を鳴らしながら魔理沙が言うと、霊夢は顔をしかめて言い返した。
「いや、霊夢がそれでいいならいいが・・・なんかこうイメージがなぁ」
「なんのイメージよ?」
霊夢と狐、二対四個の目を向けられ、魔理沙は肩をすくめる。
「まぁいい、寒くなってきたし私はそろそろ帰るぜ」
そう言って魔理沙は箒にまたがり、空へと上っていった。
それをしばらく見届けてから、霊夢は狐を放して立ち上がった。
(さて、ご飯はなににしようかしら?最近寒くなってきたし、久しぶりにあれにしようかな)
霊夢は軽く伸びをしてから、狐を呼んで部屋の中へと入っていった。
迷いの竹林の奥深くで名前の通り永久の不変を現したような空気を(屋敷内の騒々しさとは異なり)周囲に漂わせる永遠亭。
その庭に面した廊下で、永琳はお茶を片手にゆっくりとくつろいでいた。
「最近寒くなってきたから、お茶が美味しいわね」
後ろの襖の向こうではしゃぐ兎達の声を聞きながら、永琳はお茶を楽しんでいたが、ふと向こうから人影が飛んでくるのが見えた。
「おや、誰かしら?」
しばらくすると、見覚えのある赤白の服が見えるようになってきて、そのままそれが永琳の元に降りてきた。
「永琳!!」
「あら、珍しい来客ね」
永遠亭に駆け込んできた霊夢を見て、永琳は眼を丸くした。
「この子の調子を診て頂戴!」
そう言う霊夢の腕にはぐったりとした狐が抱きかかえられていた。
「・・・ウドンゲ、診療道具と毛布を持ってきて」
「あ、はい!」
「そこの子、ここで診察するからちょっと人払いをお願い」
「はい」
人用の診察室より、ここのほうが診察しやすい。
そう考えた永琳は何かと思って奥から出てきた鈴仙に指示を出し、近くにいた兎に人払いを頼んだ。
「さて、何があったのかしら?」
「良くわからない、気付いたときにはぐったりしていて、いきなり吐き出して、その後したおしっこも真っ赤で・・・」
いつもの霊夢らしくないあわてた口調で狐の病状を語る。
それを聞いていると鈴仙が診療道具と毛布を持ってきたので、永琳は毛布を敷かせ狐をそこに横たえるように霊夢に指示した。
「大丈夫・・・?」
「今診てみるわ」
(とりあえず吐瀉物は詰まってないとして・・・黄疸があるわね、となると赤い尿は血尿じゃなくて血色素尿かしら。脈も速いし、歯肉の色も薄目で色の戻りも遅い。それに嘔吐と・・・溶血性の貧血かしら?もし免疫介在性なら厄介ね)
永琳は手早く診察をしていく。
「ウドンゲ、採血管と酒精綿」
「はい」
「霊夢、暴れないと思うけどもしそうなったら危険だから押さえていて」
「う、うん」
「頚と肩と腰を押さえれば動けなくなるから」
「こう?」
「そう」
鈴仙から採血管を受け取り、酒精綿で前脚を拭いて採血を行った。
それを鈴仙に渡し、すぐさま指示を出す。
「赤血球数と自己凝集性を調べて、塗抹標本を作製して頂戴。後、人工血液の調整もお願い」
「わかりました」
鈴仙は血液の入った採血管を持ってすぐさま奥へと消えた。
しばらくすると、顕微鏡と紙を持った兎が戻ってきた。
「塗抹標本です。あとこれが検査結果です」
「ありがとう」
顕微鏡と紙を受け取った永琳は、まずざっと紙に目を通す。
(自己凝集性は無しと、少し安心かしら?でもやっぱり赤血球数は少ないわね。)
次に永琳は顕微鏡を覗き込んだ。
(小型の赤血球が多いわね・・・あら、これは)
そこには赤血球から円形の突起が見えた。
それを見て永琳は原因の予想が立った。
永琳はすぐさま紙に何かを書き、持ってきた兎にそれを渡す。
「ウドンゲからここに書かれている薬を貰ってきて頂戴」
「あ、はい」
兎が奥に向かっていったのを見てから、永琳は霊夢に向き直る。
「ねぇ?昨日か一昨日あたりにこの子にネギとか食べさせなかった?」
「ネギ?」
心配そうに狐を見ていた霊夢は、永琳の質問に目を丸くした。
「えぇ、ネギそのものでもなくていいの。たとえばネギの入っていた料理の一部でもいいわ」
「えっと、そういえば昨日すき焼きを食べてその残りをあげたわ・・・」
「それね」
「どういうこと?」
「薬を貰ってきました!」
霊夢が疑問を問いかけると、永琳は貰った薬を注射しながら説明をし始めた。
「いい、人が食べるものの中には動物にとってはとても危険なものもあるの。ネギなんかはその代表例だけど、コーヒーやお酒なんかもそうね。それで犬みたいな動物にネギを食べさせると、血が壊れて弱ってしまうのよ。下手すればそれで死ぬわ」
「そんな・・・」
「師匠!人工血液が準備できました!!」
鈴仙が戻ってきて輸血の準備が出来た事を知らせた。
「よし、この子を連れて行くわよ!」
「はい!!」
「ち、ちょっと・・・」
「そうそう」
鈴仙が狐を抱え、永琳と共に奥へと行こうとする。
霊夢も立ち上がるが、永琳が厳しい顔で振り向いたので思わずその場に立ち止まった。
「私達も頑張るけれど、最悪の場合だけは覚悟しておいて」
「最悪って・・・」
その言葉に霊夢は言葉を失い、奥へ行く二人を追いかけることも出来ずその場に立ち尽くした。
・・・そして、その日から狐を博麗神社で見ることは無くなった。
夕食を縁側に持っていく。
あの日から偶にこうやって縁側で食事をするようになった。
「変だとは判っているんだけど、未練みたいなものかしらね・・・」
霊夢がそう呟きながら庭に目をやる。
「?」
庭の藪が動いたような気がして、霊夢は目を凝らす。
すると、そこから茶色いものが飛び出した。
それを見た霊夢は驚きの表情を浮かべ、そして少し笑った。
「そう・・・あんたは私から離れても元気でやっているみたいね」
狐はコンと一声鳴くと茂みから進み出た。
するとその後からもう一匹狐が出てきて、前にいる狐と顔をすり合わせた。
それを見て、霊夢はさらに目を細める。
「あら、お嫁さんを紹介にしにきたのね」
その言葉に答えるようにコーンと一声鳴くと、狐の番はそのまま藪の中に消えていった。
「・・・やっぱり人の下より自然にいる方が良いみたいね」
そう呟いた霊夢は、立ち上がり屋内へと歩いていった。
そして歩きながら思う。恐らくもう縁側で食事することは無いだろうなと・・・。
縁側に置かれた鈴がチリン、と風も無いのに音を鳴らした。