※地獄先生ぬーべーに出てきた、霊昇受日と陽神の術という設定を使ってます
霊昇受日 一生に一度とても力が高まる日
陽神の術 分身を作り出す術
守矢神社の境内で早苗が雑草を抜いている。鼻歌が境内に響いて上機嫌そうだと思われる。軽快に手が動き、次々と草が抜かれていく。
外の世界よりもましとはいえ夏の日差しの下で体を動かしたことで額に汗が浮かんでいるが、山を吹き抜ける風が心地よく、暑さを不快に思わないらしい。木陰にでも入れば、すぐに汗もひくだろう。
頬を伝う汗をハンカチでぬぐい、汚れた手をパンパンと払う。動作の一つ一つが軽やかで暑さなど関係ないというふうに見える。
集めた草をちりとりに入れている早苗に諏訪子が近づいてきた。
「さっなえー! ごきげんだね?」
「諏訪子様も元気そうですね」
「川で涼んできたからね!」
諏訪子の髪はかすかに湿り気を帯びている。川で一泳ぎしてきたのだろう。籐製の手下げかばんの中にスクール水着がちらりと見える。
「早苗はどうして機嫌がいいのかな?」
「体の調子がいいんですよ。気力が満ちてきているって感じですかね」
「いわれてみれば、力が増してる。これはあれかな」
じっと早苗を見た諏訪子はなにかに思い当たったような顔つきになる。
「あれ、ですか?」
「霊昇受日に近づいているんだよ」
「霊昇受日ってなんですか?」
「力が高まる日って思えばいいよ。生涯で一度すごく力が高まる日があるの。それが霊昇受日。その逆もあるんだよ」
「そんな日があったんですね」
「明日くらいが最高潮なんじゃないかな」
「今よりも調子がよくなるんですね。霊夢さんと初めて会ったときがその状態なら、負けることはなかったのかな」
「どうだろうね? あの巫女は捉えどころがないから、どんな苛烈な弾幕ものらりくらりとかわしちゃいそうだ」
諏訪子の言うとおりだと、簡単にその光景が想像でき早苗は頷いた。
集めた草をゴミ箱に入れるため、家屋へと向かう。諏訪子も一緒について歩く。
休憩のため、手を洗い居間に行くと神奈子がカキ氷の準備をしていた。しゃりしゃりと氷を削る音が涼しげで、それだけで部屋の温度が少し下がる気がする。
日にさらしてほてり気味な体に冷たいものはちょうど良く、甘いものはさらに大歓迎だ。早苗はありがたくイチゴシロップのかかったカキ氷を受け取った。
次の日の朝。境内の掃き掃除と朝食の準備のため目を覚ました早苗は、予想してた体調とは真逆の状態に戸惑いを感じていた。
昨日の時点ですこぶる良かった体調は、諏訪子の話ではさらに上向くはずなのだが、とてもだるかった。動くことには支障はない。けれども昨日のように軽やかな動きは無理だろう。弾幕も通常弾を出すのがせいぜいで、スペルカードは発動できそうにない。
絶不調ともいっていい体調に首を傾げつつ、早苗はのそのそと起きだして、着替える。
昨日とは打って変わって、のろのろと境内を動き回る。
そんな早苗の近づく人影が一つ。時間的には午前六時前、こんな早くに神社にくるものはそうはいない。いつもならば近づく者の気配を察するくらいはできるが、体調の良くない今は無理だった。結果、早苗は腰の辺りに軽い衝撃を受けて初めて、近づいてきた者に気づいたのだった。
「え? な、なに?」
視線を下に向けると、誰かが腰に抱きついていた。その誰かが顔を上げ、早苗を見る。
年の頃は五才くらいか。髪は緑、目は茶色、着ているものはサイズは違えど早苗が着ているものと同じ。見たことないはずの容姿なのに、早苗はこの小さな男の子にどこか見覚えがあり、懐かしさも感じた。
そんな懐かしさも男の子の発言に吹っ飛ぶのだが。
「早苗お姉ちゃんあそぼ!」
「え?」
時間は少し流れ、朝食の時間となる。いつもは三人の食卓は今日は四人。そして食卓の上には四人分を超える料理。早苗の隣に、東風谷望と名乗った男の子がにこにこと笑顔を浮かべ座っている。
諏訪子と神奈子はとりたてておかしな様子を見せず、望を見ている。早苗は戸惑いの表情だ。
望に遊ぼうと誘われたあと戸惑いつつも、今することがあるからあとでね、と答え納得してもらい、朝食を作ったのだ。その間に気分が落ち着くことを願ったのだが、朝食を三人分よりも多く作ったところを見ると、落ち着けなかったらしい。
「早苗の弟を名乗ったか」
「はい」
じっと望を見ていた神奈子が呟く。それに早苗は頷いた。
「望」
「なに、おばちゃん?」
「おばっ!?」
「の、望君!? この方のことは神奈子様かお姉ちゃんって呼ぼうね!」
望の返事に神奈子の表情は引きつり、諏訪子が笑う。笑い続ける諏訪子の頭に拳骨を一発落として、神奈子は場の雰囲気を元に戻すため咳払いする。
「望、こっちにきてくれるか?」
「うん」
神奈子に呼ばれ、望は素直に近寄る。
近寄ってきた望の頭に神奈子は手を置く。思案げな顔つきになる神奈子を望は不思議そうな顔をして見上げる。手を離した神奈子は諏訪子にも同じようにさせた。二人は顔を見合わせ頷く。
「問題はないだろう。この子は早苗の弟みたいなものだ。一緒にいるといい。詳しいことはまだわからないが、害もないはずだ」
「私は一人っ子ですよ? 弟なんて」
「だから、みたいなものって神奈子が言ったでしょ? 実際、望が持つ力の質は早苗と同じなんだし。家族なら似たような力の質を持つものだよ。まったく同じってのは引っかかるけど」
「あとで詳しく調べるとわかるだろうさ。
そういや早苗、調子が悪そうだけど大丈夫かい?」
「え? あ、大丈夫です。少しだるいだけで、熱があるとかじゃないですから。でも昨日諏訪子様から聞いた話だと、体の調子はよくなるはずなんですけど」
「あ、そういうこと?」
「なにかわかったのか、諏訪子」
「たぶんね。あとで話すよ、ご飯が冷めるから早く食べよう。
今のところは弟だってことで納得しておけばいいよ」
「はあ」
敬うべき二柱がそう言うならと、早苗はそういうものなんだと今は納得することにした。
いつもよりも賑やかに食事は進む。望が美味しい美味しいと旺盛な食欲を見せたからだ。その食べっぷりは気持ちよく、作った者としては悪い気はしない。
食事が終わり、早苗が食器を洗っている間に、二柱は詳しい調査を済ませる。
その結果は諏訪子が予想したとおりのものだった。二柱と望はなにごとか話し合い、望の好きにさせるという結論に至る。
「早苗、今日は家事しなくていい、修練も休みだ。私たちが家事を変わりにやっておくから望と一緒に過ごしなさい」
「望君とですか? 遊ぶ約束したからかまわないんですが」
「早くあそぼ!」
望が早苗の手を引いて早く早くと急かす。早苗は手を引かれるまま家を出て行く。
残った二柱は家事のため立ち上がった。
家を出た二人は手を繋いで山の中を歩いている。なにをして遊ぼうかと聞いた早苗に、特になにかを思いつかなかったようで望は散歩と答えた。望がこけないようにと望の手をとった早苗。手を繋いだことが嬉しいのか機嫌のいい望。
山の中に舗装された道はなく、歩きづらい。いつもは空を飛んで移動する早苗にとって一苦労する野道だ。体調がよくないのでなおさらだ。一方で望は道の悪さを気にすることなく歩いている。望をフォローするつもりで手をつないだはずが、望にフォローされる形となっている。
朝から天気がよく気温も上がっているが、木々に光が遮られ風も吹いているおかげで暑さがまぎれている。夏場の散歩にはちょうどいいロケーションだ。あれはなに、これはなにと植物や動物を指差す望に、早苗は答えられるものは答えていく。
ゆっくりと歩いているうちに、川の近くにきたようで水の流れる音が聞こえてきた。
「望君、川に行かない? お姉ちゃんちょっと疲れて休みたいの」
「いいよ」
二人は水音のする方向へと歩き始める。
早苗は大きめの岩に腰掛けて、望は川に足をつけている。
「川の中央に行っちゃだめだからね」
「わかったー」
バシャバシャと音を立てて遊ぶ望を早苗はぼうっと見る。見ながら望のことを考える。
二柱には弟みたいなものということで納得するように言われたが、やはり気になる。いきなり弟ができて戸惑う気持ちがある。戸惑いの気持ちはそれだけが原因ではない。望の存在にまったく拒否感を抱かない自分自身にも戸惑いを感じていた。
ほのかに感じる懐かしさにどこかで会ったことがあるのかと記憶をめぐらすうちに、ゆるりと吹く風が涼しく水のせせらぎが子守唄のようで耳心地よく、うとうとと瞼が落ちる。
小さな頃の夢を見た。なにかを親にねだる夢。ねだっているものを口に出そうとした瞬間、早苗は大きな水音で目が覚めた。見た夢は掴もうとする手をするりと抜けて、泡のように消えていった。
川に視線を向けると、水辺でこけて全身びしょぬれの望がきょとんとした表情で座り込んでいる。
「あ、大丈夫!?」
望に駆け寄り、どこか怪我をしていないか調べていく。幸い軽く腕を打っただけで怪我はない。
「カニにいたんだけどね、つかまえられなかった」
「残念だったね。でも怪我がなくてよかった。
家に帰って着替えないと。おんぶするから背中に乗って」
「お姉ちゃんの服も濡れるよ?」
「そんなこと気にしないの。いつまでも濡れままだと気持ち悪いでしょ?」
「うん」
望を背に乗せ早苗は神社へと飛ぶ。早苗の背中に身をゆだねる望の表情はとても幸せそうなものだ。
神社に到着し、濡れている服を脱がせタオルで体を拭いていく。
「服はどうしようか……私の小さい頃の服ってあったかな」
タンスの奥からオーバーオールとTシャツを引っ張り出して、望に着せる。少しサイズが大きいが、望は気にしていない。着ていた巫女服は物干し竿にかけられている。暑いのですぐに乾くだろう。
これからどうしようかと聞く早苗に、望は遊ぶと応える。しかし遊ぶといっても具体的になにをしたいか浮かばない二人は、倉庫をのぞいてボールかないか出てこないか探る。ボールは出てこなかったが、バトミントンがみつかった。
早苗と遊べるならばなんでもいい望はバトミントンで遊ぶことに不満はなく、昼まで羽を叩きあっていた。パシーンパシーンと打ち合う音に諏訪子が興味を持ち庭にやってきて、参加するなんてこともあった。
白熱していた望と諏訪子の打ち合いは、昼ごはんだと神奈子が呼びにきたことで中断された。
昼ごはんを食べ満腹になった望は、うとうととし始め、すぐに畳の上に寝転がり寝入る。早苗はタオルをとってきて、望のお腹にかける。
「私も昼寝しようかな」
望の隣に諏訪子も寝転がる。
「早苗もおいでよ」
「私は……」
「たまには昼寝もいいじゃないか。食器を洗ったら私も一緒に寝させてもらおうかね」
食器を一まとめにしている神奈子も昼寝を勧める。バトミントンで体力を消耗していて、疲れが顔に出ているのだ。
一応隠していたつもりの早苗は指摘されたことで、観念して望の隣に寝転がった。そしてすぐに寝息を立て始める。
「今の早苗じゃ、やっぱり無理があるんだね」
「そうだな。維持は無理か」
「私たちでどうにかできればよかったんだけど、力が混ざると変質しちゃうだろうし」
「望も納得済みとはいえ、どうにかしてやりたいが」
望自身の言葉もあって、望の正体に見当がついている二柱は生じている問題をどうにかできないものかと頭を悩ませる。しかしいい考えは浮かばず、溜息だけが出る。
二時間弱ほど昼寝して起きた望は、活動的だった朝とは違い、今度は屋内で過ごすことを望む。
早苗は乞われるまま、縁側でのんびりと桃太郎などの昔話を語っていく。その隣で望は早苗の声に耳を傾けている。その様子を第三者がみれば、家族と言うだろう。
のんびりとしたまま時間は流れ、夕食も終わり、日も暮れた。蚊避けのために蚊取り線香が焚かれ、縁側に置かれている。
再び巫女服姿に戻った望は、早苗の前に座り口を開いた。
「そろそろ帰らないと」
「帰る? 家まで送っていこうか?」
ほかの家の子だったのかと早苗は思いつつ、提案する。その提案に望は首を横に振る。
「家はここだよ。帰るのは、早苗お姉ちゃんの心に」
「私の心?」
「でも、そのまえに聞きたいことがあるんだ。
僕のこときらい?」
「ううん」
嫌いかと聞かれれば早苗は、即座に違うと言える。ずっと不思議に思っていることだが、どうしても嫌いだとか邪魔だという感情は湧いてこない。
下心も感じられず一途に自分を慕ってくれている存在を嫌える人間ではない、ということもあるが、それを抜きにして望を無条件に受け入れることができそうなのだ。そのことがとても不思議に思えている。
「じゃあ好き?」
こちらは即答できない。無条件に受け入れるということに矛盾しそうだが、正体がわからないという部分がひっかかり頷くことができない。
寂しげな顔になる望に早苗はなにか言いたいが、今のままだと言い訳にしかなりそうにないと、なにも口に出せない。
それを察した二柱が手助けになればと、口を開く。
「この子は早苗の弟みたいなものだって朝言ったよね。それは嘘じゃないんだよ。付け加えるなら早苗は望の母でもある」
「私が母……ですか?」
諏訪子の言葉に首を傾げる。
「この子は早苗の内より生まれた存在だ。だから早苗は母でもある。この子の存在意義は早苗の願いを叶えること。ただし今の願いではない。
早苗、ここはどこで、どんな場所だい?」
「守矢神社で、神奈子様と諏訪子様を祀る場所ですよね」
早苗の答えに、神奈子は言い直す。
「言い方が悪かった。ここっていうのはこの世界を指してのことだ」
「幻想郷で……外で忘れられたものが行き着く場所?」
「そのとおり。
望は早苗が外で望み、大きくなって忘れた想いだ。一人っ子ならば多くの者が一度は思い願うこと。それは早苗も同じで、小さい頃親に言っていたよ。
だけど早苗は大きくなりそのことを忘れ、忘れられた望は幻想郷へと流れ着いた」
「それって」
ヒントをもらえ早苗も望の正体に見当がついた。
「たしかに小さい頃、弟か妹がほしくて親にねだった記憶があります。
思い出してみれば、どことなく思い描いていた容姿に望は似てるような」
望は早苗自身が望んで生まれた存在なのだ、嫌えるはずがなかった。
「でも想いが実体化なんてできるほど幻想郷はすごい場所でしょうか?」
「望が生まれたのは、力と能力が合わさった結果、偶然なんだよ。
力は霊昇受日で高まってたよね。んで能力は、奇跡を起こす程度の能力っていうちょうどいいものがあるでしょ」
早苗が幻想郷に来たことで、忘れられた想いは早苗に惹かれそばにいたのだ。そして高まった力を使い実体化した。
「外の世界では私が起こす現象は奇跡と呼べるものでしたけど。だからといってこのようなことができる能力ではないです」
「そこらへんは言霊って奴だろうね。実際、実体化しちゃってるし。早苗から生まれた出でたものだから、早苗の力との相性もいいし。
いままで実体化しなかったのは、早苗に望を支えるだけの力がなかったから。運が悪いことに霊昇受日で、支えるだけの力を持っちゃったから実体化できたんだよ。
陽神の術で作った体が、別個の自意識を持った状態なんだろうね」
運が悪いといって顔をしかめる二柱の言いたいことを早苗は察することができない。
「僕は実体化できたことを運がわるいとは思ってないよ。実体化できないまま消えるなんてこともあったかもしれないんだから。
早苗お姉ちゃんに会えたことがうれしい。話せたことがうれしい。遊んでもらえたことがうれしい。早苗お姉ちゃんのお料理を食べることができてうれしい。
こんなにたくさんの嬉しいことがあったから、このまま笑顔で消えることができる」
「消える……あ、一時的に力が高まってるから」
体調が悪いせいで、今日が力の高まる日だということが頭から抜け落ちていた。
力が高まっている今だから、だるい程度ですんでいるのだと気づいた。ここまでくれば、その先も気づく。
「消えるのはもしかして私のため? 力が下がると今以上に苦しむことになるから? 昼から屋内ですごしたのも疲れさせないため?」
「そのとおりだよ。望は姉が苦しむことを望んでいない。だから力が下がりきる前に消える」
「どうにか……できないんですよね。できるならそんな顔しませんよね」
「うん。望は偶然が重なって生まれたから、私たちでも手が出せないんだ」
望んだのに忘れたことの自分勝手さと自身の不甲斐なさに早苗の表情が曇る。せっかく生まれた命を己の力不足で失うことになったのだ。こんなことならばもっともっと修練に励むんだったと後悔の念が溢れ出てくる。
「そんな顔しないで、はじめに帰るって言ったでしょ? 消えてなくなるわけじゃないんだ。早苗お姉ちゃんの心の中に帰るだけ。早苗お姉ちゃんがいつまでも覚えてくれていたら、僕は生きつづける。実体化はできないけど、いつまでも一緒にいられるんだ」
「望」
「やっと呼んでくれた」
今まで君づけで少し距離があった。望の存在を理解し受け入れた今、早苗は家族として望の名前を呼んだのだ。
そのことが嬉しく望は笑顔を浮かべ姿を消していく。
望が消えた後、蛍よりも儚い小さな光が残り、早苗へと近づく。早苗は光へとそっと手を差し出す。光は手のひらに乗ると溶けるように消えた。
だるさが消えたことで早苗は望が消えたことを実感した。溢れ出す涙をそのままに、光の消えた手をぎゅっと抱きしめる。
動かない早苗の肩に、二柱がそっと触れる。その二柱へと抱きついて早苗は泣き続けた。
救いは、望が最後まで笑顔だったことだろう。早苗と過ごせたことが本当に嬉しかったという証だ。
後日談として、早苗が望のことを忘れず修練を続け、望を支えるだけの力を得て、再び望が実体化でき、再会するなんて話もある。
しかし、それはまだまだ先の話。
霊昇受日 一生に一度とても力が高まる日
陽神の術 分身を作り出す術
守矢神社の境内で早苗が雑草を抜いている。鼻歌が境内に響いて上機嫌そうだと思われる。軽快に手が動き、次々と草が抜かれていく。
外の世界よりもましとはいえ夏の日差しの下で体を動かしたことで額に汗が浮かんでいるが、山を吹き抜ける風が心地よく、暑さを不快に思わないらしい。木陰にでも入れば、すぐに汗もひくだろう。
頬を伝う汗をハンカチでぬぐい、汚れた手をパンパンと払う。動作の一つ一つが軽やかで暑さなど関係ないというふうに見える。
集めた草をちりとりに入れている早苗に諏訪子が近づいてきた。
「さっなえー! ごきげんだね?」
「諏訪子様も元気そうですね」
「川で涼んできたからね!」
諏訪子の髪はかすかに湿り気を帯びている。川で一泳ぎしてきたのだろう。籐製の手下げかばんの中にスクール水着がちらりと見える。
「早苗はどうして機嫌がいいのかな?」
「体の調子がいいんですよ。気力が満ちてきているって感じですかね」
「いわれてみれば、力が増してる。これはあれかな」
じっと早苗を見た諏訪子はなにかに思い当たったような顔つきになる。
「あれ、ですか?」
「霊昇受日に近づいているんだよ」
「霊昇受日ってなんですか?」
「力が高まる日って思えばいいよ。生涯で一度すごく力が高まる日があるの。それが霊昇受日。その逆もあるんだよ」
「そんな日があったんですね」
「明日くらいが最高潮なんじゃないかな」
「今よりも調子がよくなるんですね。霊夢さんと初めて会ったときがその状態なら、負けることはなかったのかな」
「どうだろうね? あの巫女は捉えどころがないから、どんな苛烈な弾幕ものらりくらりとかわしちゃいそうだ」
諏訪子の言うとおりだと、簡単にその光景が想像でき早苗は頷いた。
集めた草をゴミ箱に入れるため、家屋へと向かう。諏訪子も一緒について歩く。
休憩のため、手を洗い居間に行くと神奈子がカキ氷の準備をしていた。しゃりしゃりと氷を削る音が涼しげで、それだけで部屋の温度が少し下がる気がする。
日にさらしてほてり気味な体に冷たいものはちょうど良く、甘いものはさらに大歓迎だ。早苗はありがたくイチゴシロップのかかったカキ氷を受け取った。
次の日の朝。境内の掃き掃除と朝食の準備のため目を覚ました早苗は、予想してた体調とは真逆の状態に戸惑いを感じていた。
昨日の時点ですこぶる良かった体調は、諏訪子の話ではさらに上向くはずなのだが、とてもだるかった。動くことには支障はない。けれども昨日のように軽やかな動きは無理だろう。弾幕も通常弾を出すのがせいぜいで、スペルカードは発動できそうにない。
絶不調ともいっていい体調に首を傾げつつ、早苗はのそのそと起きだして、着替える。
昨日とは打って変わって、のろのろと境内を動き回る。
そんな早苗の近づく人影が一つ。時間的には午前六時前、こんな早くに神社にくるものはそうはいない。いつもならば近づく者の気配を察するくらいはできるが、体調の良くない今は無理だった。結果、早苗は腰の辺りに軽い衝撃を受けて初めて、近づいてきた者に気づいたのだった。
「え? な、なに?」
視線を下に向けると、誰かが腰に抱きついていた。その誰かが顔を上げ、早苗を見る。
年の頃は五才くらいか。髪は緑、目は茶色、着ているものはサイズは違えど早苗が着ているものと同じ。見たことないはずの容姿なのに、早苗はこの小さな男の子にどこか見覚えがあり、懐かしさも感じた。
そんな懐かしさも男の子の発言に吹っ飛ぶのだが。
「早苗お姉ちゃんあそぼ!」
「え?」
時間は少し流れ、朝食の時間となる。いつもは三人の食卓は今日は四人。そして食卓の上には四人分を超える料理。早苗の隣に、東風谷望と名乗った男の子がにこにこと笑顔を浮かべ座っている。
諏訪子と神奈子はとりたてておかしな様子を見せず、望を見ている。早苗は戸惑いの表情だ。
望に遊ぼうと誘われたあと戸惑いつつも、今することがあるからあとでね、と答え納得してもらい、朝食を作ったのだ。その間に気分が落ち着くことを願ったのだが、朝食を三人分よりも多く作ったところを見ると、落ち着けなかったらしい。
「早苗の弟を名乗ったか」
「はい」
じっと望を見ていた神奈子が呟く。それに早苗は頷いた。
「望」
「なに、おばちゃん?」
「おばっ!?」
「の、望君!? この方のことは神奈子様かお姉ちゃんって呼ぼうね!」
望の返事に神奈子の表情は引きつり、諏訪子が笑う。笑い続ける諏訪子の頭に拳骨を一発落として、神奈子は場の雰囲気を元に戻すため咳払いする。
「望、こっちにきてくれるか?」
「うん」
神奈子に呼ばれ、望は素直に近寄る。
近寄ってきた望の頭に神奈子は手を置く。思案げな顔つきになる神奈子を望は不思議そうな顔をして見上げる。手を離した神奈子は諏訪子にも同じようにさせた。二人は顔を見合わせ頷く。
「問題はないだろう。この子は早苗の弟みたいなものだ。一緒にいるといい。詳しいことはまだわからないが、害もないはずだ」
「私は一人っ子ですよ? 弟なんて」
「だから、みたいなものって神奈子が言ったでしょ? 実際、望が持つ力の質は早苗と同じなんだし。家族なら似たような力の質を持つものだよ。まったく同じってのは引っかかるけど」
「あとで詳しく調べるとわかるだろうさ。
そういや早苗、調子が悪そうだけど大丈夫かい?」
「え? あ、大丈夫です。少しだるいだけで、熱があるとかじゃないですから。でも昨日諏訪子様から聞いた話だと、体の調子はよくなるはずなんですけど」
「あ、そういうこと?」
「なにかわかったのか、諏訪子」
「たぶんね。あとで話すよ、ご飯が冷めるから早く食べよう。
今のところは弟だってことで納得しておけばいいよ」
「はあ」
敬うべき二柱がそう言うならと、早苗はそういうものなんだと今は納得することにした。
いつもよりも賑やかに食事は進む。望が美味しい美味しいと旺盛な食欲を見せたからだ。その食べっぷりは気持ちよく、作った者としては悪い気はしない。
食事が終わり、早苗が食器を洗っている間に、二柱は詳しい調査を済ませる。
その結果は諏訪子が予想したとおりのものだった。二柱と望はなにごとか話し合い、望の好きにさせるという結論に至る。
「早苗、今日は家事しなくていい、修練も休みだ。私たちが家事を変わりにやっておくから望と一緒に過ごしなさい」
「望君とですか? 遊ぶ約束したからかまわないんですが」
「早くあそぼ!」
望が早苗の手を引いて早く早くと急かす。早苗は手を引かれるまま家を出て行く。
残った二柱は家事のため立ち上がった。
家を出た二人は手を繋いで山の中を歩いている。なにをして遊ぼうかと聞いた早苗に、特になにかを思いつかなかったようで望は散歩と答えた。望がこけないようにと望の手をとった早苗。手を繋いだことが嬉しいのか機嫌のいい望。
山の中に舗装された道はなく、歩きづらい。いつもは空を飛んで移動する早苗にとって一苦労する野道だ。体調がよくないのでなおさらだ。一方で望は道の悪さを気にすることなく歩いている。望をフォローするつもりで手をつないだはずが、望にフォローされる形となっている。
朝から天気がよく気温も上がっているが、木々に光が遮られ風も吹いているおかげで暑さがまぎれている。夏場の散歩にはちょうどいいロケーションだ。あれはなに、これはなにと植物や動物を指差す望に、早苗は答えられるものは答えていく。
ゆっくりと歩いているうちに、川の近くにきたようで水の流れる音が聞こえてきた。
「望君、川に行かない? お姉ちゃんちょっと疲れて休みたいの」
「いいよ」
二人は水音のする方向へと歩き始める。
早苗は大きめの岩に腰掛けて、望は川に足をつけている。
「川の中央に行っちゃだめだからね」
「わかったー」
バシャバシャと音を立てて遊ぶ望を早苗はぼうっと見る。見ながら望のことを考える。
二柱には弟みたいなものということで納得するように言われたが、やはり気になる。いきなり弟ができて戸惑う気持ちがある。戸惑いの気持ちはそれだけが原因ではない。望の存在にまったく拒否感を抱かない自分自身にも戸惑いを感じていた。
ほのかに感じる懐かしさにどこかで会ったことがあるのかと記憶をめぐらすうちに、ゆるりと吹く風が涼しく水のせせらぎが子守唄のようで耳心地よく、うとうとと瞼が落ちる。
小さな頃の夢を見た。なにかを親にねだる夢。ねだっているものを口に出そうとした瞬間、早苗は大きな水音で目が覚めた。見た夢は掴もうとする手をするりと抜けて、泡のように消えていった。
川に視線を向けると、水辺でこけて全身びしょぬれの望がきょとんとした表情で座り込んでいる。
「あ、大丈夫!?」
望に駆け寄り、どこか怪我をしていないか調べていく。幸い軽く腕を打っただけで怪我はない。
「カニにいたんだけどね、つかまえられなかった」
「残念だったね。でも怪我がなくてよかった。
家に帰って着替えないと。おんぶするから背中に乗って」
「お姉ちゃんの服も濡れるよ?」
「そんなこと気にしないの。いつまでも濡れままだと気持ち悪いでしょ?」
「うん」
望を背に乗せ早苗は神社へと飛ぶ。早苗の背中に身をゆだねる望の表情はとても幸せそうなものだ。
神社に到着し、濡れている服を脱がせタオルで体を拭いていく。
「服はどうしようか……私の小さい頃の服ってあったかな」
タンスの奥からオーバーオールとTシャツを引っ張り出して、望に着せる。少しサイズが大きいが、望は気にしていない。着ていた巫女服は物干し竿にかけられている。暑いのですぐに乾くだろう。
これからどうしようかと聞く早苗に、望は遊ぶと応える。しかし遊ぶといっても具体的になにをしたいか浮かばない二人は、倉庫をのぞいてボールかないか出てこないか探る。ボールは出てこなかったが、バトミントンがみつかった。
早苗と遊べるならばなんでもいい望はバトミントンで遊ぶことに不満はなく、昼まで羽を叩きあっていた。パシーンパシーンと打ち合う音に諏訪子が興味を持ち庭にやってきて、参加するなんてこともあった。
白熱していた望と諏訪子の打ち合いは、昼ごはんだと神奈子が呼びにきたことで中断された。
昼ごはんを食べ満腹になった望は、うとうととし始め、すぐに畳の上に寝転がり寝入る。早苗はタオルをとってきて、望のお腹にかける。
「私も昼寝しようかな」
望の隣に諏訪子も寝転がる。
「早苗もおいでよ」
「私は……」
「たまには昼寝もいいじゃないか。食器を洗ったら私も一緒に寝させてもらおうかね」
食器を一まとめにしている神奈子も昼寝を勧める。バトミントンで体力を消耗していて、疲れが顔に出ているのだ。
一応隠していたつもりの早苗は指摘されたことで、観念して望の隣に寝転がった。そしてすぐに寝息を立て始める。
「今の早苗じゃ、やっぱり無理があるんだね」
「そうだな。維持は無理か」
「私たちでどうにかできればよかったんだけど、力が混ざると変質しちゃうだろうし」
「望も納得済みとはいえ、どうにかしてやりたいが」
望自身の言葉もあって、望の正体に見当がついている二柱は生じている問題をどうにかできないものかと頭を悩ませる。しかしいい考えは浮かばず、溜息だけが出る。
二時間弱ほど昼寝して起きた望は、活動的だった朝とは違い、今度は屋内で過ごすことを望む。
早苗は乞われるまま、縁側でのんびりと桃太郎などの昔話を語っていく。その隣で望は早苗の声に耳を傾けている。その様子を第三者がみれば、家族と言うだろう。
のんびりとしたまま時間は流れ、夕食も終わり、日も暮れた。蚊避けのために蚊取り線香が焚かれ、縁側に置かれている。
再び巫女服姿に戻った望は、早苗の前に座り口を開いた。
「そろそろ帰らないと」
「帰る? 家まで送っていこうか?」
ほかの家の子だったのかと早苗は思いつつ、提案する。その提案に望は首を横に振る。
「家はここだよ。帰るのは、早苗お姉ちゃんの心に」
「私の心?」
「でも、そのまえに聞きたいことがあるんだ。
僕のこときらい?」
「ううん」
嫌いかと聞かれれば早苗は、即座に違うと言える。ずっと不思議に思っていることだが、どうしても嫌いだとか邪魔だという感情は湧いてこない。
下心も感じられず一途に自分を慕ってくれている存在を嫌える人間ではない、ということもあるが、それを抜きにして望を無条件に受け入れることができそうなのだ。そのことがとても不思議に思えている。
「じゃあ好き?」
こちらは即答できない。無条件に受け入れるということに矛盾しそうだが、正体がわからないという部分がひっかかり頷くことができない。
寂しげな顔になる望に早苗はなにか言いたいが、今のままだと言い訳にしかなりそうにないと、なにも口に出せない。
それを察した二柱が手助けになればと、口を開く。
「この子は早苗の弟みたいなものだって朝言ったよね。それは嘘じゃないんだよ。付け加えるなら早苗は望の母でもある」
「私が母……ですか?」
諏訪子の言葉に首を傾げる。
「この子は早苗の内より生まれた存在だ。だから早苗は母でもある。この子の存在意義は早苗の願いを叶えること。ただし今の願いではない。
早苗、ここはどこで、どんな場所だい?」
「守矢神社で、神奈子様と諏訪子様を祀る場所ですよね」
早苗の答えに、神奈子は言い直す。
「言い方が悪かった。ここっていうのはこの世界を指してのことだ」
「幻想郷で……外で忘れられたものが行き着く場所?」
「そのとおり。
望は早苗が外で望み、大きくなって忘れた想いだ。一人っ子ならば多くの者が一度は思い願うこと。それは早苗も同じで、小さい頃親に言っていたよ。
だけど早苗は大きくなりそのことを忘れ、忘れられた望は幻想郷へと流れ着いた」
「それって」
ヒントをもらえ早苗も望の正体に見当がついた。
「たしかに小さい頃、弟か妹がほしくて親にねだった記憶があります。
思い出してみれば、どことなく思い描いていた容姿に望は似てるような」
望は早苗自身が望んで生まれた存在なのだ、嫌えるはずがなかった。
「でも想いが実体化なんてできるほど幻想郷はすごい場所でしょうか?」
「望が生まれたのは、力と能力が合わさった結果、偶然なんだよ。
力は霊昇受日で高まってたよね。んで能力は、奇跡を起こす程度の能力っていうちょうどいいものがあるでしょ」
早苗が幻想郷に来たことで、忘れられた想いは早苗に惹かれそばにいたのだ。そして高まった力を使い実体化した。
「外の世界では私が起こす現象は奇跡と呼べるものでしたけど。だからといってこのようなことができる能力ではないです」
「そこらへんは言霊って奴だろうね。実際、実体化しちゃってるし。早苗から生まれた出でたものだから、早苗の力との相性もいいし。
いままで実体化しなかったのは、早苗に望を支えるだけの力がなかったから。運が悪いことに霊昇受日で、支えるだけの力を持っちゃったから実体化できたんだよ。
陽神の術で作った体が、別個の自意識を持った状態なんだろうね」
運が悪いといって顔をしかめる二柱の言いたいことを早苗は察することができない。
「僕は実体化できたことを運がわるいとは思ってないよ。実体化できないまま消えるなんてこともあったかもしれないんだから。
早苗お姉ちゃんに会えたことがうれしい。話せたことがうれしい。遊んでもらえたことがうれしい。早苗お姉ちゃんのお料理を食べることができてうれしい。
こんなにたくさんの嬉しいことがあったから、このまま笑顔で消えることができる」
「消える……あ、一時的に力が高まってるから」
体調が悪いせいで、今日が力の高まる日だということが頭から抜け落ちていた。
力が高まっている今だから、だるい程度ですんでいるのだと気づいた。ここまでくれば、その先も気づく。
「消えるのはもしかして私のため? 力が下がると今以上に苦しむことになるから? 昼から屋内ですごしたのも疲れさせないため?」
「そのとおりだよ。望は姉が苦しむことを望んでいない。だから力が下がりきる前に消える」
「どうにか……できないんですよね。できるならそんな顔しませんよね」
「うん。望は偶然が重なって生まれたから、私たちでも手が出せないんだ」
望んだのに忘れたことの自分勝手さと自身の不甲斐なさに早苗の表情が曇る。せっかく生まれた命を己の力不足で失うことになったのだ。こんなことならばもっともっと修練に励むんだったと後悔の念が溢れ出てくる。
「そんな顔しないで、はじめに帰るって言ったでしょ? 消えてなくなるわけじゃないんだ。早苗お姉ちゃんの心の中に帰るだけ。早苗お姉ちゃんがいつまでも覚えてくれていたら、僕は生きつづける。実体化はできないけど、いつまでも一緒にいられるんだ」
「望」
「やっと呼んでくれた」
今まで君づけで少し距離があった。望の存在を理解し受け入れた今、早苗は家族として望の名前を呼んだのだ。
そのことが嬉しく望は笑顔を浮かべ姿を消していく。
望が消えた後、蛍よりも儚い小さな光が残り、早苗へと近づく。早苗は光へとそっと手を差し出す。光は手のひらに乗ると溶けるように消えた。
だるさが消えたことで早苗は望が消えたことを実感した。溢れ出す涙をそのままに、光の消えた手をぎゅっと抱きしめる。
動かない早苗の肩に、二柱がそっと触れる。その二柱へと抱きついて早苗は泣き続けた。
救いは、望が最後まで笑顔だったことだろう。早苗と過ごせたことが本当に嬉しかったという証だ。
後日談として、早苗が望のことを忘れず修練を続け、望を支えるだけの力を得て、再び望が実体化でき、再会するなんて話もある。
しかし、それはまだまだ先の話。
しかし俺も一人っ子なので、弟欲しかったですねぇ。