昼の三時になる。
風見幽香は人里にいた。
「つまらない花ばかり」
人に手入れをされた植物は嫌いだった。
人間なども好きではない。
だが、店に入るとふらふら歩き回り、
「これを頂ける?」
と言って微笑んだ。
買い物が好きなのかもしれない。
幽香はそよ風のように歩く。
今も日傘を差し、道の端をゆるやかに歩いていた。
(この里を潰して森にしたら、どれほどステキかしら)
涼しい顔をして思うのだった。
「ふふっ。まさかね」
腕にぶらさげた買い物かごには、茶葉や菓子、チェック柄の生地などが入っていた。
遊びに夢中だったのだろう。泥まみれの子供がぶつかってきた。
子供は、
「あっ、ごめん」
と言ってから、幽香を見て硬直した。
「いいのよ。でも気をつけなさい」
幽香は子供の頭をふわりとなでた。
(あら?)
殺気がした。
振り返って見ると、殺気は消えて別のものになった。
老人である。
転ぶように駆けて現れ、そのまま額を地面にぶつけて言った。
「お許し下さい。馬鹿な孫ですが、どうか、どうか……」
老人に小突かれて、子供が泣きだした。
(ああ。つまらない)
幽香は立ち去ろうとした。
奇妙な人だかりができていた。
近くに寄る者はいない。どれも離れた物陰で小さくなり、好奇の眼だけを注いでいる。それでいて、幽香の視線から逃げるように姿を隠した。
幽香はひどく冷めていった。
「帰ってお茶にするわ」
と言って、歩き始めた。
老人は子供を連れ、鼠の如く去った。
「そこの妖怪、ちょっと待ちな」
幽香の正面に現れ、声をかけた者がいる。
妙な姿をした若者だった。
「黙って見てりゃ、調子に乗りやがって。何様のつもりだ、ああ?」
幽香は微笑を浮かべた。
(面白く歪む顔だこと。でも殺気のかけらも無いわね)
すうっと近付いた。
「お、おい、こら。ここは人里だぞ」
「そうね。人前だから、目立ちたいのでしょう?」
微笑を浮かべたまま、幽香は若者の首元を見つめた。
(引きちぎろうかしら?)
貫くような眼をした。
それで、若者は気を失ったらしい。
(あら。可哀想に)
幽香は日傘を畳み、ゆるりとぶん殴った。
幽香は帰路についた。
里もはずれの方に来て、また人だかりに遭遇した。
「邪魔ねえ」
とは言いつつ、ひょこりと人垣から中を覗き込んだ。
中心にいたのは早苗と、てゐである。
「皆さん、この短冊に願い事を書いてみませんかあ。私が責任をもって聞き届けますよう」
「一枚たった百円。必ず神様の目に止まる、ありがたい短冊が、百円でございます」
幽香と早苗は面識がなく、互いの名も知らない。
いつの間にか、幽香の前にだけ道がひらけていた。
「あれは、風見幽香」
てゐが呟いて、するすると早苗の背後に下がった。
「あれ、てゐさん……? あ。えと、風見さん。あなたもどうです? 百円ですよ」
「何をしているの?」
「もうすぐ七夕ですから」
短冊に願いごとを書けば、妖怪山の神にその願いを届けるという。
幽香は失笑した。
「神の御力を疑ってはなりません。本心からの願いごとならば、私たちがきっと叶えて進ぜましょう」
早苗は短冊の束を高く掲げて胸を張った。
そして、ぽつりと言った。
「まあ、自分の本当の本心を知っている人なんて少ないですけどね」
早苗の話は長い。
すでに幽香はそっぽを向き、相づちも打たなかった。
(要するに……)
てゐにそそのかされて、信仰獲得のイベントを企画したらしい。
「笹はこの辺りで一番立派なやつを使ったんですよ」
「使った……?」
幽香は笑顔を浮かべて聞き直した。
「わざわざ笹を切り倒して、妖怪山の頂まで運んだのかしら?」
「ええ。見たら、あっと驚くくらいにきれいですよ」
早苗は嬉しそうに言った。幽香も調子を合わせて、嬉しそうな声を出した。
「きっと私がお気に入りだった、あの笹を切ったのね」
見物衆は、雪崩を打つように逃げ散った。
集金箱を抱えて、てゐが脱兎の態で逃げ出した。
「うふふ。待ちなさい」
幽香は一瞬で追いついたように見えた。
しかし、てゐは振り返ってにたりと笑った。
「あっ……」
と思った時には、幽香は落とし穴に落ちていた。
てゐは逃げ去った。
穴の中で、幽香は散乱した物を拾い、買い物かごに詰め直した。
「大丈夫ですか?」
早苗が現れ、手を伸ばした。
「うんしょ。幽香さん、案外重いですね」
「ありがとうね。うふふふふ……」
「いえいえ。皆さんどうしたんでしょうねえ? 幻想郷は門限が厳しいのでしょうか」
すでに陽が暮れて、髪まで赤く染めあげている。
幽香はゆるやかに、早苗の首へ手を伸ばした。
「風見さんもどうです?」
「あ。なに?」
その手に何かを差し出され、はっとした。
「短冊ですよ」
「……それで?」
「百円です」
「そういえば名前を聞いてなかったわね」
「東風谷早苗です」
百円を払い、幽香は短冊に願いごとを書いた。
「早苗。悪いけど、とても叶うとは思えないわ」
「えへん。幽香、私の奇蹟の力を信じなさい」
「運は良いようだけれど……生意気ねえ」
幽香は嘆息した。
「何を願ったんですか?」
「世界平和」
幽香は早苗の背後へ回り、とすん、と穴へ蹴落とした。
そして速やかに土で埋め、立ち去った。
付近の住民により早苗が救出されたのは、十日も経ってからだった。
「また一つ悟りました」
と言って、早苗は平然と飛び立ったという。
何の奇蹟か、この近辺では毎年豊作を得るようになった。後に、
「東風谷早苗塚」
と刻まれた石碑が建ち、奇妙な伝説と共に人々に長く信仰されるようになるのだが、それは別の話とする。
ようやく帰宅して、幽香は愕然とした。
草木も花も、滅茶苦茶に踏み荒らされ、無惨に斬り捨てられていた。
「誰、が……?」
幽香は崩れるように膝を付いた。
そのまま泣き伏して、夜を過ごした。
早暁。
朽ち木のように動かない幽香を指差して、くつくつと押し殺した笑いを洩らす者たちがいた。
幽香はふらりと立ち上がると、
「遊びましょうか」
と呟いた。
遥か遠くで、五つ程度の人数がどっと笑い、走って逃げ出した。
笑い声は一瞬で消えた。
陽炎の如く彼らの前に立った幽香は、ささやくように唄った。
「だあるまさんが、こうろんだ」
動いた者を適当に掴み取ると、引き裂いて捨てた。妙な姿をした若者だった。
そして再び、ゆったりと唄い始めた。
若者の一団は恐慌し、必死の形相で逃げ始めた。
そして時が過ぎた。
幽香は紅茶を淹れると、頬杖をついて嘆息した。
(疲れたわ)
窓の外を眺めると、闇のかたまりが浮かんでいた。
「幽香。幽香。表のあれ、食べてもいい?」
「好きになさい」
闇がふくらんで、踊るように飛び去った。
(寝ましょう。明日には明日の花が咲くわ)
冷めた紅茶を一気に飲み干した。
翌日、荒れ果てた花園を残して、地表はきれいに片づいていた。
幽香は花園の中心で立ち尽くし、眼を閉じた。
(美しきは汚き中に。汚きは美しき中に……)
何ごとかを念じると、幽香は老婆のような姿になっていった。やがて地面から霞が立ちのぼり、幽香をいたわるように包み込んだ。
そして、メキメキと草花は復活した。
霧が晴れた時、幽香は元の姿に戻っていた。
ぽつりと、
「ありがとうね」
と呟いた言葉は、地に沁みていった。
「いえいえ。どういたしまして」
空から声が降ってきた。
魔理沙である。
魔理沙が太陽を背にして言った。
「こんなにも花がきれいだから、妖怪退治に来たぜ」
「……何のつもり」
「里で、行方不明が大勢出たらしい。この辺に悪い妖怪はいねがあ?」
幽香は、魔理沙を殺すだろうと予感した。
狂気が赤く濡れて、目前にどろりと垂れていた。
「今、気が立ってるの。後にして頂戴」
それでも、駆り立てるものを危うく抑えていた。
魔理沙は一呼吸の沈黙を置いて、にたりと笑った。
「うふふ。お気づかい、いたみいりますわ」
「……」
「本当にな、幽香。だがな。私の心配は無用に願う。それほど弱くはない、つもりなんだ」
「死ぬよ」
「楽しい弾幕なら遊びだぜ」
幽香は飛び立ち、日傘を開いた。
日傘をくるりと回すと、八方に黒い花びらが舞い乱れた。
風見幽香は小さな妖怪だった。草花を励ます程度にしか能わない、妖精のような存在だった。
幽香は草花へと精気を分け与え、種を作り終えた草花は、残った命を幽香へと託して枯れた。
一輪の花から、一枚の花びら程度の力を預かり、また他の花を咲かせて歩く。何千年繰り返そうと、どれほど絶大な力が降り積もろうと……。
それだけのことであった。
幽香は黒の弾幕を止めて呟いた。
「黒き花。あらゆる色を精一杯に集めて咲いて、儚く散るもの」
魔理沙に聞こえるはずはない。
「恋符」
と叫ぶ声が、わずかに幽香の耳に届いていた。
間髪入れず、津波のような雷光が幽香を呑み込んだ。
(きれいね。でもカード遊びをする気はないの)
幽香は日傘を正面に構えた。防御の為ではない。
「よっこいしょ、と」
みしり、と低い音が轟いた。
日傘から異常な閃光が疾り、雷光もろとも空を呑み込んだ。
幽香は再び、日傘をくるりと回した。
今度は白い花びらが八方に舞って、魔理沙へ降り注いだ。花びらの一枚一枚に、人が死ぬだけの威力がある。
「楽しそうねえ」
小刻みにかわす魔理沙は踊るようだった。
魔理沙は身の回りに奇妙な玉をいくつも浮かべると、それぞれが魔力を撃つ砲台となり、戦艦の如く応戦を始めた。
ごうっ。
と幽香の髪をかすめていった。
日傘と白の弾幕を閉じると、幽香は呟いた。
「白き花。あらゆる色を求めた末に、夢を忘れて開くもの」
聞こえるはずがない。魔理沙の弾幕は密に寄り、奔流となって天に河をなしていた。
「ロマンチックな午後だこと」
幽香が無数の星を放射した。
色とりどりの星形の弾幕が、目標もなく発散した。
隙間は多い。魔理沙が幽香の懐に潜り込んで言った。
「人の技を盗むのは良くないぜ」
「どの口が……」
「一口二百円からになります」
「チープね。私には合わないわ」
幽香は嘆息し、弾幕を止めた。
「でも、あなたには相応しかったかしら? 節操なしに突っ走って、大した信念もなくころころ色を変えるもの」
「……」
「つまらない弾幕なら、これで終わりよ」
「楽しい遊びの始まりさ」
「寒くて死にそう」
幽香が分裂した。
二体になった幽香が、くるくると日傘を回した。
白と黒の花びらが吹雪いて空を埋め尽くし、黒白を身にまとった魔法使いもまた、弾幕へ熾烈に華を加えていった。
力の差は知れている。
ぼろ雑巾のようになった魔理沙が叫んだ。
「この一撃に全てを賭ける、ぜ!」
そして、にたりと笑った。
「マスタースパーク!」
雷光が二体の幽香を呑み込んだ。
幽香が、にこりともせず呟いた。
「魔理沙。気になる眼をするもの。どう伸びて、どんな花を咲かせるのか、興味はあったよ」
片手で雷光を防ぎながら、残る手で白と黒の弾幕を放ち続けた。
雷光が枯れ尽きた。
魔理沙は、ただ一カ所の安全地帯へ、誘われるように逃げて行った。
二本の日傘が、その一点へ向けて構えられた。
「さよなら。霧雨マリサ」
みしり、と空が割れるような音がして、二筋の閃光が疾った。
妙に明るい七夕の昼だった。
一体、ぽつんと幽香は宙に浮いていた。
ざっ。
と日傘を差すと、やけに景色が晴れて見えた。
疲れた、と思った。
がくりと力を抜いた幽香は、後ろから両肩を掴まれた。
「恋符……」
首だけで振り返ると、魔理沙が二人いた。
「マスタースパーク」
背中にぴたりと押し当てられたものが、妖しい煌めきを放った。
背後から両肩を掴まれている為、避けようがない。
熱い雷光が胸を突き抜けてゆく。
「魔理沙……」
振り返れば、間違いなく二人いる。幽香の得意とする術によく似ていた。
「ふふ……」
不意に、幽香の口から笑いが洩れた。
思えばどれも、自分で蒔いた種だった。
「あはは」
はらわたが焼けるようだった。
「あーっはははは」
幽香は腹の底から笑った。
寸刻後。
魔理沙の片方が消滅し、残った方もぼとりと落下した。それを幽香は抱きとめ、家へ運ぶとソファへぶん投げた。
「ああ眠い」
ぼろくずのようになった服を着替え、ベッドに潜るとすやすや眠った。
翌朝。
魔理沙が跳ね起きて、台所を漁り始めた。
幽香は薄目を開けたが、すぐに閉じた。
(米の炊ける匂いがする……)
それから十五分ほどして、
「メシにしようぜ」
食器を並べる音がした。
「……うう。眠い。あと五分」
「風味が落ちるぜ幽香」
寝間着のまま、体を引きずるようにして食卓についた。
向かい合うと、気まずい空気になった。
(こいつ、よく生きてたわね)
思わず味噌汁を噴きそうになるほど、魔理沙はひどいありさまだった。
キュウリのぬか漬けをぱりぱり食いながら、幽香は話題を振った。
「昨日はあなたの勝ちでいいわ。私はきっちり退治されたって、巫女にもそう伝えておいて」
「あいよ。意味があるかどうかは知らんが」
「どういうこと?」
「あいつは勘がいいからな。信じたとしても、お前が弱ってるならトドメを刺しに来るだろうし」
幽香は妙に納得した。
食器を片付けさせながら、幽香はのんびり、裁縫を楽しんでいた。
皿を洗い終えると、魔理沙は帰り支度を始めた。
「それで、あなたはどうするの?」
幽香は針も休めずに尋ねた。
「メシも食ったし、おいとましますわ」
「じゃなくて……まあ、いいわ。目標が何であれ、その調子でやりなさい」
「妙なことを言うねえ」
「私はね、人に手入れされて、大した障害もなく真っすぐ育った花は嫌いなの」
「ほう」
「狭い隙間から芽を出して、あれこれ屈折しながらも見事に咲いて見せる花の方が好きよ」
幽香はくすくすと笑った。
とんがり帽を深く被り、魔理沙は呟いた。
「私は私さ。花の話は分からんぜ」
ほうきにまたがり飛び去った。
幽香は裁縫を続けた。
裁縫を終えて、窓から景色を眺めると、すでに日が傾いていた。
がたり、と幽香は椅子を立った。
「私はこんなふうに、花の近くで静かに暮らしているのが好きなのに……」
いそいそと着替え、日傘を手にして外へ出た。
(一方で、死んでも戦いに明け暮れたい私がいる)
赤い空に、夕陽を背にした巫女がひときわ紅く浮かんでいた。
ぽつりと、
「だって、血がたぎるのよ」
呟くと、ふわりと飛び立ち、弾幕の中へ身を投じていった。
私もこのようなゆうかりんを書きたいものです。
○東風谷
私は嫌いじゃないです。諸手を挙げて絶賛もし辛いですが・・・。
ありがとう
応援しております
しかし、風を嘯き月を弄ぶゆうかりんはまさしく妖怪らしいのぅ