あるうららかな春の日。
マヨイガの庭で洗濯物を干していた藍を呼ぶ声があった。
「らんさまー!教えてくださーい」
「はーい」
洗濯物をパンパンと伸ばしながら、藍は大きな声で返事をする。
橙は今日も何か不思議なことを見つけたらしい。
さてさて、今日はなんだろうか。
居間に入ると橙がちゃぶ台の上で本を広げていた。
ずいぶん縦長で灰色の背表紙をした本だ。表紙には月に女性の顔が映りこんでいる絵が印刷されている。
藍には見た覚えが無かったので、おそらく外の本だろうと当たりをつけた。
「藍さま。この『タンスターフル』ってなんですか?」
「タンスターフル?どれどれ」
橙が指差す部分をざっと斜め読みして、藍はすぐに答えた。
「そうだね、『ただの昼飯は無い』って言葉らしいね。
私達の言葉でいうなら、働かざるもの食うべからずってとこかな」
「えーと、それはわかるんですけど……」
藍に意見するのが恐れ多いのか、もじもじと目を伏せて橙は言った。
「ご飯って、働かないと食べれないんですか?」
藍は意表を突かれて、しばし凍りついてしまった。
その間にも橙は続ける。
「この本に出てくる人たちは、食べるために仕事をするって言ってますけど、
私が藍さまにお仕えしてるのはご飯食べるためじゃなくて、そうしたいからです。
他の妖怪だって、ご飯を食べるためにずーっと仕事をしている奴なんて私知りません。
だからこの本で言ってることが分からなくって。
ご飯を食べるのって、こんなにずーっとずーっと働かないといけなかったんですか?」
その言葉を聞きながら、藍は必死で頭をめぐらせていた。
幻想郷に来る前には九尾の狐として名を馳せていた藍だ。
食うに食えず、死んできた人間も多く見てきたし、そのために反乱を起こし、討伐された者達も良く知っていた。
しかし、同時に橙に説明するのはかなり困難だと言うことにも気づいていた。
幻想郷は豊かな土地だ。畑を作れば大豊作、魚を釣れば大漁。
山に入れば山菜に恵まれ、冬になっても作物が取れなくなることは無い。
だから人間達もどこかのんびりしているし、食うに困った人間がいれば助けてやれる。
藍の知っている外の世界とは、明らかに違うのだ。
そう、幻想郷には富に余裕が あ り す ぎ る。
そこまで考えたところで、藍は背後に強烈な気配を感じた。
「面白いことをやっているのねえ」
そこには、いつのまにか、スキマに腰をかけた紫がいた。
扇子で口もとを隠し、目元をニヤニヤさせたいつもの格好だ。
「橙、その本はどこから持ってきたの?」
「神社で黒白な人間から貸してもらいました!」
「そう、魔理沙はそんな本も読んでいるのね」
紫がスッと虚空に手を伸ばしたと思った刹那、その手には件の本が握られていた。
「これはちょっと橙には難しいわ。タンスターフルの意味はもっと大人になってから教えてあげる。
今の橙だったら、こっちのほうがオススメね」
紫はそう言って、スキマから別の本を取り出した。
こちらは青い背表紙の本だ。
「あっ、猫!紫さま、猫が主人公なんですか?」
「残念ながら、主人公じゃないけど。重要な役割を果たすわよ。
これは橙にあげるから、読んだら感想を聞かせて頂戴」
「紫さま、ありがとうございます!」
礼を言うと、橙はすぐに出て行ってしまった。猫屋敷の猫たちにでも自慢しに行くのだろう。
藍が橙を見送っていると、紫が硬い声で藍を呼んだ。
「藍」
「はい、紫様」
「もう、あなたは気づいているでしょう」
「はい、この幻想郷は明らかにおかしい。
誰もがのんきで、飢えるものも無く、みな遊び暮らしています。
そう、あまりに豊か過ぎるのです。
私の知っている外の世界では飢えや貧困、戦争や圧政で苦しむ人間がいくらでもいました。
どうしてこの幻想郷だけがこれほどまでに恵まれているのですか?」
「私はね、藍。この幻想郷のすべてを我が子のように思っているの。
我が子には飢えて欲しくないし、不自由な思いもさせたくない
楽しく、のびのびと暮らして欲しいと思っているわ。」
「それはわかります。ですが、その方法は……」
「私はね、こう思っているの」
紫はやさしく微笑んでこう言った。
我が子さえ守れるなら、私は他のどんなものも犠牲にする覚悟を持っているのよ、と。
氏にしては、珍しく淡々としたお話だったと思います。いつもの氏の作品と思ってクリックして、読み進めて、ぞっとしました。藍の疑問と紫の想い。そして氏の普段の作風とのギャップ。全てが噛み合わさって、何とも言えない不気味さが漂う作品となっていました。
ひどく興味深く、考えさせられる作品だったと思います。ありがとうございました。
作者が好きになった。
別作品でも出てたのかなぁ
ですが、幻想郷を国と例えるならばゆかりんはこれ以上無く良い政治家?なんでしょうね。
好きな場所を守る為に他を犠牲にする。決して耳障りの良い言葉ではありませんが…。
自分で書いてて傲慢だなあと思いつつも上記が本音な辺り苦笑いしか浮かびません
・準主役キャラ
・背表紙が青
あの漫画に猫なんて居ましたっけ?w
わかった、みーちゃんか!
暗いニュースが無くなれば良いのに・・・
普通に読んでも面白かったですが、背景わかった方が楽しめそうなので素直に出直します。