一日の雑用なんやかやを終えて部屋に戻り、今は懐かしい月を見上げてお酒を一杯流し込んで、さてもうそろそろ寝ようかと寝巻に着替えて鏡で顔を点検してたらノックの音がして、扉を開くとそこに姫様が立っていた。地味だけれども趣味の良い色合いの夜着姿で、枕を胸元に抱えた姫様は、いつものようにもったりとした両の袖で口元を隠していた。瞳には謎めいた微笑の色合いが浮かんでいる。
「こんばんは」
姫様が目を閉じてにっこり笑った。
扉が開くと同時に、冬の冷たい空気が部屋になだれ込んできた。
「……こんばんは。どうしたんですか」
わたしはつとめて平静を保ちながら尋ねる。実際は眠気と疲労でいますぐにでもぶっ倒れそうなほどだったのだけど、姫様の手前ということもあってそんな粗相をするのは憚られたのだ。それにしてもこんな夜更けにいったい何の用だろう?
「永琳がね」
それだけぽつりというと、姫様は口元を隠していた袖を下ろした。ようやく見えた唇は、まるで不満を訴えるかのように小さく尖って自己主張。
「お師匠様が、どうしたんですか?」わたしは首を傾げる。
「一緒に寝てくれないのよ」
わたしの混濁していた意識が一瞬にして秩序を取り戻しうわついた脳がフルスピードで回転しはじめた。だからわたしが赤面したのはその摩擦熱のせいである。断じていやらしい妄想をしたわけではないのであしからず。
「いっ、一緒に、ですか」それでも声が上ずってしまった。
「いつもはなんだかんだで寝てくれるんだけどね、今日は駄目みたい。機嫌が悪そうだったわ。まったく誰のせいかしらね。というわけで貴女のところに来たの」
「は、はあ。それはつまりわたしが姫様と一緒に寝るということですか」
「他に何があるっていうのよ。というわけで今夜はよろしくね、イナバ」
あわわわわ、と動揺するわたしの横をこともなげに通り過ぎて、姫様はさっさと部屋の中へ入ってきてしまった
それにしてもお師匠様と姫様が一緒に眠っているというのは初耳だった。あの怜徹なお師匠様のこと、誰かに自分の寝顔を見せるのを許すというような甘い側面は持ち合わせていないものと決めつけていたが、どうやら永遠を共にすると決めた月のお姫様だけは別らしい。そのことが凄く新鮮で、お師匠様のことがなんだかより親しく感じられた。
「寒いわ。早く扉を閉めてこっちにいらっしゃい」
ちゃっかりと敷いてあった布団にもぐりこんで姫様はいう。強引なところが実に姫様らしい。でもこういうことをされても、このお方が相手なら仕方ないというか、不思議と許せるような気持ちになってしまうのが不思議だった。わたしは扉を閉めて、おずおずと布団のほうに近づいた。
「お、お邪魔します……」
「なにを言ってるの。ここは貴女の布団じゃない」
「はあ、そうですけど」
「なら遠慮しないで。寒いでしょう」
確かに今は年も明けたばかりの真冬の夜で、わたしの体はいまにもぶるぶるっと震えだしそうだった。布団の中に入ると、姫様の体温で少しだけ暖められた布の感触が心地よかった。
それにしてもずいぶん狭い。わたしは姫様に遠慮して、毛布の端から体が出るぎりぎりのところをキープすることにした。相手は自分の主である。これくらいの遠慮は当然のこと、だと思ったのだけれど……
「それじゃ眠れないんじゃないの? イナバ」
案の定姫様にそう突っ込まれてしまった。
「い、いえ、十分ですこれくらい大したことはありません」
不自然な早口になってしまう。ああ落ち着け自分。
「あら、そうかしら?」
姫様は不思議そうに首をかしげた。こちらに体を向けたまま横になって、やはり口元を両の袖で隠している。それが癖なのだ。豊かな黒髪は枕の上で無造作に押しつぶされていて、わたしはその髪をかきわけてきちんと整えたいような気分になったけれど、もちろんそんなことできやしなかった。
どんな時でも梳られるのを待っているような、見る者に触れたいと思わせざるを得ないような、美しい緑の黒髪だった。
「そうですそうです」
わたしは話題をそらそうとして別のことを考え始めた。
「あの、お師匠様とは、毎晩、そのう……」
「なあに? 言いたいことははっきり言いなさい」
「毎晩一緒に、寝てらっしゃるのですか?」
「あら」
姫様はなにがおかしいのか、また目を閉じてくすくすと笑った。
「永琳の体ってね、あったかいのよ」
「それは知ってま……本当ですか?」
「いま何をいいかけたのかしら」
「なんでもありません」
「でもね、ここはとびっきり冷たいの」
姫さまは片方の手で胸を抑える仕草をする。
「たまにだからいいのよ。永琳なんかと毎日一緒に寝たら、気がくるってしまうわ。機嫌のいい時、心がそんなに冷たくない時にお願いするの。そしたらね、たいていは断らないでくれるわ」
「うーん、でも今日はそんなに機嫌悪そうに見えませんでしたけど……」
わたしは今日のことを思い返す。格別普段と変わりがあるとは思えなかった。いつものようにわたしに指示を出して、カルテを見ながらぶつぶつ呟き、てゐの繰り出す悪戯に対して晴れやかに笑いながらおしおきの操神「オモイカネディバイス」をぶちかましていた。
「あら、そうなの」
姫様が少し驚いたように目を開いた。
「永琳たら、弟子の貴女に自分が不機嫌だって悟られたくなかったのね。可愛いわ」
そういって、姫様は再度ふわりと微笑んだ。一体何種類の微笑を身につけているのだろう。ちなみに今度のは、豊姫さまが自室の窓の前に生えている桃の木がたくさん実っていることを発見した時と同じ種類の微笑みだった。
「姫様は、お師匠様が不機嫌だって気づいていたのですか?」
「もちろんよ。でもね、ほとんどそれとはわからないほどだったから、もしかして私が一緒に寝てって頼んだら機嫌を直すんじゃないかな、って思って訊いてみたんだけどね、駄目だったみたい」
「むー、なにかあったんでしょうか……」
わたしは指を唇にあてて思案する。お師匠様は、姫様以上に気分の読みにくい人だ。だからわたしがそれに気付かなかったのも当然かもしれない。さて、姫様の言っていることが本当だとしたら、その原因はなんだろう?
「永琳が不機嫌な理由なんて、本人にしかわからないわ。私だってそういうことがわかったためしがないもの」
「うーん、でも気になります。それに、なんだか、その……」
「なに?」
「悔しい、というか。なんだかそんな気がします。うまく言えませんけど。姫様にはお師匠様のことに気付いてて、わたしが気付けないなんて」
姫様は目を丸くして、じっとわたしを見た。そのまましばらく何も言わなかった。どうしたんだろうとわたしはきょとんとして姫様を見返していた。するとなんと姫様は枕に顔を埋めてしまった。
「ひっ、姫様っ!?」
なんだか知らないけど泣かせてしまったやばいこのことがバレたらお師匠様にお仕置きの天文密葬法ボム無しの刑に処せられると汗だらだらになったけれど。
よくよく聞いてみたらこのお姫様、笑いをこらえているだけだったのである。
「あの……」
「ああもう、ああもう! 貴女たち二人は可愛らしくていけないわ!」
まだ笑いをもらしながら、姫様はようやく顔をあげてこちらを向いた。柔和な顔が少し赤味を帯びていて、ほっこりとした赤ん坊のような無邪気な表情だった。
「ねえイナバ、もっとこっちにいらっしゃい」
「へ?」
「命令よ。さあ早く」
わたしは毛布のエッジから離れて、おそるおそる即席の禁断の地、すなわち布団の中央、姫様の近くへとずりずりと体を滑らせた。
「ねえ、例えば貴女、今日のイナバ見ててどう思った?」
「えぇ? ……ああ、てゐのことですか?」
「そうそう」
「んー、特にどうとも。あ、でもいつもよりも機嫌良さそうでしたよ。それと夜にフラッとどこかへ出かけてました。お酒持って」
「何処にいったのかしら」
「そうですねぇ」
わたしは言うべきか、言わないべきか迷ったけれど、今の姫様はなんだか機嫌が好さそうだったので、もしかしたら言っても大丈夫かもしれない、と判断した。
「あの……もしかしたら妹紅のところに行ったのかもしれません」
「あら、どうして?」
姫様が不思議そうな顔をする。特に嫌そうには見えないので、わたしは続けることにした。
「最近あの二人、なんだか仲良さそうなんです。ちょくちょくてゐの方から押しかけて酒宴やってるみたいで」
「妹紅は嫌がらないのかしら。意外な組み合わせね」
「ええ、私も初めはそう思ったんですけど、てゐを探すついでに二人の会話盗み聞きしてたら、悪口言い合いながらもなんだかんだで波長は合っている感じでした。てゐってほら、兎の中でもとりわけ波長が短いんですよ。結構すぐ熱くなる。妹紅もそうでしょう。だから思い切り反発するか、それとも引き合うか、あるいはその両方かで、結構うまくやってるんじゃないかって思います。もしかしたら、今日のてゐの機嫌がよかったのも、妹紅のところに行こうと思ってたから、じゃ……」
姫様はにこにこしながらわたしの話に耳を傾けていた。わたしはなんだか知らぬ間に姫様の計略にはまってるんじゃないか、そんな気がしてむずがゆい気分になる。
「それであの、どうしててゐの話を……」
「私は、あのイナバが機嫌がいいなんて気付かなかったわ。それって、私よりも貴女のほうがあの悪戯兎と関係が深いってことよね」
姫様はそう言うと、顔を上げてわたしの長い耳に顔を近づけた。
「まったく妬ましいわね」
ちっともそんな風には思っていない顔で、姫様は悪戯っぽく笑ってわたしを見た。
わたしは姫様の言っていることの意味がよくわからなかったけれど、なんとなくおかしくなって、思わず笑いをこぼした。
「さあ、そろそろ寝ましょうか」
そう言うと、姫様はやにわにわたしの右腕に自分の両腕を回した。
「ひゃっ!?」
「どうしたの、変な声出して」
「ひっ姫様、その、それはっ」
「あら、永琳はこうしても文句一つ言わないわよ」
てゐが悪戯を成功させた時の表情で、姫様はにやりと笑い、そして目を閉じた。
「師匠が出来ることなんだから、弟子の貴女も出来るようにならなくちゃいけないわ」
「でもでも、そのっ、薄い、む」
「なにが、薄いのかしら」
「なんでもありません」
「さあ、おやすみなさい。明日も早いのでしょう。起きる時は私を起こさないように布団から出てね」
と無理難題を言って、すうっと息を吐きだした。それが首筋にあたって、わたしは色々と妙な妄想をせざるを得なかった。
すうすうと耳元でなる姫様の寝息と、いやが応にもわたしの腕に伝わってくる、とくんとくんと脈打つ心臓の小さな鼓動のせいで、どぎまぎしてその夜一日中眠れなかったのは言うまでもない。
この組み合わせに目覚めてしまいそうです。
ちくしょう可愛いじゃないか!
次回作は姫さまと鈴仙嬢がらぶらぶですね分かります(違)
姫さまが姫さましてて、鈴仙嬢が可愛くて狂喜乱舞(よきかな)狂喜乱舞(よきかな)。
姫さまは永遠亭の嫁(むこ)!です。
布団の中は別世界なんだなあ。
うどんげはペットらしく輝夜のお指でも甘噛みしてればいいと思います。
ありがとうございました!
これ以上は禁句だぜ!
ほのぼの永遠亭見てると
ほっこりしますねー
永琳と鈴仙の絡みが好きだけど、
姫様と鈴仙の絡みも好き