※物語の前半と後半で時間軸が大きく移ります、ご注意を。
夕日が湖を赤く照らす。
霧に覆われた湖、通称『霧の湖』も、この頃になれば霧は引き始める。
その湖のほとりにそびえ立つ、一軒の洋館。
建てられてからかなりの年月が建つようで、洋館はすっかり古さびていた。
かつては豪商の一家とその召使が暮らしていたが、今や住人は4人しか残っていない。
この屋敷の主であった伯爵の末娘と、彼女が作り出した3人の姉の偶像。
元は遥か西洋の地に建てられていたこの洋館は、彼女たちの手でこの地に流れ着いた。
それは今からちょうど3年前の今日、すなわち7月7日のこと。
あの頃はまだ、右も左も分からずに路頭に迷うこともあったが、
今ではすっかりこの摩訶不思議な郷の生活を楽しむことができるようになっていた。
そして、東洋の風習である7月7日のお祭り、七夕を楽しむ余裕も。
屋敷の庭。
「「「「せーの、よいしょッ」」」」
夕日が緋色に染める赤レンガの上に、大きな笹が運び込まれた。
青々とした笹も、夕日にそめられて不思議な赤をしている。
「ふう。ずいぶん大きな笹を持ってきたわね」
ルナサが汗をぬぐった。
「どう?私とレイラで取ってきたのよ!」
リリカがえへんと自慢した。レイラもどこか誇らしげだった。
「それじゃあ、立てましょうか。明るいうちにやらないと、見えなくなるわよ」
メルランが空を仰ぎながら言った。
「そうね。じゃあ、さっさとやりましょうか」
レイラはスコップを手に取り、地面に細い穴を掘り始めた。
ここに笹を差し込んで、倒れないように固定する。
「こんな感じでいいかしら」
「上等上等。あとは私たちでやるから、レイラは下がってなさい」
「うん、よろしくね」
ルナサは笹の根元あたりをつかんだ。メルランは中腹、リリカは先端。
先ほどは魔法を使わなかったが、今回はきちんと浮遊術を使う。
3人はポルターガイスト。重力には囚われない。
「よぅし、飛ぶわよぉ!」
一番魔力の強いメルランが笹の重心をつかんで飛び上がり、
合わせて、ルナサもリリカも一斉に笹を持って空に飛び上がった。
笹は3人と共に水平に浮かんだ。
「じゃあ、次は私の仕事ね」
続いて、リリカが先端をさらに高く浮かせた。水平だった笹が垂直になる。
「次、ルナサ姉さん。よろしくね」
「分かったわ。じゃあ、2人とも手を離して」
合図と一緒に、メルランもリリカも笹から手を離した。ルナサも浮遊術を打ち切った。
笹は、ルナサを連れて、重力にしたがって徐々に加速しながら落下を開始。
このじゃじゃ馬を、うまくレイラの掘った穴に差し込むのがルナサの役目。
下手をすれば猛スピードで地面と激突する危険度の高い仕事なので、長女たるルナサが担当。
「───────ッ!」
落下した笹は、うまく穴の中におさまり、勢いでさらに穴を深く掘り下げた。
「ふう、成功ね」
「ルナサ姉さん、大丈夫だった?」
地上でその様子の全てを見ていたレイラが駆け寄った。
「平気よ。激突する寸前にきちんと離脱して浮遊したもの」
当然のことをやってのけた、といった感じのルナサ。
遅れて、メルラン、リリカも降りてきた。
「おぉぉ、立てたらなかなか立派な笹じゃないの」
地上に降り立ったリリカが笹を見上げた。
「さあ、飾りつけよ。お日様が沈んじゃうわ」
メルランが言う通り、山の合間に赤い陽は顔をうずめつつあった。
最後に、倒れないように補強をして、4人は屋敷に戻った。
4人はまだ、この郷の文化については知らない部分も多い。
だから、里の住人たちが笹に吊り下げるあの紙のヒラヒラはどうやって作るか、未だ分かっていない。
仕方がないので、はじめて七夕をした去年は、せめて短冊だけでも吊るすことにした。
あまり状況の変わっていない今年も、去年と同じ方針が取られることに。
「そうねぇ、何がいいかしら」
インク壺と羽ペンを各自持ち、願い事を考える。
日は沈み、ろうそくの灯りだけが机をほのかに照らしている。
「リリカ、書けた?」
「まだ。メルラン姉さんは?」
「ううん、なかなかうまくまとまらないわ」
そうしてみんなで考えること10分。大体まとまって、各々それを短冊に記す。
「みんな、できたわね。吊るしに行くわよ」
ルナサが先導として席を立った。
「そうね。もう星が綺麗に出てるかもね」
レイラはろうそくの火を消し、部屋は瞬時に夜の一部に溶け込んでしまった。
暗くても、大体何がどこにあるかは記憶に染みついているので、惑うことはなかった。
外に出ると、南の空に歪んだ灰色の雲が見えた。
「あ、雲」
リリカが雲を指さした。
「本当ね。大丈夫かしら」
ルナサが心配そうに見上げたが、
「大丈夫よ、きっと。それより、さっさと吊るしちゃいましょうよ」
と、メルランはあまり気にしていない様子。
「そうね。きっと晴れるよ。昼間もあんなに天気がよかったんだし」
レイラがまだ晴れている大部分の空を囲んで指差した。
そういうことなら、と、リリカは一気に笹の先端までひとっ飛び。
「じゃあ、さっそく結んでいくわね。私が一番高いところ」
「あー、リリカ、ずるいわ。自分だけ抜け駆けして」
「へへ~ん」
指先から魔法の灯りを出して、リリカは手元を照らしながら紐を笹の枝に結んだ。
続いてメルランも、まんなか辺りに短冊をくくりつけた。
「レイラはどうするの?高いところがいいなら連れて行ってあげるけど」
「ううん、いいよ。私は自分の手の届くところに結びたいから」
結果として、ルナサとレイラはかなり下の方に結んだ。
先に結び終えていた2人も降りてきた。
「さてと、これで終わりね」
「ルナサ姉さんはどんなこと書いたの?」
好奇心を前面に押し出してリリカが訪ねた。
「『家内安全』」
「うわぁ、地味。ルナサ姉さんらしい」
「そういうリリカはなんて書いたのよ」
「えへへ。『身長、もう少し欲しい』なぁんてね」
それを聞いて、メルランがクスッと笑った。
「あ、笑ったわね!だって、だって私、レイラよりも小さいのよ!」
「ごめんなさい、つい笑っちゃったわ」
「そう言うメルラン姉さんはなんて書いたのさ」
「『色んな友達がほしい』、かしら。この郷には人間もそれ以外も愉快な人たちがたくさんいるし」
「ふーん……あ、レイラはなんて書いたの?」
「私は……言わなくちゃダメ?」
「ダメ。気になるじゃない」
「私はね、『また、この屋敷にみんなで暮らしたい』って」
レイラは自分の書いた短冊を手にとって、続けた。
「姉さんたちとは再会できたけど、お父様もお母様ともまた会ってみたい。
あと、私たちの家庭教師をしてくれたジョン先生とか、庭師のフランクおじさん、
いつもお掃除をしてくれていたカーリーさんやメアリーさん、執事のクリフさん、それに…………」
指を折ってレイラはいくつか数えて、
「挙げたらきりがないね」
と、子供っぽく笑って見せた。
「そうね。私たちはきっと同じ夜空を見ているわ。
“同じ空の下にいればいつかは会える”、私が好きだった本には、そんな一節が書いてあったわ」
ルナサは空を見上げた。それに協調した他の3人も、同じく空を見上げた。
ところが、その空にはあの灰色の雲が意地悪く空を覆ってしまっていた。
広大な天の川は、ほとんど雲に隠れてしまい、その隙間から小さな星がちらりと見えては消えた。
「無遠慮な雲ね。人がせっかく気持ちよく過ごしてるのに」
リリカが頬をふくらませて怒った。
「でも、明日になれば晴れるよ。明日が駄目でも、いつかきっと、晴れる日が来るよ」
レイラはそんな雲にも微笑んでいた。
でも、夜空を見上げたその頬に、ひとすじの滴がつたって落ちた。
家族のことを思い出すと、やはりつらいものがあった。
「レイラ?」
「ううん、なんでもない。さあ、もう寝る準備しなくちゃね」
レイラはそっと目もとを拭いた。
「あら、一晩くらいは夜更かししたっていいじゃない。お父様だって多めに見てくれるわよ」
メルランが、手を握ってレイラを止めた。
「姉さんもリリカもそう思うでしょう?」
「もちろん。私は夜更かしの常習犯よ」
リリカは誇らしげに返事をした。
「そうね。夜は危険なんだけど、たまにはいいかもね」
ルナサも同意した。
「姉さんたち、何かするつもり?」
レイラが尋ねると、
「妹に夢も見せられないポルターガイストなんて、ちゃんちゃらおかしいわ。
今夜は私たちが夢を見せてあげる。姉さんもリリカもそれでいいでしょ?」
「「勿論」!」
「よーし、じゃあ行くわよ!」
先にルナサとリリカが夜空に飛び立った。
それと同時に、メルランの手が柔らかく光り、その光はレイラの身を包んだ。
途端に、レイラの足から地面の感覚が消え去った。
「う、浮いてる? これ、メルラン姉さんが?」
「浮遊術ならお手の物よ。さあ、飛ぶわよ、あの雲の向こうまで!」
続いてメルランとレイラも、先に行った2人の後を追って飛び立った。
夜空に星とは違う灯りが2つ見える。ルナサとリリカの照明魔法だった。
飛ぶことが初体験のレイラは、メルランの手を離さないようにしっかりつかんで。
「すごい!人里の灯りがあんな小さく見える!」
レイラが驚きの声をあげた。何もかもが初体験、そう、3年前の今日のように。
「スピードあげるわよ!朝になっちゃう!」
リリカが速度をあげ、4人の先頭に出た。
「まったくもう、リリカったら、私たちのことも考えてほしいわ」
と言いながら、メルランもスピードをあげる。つまり、レイラも。
白濁した雲は4人との距離をだんだんと詰めていく。
「もうすぐ雲よ。視界が悪くなるから、あまり離れないようにね」
ルナサが後ろを振り返って、メルランとレイラに言った。
「了解。レイラ、絶対に手を離さないでね」
「う、うん」
そして、4人は雲に突入した。
つめたい水の粒が顔や体に次々とぶつかる。
前を飛んでいたはずのルナサやリリカ、先ほどまで見えていた照明魔法すら見えない。
何も見えない不安と恐怖。少しだけ握る手に力が入る。
「大丈夫」
メルランが、その力を感じ取って、レイラの心情を読み取ったのだろう、返事をした。
「どんなに曇っていてもいつかは晴れる、あなたの口癖じゃないの」
メルランの言葉に、レイラは小さく頷いた。緊張で強張っていた頬がゆっくりとほぐれていった。
「そうそう。怖くなんかない。ただほんの少しつらいだけ」
「ありがとう、元気、出た気がする」
「そう言ってくれると嬉しいわ。さあ、夢はこれからよ!」
勢いに乗って、メルランはさらに加速した。
「姉さぁん、レイラぁ、外は近いわよ!」
前の雲から、リリカのはしゃぎ声が届いた。
雲も薄らいで、再び視界に舞い込む夜空。白の向こうで再び輝きだした空の川。
そして、メルランとレイラは雲を突き抜けた。
辺り一面、上は夜空、下は雲。
「ほら、晴れた。雲の上はいつでもきらきら夜空よ」
メルランが言う通り、曇天を下に置き、上には七夕にふさわしい晴天の夜。
「すごい、まるで海の上にいるみたい」
レイラは遠く遠く、自分の目が見られる限りの遠くを眺めて呟いた。
星の光を受けてうっすら光る雲と、透き通るような黒い空。
その境界線は水平線のように彼女たちの周りをぐるりと走っていた。
メルランがレイラの手を離したが、それでも、レイラは雲の中に落ちることなく、ふわりふわりと浮かんでいた。
「無事、着いたようね」
遅れてルナサが雲から飛び出した。
「どう、レイラ? こんな高いところに来た人間はきっとレイラがはじめてよ」
先に着いていたリリカも、少し高いところから降りてきた。
「姉さんたちはここに来たことあるの?」
「まあね。おつかいに行ったリリカが帰ってこないと思ったら、この辺で遊んでたのよ」
ルナサが軽く睨んで見せたが、当のリリカはまったく悪びれた様子はない。
「いいじゃない。とにかく、今夜は雲ひとつない絶好の七夕よ!」
と誤魔化しをいれるリリカを見て、まったくもう、とルナサは腕を組み、メルランとレイラはくすりと笑った。
「あ、あれ見て」
メルランが夜空の星の1つを指差した。輝く無数の星の中でも、赤く光っていたのはそれだけだった。
「あの星、なんて言うのかしら。火星かしらねぇ」
「違うよ、あれはリリカ星って言うのよ。私が今決めた」
「あら、なんだか面白そうね」
続いてメルランは、そのリリカ星の隣の、白く輝く一等星を指差して言った。
「じゃあ、あれがメルラン星ね」
「あ~、一番光ってるの取られた。姉さんずるい」
「あらあら、リリカだって笹のてっぺんに短冊結んだじゃない。おあいこよ」
一番目立つ星を取られて、リリカは不機嫌そうに頬をふくまらせた。
「そうねぇ、じゃあ私はあの星かしら」
ルナサが指さしたのは、前のふたつに比べたらあまりに地味で小さな星。
「あれがルナサ星ね」
「姉さんの星、暗いわね。どこにあるかパッと見て分からないわ」
レイラが空を仰いだ。確かに、それは地面に落とした小さな種を探すような作業だ。
「これでいいのよ。私はそんな派手なのは好きじゃないし、それに、ね」
意味深な台詞を残し、ルナサは微笑んだ。
確かに昔からそんな派手なものを好む人ではないとは分かっていたが………
「ああッ!分かった!」
レイラが夜空を指差した。
正確には、ルナサ星、メルラン星、リリカ星の3つを。
3つの星を結ぶと、夜空に小さな正三角形ができることに気づいたのだ。
そして、その正三角形のまんなかに、小さくも力強く輝く星。
メルラン星に比べればちょっと暗いし、リリカ星みたいに色もついていないけれど、どことなく、力強さを感じる。
「なるほどねぇ。ルナサ姉さん、考えたじゃない」
リリカが腕を組んで感心しながら正三角形を指でなぞった。
「じゃあ、あれがレイラ星ね。ありがとう、ルナサ姉さん」
レイラは三角形の真ん中の星をそっと包むように手を伸ばした。
「いいのよ、私に主役は似合わないわ」
どこか照れくさそうにルナサは明後日の方を向いた。
「お父様やお母様も見てるかしら。プリズムリバー星団」
メルランが遠い目で星空を見つめた。星よりもっと遠いところを見ているようだった。
「見ているよ、きっと。同じ空の下にいるんだもの」
レイラも、その“遠いところ”に目を配った。続くように、ルナサやリリカも。
「ねえ、姉さん。私、七夕のお話を郷の人から教えてもらったことがあるの。
恋をしている牛飼いとお姫様がいて、2人は天の川の両岸にいるから普段は会えないんだけど、
1年に1度、川を渡ることが許されて、2人は橋を渡って再会することができるらしいの。
それで、それを祝って2人がみんなのお願い事を叶えてくれるんだって」
レイラの話に、3人は耳を傾けていた。
「さっきのルナサ姉さんの話のあと、雲が出てきたときはどうしようかと思った。
けれど、私、姉さんたちのおかげで飛べた。それに、雲の川も渡れた。
きっとお父様やお母様、それにみんなが見ている空と同じ空を見ることができた。
それで、またみんなと一緒にいるような気持ちになれた」
次の言葉が見つからず、レイラは唇を閉じた。
ルナサもメルランもリリカも、言葉が見つからないのは同じだった。
「姉さんたちがかけてくれた橋のおかげで、お願い事、叶った気がするわ」
「ありがとう」
帰り道。
七夕も終わり、4人は再び地上に降り始めた。
「レイラは?」
「夜も遅いから、もう寝ちゃったわ」
ルナサの背中の負ぶさって、すやすやとレイラは眠っていた。
「いい夢見てるといいわね」
「きっとすごくいい夢見てるわよ」
明日になれば、またいつもの日々が戻ってくる。
3人の姉は、いつまでも素晴らしいこの地で楽しい生活が続くことを、そっと星団に願った。
いつかはこの楽しい日々の中に、かつての家族が加わることも。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
けれど月日は流れ去り、何もかもが姿かたちを変えていく。
長い長い月日の中で、姉妹は森羅万象が変わる様を見続けた。
そして、それを見続けた彼女たちもまた、変わっていった。
気がつけば、またあの日がやってくる。
あれから400年の月日が経とうとしていたのに。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
夕日が湖を赤く照らす。
霧に覆われた湖、通称『霧の湖』も、この頃になれば霧は引き始める。
その湖のほとりにそびえ立つ、一軒の洋館。
建てられてからあまりにも長い年月が建つようで、洋館はすっかり廃れてしまっていた。
かつては豪商の一家とその召使が暮らしていたが、今や住人は3人しか残っていない。
この屋敷の主であった伯爵の末娘が作り出した3人の姉の偶像。
元は遥か西洋の地に建てられていたこの洋館は、彼女たちの手でこの地に流れ着いた。
それは今からちょうど403年前の今日、すなわち7月7日のこと。
あの頃はまだ、右も左も分からずに路頭に迷うこともあったが、
今ではすっかりこの摩訶不思議な郷で、忙しくもゆるやかな日々を送っていた。
毎年この時期はあちこちにお呼ばれされていたが、今年は休暇を得られて一休み。
屋敷の庭。
「「「せーの、よいしょッ」」」
夕日が緋色に染める赤レンガの上に、大きな笹が運び込まれた。
青々とした笹も、夕日にそめられて不思議な赤をしている。
「ふう。今年も立派な笹が手に入ったのね」
ルナサが汗をぬぐった。
「竹林の奥にはたくさんあるからね。うじゃうじゃあってこっちが迷っちゃう」
リリカが笹の中央をコンコンと叩いた。
「それじゃあ、立てましょうか。明るいうちにやらないと、見えなくなるわよ」
メルランが空を仰ぎながら言った。
庭には小さくも細い穴がある。毎年毎年、まったく同じ場所を使っていた。
ここに笹を差し込んで、倒れないように固定する。毎年のことだ。ただ、例年よりも今年は時間がある。
「さあ、今年もやるわよ」
ルナサは笹の根元あたりをつかんだ。メルランは中腹、リリカは先端。
先ほどは魔法を使わなかったが、今回はきちんと浮遊術を使う。
3人は未だポルターガイスト。重力には囚われない。
「よぅし、飛ぶわよぉ!」
一番魔力の強いメルランが笹の重心をつかんで飛び上がり、
合わせて、ルナサもリリカも一斉に笹を持って空に飛び上がった。
笹は3人と共に水平に浮かんだ。
「じゃあ、次は私の仕事ね」
続いて、リリカが先端をさらに高く浮かせた。水平だった笹が垂直になる。
「次、ルナサ姉さん。よろしくね」
「分かったわ。じゃあ、2人とも手を離して」
合図と一緒に、メルランもリリカも笹から手を離した。ルナサも浮遊術を打ち切った。
笹は、ルナサを連れて、重力にしたがって徐々に加速しながら落下を開始。
このじゃじゃ馬を、うまく庭の小さな穴に差し込むのがルナサの役目。
下手をすれば猛スピードで地面と激突する危険度の高い仕事なので、長女たるルナサが担当。
「─────ッ!」
落下した笹は、うまく穴の中におさまり、勢いでさらに穴を深く掘り下げた。
「ふう、成功ね」
「ルナサ姉さん、大丈夫だった?」
メルランとリリカが降りてきた。
「平気よ。激突する寸前にきちんと離脱して浮遊したもの」
当然のことをやってのけた、といった感じのルナサ。
「おぉぉ、立てたらなかなかいつも通りの笹じゃないの」
地上に降り立ったリリカが笹を見上げた。
「さあ、飾りつけよ。お日様が沈んじゃうわ」
メルランが言う通り、山の合間に赤い陽は顔をうずめつつあった。
最後に、倒れないように補強をして、3人は屋敷に戻った。
3人はまだ、今やこの郷の新しい文化の担い手として活躍している。
昔は分からなかった東洋固有の文化も、今では子供たちに教えられるくらいになった。
色紙をハサミで切ったり、折って形を作ったり。余った分は子供たちにあげるのだ。
去年は光る折り紙が大好評だったので今年も量産し、そしていよいよ自分たちの短冊を作る過程へ。
「そうねぇ、何がいいかしら」
インク壺と羽ペンを各自持ち、願い事を考える。
日は沈み、ろうそくの灯りだけが机をほのかに照らしている。
「リリカ、書けた?」
「まだ。メルラン姉さんは?」
「ううん、なかなかうまくまとまらないわ」
そうしてみんなで考えること12分。大体まとまって、各々それを短冊に記す。
「みんな、できたわね。吊るしに行くわよ」
ルナサが先導として席を立ち、ろうそくの火を消した。
暗くても、大体何がどこにあるかは記憶に鮮烈に染みついているので、惑うことはなかった。
外に出ると、南の空に歪んだ灰色の雲が見えた。
「あ、雲」
リリカが雲を指さした。
「本当ね。大丈夫かしら」
ルナサが心配そうに見上げたが、
「大丈夫よ、きっと。それより、さっさと吊るしちゃいましょうよ」
と、メルランはあまり気にしていない様子。
そういうことなら、と、リリカは一気に笹の先端までひとっ飛び。
「じゃあ、さっそく結んでいくわね。私はやっぱり、一番高いところ」
「あー、リリカ、ずるいわ。今年こそはと思っていたのに」
「へへ~ん、ここは私の場所よ」
指先から魔法の灯りを出して、リリカは手元を照らしながら紐を笹の枝に結んだ。
続いてメルランも、まんなか辺りに短冊をくくりつけた。
ルナサはやっぱり下の方に結んだ。先に結び終えていた2人も降りてきた。
「さてと、これで終わりね」
「ルナサ姉さんはどんなこと書いたの?」
好奇心を前面に押し出してリリカが訪ねた。
「『健康第一』」
「うわぁ、地味。ルナサ姉さんらしい」
「そういうリリカはなんて書いたのよ」
「まあ、いつも通り『あとせめて2センチ』なぁんてね」
それを聞いて、メルランがクスッと笑った。
「あ、笑ったわね!だって、だって私、ライブのとき楽器に隠れちゃうのよ!」
「ごめんなさい、あなた、ちっとも伸びないんだもの」
「そう言うメルラン姉さんはなんて書いたのさ」
「『次のソロライブの成功』、かしら。この前の無縁ライブはもうちょっと盛り上がってもよかったわ」
「ふーん……あ、姉さんたち、あれ結ばなくちゃ」
「そうね。はい、みんなで結ぶわよ」
3人は1枚の短冊を手の届くところに結びつけた。
すっかり古びた紙に、かすれた文字で書かれた『また、この屋敷にみんなで暮らしたい』の文字。
「なつかしいわ。もう何年になるのかも覚えてないけど、あの年の七夕は昨日のことみたいね」
メルランがその短冊を手に取って言った。
「もう何百年にもなるのよね。全然自覚が湧かないわ」
と、リリカは笑って見せた。
「そうね。“同じ空の下にいればいつかは会える”、なんてあの頃は言ったけど、
もう長い月日、私たちは会ってないのよね」
ルナサは空を見上げた。それに協調した他の2人も、同じく空を見上げた。
ところが、その空にはあの灰色の雲が意地悪く空を覆ってしまっていた。
広大な天の川は、ほとんど雲に隠れてしまい、その隙間から小さな星がちらりと見えては消えた。
「無遠慮な雲ね。まるであの日の雲みたい」
リリカが頬をふくらませて怒った。
「“明日になれば晴れるよ、明日が駄目でも、いつかきっと”、レイラの口癖だったわ」
メルランはそんな雲にあの日を重ねて微笑んでいた。
「それならいっそ、レイラに会いに行かない?今日は七夕よ」
ルナサが曇天の合間に見えるわずかな夜空を指して言った。
「あら、今晩も夜更かし? もう何日夜更かしかしら」
「夜更かしの常習犯は私の専売特許だったんだけどなぁ」
リリカはつまらなさげに返した。
「本当ね。レイラに会ったら呆れられちゃうかも」
ルナサは苦笑した。
「ま、何はともあれ、まずは橋をかけに行きましょうか!」
メルランが声高に叫ぶ。
「「了解」!」
「よーし、じゃあ行くわよ!」
先にルナサとリリカが夜空に飛び立った。
続いてメルランも、先に行った2人の後を追って飛び立った。
夜空に星とは違う灯りが2つ見える。ルナサとリリカの照明魔法だった。
「すごいわ、本当にあの日みたい!」
メルランが歓喜の声をあげた。何もかもが蘇る、そう、400年前のことが今日のように。
「スピードあげるわよ!朝になっちゃう!」
リリカが速度をあげ、3人の先頭に出た。
「まったくもう、リリカったら。夜はまだまだ長いじゃないの」
と言いながら、ルナサとメルランもスピードをあげる。
白濁した雲は3人との距離をだんだんと詰めていく。
「もうすぐ雲よ。視界が悪くなるから、あまり離れないようにね」
ルナサが後ろを振り返って、メルランに言った。
「それはリリカに行ってあげて。リリカったら、もう雲の中に入っちゃったわ」
「しょうがないわねぇ」
そして、3人は雲に突入した。
つめたい水の粒が顔や体に次々とぶつかる。
慣れてしまえば心地よい。まるで海を泳いでいるみたい。
「不思議」
メルランが、片方の手をそっと握った。
「なんだか、誰かが私の手を握っているような感じがするの」
「本当?ますます、“らしく”なってきたじゃない」
「もう、待ちきれないわ!」
勢いに乗って、メルランはさらに加速した。
「姉さぁん、外は近いわよ!」
前の雲から、リリカのはしゃぎ声が届いた。
雲も薄らいで、再び視界に舞い込む夜空。白の向こうで再び輝きだした空の川。
そして、3人は雲を突き抜けた。
辺り一面、上は夜空、下は雲。
「おぉ、この光景、あの日と何も変わってないわ」
メルランが言う通り、曇天を下に置き、上には七夕にふさわしい晴天の夜。
星の光を受けてうっすら光る雲と、透き通るような黒い空。
その境界線は水平線のように彼女たちの周りをぐるりと走っていた。
「本当ね。何もかも変わっていったけど、ここは何も変わらないのね」
ルナサが辺りを見渡して、その変化の無さに驚いていた。
「最初にここに来たのはリリカだったかしら」
「おつかいに行ったリリカが帰ってこないと思ったら、この辺で遊んでたのよね」
ルナサが軽く睨んで見せたが、当のリリカはいや全くなつかしいねぇ、と他人事。
「いいじゃない。とにかく、今夜の空も、あの日の空と何も変わっていないわ」
と誤魔化しをいれるリリカを見て、まったくもう、とルナサは腕を組み、メルランはくすりと笑った。
「あ、あれ見て」
メルランが夜空の星の1つを指差した。輝く無数の星の中でも、赤く光っていたのはそれだけだった。
「あの星、たしかリリカ星じゃなかったかしら」
「あ、そうだ、思い出した。あれから一度も見てなかったのよね、リリカ星」
続いてメルランは、そのリリカ星の隣の、白く輝く一等星を指差して言った。
「じゃあ、あれがメルラン星だったわね」
「昔に比べて、なんか光が落ちてない?」
「そ、そんなことないわよ。やっぱり一番目立ってるわ」
やっぱりメルラン星は白く輝いていたが、リリカにあんなことを言われるとどこか暗く感じてしまう。
「えーと、私の星はどこだったかしら。あ、あれね」
ルナサが指さしたのは、相変わらず前のふたつに比べたらあまりに地味で小さな星。
「久しぶり、ルナサ星」
「姉さんの星、相変わらず暗いわね。どこにあるかパッと見て分からなかったわ」
リリカが空を仰いだ。確かに、それは何かが変わっていても分からないほど地味だった。
「あら、私が派手好きでないのは今も昔も変わらないわ。それに、忘れたの?」
「まさかね。忘れるわけないじゃない」
メルランとリリカは同時に夜空の、あの3角形を指差した。
3つの星を結ぶと、正三角形ができる。長い年月を耐え、何も変わっていない。
そして、その正三角形のまんなかに、小さくも力強く輝く星。
相変わらず、小さくも力強さを感じる。
「相変わらず元気そうね、レイラ星」
リリカは正三角形を指でなぞってから、レイラ星を押し指した。
「今考えてみれば、随分幼稚な発想だった気がするわね」
どこか決まり悪そうにルナサは明後日の方を向いた。
「ねえ、姉さん。レイラ、今頃どこで何をしてるのかしらね」
メルランが遠い目で星空を見つめた。星よりもっと遠いところを見ているようだった。
「そうね。今頃きっと、川の向こうでこの空を見ていると思うわ」
ルナサも、その“遠いところ”に目を配った。それに付き添うように、リリカも。
「その川って、もしかしてあの天の川のことだったりして」
「あら、素敵じゃない?もしかしたら、この星の川の向こう側で、もう片方の私たちや他のみんなと、七夕を楽しんでいるかもね」
沈黙。誰も次の言葉が見つからない。
決して言葉を交わさず、それでも3人の考えていたことは全く同じであった。
「姉さん。私たちにはカササギは来てくれないのかなぁ」
天の川をなぞりながら、リリカがぽそりと呟いた。
「私たちは織姫や彦星の何百倍も川岸で待ってるのに、誰も橋をかけてくれないんだもの」
いつも陽気で狡猾な性格が顔に表れるリリカが、彼女らしくもなく随分と寂しそうな目をしていた。
「もう、会える日は来ないのかな………」
「きっと会える日は来るわよ。あの子の大好きな言葉だったじゃないの」
リリカの不安を包み込むように、メルランは暖かい口調で言った。
「それに、ほら」
メルランは夜空のてっぺんを指差した。
「この夜空は、あの日、私たちが過ごした夜から何も変わっていないわ」
「ええ、本当に、少しも変わってないのね」
ルナサも、メルランの指先が指す方をじっと見つめた。
「レイラが最期を迎えた日、私たちは何をする気にもなれなかったのを覚えてるわ。
まるで、世界が止まって、時計が凍りついたみたいに、何もできなかった」
冷たくなった妹を、彼女たちは見送ることしかできなかった。
「でも、世界はこんなちっぽけな私たちのために足踏みをしてはくれなかった。
一度世界を投げ捨てた私たちも、結局は動く世界に巻き込まれ、もう1度動き出した」
棺で眠る妹を、彼女たちは家族に会いに行ったと信じることができるようになった。
「ちんどん屋を始めたのは、最初は寂しさを紛らわすためだったわね。
いつのまにか本業になって、レイラのことが記憶から霞む時もあるくらい忙しくなったけど。
時々、思い起こしては、私たちも変わってしまったと思えるようになったわ」
勿論、完全に忘れてしまうことはないが、常に亡き妹のことを考えている生活というのも、
実際はまったくもって不可能であって、無意識にレイラは彼女たちの意識から消えてしまう。
「色々なものが変わっていく、それは誰にも止められないこと。
けれど、実際には全然変わらないものもあるのよね。たまに思い出すわ」
星の瞬く夜空を、あの日のフィルタと重ねてみても、何も違わない。
この広大な空は、変わりゆくちっぽけな世界なんか眼中になくて、いつ見ても広大であった。
「この夜空も、そして、400年前にこの夜空の下で過ごした私たちの記憶も、少しも変わってない」
ルナサは自分の全てを出しつくすように、最後の言葉まで言い終えた。
「ってことは、私たち、あの日の七夕と同じ夜空の下にいるってことでもいいのね」
すっかり元気づいたリリカが、いつもの明るい声で言った。
「なんだか今、リリカが何を考えているのか珍しく分かった気がするわ」
メルランが嬉しそうにくすりと笑った。
「奇遇ね、私もよ」
ルナサも2人に同調するように相槌を打った。
目があって、軽く頷いて合図して、それからまたその目を空にやった。
過去に4姉妹が見て、そして今3姉妹が見た、この雄大で同じ空に。
「またいつか会おうね、レイラ」
「だって私たち」
「同じ空の下にいるんだもの」
レイラ星の周辺から、一筋の流星が天の川を突っ切って夜に消えた。
夕日が湖を赤く照らす。
霧に覆われた湖、通称『霧の湖』も、この頃になれば霧は引き始める。
その湖のほとりにそびえ立つ、一軒の洋館。
建てられてからかなりの年月が建つようで、洋館はすっかり古さびていた。
かつては豪商の一家とその召使が暮らしていたが、今や住人は4人しか残っていない。
この屋敷の主であった伯爵の末娘と、彼女が作り出した3人の姉の偶像。
元は遥か西洋の地に建てられていたこの洋館は、彼女たちの手でこの地に流れ着いた。
それは今からちょうど3年前の今日、すなわち7月7日のこと。
あの頃はまだ、右も左も分からずに路頭に迷うこともあったが、
今ではすっかりこの摩訶不思議な郷の生活を楽しむことができるようになっていた。
そして、東洋の風習である7月7日のお祭り、七夕を楽しむ余裕も。
屋敷の庭。
「「「「せーの、よいしょッ」」」」
夕日が緋色に染める赤レンガの上に、大きな笹が運び込まれた。
青々とした笹も、夕日にそめられて不思議な赤をしている。
「ふう。ずいぶん大きな笹を持ってきたわね」
ルナサが汗をぬぐった。
「どう?私とレイラで取ってきたのよ!」
リリカがえへんと自慢した。レイラもどこか誇らしげだった。
「それじゃあ、立てましょうか。明るいうちにやらないと、見えなくなるわよ」
メルランが空を仰ぎながら言った。
「そうね。じゃあ、さっさとやりましょうか」
レイラはスコップを手に取り、地面に細い穴を掘り始めた。
ここに笹を差し込んで、倒れないように固定する。
「こんな感じでいいかしら」
「上等上等。あとは私たちでやるから、レイラは下がってなさい」
「うん、よろしくね」
ルナサは笹の根元あたりをつかんだ。メルランは中腹、リリカは先端。
先ほどは魔法を使わなかったが、今回はきちんと浮遊術を使う。
3人はポルターガイスト。重力には囚われない。
「よぅし、飛ぶわよぉ!」
一番魔力の強いメルランが笹の重心をつかんで飛び上がり、
合わせて、ルナサもリリカも一斉に笹を持って空に飛び上がった。
笹は3人と共に水平に浮かんだ。
「じゃあ、次は私の仕事ね」
続いて、リリカが先端をさらに高く浮かせた。水平だった笹が垂直になる。
「次、ルナサ姉さん。よろしくね」
「分かったわ。じゃあ、2人とも手を離して」
合図と一緒に、メルランもリリカも笹から手を離した。ルナサも浮遊術を打ち切った。
笹は、ルナサを連れて、重力にしたがって徐々に加速しながら落下を開始。
このじゃじゃ馬を、うまくレイラの掘った穴に差し込むのがルナサの役目。
下手をすれば猛スピードで地面と激突する危険度の高い仕事なので、長女たるルナサが担当。
「───────ッ!」
落下した笹は、うまく穴の中におさまり、勢いでさらに穴を深く掘り下げた。
「ふう、成功ね」
「ルナサ姉さん、大丈夫だった?」
地上でその様子の全てを見ていたレイラが駆け寄った。
「平気よ。激突する寸前にきちんと離脱して浮遊したもの」
当然のことをやってのけた、といった感じのルナサ。
遅れて、メルラン、リリカも降りてきた。
「おぉぉ、立てたらなかなか立派な笹じゃないの」
地上に降り立ったリリカが笹を見上げた。
「さあ、飾りつけよ。お日様が沈んじゃうわ」
メルランが言う通り、山の合間に赤い陽は顔をうずめつつあった。
最後に、倒れないように補強をして、4人は屋敷に戻った。
4人はまだ、この郷の文化については知らない部分も多い。
だから、里の住人たちが笹に吊り下げるあの紙のヒラヒラはどうやって作るか、未だ分かっていない。
仕方がないので、はじめて七夕をした去年は、せめて短冊だけでも吊るすことにした。
あまり状況の変わっていない今年も、去年と同じ方針が取られることに。
「そうねぇ、何がいいかしら」
インク壺と羽ペンを各自持ち、願い事を考える。
日は沈み、ろうそくの灯りだけが机をほのかに照らしている。
「リリカ、書けた?」
「まだ。メルラン姉さんは?」
「ううん、なかなかうまくまとまらないわ」
そうしてみんなで考えること10分。大体まとまって、各々それを短冊に記す。
「みんな、できたわね。吊るしに行くわよ」
ルナサが先導として席を立った。
「そうね。もう星が綺麗に出てるかもね」
レイラはろうそくの火を消し、部屋は瞬時に夜の一部に溶け込んでしまった。
暗くても、大体何がどこにあるかは記憶に染みついているので、惑うことはなかった。
外に出ると、南の空に歪んだ灰色の雲が見えた。
「あ、雲」
リリカが雲を指さした。
「本当ね。大丈夫かしら」
ルナサが心配そうに見上げたが、
「大丈夫よ、きっと。それより、さっさと吊るしちゃいましょうよ」
と、メルランはあまり気にしていない様子。
「そうね。きっと晴れるよ。昼間もあんなに天気がよかったんだし」
レイラがまだ晴れている大部分の空を囲んで指差した。
そういうことなら、と、リリカは一気に笹の先端までひとっ飛び。
「じゃあ、さっそく結んでいくわね。私が一番高いところ」
「あー、リリカ、ずるいわ。自分だけ抜け駆けして」
「へへ~ん」
指先から魔法の灯りを出して、リリカは手元を照らしながら紐を笹の枝に結んだ。
続いてメルランも、まんなか辺りに短冊をくくりつけた。
「レイラはどうするの?高いところがいいなら連れて行ってあげるけど」
「ううん、いいよ。私は自分の手の届くところに結びたいから」
結果として、ルナサとレイラはかなり下の方に結んだ。
先に結び終えていた2人も降りてきた。
「さてと、これで終わりね」
「ルナサ姉さんはどんなこと書いたの?」
好奇心を前面に押し出してリリカが訪ねた。
「『家内安全』」
「うわぁ、地味。ルナサ姉さんらしい」
「そういうリリカはなんて書いたのよ」
「えへへ。『身長、もう少し欲しい』なぁんてね」
それを聞いて、メルランがクスッと笑った。
「あ、笑ったわね!だって、だって私、レイラよりも小さいのよ!」
「ごめんなさい、つい笑っちゃったわ」
「そう言うメルラン姉さんはなんて書いたのさ」
「『色んな友達がほしい』、かしら。この郷には人間もそれ以外も愉快な人たちがたくさんいるし」
「ふーん……あ、レイラはなんて書いたの?」
「私は……言わなくちゃダメ?」
「ダメ。気になるじゃない」
「私はね、『また、この屋敷にみんなで暮らしたい』って」
レイラは自分の書いた短冊を手にとって、続けた。
「姉さんたちとは再会できたけど、お父様もお母様ともまた会ってみたい。
あと、私たちの家庭教師をしてくれたジョン先生とか、庭師のフランクおじさん、
いつもお掃除をしてくれていたカーリーさんやメアリーさん、執事のクリフさん、それに…………」
指を折ってレイラはいくつか数えて、
「挙げたらきりがないね」
と、子供っぽく笑って見せた。
「そうね。私たちはきっと同じ夜空を見ているわ。
“同じ空の下にいればいつかは会える”、私が好きだった本には、そんな一節が書いてあったわ」
ルナサは空を見上げた。それに協調した他の3人も、同じく空を見上げた。
ところが、その空にはあの灰色の雲が意地悪く空を覆ってしまっていた。
広大な天の川は、ほとんど雲に隠れてしまい、その隙間から小さな星がちらりと見えては消えた。
「無遠慮な雲ね。人がせっかく気持ちよく過ごしてるのに」
リリカが頬をふくらませて怒った。
「でも、明日になれば晴れるよ。明日が駄目でも、いつかきっと、晴れる日が来るよ」
レイラはそんな雲にも微笑んでいた。
でも、夜空を見上げたその頬に、ひとすじの滴がつたって落ちた。
家族のことを思い出すと、やはりつらいものがあった。
「レイラ?」
「ううん、なんでもない。さあ、もう寝る準備しなくちゃね」
レイラはそっと目もとを拭いた。
「あら、一晩くらいは夜更かししたっていいじゃない。お父様だって多めに見てくれるわよ」
メルランが、手を握ってレイラを止めた。
「姉さんもリリカもそう思うでしょう?」
「もちろん。私は夜更かしの常習犯よ」
リリカは誇らしげに返事をした。
「そうね。夜は危険なんだけど、たまにはいいかもね」
ルナサも同意した。
「姉さんたち、何かするつもり?」
レイラが尋ねると、
「妹に夢も見せられないポルターガイストなんて、ちゃんちゃらおかしいわ。
今夜は私たちが夢を見せてあげる。姉さんもリリカもそれでいいでしょ?」
「「勿論」!」
「よーし、じゃあ行くわよ!」
先にルナサとリリカが夜空に飛び立った。
それと同時に、メルランの手が柔らかく光り、その光はレイラの身を包んだ。
途端に、レイラの足から地面の感覚が消え去った。
「う、浮いてる? これ、メルラン姉さんが?」
「浮遊術ならお手の物よ。さあ、飛ぶわよ、あの雲の向こうまで!」
続いてメルランとレイラも、先に行った2人の後を追って飛び立った。
夜空に星とは違う灯りが2つ見える。ルナサとリリカの照明魔法だった。
飛ぶことが初体験のレイラは、メルランの手を離さないようにしっかりつかんで。
「すごい!人里の灯りがあんな小さく見える!」
レイラが驚きの声をあげた。何もかもが初体験、そう、3年前の今日のように。
「スピードあげるわよ!朝になっちゃう!」
リリカが速度をあげ、4人の先頭に出た。
「まったくもう、リリカったら、私たちのことも考えてほしいわ」
と言いながら、メルランもスピードをあげる。つまり、レイラも。
白濁した雲は4人との距離をだんだんと詰めていく。
「もうすぐ雲よ。視界が悪くなるから、あまり離れないようにね」
ルナサが後ろを振り返って、メルランとレイラに言った。
「了解。レイラ、絶対に手を離さないでね」
「う、うん」
そして、4人は雲に突入した。
つめたい水の粒が顔や体に次々とぶつかる。
前を飛んでいたはずのルナサやリリカ、先ほどまで見えていた照明魔法すら見えない。
何も見えない不安と恐怖。少しだけ握る手に力が入る。
「大丈夫」
メルランが、その力を感じ取って、レイラの心情を読み取ったのだろう、返事をした。
「どんなに曇っていてもいつかは晴れる、あなたの口癖じゃないの」
メルランの言葉に、レイラは小さく頷いた。緊張で強張っていた頬がゆっくりとほぐれていった。
「そうそう。怖くなんかない。ただほんの少しつらいだけ」
「ありがとう、元気、出た気がする」
「そう言ってくれると嬉しいわ。さあ、夢はこれからよ!」
勢いに乗って、メルランはさらに加速した。
「姉さぁん、レイラぁ、外は近いわよ!」
前の雲から、リリカのはしゃぎ声が届いた。
雲も薄らいで、再び視界に舞い込む夜空。白の向こうで再び輝きだした空の川。
そして、メルランとレイラは雲を突き抜けた。
辺り一面、上は夜空、下は雲。
「ほら、晴れた。雲の上はいつでもきらきら夜空よ」
メルランが言う通り、曇天を下に置き、上には七夕にふさわしい晴天の夜。
「すごい、まるで海の上にいるみたい」
レイラは遠く遠く、自分の目が見られる限りの遠くを眺めて呟いた。
星の光を受けてうっすら光る雲と、透き通るような黒い空。
その境界線は水平線のように彼女たちの周りをぐるりと走っていた。
メルランがレイラの手を離したが、それでも、レイラは雲の中に落ちることなく、ふわりふわりと浮かんでいた。
「無事、着いたようね」
遅れてルナサが雲から飛び出した。
「どう、レイラ? こんな高いところに来た人間はきっとレイラがはじめてよ」
先に着いていたリリカも、少し高いところから降りてきた。
「姉さんたちはここに来たことあるの?」
「まあね。おつかいに行ったリリカが帰ってこないと思ったら、この辺で遊んでたのよ」
ルナサが軽く睨んで見せたが、当のリリカはまったく悪びれた様子はない。
「いいじゃない。とにかく、今夜は雲ひとつない絶好の七夕よ!」
と誤魔化しをいれるリリカを見て、まったくもう、とルナサは腕を組み、メルランとレイラはくすりと笑った。
「あ、あれ見て」
メルランが夜空の星の1つを指差した。輝く無数の星の中でも、赤く光っていたのはそれだけだった。
「あの星、なんて言うのかしら。火星かしらねぇ」
「違うよ、あれはリリカ星って言うのよ。私が今決めた」
「あら、なんだか面白そうね」
続いてメルランは、そのリリカ星の隣の、白く輝く一等星を指差して言った。
「じゃあ、あれがメルラン星ね」
「あ~、一番光ってるの取られた。姉さんずるい」
「あらあら、リリカだって笹のてっぺんに短冊結んだじゃない。おあいこよ」
一番目立つ星を取られて、リリカは不機嫌そうに頬をふくまらせた。
「そうねぇ、じゃあ私はあの星かしら」
ルナサが指さしたのは、前のふたつに比べたらあまりに地味で小さな星。
「あれがルナサ星ね」
「姉さんの星、暗いわね。どこにあるかパッと見て分からないわ」
レイラが空を仰いだ。確かに、それは地面に落とした小さな種を探すような作業だ。
「これでいいのよ。私はそんな派手なのは好きじゃないし、それに、ね」
意味深な台詞を残し、ルナサは微笑んだ。
確かに昔からそんな派手なものを好む人ではないとは分かっていたが………
「ああッ!分かった!」
レイラが夜空を指差した。
正確には、ルナサ星、メルラン星、リリカ星の3つを。
3つの星を結ぶと、夜空に小さな正三角形ができることに気づいたのだ。
そして、その正三角形のまんなかに、小さくも力強く輝く星。
メルラン星に比べればちょっと暗いし、リリカ星みたいに色もついていないけれど、どことなく、力強さを感じる。
「なるほどねぇ。ルナサ姉さん、考えたじゃない」
リリカが腕を組んで感心しながら正三角形を指でなぞった。
「じゃあ、あれがレイラ星ね。ありがとう、ルナサ姉さん」
レイラは三角形の真ん中の星をそっと包むように手を伸ばした。
「いいのよ、私に主役は似合わないわ」
どこか照れくさそうにルナサは明後日の方を向いた。
「お父様やお母様も見てるかしら。プリズムリバー星団」
メルランが遠い目で星空を見つめた。星よりもっと遠いところを見ているようだった。
「見ているよ、きっと。同じ空の下にいるんだもの」
レイラも、その“遠いところ”に目を配った。続くように、ルナサやリリカも。
「ねえ、姉さん。私、七夕のお話を郷の人から教えてもらったことがあるの。
恋をしている牛飼いとお姫様がいて、2人は天の川の両岸にいるから普段は会えないんだけど、
1年に1度、川を渡ることが許されて、2人は橋を渡って再会することができるらしいの。
それで、それを祝って2人がみんなのお願い事を叶えてくれるんだって」
レイラの話に、3人は耳を傾けていた。
「さっきのルナサ姉さんの話のあと、雲が出てきたときはどうしようかと思った。
けれど、私、姉さんたちのおかげで飛べた。それに、雲の川も渡れた。
きっとお父様やお母様、それにみんなが見ている空と同じ空を見ることができた。
それで、またみんなと一緒にいるような気持ちになれた」
次の言葉が見つからず、レイラは唇を閉じた。
ルナサもメルランもリリカも、言葉が見つからないのは同じだった。
「姉さんたちがかけてくれた橋のおかげで、お願い事、叶った気がするわ」
「ありがとう」
帰り道。
七夕も終わり、4人は再び地上に降り始めた。
「レイラは?」
「夜も遅いから、もう寝ちゃったわ」
ルナサの背中の負ぶさって、すやすやとレイラは眠っていた。
「いい夢見てるといいわね」
「きっとすごくいい夢見てるわよ」
明日になれば、またいつもの日々が戻ってくる。
3人の姉は、いつまでも素晴らしいこの地で楽しい生活が続くことを、そっと星団に願った。
いつかはこの楽しい日々の中に、かつての家族が加わることも。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
けれど月日は流れ去り、何もかもが姿かたちを変えていく。
長い長い月日の中で、姉妹は森羅万象が変わる様を見続けた。
そして、それを見続けた彼女たちもまた、変わっていった。
気がつけば、またあの日がやってくる。
あれから400年の月日が経とうとしていたのに。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
夕日が湖を赤く照らす。
霧に覆われた湖、通称『霧の湖』も、この頃になれば霧は引き始める。
その湖のほとりにそびえ立つ、一軒の洋館。
建てられてからあまりにも長い年月が建つようで、洋館はすっかり廃れてしまっていた。
かつては豪商の一家とその召使が暮らしていたが、今や住人は3人しか残っていない。
この屋敷の主であった伯爵の末娘が作り出した3人の姉の偶像。
元は遥か西洋の地に建てられていたこの洋館は、彼女たちの手でこの地に流れ着いた。
それは今からちょうど403年前の今日、すなわち7月7日のこと。
あの頃はまだ、右も左も分からずに路頭に迷うこともあったが、
今ではすっかりこの摩訶不思議な郷で、忙しくもゆるやかな日々を送っていた。
毎年この時期はあちこちにお呼ばれされていたが、今年は休暇を得られて一休み。
屋敷の庭。
「「「せーの、よいしょッ」」」
夕日が緋色に染める赤レンガの上に、大きな笹が運び込まれた。
青々とした笹も、夕日にそめられて不思議な赤をしている。
「ふう。今年も立派な笹が手に入ったのね」
ルナサが汗をぬぐった。
「竹林の奥にはたくさんあるからね。うじゃうじゃあってこっちが迷っちゃう」
リリカが笹の中央をコンコンと叩いた。
「それじゃあ、立てましょうか。明るいうちにやらないと、見えなくなるわよ」
メルランが空を仰ぎながら言った。
庭には小さくも細い穴がある。毎年毎年、まったく同じ場所を使っていた。
ここに笹を差し込んで、倒れないように固定する。毎年のことだ。ただ、例年よりも今年は時間がある。
「さあ、今年もやるわよ」
ルナサは笹の根元あたりをつかんだ。メルランは中腹、リリカは先端。
先ほどは魔法を使わなかったが、今回はきちんと浮遊術を使う。
3人は未だポルターガイスト。重力には囚われない。
「よぅし、飛ぶわよぉ!」
一番魔力の強いメルランが笹の重心をつかんで飛び上がり、
合わせて、ルナサもリリカも一斉に笹を持って空に飛び上がった。
笹は3人と共に水平に浮かんだ。
「じゃあ、次は私の仕事ね」
続いて、リリカが先端をさらに高く浮かせた。水平だった笹が垂直になる。
「次、ルナサ姉さん。よろしくね」
「分かったわ。じゃあ、2人とも手を離して」
合図と一緒に、メルランもリリカも笹から手を離した。ルナサも浮遊術を打ち切った。
笹は、ルナサを連れて、重力にしたがって徐々に加速しながら落下を開始。
このじゃじゃ馬を、うまく庭の小さな穴に差し込むのがルナサの役目。
下手をすれば猛スピードで地面と激突する危険度の高い仕事なので、長女たるルナサが担当。
「─────ッ!」
落下した笹は、うまく穴の中におさまり、勢いでさらに穴を深く掘り下げた。
「ふう、成功ね」
「ルナサ姉さん、大丈夫だった?」
メルランとリリカが降りてきた。
「平気よ。激突する寸前にきちんと離脱して浮遊したもの」
当然のことをやってのけた、といった感じのルナサ。
「おぉぉ、立てたらなかなかいつも通りの笹じゃないの」
地上に降り立ったリリカが笹を見上げた。
「さあ、飾りつけよ。お日様が沈んじゃうわ」
メルランが言う通り、山の合間に赤い陽は顔をうずめつつあった。
最後に、倒れないように補強をして、3人は屋敷に戻った。
3人はまだ、今やこの郷の新しい文化の担い手として活躍している。
昔は分からなかった東洋固有の文化も、今では子供たちに教えられるくらいになった。
色紙をハサミで切ったり、折って形を作ったり。余った分は子供たちにあげるのだ。
去年は光る折り紙が大好評だったので今年も量産し、そしていよいよ自分たちの短冊を作る過程へ。
「そうねぇ、何がいいかしら」
インク壺と羽ペンを各自持ち、願い事を考える。
日は沈み、ろうそくの灯りだけが机をほのかに照らしている。
「リリカ、書けた?」
「まだ。メルラン姉さんは?」
「ううん、なかなかうまくまとまらないわ」
そうしてみんなで考えること12分。大体まとまって、各々それを短冊に記す。
「みんな、できたわね。吊るしに行くわよ」
ルナサが先導として席を立ち、ろうそくの火を消した。
暗くても、大体何がどこにあるかは記憶に鮮烈に染みついているので、惑うことはなかった。
外に出ると、南の空に歪んだ灰色の雲が見えた。
「あ、雲」
リリカが雲を指さした。
「本当ね。大丈夫かしら」
ルナサが心配そうに見上げたが、
「大丈夫よ、きっと。それより、さっさと吊るしちゃいましょうよ」
と、メルランはあまり気にしていない様子。
そういうことなら、と、リリカは一気に笹の先端までひとっ飛び。
「じゃあ、さっそく結んでいくわね。私はやっぱり、一番高いところ」
「あー、リリカ、ずるいわ。今年こそはと思っていたのに」
「へへ~ん、ここは私の場所よ」
指先から魔法の灯りを出して、リリカは手元を照らしながら紐を笹の枝に結んだ。
続いてメルランも、まんなか辺りに短冊をくくりつけた。
ルナサはやっぱり下の方に結んだ。先に結び終えていた2人も降りてきた。
「さてと、これで終わりね」
「ルナサ姉さんはどんなこと書いたの?」
好奇心を前面に押し出してリリカが訪ねた。
「『健康第一』」
「うわぁ、地味。ルナサ姉さんらしい」
「そういうリリカはなんて書いたのよ」
「まあ、いつも通り『あとせめて2センチ』なぁんてね」
それを聞いて、メルランがクスッと笑った。
「あ、笑ったわね!だって、だって私、ライブのとき楽器に隠れちゃうのよ!」
「ごめんなさい、あなた、ちっとも伸びないんだもの」
「そう言うメルラン姉さんはなんて書いたのさ」
「『次のソロライブの成功』、かしら。この前の無縁ライブはもうちょっと盛り上がってもよかったわ」
「ふーん……あ、姉さんたち、あれ結ばなくちゃ」
「そうね。はい、みんなで結ぶわよ」
3人は1枚の短冊を手の届くところに結びつけた。
すっかり古びた紙に、かすれた文字で書かれた『また、この屋敷にみんなで暮らしたい』の文字。
「なつかしいわ。もう何年になるのかも覚えてないけど、あの年の七夕は昨日のことみたいね」
メルランがその短冊を手に取って言った。
「もう何百年にもなるのよね。全然自覚が湧かないわ」
と、リリカは笑って見せた。
「そうね。“同じ空の下にいればいつかは会える”、なんてあの頃は言ったけど、
もう長い月日、私たちは会ってないのよね」
ルナサは空を見上げた。それに協調した他の2人も、同じく空を見上げた。
ところが、その空にはあの灰色の雲が意地悪く空を覆ってしまっていた。
広大な天の川は、ほとんど雲に隠れてしまい、その隙間から小さな星がちらりと見えては消えた。
「無遠慮な雲ね。まるであの日の雲みたい」
リリカが頬をふくらませて怒った。
「“明日になれば晴れるよ、明日が駄目でも、いつかきっと”、レイラの口癖だったわ」
メルランはそんな雲にあの日を重ねて微笑んでいた。
「それならいっそ、レイラに会いに行かない?今日は七夕よ」
ルナサが曇天の合間に見えるわずかな夜空を指して言った。
「あら、今晩も夜更かし? もう何日夜更かしかしら」
「夜更かしの常習犯は私の専売特許だったんだけどなぁ」
リリカはつまらなさげに返した。
「本当ね。レイラに会ったら呆れられちゃうかも」
ルナサは苦笑した。
「ま、何はともあれ、まずは橋をかけに行きましょうか!」
メルランが声高に叫ぶ。
「「了解」!」
「よーし、じゃあ行くわよ!」
先にルナサとリリカが夜空に飛び立った。
続いてメルランも、先に行った2人の後を追って飛び立った。
夜空に星とは違う灯りが2つ見える。ルナサとリリカの照明魔法だった。
「すごいわ、本当にあの日みたい!」
メルランが歓喜の声をあげた。何もかもが蘇る、そう、400年前のことが今日のように。
「スピードあげるわよ!朝になっちゃう!」
リリカが速度をあげ、3人の先頭に出た。
「まったくもう、リリカったら。夜はまだまだ長いじゃないの」
と言いながら、ルナサとメルランもスピードをあげる。
白濁した雲は3人との距離をだんだんと詰めていく。
「もうすぐ雲よ。視界が悪くなるから、あまり離れないようにね」
ルナサが後ろを振り返って、メルランに言った。
「それはリリカに行ってあげて。リリカったら、もう雲の中に入っちゃったわ」
「しょうがないわねぇ」
そして、3人は雲に突入した。
つめたい水の粒が顔や体に次々とぶつかる。
慣れてしまえば心地よい。まるで海を泳いでいるみたい。
「不思議」
メルランが、片方の手をそっと握った。
「なんだか、誰かが私の手を握っているような感じがするの」
「本当?ますます、“らしく”なってきたじゃない」
「もう、待ちきれないわ!」
勢いに乗って、メルランはさらに加速した。
「姉さぁん、外は近いわよ!」
前の雲から、リリカのはしゃぎ声が届いた。
雲も薄らいで、再び視界に舞い込む夜空。白の向こうで再び輝きだした空の川。
そして、3人は雲を突き抜けた。
辺り一面、上は夜空、下は雲。
「おぉ、この光景、あの日と何も変わってないわ」
メルランが言う通り、曇天を下に置き、上には七夕にふさわしい晴天の夜。
星の光を受けてうっすら光る雲と、透き通るような黒い空。
その境界線は水平線のように彼女たちの周りをぐるりと走っていた。
「本当ね。何もかも変わっていったけど、ここは何も変わらないのね」
ルナサが辺りを見渡して、その変化の無さに驚いていた。
「最初にここに来たのはリリカだったかしら」
「おつかいに行ったリリカが帰ってこないと思ったら、この辺で遊んでたのよね」
ルナサが軽く睨んで見せたが、当のリリカはいや全くなつかしいねぇ、と他人事。
「いいじゃない。とにかく、今夜の空も、あの日の空と何も変わっていないわ」
と誤魔化しをいれるリリカを見て、まったくもう、とルナサは腕を組み、メルランはくすりと笑った。
「あ、あれ見て」
メルランが夜空の星の1つを指差した。輝く無数の星の中でも、赤く光っていたのはそれだけだった。
「あの星、たしかリリカ星じゃなかったかしら」
「あ、そうだ、思い出した。あれから一度も見てなかったのよね、リリカ星」
続いてメルランは、そのリリカ星の隣の、白く輝く一等星を指差して言った。
「じゃあ、あれがメルラン星だったわね」
「昔に比べて、なんか光が落ちてない?」
「そ、そんなことないわよ。やっぱり一番目立ってるわ」
やっぱりメルラン星は白く輝いていたが、リリカにあんなことを言われるとどこか暗く感じてしまう。
「えーと、私の星はどこだったかしら。あ、あれね」
ルナサが指さしたのは、相変わらず前のふたつに比べたらあまりに地味で小さな星。
「久しぶり、ルナサ星」
「姉さんの星、相変わらず暗いわね。どこにあるかパッと見て分からなかったわ」
リリカが空を仰いだ。確かに、それは何かが変わっていても分からないほど地味だった。
「あら、私が派手好きでないのは今も昔も変わらないわ。それに、忘れたの?」
「まさかね。忘れるわけないじゃない」
メルランとリリカは同時に夜空の、あの3角形を指差した。
3つの星を結ぶと、正三角形ができる。長い年月を耐え、何も変わっていない。
そして、その正三角形のまんなかに、小さくも力強く輝く星。
相変わらず、小さくも力強さを感じる。
「相変わらず元気そうね、レイラ星」
リリカは正三角形を指でなぞってから、レイラ星を押し指した。
「今考えてみれば、随分幼稚な発想だった気がするわね」
どこか決まり悪そうにルナサは明後日の方を向いた。
「ねえ、姉さん。レイラ、今頃どこで何をしてるのかしらね」
メルランが遠い目で星空を見つめた。星よりもっと遠いところを見ているようだった。
「そうね。今頃きっと、川の向こうでこの空を見ていると思うわ」
ルナサも、その“遠いところ”に目を配った。それに付き添うように、リリカも。
「その川って、もしかしてあの天の川のことだったりして」
「あら、素敵じゃない?もしかしたら、この星の川の向こう側で、もう片方の私たちや他のみんなと、七夕を楽しんでいるかもね」
沈黙。誰も次の言葉が見つからない。
決して言葉を交わさず、それでも3人の考えていたことは全く同じであった。
「姉さん。私たちにはカササギは来てくれないのかなぁ」
天の川をなぞりながら、リリカがぽそりと呟いた。
「私たちは織姫や彦星の何百倍も川岸で待ってるのに、誰も橋をかけてくれないんだもの」
いつも陽気で狡猾な性格が顔に表れるリリカが、彼女らしくもなく随分と寂しそうな目をしていた。
「もう、会える日は来ないのかな………」
「きっと会える日は来るわよ。あの子の大好きな言葉だったじゃないの」
リリカの不安を包み込むように、メルランは暖かい口調で言った。
「それに、ほら」
メルランは夜空のてっぺんを指差した。
「この夜空は、あの日、私たちが過ごした夜から何も変わっていないわ」
「ええ、本当に、少しも変わってないのね」
ルナサも、メルランの指先が指す方をじっと見つめた。
「レイラが最期を迎えた日、私たちは何をする気にもなれなかったのを覚えてるわ。
まるで、世界が止まって、時計が凍りついたみたいに、何もできなかった」
冷たくなった妹を、彼女たちは見送ることしかできなかった。
「でも、世界はこんなちっぽけな私たちのために足踏みをしてはくれなかった。
一度世界を投げ捨てた私たちも、結局は動く世界に巻き込まれ、もう1度動き出した」
棺で眠る妹を、彼女たちは家族に会いに行ったと信じることができるようになった。
「ちんどん屋を始めたのは、最初は寂しさを紛らわすためだったわね。
いつのまにか本業になって、レイラのことが記憶から霞む時もあるくらい忙しくなったけど。
時々、思い起こしては、私たちも変わってしまったと思えるようになったわ」
勿論、完全に忘れてしまうことはないが、常に亡き妹のことを考えている生活というのも、
実際はまったくもって不可能であって、無意識にレイラは彼女たちの意識から消えてしまう。
「色々なものが変わっていく、それは誰にも止められないこと。
けれど、実際には全然変わらないものもあるのよね。たまに思い出すわ」
星の瞬く夜空を、あの日のフィルタと重ねてみても、何も違わない。
この広大な空は、変わりゆくちっぽけな世界なんか眼中になくて、いつ見ても広大であった。
「この夜空も、そして、400年前にこの夜空の下で過ごした私たちの記憶も、少しも変わってない」
ルナサは自分の全てを出しつくすように、最後の言葉まで言い終えた。
「ってことは、私たち、あの日の七夕と同じ夜空の下にいるってことでもいいのね」
すっかり元気づいたリリカが、いつもの明るい声で言った。
「なんだか今、リリカが何を考えているのか珍しく分かった気がするわ」
メルランが嬉しそうにくすりと笑った。
「奇遇ね、私もよ」
ルナサも2人に同調するように相槌を打った。
目があって、軽く頷いて合図して、それからまたその目を空にやった。
過去に4姉妹が見て、そして今3姉妹が見た、この雄大で同じ空に。
「またいつか会おうね、レイラ」
「だって私たち」
「同じ空の下にいるんだもの」
レイラ星の周辺から、一筋の流星が天の川を突っ切って夜に消えた。
いいお話でした。
文章から伝わってくるものに、ただ感動しました。
大切な人を失っても、世界は動き続ける。それは本当に残酷で辛いことです。そう、そんなにも辛いのに、それでも時間は戻っても立ち止まってもくれず、ただ変わらずに動き続けるんですよね。
あぁ、良いお話でした。
この作品を読めて、本当に良かったです。