私は絶望していた。
ここに閉じ込められてから、いったいどのくらいの時間がたっただろう。
四方を頑丈な壁に囲まれた部屋で、私は昼と夜の区別もなく何時間も過ごした。
既に体は疲労困憊し、抵抗する気力もない。
そっと、顔を壁の一面に映してみる。
目の下には隈ができ、頬はこけ、これが私の姿かと疑うほど憔悴しきっていた。
突然、その壁一面に映像が映る。
あ・い・つ・だ。
そいつは能面のような表情でこちらをじっと見つめてくる。
その唇はほとんど動かなかったが、私は確かにあいつの声を聞いたと思った。
『ハロー、マイケル。さあ、ゲームを始めよう』
私は渾身の力をこめて壁にぶつかった。
「もうやめてよ! だして、ここから私を出して!」
目の前のあいつは、何も答えない。
「出す気がないなら一思いに殺せばいいじゃない! どうして生かしておくのよ! 何をさせる気なの!?」
私は混乱した頭でただ叫んだ。
「どうして、どうして私なのよ! 私が何をしたって言うの……」
言葉は擦り切れて、もうあいつには届いてないかもしれない。
それでも叫ばずにはいられなかった。
突然、体が凶悪な力でねじ伏せられる。
抵抗することもできない、圧倒的な暴力。
「いや! 何するの、やめて、はなしてっ!」
あいつは冷笑するように私を見つめる。
そこには一片の感情も見当たらない。
私はこれから襲い来る運命を想像し身震いした。
「いやーーーーっ!」
「私はジ○ソウですか……」
さとりはため息をつきながら、目の前の水槽を見つめた。
何度目かの決心でようやく掴んだ魚も、またはなしてしまった。
水槽からは魚が、恨みがましい目でこちらをにらんでくる。
「…………」
さとりは深くため息をついた。
そもそもことの発端は、あのスキマ妖怪が妙な贈り物をしてきたせいだった。
幻想郷には海がない。そこでたまには海の幸を食べましょう、と、外の世界から魚を幻想郷の住人たちにお裾分けしてきたのだ。
そこまでは良かった。
魚は幻想郷では貴重品だ。さとりもそれこそ百年以上食べていない。
それも紫は高級魚を丸ごと一本、届けてくれたのである。
さすがは妖怪の賢者。粋なことをする……と初めは喜んでいた。
地霊殿に割り当てられたのは鰹と鮭、それと名前の知らない魚の三匹。鰹と鮭は旬がま逆な気もするが、この際些細なことだ。
しかし、それは巧妙な罠であったことを知る。
『何分傷みやすいものですから、新鮮なうちに召し上がってくださいね。そう例えば……活け造りとか』
あのとき紫の浮かべていた笑みに気付けばよかった。
甘い言葉の裏にある罠を見抜ければよかった。
しかしその時さとりは、冷静な表情の下に久しぶりの魚だヒャッホウという内心を隠していたし、さらにはお燐が隠すことも考えずに「うおーい、魚だヒャッハー!」状態だったのでそれをなだめなければいけなかったりとそんな余裕がなかったのだ。
あの時生のままかぶりつこうとするお燐を必死に止めたが、いっそ食わせてしまえばよかったと今になってさとりは悔やむ。
そのほうが魚も悲鳴を上げる暇もなく骨だけになっただろう。
そう、今さとりの第三の目には魚たちの悲鳴と怨嗟の声が映っていた。
鰹は狭いところに閉じ込められた愚痴を延々とこぼし、これからの自分の運命についてわざとらしく嘆いている。
鮭は先ほどのようにヒステリックに叫んではさとりの手から逃れようとする。
今入れてある水槽から出そうとするだけで激しく暴れる。
最後の一匹は、さとりは名前の知らない魚だったが、こいつだけはおとなしかった。ただ先程から、何事かぶつぶつ呟いている。
これはこれで気味が悪い。
結局、まともに捌かせてくれるような魚は一匹もいなかったのである。当然といえば当然だが。
謀られた、とさとりは思った。紫の親切が胡散臭くないわけけなかった。もしかするとこのためだけに幻想郷に魚を持ってきたのかもしれない。
さとりも驚くあのドS妖怪ならありえそうだった。
くそ、なんて意地の悪い。さとりはそう毒づきながら、今も包丁を持って水槽とにらめっこしている。かれこれ30分近くこのままだった。
さとりは食べ物の悲鳴を聞いたことがないわけではない。そもそも妖怪は言葉の通じる人間が主食なのである。
昔は人間を食べたこともあるし、その頃はそれが当たり前だった。
ただ、嫌悪がなかったかというと嘘になる。実際さとりは自分を襲ってきた人間しか捉えて食べたことはない。
普通の妖怪なら日常的に狩をしていたがさとりはしなかった。
だから今でも食が細く、自分の虚弱体質はそのせいかも知れないとさとりは思っている。
それはさとりの生来のやさしさだったのかもしれない。
特に獲物がかわいらしい少女だったりすると、もうだめだった。泣き顔に妹を思い出してしまいとても食べられなかった。
さらに地霊殿に来てからは食環境は一変した。
今まで地霊殿はほとんど材料のみを外から届けてもらっていたので、こんなことで困ることはなかった。
魚も肉も死んでいたし、野菜はそもそもしゃべらない。地底に移ってからこっち、動物の断末魔の悲鳴を聞くことはなかったのだ。
それで、久しぶりにもろに魚の悲鳴を読んでしまい、捌くのに躊躇しているというわけだった。
さとりは地上の紫色の魔女に貸してもらった本を思い出した。
「ドリトル先生」という地上の本で、同じ動物と会話できるものとしておおむね楽しく読ませてもらったが、ドリトル先生が平然と豚のガブガブの前でソーセージを平らげたときは驚いた。さとりはあの境地にはまだ至れない。
それなら別の誰かに任せればいいと思うかもしれないが、ペットはほとんどが料理ができない。こいしも食べる派である。
唯一捌けるお燐は任せたとたんに骨だけ出してくるだろう。せっかくの魚を、だしをとるためだけに使うわけにはいくまい。
つまりこれだけ広い地霊殿のなかで、魚を捌けるのはさとりだけなのだった。
今さとりを支えているのはひとえに家族愛である。ペットであるお燐に、お空に、かわいい妹であるこいしに、たまには美味しい魚を食べさせてあげたい。その一心である。
こいしでも、空でも、教えれば魚をさばけるかもしれない。しかしきっと時間がかかってしまうだろうし、ぬるくなった刺身がまずいのは言うまでもないことである。そう、さとりは美味しい味のためだけに、今立っているのだった。
さとりは顔を張った。
覚悟を決めよう。
いつまでも包丁を持ってうろうろしているわけにもいかない。それにこのままでは夕食の時間が来てしまう。
さとりは何度も心の中で念じる。
そうだ、これは家族のためだ。
久しぶりに新鮮な魚を食べるのだ。
自分自身に発破をかけて、いざ、さとりはまな板に向かった。
CASE1:不気味な魚
とは言っても初めはやはり、やりやすそうなのを選んだ。
不気味だが、他の二匹に比べてかなりおとなしい魚である。
「…………」
案の定、水槽から引き上げても心の中でぶつぶつ呟くだけで暴れる気配もない。
しかし、何の魚だろう。
さとりは首をひねった。
さとりは博識である。外の世界にどんな魚がいるかも、一通り把握している。
しかし、この魚はさとりの記憶になかった。
先程からの呟きも気になるところではある。
さとりは、心の中で耳を済ませてみた。
「…………ぅぅ………ぃ………」
なんだろう、雑音が混じっていてよく読み取れない。
「………いあ……いあ……ふんぐるい……むぐるなふ……」
捨てた。
CASE2:鰹
恐ろしいことである。
スキマ妖怪め、まさか私たちに邪神の仲間入りを企むとは。
たぶん、適当に不気味な魚を持ってきただけだったのだろうが。
偶然のいたずらほど怖いものはない。
さとりはすでに先程の魚は忘れて鰹に向き直った。
かつおは生きがよくまだぴちぴちとはねている。
心を読めば罵声が飛び込んできた。
『おいっ、てめえっ、聞いとんのかああん』
なぜか巻き舌で喚き散らす鰹(推定42歳)。
『ああっ、まさかわいのこと食うつもりじゃないだろうなぁ、……かっ……テメえら人間はわいら魚のことを何も考えちゃいねえ!』
「はあ……」
『ええか、ワイら魚はな生まれた時から誰かの食い物のにされる運命だ。それをズーーッと我慢して何度も危険な場面をくぐり抜けて、それでも足りなくて最後に運のよかったほんの一握りだけがここまで大きくなれる。
それをなんだあ! お前ら人間は大きくなっと頃を好き勝手釣りやがって。ワイらがどれだけ苦労してあそこまで大きくなってるかわかってるのか、ええ!
何日も餌にありつけずひもじい思いをしていて、ようやく食べ物に出会い天の恵みにも思えた所を釣り上げられる……その気持ちがわかるか! ああ!?』
「はあ……、すみません」
『それだけじゃない……うちの娘なんかうちの娘なんか……うおおおおおんっ』
鰹は突然泣き出したかと思うと、チン、と鼻をかんで続きを話し始めた。
『うちの娘なんか……生きてるまま皮ぁ剥がれて……切り刻まれて……。最後に、最後に……娘の言ってた『助けて』って言葉が……うああああっ』
「…………」
さとりは、無言で包丁を振り上げる。
これ以上訊いていればきっと捌けなくなると判断したためだ。
『ま……待て! 本当にやる気か! わいらが何したって言うんじゃ。……待て、後生だ! 堪忍して……うごふあっ』
ドカァッ!
CASE3:鮭
さとりは一匹目を捌いただけで疲れきっていた。
鰹の最後に悲鳴が耳に残っている。やはり聴くものではなかった。
手早く調理を終えると、さとりは二匹目に取り掛かった。今日中に終わらせねばならないと思う。そうせねば、きっと明日はできなくなる。
「いやっ! いやあああっ、やめて! 食べないで!」
しかし案の定、最後の鮭が一番抵抗してきたのだった。
水槽から出す時点で力の限り暴れ周り、台所は水浸しになった。
だがさとりは今度は躊躇しなかった。
まな板の上に乗せると早々に包丁を持つ。
相手の話に耳を傾けては思う壺であることを嫌というほど痛感したからだ。
『や……やめてください……食べないでください……』
さとりは耳を貸さない。
ただ機械のごとく、氷のごとく、無心に包丁を振り上げる。
『ひどい……』
ある一言を聞くまでは。
『私のお腹には子供がいるのよ!』
ドン・引き・した。
なんてことを言いやがるんだ、この魚。
『せめて、せめて子供だけは、子供だけは殺さないでっ!』
鮭は必死に訴える。
ピチピチと全身で感情を表す。
さとりは包丁を構えたままの姿勢で固まっている。
『お願い……私は食べられてもいいから、せめて子供だけは……』
哀れっぽく鮭が訴えかける。
さとりは目を瞑った。
だめだ、ここで情けをかけては。みんなでおいしいご飯を食べるのだ。
しかしそんなさとりの悲壮な決意も、鮭の訴えによってぼろぼろ突き崩されていく。
『お願い……お願いします! 私はこの子達を生むためだけに遠く海を越え、皮を越え……ずっと生き延びてきたんです。だから……』
さとりは迷う、心の中で激しく葛藤する。
固まったままピクリとも動けなくなる。
鮭の一匹くらい、逃がしてやろうという気持ち。
しかしここで逃せば、次はいつ食べれるかわからない。
幻想郷に来てからの長いこいしやお燐やお空には、これが一生で最後になるかもしれないのだ。
訴える鮭、揺れる心、家族の笑顔、飽きて見るのをやめた紫。
様々な思惑が台所の中で渦巻く。
やがて……最後にさとりは決断した。
包丁を静かにおき……ピントの暈けた目でまな板の上の魚を見たのだった。
地霊殿にお燐の悲痛な叫びが響き渡る。
「ど、どうしたんですかさとり様!」
お燐は必死に主を羽交い絞めにしていた
「止めないでくださいお燐。私は……私は、地球を守らないといけないんです!」
「一体どうしたって言うんです!?」
「地球を守らないと、生き物を大切にしないといけません」
「生き物を……生き物をこれ以上死なせてはいけないんです!」
さとりの心からの絶叫は、高く地霊殿内にこだました……
(おわり)
ここに閉じ込められてから、いったいどのくらいの時間がたっただろう。
四方を頑丈な壁に囲まれた部屋で、私は昼と夜の区別もなく何時間も過ごした。
既に体は疲労困憊し、抵抗する気力もない。
そっと、顔を壁の一面に映してみる。
目の下には隈ができ、頬はこけ、これが私の姿かと疑うほど憔悴しきっていた。
突然、その壁一面に映像が映る。
あ・い・つ・だ。
そいつは能面のような表情でこちらをじっと見つめてくる。
その唇はほとんど動かなかったが、私は確かにあいつの声を聞いたと思った。
『ハロー、マイケル。さあ、ゲームを始めよう』
私は渾身の力をこめて壁にぶつかった。
「もうやめてよ! だして、ここから私を出して!」
目の前のあいつは、何も答えない。
「出す気がないなら一思いに殺せばいいじゃない! どうして生かしておくのよ! 何をさせる気なの!?」
私は混乱した頭でただ叫んだ。
「どうして、どうして私なのよ! 私が何をしたって言うの……」
言葉は擦り切れて、もうあいつには届いてないかもしれない。
それでも叫ばずにはいられなかった。
突然、体が凶悪な力でねじ伏せられる。
抵抗することもできない、圧倒的な暴力。
「いや! 何するの、やめて、はなしてっ!」
あいつは冷笑するように私を見つめる。
そこには一片の感情も見当たらない。
私はこれから襲い来る運命を想像し身震いした。
「いやーーーーっ!」
「私はジ○ソウですか……」
さとりはため息をつきながら、目の前の水槽を見つめた。
何度目かの決心でようやく掴んだ魚も、またはなしてしまった。
水槽からは魚が、恨みがましい目でこちらをにらんでくる。
「…………」
さとりは深くため息をついた。
そもそもことの発端は、あのスキマ妖怪が妙な贈り物をしてきたせいだった。
幻想郷には海がない。そこでたまには海の幸を食べましょう、と、外の世界から魚を幻想郷の住人たちにお裾分けしてきたのだ。
そこまでは良かった。
魚は幻想郷では貴重品だ。さとりもそれこそ百年以上食べていない。
それも紫は高級魚を丸ごと一本、届けてくれたのである。
さすがは妖怪の賢者。粋なことをする……と初めは喜んでいた。
地霊殿に割り当てられたのは鰹と鮭、それと名前の知らない魚の三匹。鰹と鮭は旬がま逆な気もするが、この際些細なことだ。
しかし、それは巧妙な罠であったことを知る。
『何分傷みやすいものですから、新鮮なうちに召し上がってくださいね。そう例えば……活け造りとか』
あのとき紫の浮かべていた笑みに気付けばよかった。
甘い言葉の裏にある罠を見抜ければよかった。
しかしその時さとりは、冷静な表情の下に久しぶりの魚だヒャッホウという内心を隠していたし、さらにはお燐が隠すことも考えずに「うおーい、魚だヒャッハー!」状態だったのでそれをなだめなければいけなかったりとそんな余裕がなかったのだ。
あの時生のままかぶりつこうとするお燐を必死に止めたが、いっそ食わせてしまえばよかったと今になってさとりは悔やむ。
そのほうが魚も悲鳴を上げる暇もなく骨だけになっただろう。
そう、今さとりの第三の目には魚たちの悲鳴と怨嗟の声が映っていた。
鰹は狭いところに閉じ込められた愚痴を延々とこぼし、これからの自分の運命についてわざとらしく嘆いている。
鮭は先ほどのようにヒステリックに叫んではさとりの手から逃れようとする。
今入れてある水槽から出そうとするだけで激しく暴れる。
最後の一匹は、さとりは名前の知らない魚だったが、こいつだけはおとなしかった。ただ先程から、何事かぶつぶつ呟いている。
これはこれで気味が悪い。
結局、まともに捌かせてくれるような魚は一匹もいなかったのである。当然といえば当然だが。
謀られた、とさとりは思った。紫の親切が胡散臭くないわけけなかった。もしかするとこのためだけに幻想郷に魚を持ってきたのかもしれない。
さとりも驚くあのドS妖怪ならありえそうだった。
くそ、なんて意地の悪い。さとりはそう毒づきながら、今も包丁を持って水槽とにらめっこしている。かれこれ30分近くこのままだった。
さとりは食べ物の悲鳴を聞いたことがないわけではない。そもそも妖怪は言葉の通じる人間が主食なのである。
昔は人間を食べたこともあるし、その頃はそれが当たり前だった。
ただ、嫌悪がなかったかというと嘘になる。実際さとりは自分を襲ってきた人間しか捉えて食べたことはない。
普通の妖怪なら日常的に狩をしていたがさとりはしなかった。
だから今でも食が細く、自分の虚弱体質はそのせいかも知れないとさとりは思っている。
それはさとりの生来のやさしさだったのかもしれない。
特に獲物がかわいらしい少女だったりすると、もうだめだった。泣き顔に妹を思い出してしまいとても食べられなかった。
さらに地霊殿に来てからは食環境は一変した。
今まで地霊殿はほとんど材料のみを外から届けてもらっていたので、こんなことで困ることはなかった。
魚も肉も死んでいたし、野菜はそもそもしゃべらない。地底に移ってからこっち、動物の断末魔の悲鳴を聞くことはなかったのだ。
それで、久しぶりにもろに魚の悲鳴を読んでしまい、捌くのに躊躇しているというわけだった。
さとりは地上の紫色の魔女に貸してもらった本を思い出した。
「ドリトル先生」という地上の本で、同じ動物と会話できるものとしておおむね楽しく読ませてもらったが、ドリトル先生が平然と豚のガブガブの前でソーセージを平らげたときは驚いた。さとりはあの境地にはまだ至れない。
それなら別の誰かに任せればいいと思うかもしれないが、ペットはほとんどが料理ができない。こいしも食べる派である。
唯一捌けるお燐は任せたとたんに骨だけ出してくるだろう。せっかくの魚を、だしをとるためだけに使うわけにはいくまい。
つまりこれだけ広い地霊殿のなかで、魚を捌けるのはさとりだけなのだった。
今さとりを支えているのはひとえに家族愛である。ペットであるお燐に、お空に、かわいい妹であるこいしに、たまには美味しい魚を食べさせてあげたい。その一心である。
こいしでも、空でも、教えれば魚をさばけるかもしれない。しかしきっと時間がかかってしまうだろうし、ぬるくなった刺身がまずいのは言うまでもないことである。そう、さとりは美味しい味のためだけに、今立っているのだった。
さとりは顔を張った。
覚悟を決めよう。
いつまでも包丁を持ってうろうろしているわけにもいかない。それにこのままでは夕食の時間が来てしまう。
さとりは何度も心の中で念じる。
そうだ、これは家族のためだ。
久しぶりに新鮮な魚を食べるのだ。
自分自身に発破をかけて、いざ、さとりはまな板に向かった。
CASE1:不気味な魚
とは言っても初めはやはり、やりやすそうなのを選んだ。
不気味だが、他の二匹に比べてかなりおとなしい魚である。
「…………」
案の定、水槽から引き上げても心の中でぶつぶつ呟くだけで暴れる気配もない。
しかし、何の魚だろう。
さとりは首をひねった。
さとりは博識である。外の世界にどんな魚がいるかも、一通り把握している。
しかし、この魚はさとりの記憶になかった。
先程からの呟きも気になるところではある。
さとりは、心の中で耳を済ませてみた。
「…………ぅぅ………ぃ………」
なんだろう、雑音が混じっていてよく読み取れない。
「………いあ……いあ……ふんぐるい……むぐるなふ……」
捨てた。
CASE2:鰹
恐ろしいことである。
スキマ妖怪め、まさか私たちに邪神の仲間入りを企むとは。
たぶん、適当に不気味な魚を持ってきただけだったのだろうが。
偶然のいたずらほど怖いものはない。
さとりはすでに先程の魚は忘れて鰹に向き直った。
かつおは生きがよくまだぴちぴちとはねている。
心を読めば罵声が飛び込んできた。
『おいっ、てめえっ、聞いとんのかああん』
なぜか巻き舌で喚き散らす鰹(推定42歳)。
『ああっ、まさかわいのこと食うつもりじゃないだろうなぁ、……かっ……テメえら人間はわいら魚のことを何も考えちゃいねえ!』
「はあ……」
『ええか、ワイら魚はな生まれた時から誰かの食い物のにされる運命だ。それをズーーッと我慢して何度も危険な場面をくぐり抜けて、それでも足りなくて最後に運のよかったほんの一握りだけがここまで大きくなれる。
それをなんだあ! お前ら人間は大きくなっと頃を好き勝手釣りやがって。ワイらがどれだけ苦労してあそこまで大きくなってるかわかってるのか、ええ!
何日も餌にありつけずひもじい思いをしていて、ようやく食べ物に出会い天の恵みにも思えた所を釣り上げられる……その気持ちがわかるか! ああ!?』
「はあ……、すみません」
『それだけじゃない……うちの娘なんかうちの娘なんか……うおおおおおんっ』
鰹は突然泣き出したかと思うと、チン、と鼻をかんで続きを話し始めた。
『うちの娘なんか……生きてるまま皮ぁ剥がれて……切り刻まれて……。最後に、最後に……娘の言ってた『助けて』って言葉が……うああああっ』
「…………」
さとりは、無言で包丁を振り上げる。
これ以上訊いていればきっと捌けなくなると判断したためだ。
『ま……待て! 本当にやる気か! わいらが何したって言うんじゃ。……待て、後生だ! 堪忍して……うごふあっ』
ドカァッ!
CASE3:鮭
さとりは一匹目を捌いただけで疲れきっていた。
鰹の最後に悲鳴が耳に残っている。やはり聴くものではなかった。
手早く調理を終えると、さとりは二匹目に取り掛かった。今日中に終わらせねばならないと思う。そうせねば、きっと明日はできなくなる。
「いやっ! いやあああっ、やめて! 食べないで!」
しかし案の定、最後の鮭が一番抵抗してきたのだった。
水槽から出す時点で力の限り暴れ周り、台所は水浸しになった。
だがさとりは今度は躊躇しなかった。
まな板の上に乗せると早々に包丁を持つ。
相手の話に耳を傾けては思う壺であることを嫌というほど痛感したからだ。
『や……やめてください……食べないでください……』
さとりは耳を貸さない。
ただ機械のごとく、氷のごとく、無心に包丁を振り上げる。
『ひどい……』
ある一言を聞くまでは。
『私のお腹には子供がいるのよ!』
ドン・引き・した。
なんてことを言いやがるんだ、この魚。
『せめて、せめて子供だけは、子供だけは殺さないでっ!』
鮭は必死に訴える。
ピチピチと全身で感情を表す。
さとりは包丁を構えたままの姿勢で固まっている。
『お願い……私は食べられてもいいから、せめて子供だけは……』
哀れっぽく鮭が訴えかける。
さとりは目を瞑った。
だめだ、ここで情けをかけては。みんなでおいしいご飯を食べるのだ。
しかしそんなさとりの悲壮な決意も、鮭の訴えによってぼろぼろ突き崩されていく。
『お願い……お願いします! 私はこの子達を生むためだけに遠く海を越え、皮を越え……ずっと生き延びてきたんです。だから……』
さとりは迷う、心の中で激しく葛藤する。
固まったままピクリとも動けなくなる。
鮭の一匹くらい、逃がしてやろうという気持ち。
しかしここで逃せば、次はいつ食べれるかわからない。
幻想郷に来てからの長いこいしやお燐やお空には、これが一生で最後になるかもしれないのだ。
訴える鮭、揺れる心、家族の笑顔、飽きて見るのをやめた紫。
様々な思惑が台所の中で渦巻く。
やがて……最後にさとりは決断した。
包丁を静かにおき……ピントの暈けた目でまな板の上の魚を見たのだった。
地霊殿にお燐の悲痛な叫びが響き渡る。
「ど、どうしたんですかさとり様!」
お燐は必死に主を羽交い絞めにしていた
「止めないでくださいお燐。私は……私は、地球を守らないといけないんです!」
「一体どうしたって言うんです!?」
「地球を守らないと、生き物を大切にしないといけません」
「生き物を……生き物をこれ以上死なせてはいけないんです!」
さとりの心からの絶叫は、高く地霊殿内にこだました……
(おわり)
いくらおいしいよね
不気味な魚って、クトゥルフでしたか。
てっきりシーマンかとww
だめだ、魚がしゃべるの想像したらwww
ごめん、名も無き鰹。断末魔に笑っちゃうなんてホントごめん。
それにしても、不気味な魚ってインスマス面してたんかなぁ。
コメント返信を。
1. 名前が無い程度の能力さん
こいしに頼むとまさにジグソウになりそうですね。いくらはとてもおいしいです
2. 名前が無い程度の能力さん
クトゥルフネタに反応してくださりありがとうございます。
結構マイナーネタでもいけるんだな……
3. ちゅーんさん
邪神の眷族を捕まえるなんてさすが紫様!
多分常人では発狂する味がするんだと思いますw
4. 名前が無い程度の能力さん
ありがとうございました。励みになります。
5. K-999さん
キューー、シン。キューシン。
動機、息切れ、旧支配者に。
ありがとうございました。予想外にクトゥルフネタが通じた……
川?
生きたままの食材を捌くのは想像しただけでキツイっす